新羅神社 鳴門町土佐泊浦
由緒 
       鎮座する土佐泊は、難波や紀伊から淡路海岸を経由して土佐への寄港点である。「阿波志」には「新羅祠 土佐泊に在り土佐泊神と称す」と記載されている。  
       この神社がここに鎮座している由緒は不明であるが、どう見ても航海の安全を願っての創祀を思わせる。渡しの神としての五十猛命は、九州や佐渡の度津神社などに見える。      古い時代の創祀ではなかろうか。 
       承平五年(935年)紀貫之が書いた土佐日記は貴重な航海日誌である。彼の土佐からの帰路は室戸岬を廻って、阿波の海岸を北上して、紀淡海峡まで来ている。      この時「海賊の恐れあり、神仏に祈る」とある。夜には海賊が出ないと聞き、暗夜にもかかわらず阿波から沼島を通り過ぎて、紀伊の多奈川から和泉の国へ着いている。      「神仏の加護でなんとか和泉の国に着いた。もう海賊は怖くないわい。」と言っている。折しも藤原純友の乱の前年に当たり、いよいよ、武家の本格的登場である。
 
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