ミシャグジと石棒 諏訪市湖南 '19.7.15
祠に奉納された諸々の「石」
通称「西山」と呼ぶ山並みが、諏訪盆地の西を縁(へり)の如く走っています。その中腹に、等高線を微妙に上下しながら走るのが旧道で、大祝や神使が野焼神事や廻湛に使った道とされています。私は何回か歩く機会がありましたが、それらの故事を思い起こしながら歩いても、当然ながら靴底からは何も伝わってきません。
習焼神社からその旧道に合流するには、10%以上の勾配がある結構な坂道を登ることになります。その道中で、家族連れが川向こうの人家の間に消えていくのを見ました。
そこにあるのは人一人が歩ける細道と知っています。この辺りは等高線に沿った直路(すぐじ)が何本もあって興味深いのですが、私道との区別がつかないので、その奥を極めるのは遠慮していました。
さっそく大手を振って同じ道に踏み入ると、山手にある人家の一画に石祠があるのを見つけました。
洗濯物が背景となる景観ですから、住人の目を気にしながら素早くカメラに収めました。
自宅で拡大してみると、祠の前に、先祖代々または現当主がコレクションしてきたかのような石棒や陰石(石皿)らしきものが並んでいます。
いかにもそれらしい祠に見えますが、神格に関わらず一律に御柱を立ててしまう諏訪人ですから、それをもってミシャグジを祀っていると決めつけることはできません。湖南は稲荷社が多い地区ですから、確率で言えば稲荷社でしょうか。
ミシャグジ社の石棒
旧有賀村の七御社宮司の一社「胡桃沢神社」では、石棒が祀られています。幣帛の背後に安置されているので「石棒が神体」と言えます。
これが原初からの祭祀形態とは断言できませんが、参考として挙げてみました。
私が持つミシャグジのイメージ
今までに得た知識や目撃例から、私がイメージとする「ミシャグジ」を並べてみました。
■ 多くの表記がありますが、「ミシャグジ」に統一しました。
- 元々あった原ミシャグジ信仰とも言えるものを取り入れ、高度に進化させて運用したのが諏訪神社上社のミシャグジ祭祀。
- 諏訪神社上社は、あくまで諏訪氏(神氏)の氏神。その神事で用いられるミシャグジと、一般に祀られているミシャグジの解釈は切り離して考えるべき。
- 諏訪神社の(ミシャグジを降ろす)湛神事が廃れた以降に出現したのが、今に見られるミシャグジ社。つまり、官製の祭祀に頼ることができなくなったので、郷村や個人が新たに自前のミシャグジを祀るようになったということ。その数が意外と少ないのは、すでに「祀るなら、やっぱりお稲荷さんだよね」の声が大勢を占めていたため。
- 例祭が初午という事例があるので、稲荷神と習合したものが見られる。
- ミシャグジ社以外にも神体を石棒とする例が多くある。祭神に区別無く御柱を立てるのと同じ風潮で、その精神を縄文時代まで遡らせるのは早計(無理)。
- 祠などに見られる石棒は、神体と言うより奉納品。その最たる例が児玉石神社。
- 全国にあるミシャグジ系と呼ばれるものの根は「地神(土地の神)」で、諏訪にあるものが(たまたま)諏訪信仰に影響され、諏訪で言う所謂(いわゆる)ミシャグジとなった。
- 諏訪(信仰圏)のミシャグジと、全国にある(ミシャグジ系とされる)石神とは一線を画すべき。
(諏訪郡)原村在住45年ですが、生まれも育ちも"諏訪"でない私が考えると、まだ漠然としたものですが、このようになりました。
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