2023年8月15日火曜日

日本人が、アイヌの剣も、お辞儀も、腹切りも自分の文化にした: The Voice of Russia

日本人が、アイヌの剣も、お辞儀も、腹切りも自分の文化にした: The Voice of Russia

日本人が、アイヌの剣も、お辞儀も、腹切りも自分の文化にした

    かなり古い時代から日本にはアイヌ人たちが住んでいたということだ。考古学的発掘によれば、アイヌ人が日本列島に現れたのは紀元前約1万3千年頃だという。そのアイヌ人たちが縄文文化を創り出した。彼らは琉球から北海道にわたる日本列島だけではなく、サハリンの南半分、クリル諸島、カムチャッカの南3分の1にも居住していた。その証拠は日本の地名にも残っている。対馬はツイマで、遠い、という意味。富士はフツィで、おばあさん、の意。筑波はツ・ク・パで、2つの出っ張りをもった頭、つまり2つの頂上をもった山、という意味。邪馬台はヤ・マ・タ・イで、海が陸を分断する場所、という意味となる。

    現在日本においてアイヌ人の数は約3万人となっている。

   サハリンや他のクリル諸島を含むロシア領には数百人。彼らは言葉も文化も維持している。信じられない人は、自分で確かめるのが一番いいだろう。

   2011年、雑誌「ナツィオナーリニイ・アクツェント」は「アイヌが戻ってきた!」という論文を発表した。この著者はマリーナ・ドルギフで、カムチャッカのアイヌ人であるアレクセイ・ナカムラさんとのインタビューを収録したものだ。以下にその抜粋を紹介しよう。

 -1945年以降、すべてのアイヌ人が日本にわたったと長い間考えられていましたが、そうではないのですか?

-私たちアイヌ人、もしくはカムチャダリ・クリル人といえばいいでしょうか、私たちはどこへも消えたことはありません。単に、長い間認められてこなかっただけなのです。しかし17世紀にはすでに、スチェパン・ペトローヴィッチ・クラシェニンニコフが私たちのことを、カムチャダリ・クリル人として記録に残しています。「アイヌ」という自称は、アイヌ語で「男性」もしくは「立派な男性」という意味で、それは軍事的な役割からきています。我々は650年間も日本人と戦ってきたのです。私たちは、日本人という侵略者に抵抗してきた世界で唯一の民族です。私の考えでは、日本人は我々の文化を真似しているだけだと思います。

-興味深いですね、どのような点ですか?

-私たちの文化を取り込んだのです。その例はたくさんあります。日本のサムライの剣は「カタナ」と呼ばれていますが、それはアイヌ語では「入植地」や「村」、「氏族」などの意味です。刀は父から息子、息子から孫へと受け継がれるため、このように呼ばれていたのです。腹切りもアイヌ人によって考えられたものなのです!私たちの信仰によれば、魂はお腹のなかに住んでいると考えられています。そしてそれは細い糸によって結び付けられています。死んで魂を解放するためには、腹を開いて、その糸を切る必要があります。そうしないと人間は生まれ変わることができません。

それに、日本式のお辞儀がどこから生まれたものか知っていますか?私たちの神話には、カパ・コズという水の精がいます。その精は人間の姿をして、誰かを水に引き込もうとして陸に現れます。頭の上にはくぼみがあり、そこにある水がこぼれてしまうと、精は死んでしまいます。カパ・コズの問題は、とても性格がよいということです。ですから森で人に出会ったときに、私がお辞儀をすれば、向こうもお辞儀をします。お辞儀は深ければ深いほど、礼儀正しいものになります。そして頭の上の水もたくさんこぼれてしまいます。ですから、深いお辞儀というのは実は、相手がカパ・コズではないかどうかを調べるためのものなのです。

-あなたの苗字は日本風ですが、あまり日本人に似ていませんね。

-私たちはアジア人であったことはありません。私たちは島の民族で、学者たちは今に至るまで、ひげのないアジア人のなかに、ひげを生やした民族がいるのかどうか、解明できていません。私の先祖は南クリルのシコタン島、アイヌ語でヤシコタン島の出身です。1725年のアイヌ反乱の時、日本軍に追われて家族と共に小船でカムチャッカにやってきました。ロシアのクリル湖の近くに定住しました。アイヌ人は半遊牧的な生活を送っていました。冬は暖かいクリル湖の近くで過ごし、夏になればオホーツク海に出て、海獣などの漁業にたずさわりました。ところで、クリルという名称が、煙を出している温泉や火山の様子(注:ロシア語で「クリーチ:タバコを吸う」)からきているわけではないことを指摘しておきます。これはアイヌ語で「民族、人々」をさす「クル」という言葉から、私たちクリル人が住んでいるからです。

-しかしもしもクリル諸島という名前がアイヌ人によるものだとすれば、日本が主張しているような、ただでさえ証拠が薄い議論が覆されますね!

-その通りです。私はマトゥア島への探検隊に参加しました。そこにはアイヌの入り江があります。第12回探検隊の時に、アイヌ人たちの古代の居住後がありました。発掘品によれば、それがアイヌであったことは確かです。食器の破片や毒矢のためのやじり、そのほかアイヌ人に特徴的な生活用品が発見されました。ですから、日本人たちが主張しているように、クリル諸島やサハリン、カムチャッカなどにアイヌ人がいなかったという議論はおかしいのです。日本人たちはアイヌ人は日本の北海道だけに住んでいて、クリル諸島も返還しろ、というのです。それは嘘です。ロシアにもアイヌはいて、クリル諸島に権利をもっています。ロシア外務省が、クリル諸島が日本のアイヌ人だけのものではないことを主張しないのはとても変です。それはすべてのアイヌ人のものなのです。

-カムチャッカには何人ぐらいのアイヌ人がいるとお考えですか?

-私たちの共同体には205人が住んでいます。もしかするとそのうちの何人かは完全なアイヌ人ではなく、単にそう思っている人かもしれません。しかしそれは憲法に矛盾するものではありません。

-私の知るところでは、アイヌ人はいわいるアイヌのパスポートと呼ばれる身体的特徴がありますね。それで決めればどうですか?(ナカムラさんは笑いながら、シャツの袖をまくりあげて、自分の「アイヌのパスポート」を見せてくれた。)

-私たちは、毛に覆われたクリル人、と呼ばれています。しかし人類学的な特徴のほかに、一部保存されている言葉があります。クラシェニンニコフの「カムチャッカ地誌」にはクリル語の辞書もあります。

北海道には「ウタリ」という組合があり、日本全国に55の支部があります。これは文化教育センターです。私たちは「ウタリ」を通じて、他のアイヌ人たちと文化関係を築こうとしました。しかし、組合は政治にしか興味がなく、特に反露的な性格が強いです。私は指導者の一人に、どうしてそうなのか、と聞いてみました。彼は正直に答えてくれました。「私たちも生活していかなくてはなりません。政治家は自分の利益になるものに資金を提供します。」と。ですから現在、「ウタリ」とはほとんど連絡をとっていません。カムチャダリ・クリル人、アイヌ人の文化を自らの力で復活させていこうと思っています。 

雑誌「ナツィオナーリニイ・アクツェント」

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