額田王 九番歌の問題
『万葉集』には定訓を持たない歌がある。その中で最も有名な難訓歌が、額田王の九番歌だ。伊丹末雄の『万葉集難訓歌考』に「古来あまりにも名高い難訓歌で、千年に及ぶ幾多の学者の精密真摯なる研究にもかかわらず、今なお依然として明確には読み解けない」とあるように、大きな謎を残したまま今日に至っている。しかし、謎が深いほど解きたくなるのが人の性。千年以上の間、『万葉集』の巻一、早くも九番目にぶつかるこの歌は、突破したくても出来ない壁のような存在となっている。九番歌は次のような題詞を持つ。
幸于紀温泉之時額田王作歌
これは「紀温泉に幸(いでまし)し時、額田王の作れる歌」と訓む。斉明天皇の紀温泉行幸の際、額田王が作った歌であることを伝えるものだ。次に、肝心の歌を記す。
莫囂圓隣之 大相七兄爪湯気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
これが俗に「莫囂圓隣歌(ばくごうえんりんか。莫囂円隣歌とも書く)」と呼ばれる謎の二十五文字である。下三句は「吾が背子が いたたしけむ 厳橿(いつかし)が本(もと)」や「吾が背子が いたたせりけむ 厳橿(いつかし)が本(もと)」と訓まれることが多いが、それも定まっているわけではない。難解な上二句にいたっては、研究者によって訓み方はまちまちだ。誤字が混ざっているのではないかとする見方も根強く、文字の置き換えが行われることは珍しくない。ここにその一例を挙げる。
「莫」→「奠」「草」
「囂」→「器」
「圓」→「國」「圖」
「隣」→「憐」
「七」→「土」「士」「古」
「兄」→「見」
「爪」→「似」
「湯」→「謁」「靄」
しかし、このような置き換えをしても、定訓を得られていないのが現状である。というより、誤字の可能性をいくらでも考えることが出来るために、混迷を極めていると言うべきだろう。
紀温泉が紀伊国牟婁郡の鉛山温泉であり、行幸が斉明4年(658年)10月15日から斉明5年(659年)1月3日の間であることは、『日本書紀』の記述から分かっている。その間、有間皇子の謀反計画が露見し処刑されるという痛ましい事件が起こった。そんなこともあって、歌の背景に有間皇子の存在を見る人もいる。
額田王の生涯は謎に包まれている。生没年も定まらない。父は鏡王、姉は鏡王女とされている。通説の範囲で言うと、まず大海人皇子(後の天武天皇)と結ばれて十市皇女を生み、その後、大海人皇子の兄である中大兄皇子(後の天智天皇)に愛された。ちなみに、姉の鏡王女も天智天皇の寵を受けた人である。そして、天智天皇が崩御され、壬申の乱が起こると、額田王は大友皇子(天智天皇の皇子であり、十市皇女の夫)ではなく、大海人皇子の側についた。その際、十市皇女も母に従った。
天智天皇と天武天皇に愛されたことから、額田王を才色兼備の情熱的なヒロインとしてイメージする人は多い。そこから飛躍して、性に対し奔放な女性という印象も広まっている。己の想像したいストーリーを楽しむために、額田王の歌をことごとくエロティックなものとしてみなす牽強付会の解釈も絶えることがない。謎多きゆえ好きなように想像されるわけだが、それも行き過ぎると罰当たりになる。折口信夫も『額田女王』に、「ある程度以上、書物にない想像の部分を一切棄て、新しく出直した方がよかろうと思ひます」と書いている。
額田王の地位もはっきりしないが、『額田姫王』を著した谷馨は、『薬師寺縁起』に「釆女」とあるのを根拠に、「聖なる『釆女的』地位にある姫王は、貴族官僚が私的に近づくを得ない公的存在」「宮廷の祭祀・遊宴の花」としている。あの誰もが知る八番歌「熟田津に」からも、その場を代表して皆に呼びかけるような雰囲気と揺るぎない才気が感じられるし、誰からも教養の高さを認められる宮廷の花形であったことがうかがえる。
「莫囂圓隣歌」の試訓は、主なものだけでも50種以上あるが、私的感情を綴ったとする説と、公的な意味合いで詠まれたとする説に大きく分けることが出来る。
川口美根子が1983年に『解釈』誌上で展開し、高く評価された説は、後者である。川口説では、「莫囂圓隣之」を「しづまりし」、「大相七兄」を「たぶら」、「爪湯気」を「つまだち」と訓ませる方法をとる。
「莫囂」はさわぐなかれの意であり、「圓隣之」は「まりし」と訓めるので「しづまりし」。「大相」と「兄」は高句麗の官位なので、「大相七兄」を「大相、兄ら七人」と解し、「大相ら」。これを日本風に「大夫ら(「たいふら」もしくは「たいぶら」)と訓み、「たぶら」と約める。「湯気」は湯気が立つこと(紀温泉であることを踏まえている)から「たつ」。「吾瀬子」は中大兄皇子を指す。
静まりし大夫(たぶ)ら佇(つまだ)ち吾が背子がい立たせりけむ厳橿が本
歌意は、「場が静まり、官人たちが佇む中、中大兄皇子が聖なる大樹の下にお立ちになられました」である。ここで一つ問題が生じる。このとき、中大兄皇子が高句麗使節と紀温泉で接見されたという資料が存在しないのだ。使節が大編成でなかったために記載がないのかもしれないし、国交の機密に関わることだから伏せられたのかもしれない。ただ、後者の可能性はこの歌が遺されている時点で成り立たない。本当に機密であれば、少なくとも「大相」や「兄」の字は伏せたはずである。
「吾瀬子」を、中大兄皇子の寵を受けた後も逢瀬を重ねていた相手、大海人皇子ではないかとみる人もいる。「吾瀬子」は「大體身分の相等しい男女の間に用ひるのが常であつて、より貴い方に對しては用ひないのが原則」(粂川定一)だから、中大兄皇子に向けられたとは考えにくいというのである。そうなってくると、途端に私的なニュアンスが強くなる。これは行幸の際、個人的恋情を歌ったものなのだろうか。迷うところだが、題詞が伝える行事性からも、「厳橿が本」の畏さからも、中大兄皇子を立てるために歌われたような、ある種公的な響きを私は感じる。
私が最初にこの歌を知ったときは、あえて訓みにくくされているのだと深読みし、有間皇子事件のことを伝えた歌なのではないかと推理した。この場合、「吾瀬子」は有間皇子となり、額田王は事件の報に接した斉明天皇の心中を慮り、その立場で作歌したことになる。有間皇子は捕らえられた後、紀温泉に連行されているので、こういう仮説も成り立つのである。
しかし、だからといって訓解の決定的な手がかりが得られるわけではない。現時点では、川口説の方が優位にあるように感じられる。誤字がある可能性に依拠せず、当時の政治情勢を踏まえている点でも卓見だと思う。
第一句「莫囂圓隣之」は「しづまりし」のほかに、「ゆふつきの」「ゆふぐれの」「なごまりし」と訓む例がある。さらに誤字説を取り上げるときりがないので、一部のみ挙げておく。
「奠器國憐之」→「ゆふくれの」
「莫囂國隣之」→「きのくにの」
「莫囂圖隣之」→「まがつりの」あるいは「ゆふとりし」
「草囂圓隣之」→「さかとりの」
『万葉集古義』を著した雅澄は、「奠器圓隣之大相土 見乍湯気」として、「三諸の山 見つつ行け」と訓ませている。私自身は「しづまりし」と訓むことに大きな問題があるとは思わない。「不穢」を「きよく」と訓み、「目不酔草」を「めさましくさ」と訓む例もある。川口説が出る以前には、鹽谷贊(土橋利彦)、澤瀉久孝といった人たちが「しづまりし」と訓んでいる。
かつて、古代韓国語を用いれば訓めると豪語し、「莫囂」の裏の意味を「まげ=男根」とみなすものもあったが、その論理には尾篭な解釈に結びつけるための強引な腕力を感じるのみだ。裏の意味も何も、仮に論者の言うように新羅の言葉を用いたとして、同時代の教養ある日本人に意味を知られずに済む保証はない。何にしても額田王のイメージを弄びすぎている。
私は川口説を卓見としたが、それでも第二句「大夫ら佇ち」に溢れる義訓には違和感を覚える。この行幸の間、官位の高い進調使に関する記述が『日本書紀』にないのも不自然と言えば不自然である。川口は題詞が間違っている可能性を仄めかしたが、まずは与えられた条件をクリアしたいところだ。
「大相七兄爪湯気」をいかに訓むか。当時の訓みを考慮に入れると、「大相」を「おおふ」か「おおひ」と訓み、「七兄爪」を「なせそ」と訓んで組み合わせるのが自然である。契沖は『万葉集代匠記』で「湯」を「靄」に置き換えて、「覆ひなせそ雲」と訓んだが、「湯気」のままでも「覆ひなせそ雪」で意味は通る。「大」と「兄」が用いられているのは、意図的なものだろう。このようにすると、中大兄皇子がお立ちになられた聖なる大樹の下を、雪が覆ってしまわないようにと、その静かな光景を眺めながら歌ったのではないかと想像出来るが、「静まりし覆ひなせそ雪吾が背子がい立たせりけむ厳橿が本」では初句と第二句の繋がりがしっくりこないので、なお再考を要する。
『万葉集』を代表する歌人であり、人気も高い額田王だが、千年以上も謎のまま厳然と九番に位置するこの難訓歌について、存在すら知らないという人は大勢いる。もっと学校の教科書で取り上げるとか、在野の研究者・趣味人の解釈を公募するとか、そういう試みがあっても良い。国の叡智をもってして取り組むに値する謎だと思う。
(阿部十三)
[参考文献]
粂川定一「莫囂圓隣の歌の訓義に就いて」(『国語国文の研究』第22号 1928年6月)
折口信夫『額田女王』(『婦人公論』 1935年6月号)
鹽谷贊「莫囂圓隣之の訓」(『文学』 1946年11月号)
谷馨『額田姫王』(1967年 紀伊国屋書店)
伊丹末雄『万葉集難訓考』(1970年 図書刊行会)
川口美根子「額田王ーー厳橿が本の歌をめぐってーー難解歌巻一ー九の新訓ーー」(『解釈』 1983年2月号)
李寧煕『もうひとつの万葉集』(1989年 文藝春秋)
間宮厚司『万葉難訓歌の研究』(2001年 法政大学出版局)
【関連サイト】
『万葉集』
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