authentic me’korī מְקוֹרִי
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authentic · 本物{ほんもの}の、正真正銘{しょうしん しょうめい}の、真正{しんせい}の、真の、れっきとした~◇何かが偽物や複製されたものでないことを意味する。
初めてのコリトリからの剣山 / kazashiさんの剣山の活動データ | YAMAP / ヤマップ
https://yamap.com/activities/11825670
一番多く登った山は?と聞かれれば『剣山』と即答できる。 もう何十回と登った剣山だが、毎回、見ノ越からのスタートだった。 今はリフトもあり観光コースにもなっている見ノ越からは 山頂まで手軽の登れ、行場や大剣神社など様々なコースが楽しめる。 ただ貞光から見ノ越まで道が開通するまでは裏参道だったという。 では表参道はというと、木屋平のコリトリからが旧表参道。 ただし見ノ越からと比べると標高差もあり、二の足を踏んでいて 今まで一度も歩いた事が無かった。 ここのところ、佐々連尾山の大ブナの駄場や八反奈路のブナで ブナづいていてYAMAPで探していると、ちょうどねこバスさんが コリトリからのアレンジコースで『ブナの巨木多数』と書かれていたのが目についた。 さっそく計画が決まりコリトリから剣山に登ることにした。 ただ前日までの雨で登山道ではないアレンジコースは諦め 龍光寺から登山道を登ることにしてスタートする。 ただ一の森までのこの登山道にもブナやヒメシャラの巨木があちらこちらに。 生憎のガスで山頂からの眺望は全くなかったが、山頂ヒュッテで暖をとり お腹も満たして下山する。
読書メモ「愛の宇宙方程式」 - 暇じゃないけど有閑茶館
http://cottonfeelheart.blog.fc2.com/blog-entry-142.html
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⑥コリトリ
新任のイスラエル大使は、来日してまず天皇陛下に謁見、それから総務大臣にあいさつし
三番目にすることが剣山詣でとのこと。
古代イスラエル人が剣山の上にアーク(聖櫃)を隠した。
その道筋がコリトリ。
コリトリという5百メートルおきの標識は宮内庁の予算で作られている。
古代ヘブライ文字「コリ」はふるさと、「トリ」は鳥居のことで
入り口を表している。
で、「コリトリ」はふるさとへの入り口ということになる。
読書メモ「愛の宇宙方程式」
余りに面白くて一気に読み終えてしまったこの本の著者は保江邦夫さん。
ノートルダム清心女子大学の教授である。
本の表紙には
合気を追い求めてきた
物理学者のたどりついた世界、と書かれている。
「人は死なない」の著者:矢作直樹さんが
“神意を理解することの素晴らしさ”
という序文を送られている。
著者の幼少時の思い出~高校大学~大学院~外国留学~受験から入学に至るいきさつがドラマティックで
ラッキーという言葉がピタリとあてはまるのだが
もしそれが全て運命として決まっていたことなら
決まっていた道のりを歩くのにもこんなにするりするりとスムーズに移行可能なものなのかと
思わず膝を打ちたくなるほど小気味良い。
飾りのない率直な文章が面白くて
きっと保江さんは同じ惑星か近隣の惑星から地球へ来られた方に相違ない、
などと読んでいる方の妄想は大きく膨らむのであった。
覚えておきたい項目がいくつかあったのでメモらせて頂くことにした。
①スイスのジュネーブ大学理論物理研究室の仲間から聞いたという摩訶不思議な話。
スイスには山奥に住んでいる人が皆知っているある人がいる。
通常なら救急車を呼ぶような事態の時、その人に電話する。
どんなに吹雪いていても電話はつながるらしい。
その人に電話して状況を話して、宜しくお願いしますと頼むと
電話を切った時には症状は治まっているらしい。
(出血が止まったり、逆子が治ったり)
②レマン湖のほとりにベルソワという小さな美しい村がある。
ほんとうに小さな村なので車だとわずか5分で通過してしまう。
ところが深夜1時にこの村に着いてベルソワの村を出るときは1時5分の筈なのだが
時計を見ると何故か2時を過ぎているらしい。
時計は壊れていないし1本道を通っただけなのに1時間以上時間が消えてしまうという。
理由は不明。
③ジュネーブでは子供ができる。
外交官の妻などが赴任直後妊娠するという現象があるらしい?
できるはずがない人でもできるとか。
モンブランの伏流水が効くのではないかという説があるらしい。
④広島の山奥にスペイン人の神父が隠遁生活をしていた。
エスタニスラウ神父。
スペインカタルーニャのサンタ・マリア・モンセラート修道院所属。
彼のもとにはイエスが幾度となく現われ、
ヨーロッパではひと目会いたいと訪れる巡礼者たちが跡を絶たず、
彼らは神父の暮らす隠遁小屋の前で祈りを捧げたそうだ。
祈りによる遠隔治療の可能な方だった。
広島・三原(岩国の米軍教会へシスターたちは出かけていたらしいのでそこの所属?)
著者と神父との邂逅の記録が興味深い。
神父が著者に勧めたのが岩波文庫版の華厳経。
「他の仏教の経典よりも、あなたはこれを読むべきです。なぜならあなたは物理学者でしょう。
これには宇宙の真理について書かれています」
と、仰ったらしい。
⑤聖地ルルドのレストランで擬人化した大天使ミカエルに逢ったこと。
悪魔と対等に戦えるのは、聖母マリアと大天使ミカエルだけだという。
⑥岡山コリトリ
新任のイスラエル大使は、来日してまず天皇陛下に謁見、それから総務大臣にあいさつし
三番目にすることが剣山詣でとのこと。
古代イスラエル人が剣山の上にアーク(聖櫃)を隠した。
その道筋がコリトリ。
コリトリという5百メートルおきの標識は宮内庁の予算で作られている。
古代ヘブライ文字「コリ」はふるさと、「トリ」は鳥居のことで
入り口を表している。
で、「コリトリ」はふるさとへの入り口ということになる。
⑦東京大学医学部救急医学分野教授:矢作直樹氏との邂逅。
⑧兵庫県丹波の山奥にある白瀧神社。
聖刻文字(ヒエログリフ)、UFO、地球祭り。
⑨日系アメリカ人理論物理学者でUFOや宇宙人についてアメリカ政府の隠蔽工作を追求しているミチオ・カク博士。
⑩M31銀河(いわゆるアンドロメダ星雲)からシリウス星系を経由して地球に転生してきたという著者。
著者がジュネーブ大学の研究室から日本へ帰国し、
ノートルダム清心女子大学の教授として働くに至ったいきさつも興味深く、
あの多くの著書を出版しておられるシスター渡辺和子学長との邂逅場面には本当にワクワクした。
ルルド巡礼の経験談などもシスター渡辺学長との何気ない日常の会話として語られている。
読み進むのがとても楽しい1冊だった。
勿論、保江さんが書かれた他の著書も読んでみたくなった。
楽しい読書時間をありがとうございました☆
「一流の人の話し方」川北義則著(アスコム)を読んでいる。
実はこの本を読む前に
「一流の人に学ぶ自分の磨き方」という本を読んでおり
いささか辟易していた。
何しろ本文ときたら
必ず各章決まって「一流の人は云々・・・」で始まるのだ。
企業か何かの新人教育でもここまでうんざりするほど同じ文言は出て来ないであろうと思われるほど
念仏のように「一流の人は」の繰り返しなのであった。
読んでいる途中で退屈になってしまい
早々に本を閉じた。
時にこういうこともある。
なので、
同じような類の本なら即刻読むのをやめるつもりでページを開いた。
序文はいきなり会話から始まる。
第1章「賢い話し手」がいつもやっていること
第2章「いい聞き相手」だけが「いい話し相手」になれる
第3章 会話力を実践で身につける
第4章「一流の会話人」と呼ばれるために
(あと略)
なんていう具合に意外とラクに読み進める。
テレビでよく見る芸人さんなどが例えとして出ており、わかりやすい。
例えば
お笑いタレントの有吉弘行さんは
「嫌われない毒舌のすすめ」(KKベストセラーズ)という本で、
有吉さんなりのコミュニケーション術を披露しておられるらしいのだが
そのなかに
聞き上手に徹するという項目がある。
で、著者は
有吉さん曰く「聞き上手な人」を演じる点で
「本当は全然わかっていませんし、話なんて聞いていません。だって興味ないですもん」
という箇所を取り上げ、
「聞き流し」と「話し流し」を上手に使うことを推奨している。
実は、さんまさんに関しても
「上っ面だけでやってるからじゃないですか。それでええやないですか」
なんて仰った言葉を引用したりしている。
これが実際に大切な対話の場面において実行されたら
たちまち見抜かれてとんでもない事態を引き起こすだろう。
けれど、本書ではスタートをうまく切るために欠かせないのが「会話」
なので始めは「軽く」そして「表面的」でいいのではないか
そこからバリエーションを見出せばよいと示唆しているのだった。
けっこう実用的で面白い本だなと思いながら
短時間で読み終えてしまった。
参考になる箇所は多々あったのだが幾分こなれた大人すぎて
やはり自分には真似できないかなぁ
(^^;
なんて思いつつ
本を閉じました・・・・とさ・・・・
実はこの本を読む前に
「一流の人に学ぶ自分の磨き方」という本を読んでおり
いささか辟易していた。
何しろ本文ときたら
必ず各章決まって「一流の人は云々・・・」で始まるのだ。
企業か何かの新人教育でもここまでうんざりするほど同じ文言は出て来ないであろうと思われるほど
念仏のように「一流の人は」の繰り返しなのであった。
読んでいる途中で退屈になってしまい
早々に本を閉じた。
時にこういうこともある。
なので、
同じような類の本なら即刻読むのをやめるつもりでページを開いた。
序文はいきなり会話から始まる。
第1章「賢い話し手」がいつもやっていること
第2章「いい聞き相手」だけが「いい話し相手」になれる
第3章 会話力を実践で身につける
第4章「一流の会話人」と呼ばれるために
(あと略)
なんていう具合に意外とラクに読み進める。
テレビでよく見る芸人さんなどが例えとして出ており、わかりやすい。
例えば
お笑いタレントの有吉弘行さんは
「嫌われない毒舌のすすめ」(KKベストセラーズ)という本で、
有吉さんなりのコミュニケーション術を披露しておられるらしいのだが
そのなかに
聞き上手に徹するという項目がある。
で、著者は
有吉さん曰く「聞き上手な人」を演じる点で
「本当は全然わかっていませんし、話なんて聞いていません。だって興味ないですもん」
という箇所を取り上げ、
「聞き流し」と「話し流し」を上手に使うことを推奨している。
実は、さんまさんに関しても
「上っ面だけでやってるからじゃないですか。それでええやないですか」
なんて仰った言葉を引用したりしている。
これが実際に大切な対話の場面において実行されたら
たちまち見抜かれてとんでもない事態を引き起こすだろう。
けれど、本書ではスタートをうまく切るために欠かせないのが「会話」
なので始めは「軽く」そして「表面的」でいいのではないか
そこからバリエーションを見出せばよいと示唆しているのだった。
けっこう実用的で面白い本だなと思いながら
短時間で読み終えてしまった。
参考になる箇所は多々あったのだが幾分こなれた大人すぎて
やはり自分には真似できないかなぁ
(^^;
なんて思いつつ
本を閉じました・・・・とさ・・・・
俗説に従えば、幸せに至る道は幸福を求める二人の旅行者のイメージで表せる。
その一人は幸福の達成を一途の目標として絶えず心がけながら、
しかし、幾多の障害物のせいでその達成が妨げられるため満ち足りず、
いらだっている人物。
もう一人は同じ幸福の追及を目標にしながらも、
自分の人生に障害物が現れることを予想している人物。
そういう人物は障害物を心乱さず慎重に取り除いて、
次の障害物に対しても落ち着いて対処する。
この俗説によれば、
幸福とは、
「世界一流のアーティスト」とか「有名なスケーター」になるといった
大目標を掲げて努力しても達成されるものではない。
むしろ、私たちは日常生活を大小さまざまな試練の連続と見なして、
次々と冷静にそれらに対処していかなければならない。
身に直接ふりかかってきた「障害物」に立ち向かって処理する勇気があってこそ、
平穏と安らぎが得られるのである。
また別の見方によれば、真の幸福を実現するためには
自分の生活をコントロールできなければならない。
といっても、全てをコントロールするわけではない。
それは全く私たちの手に余ることである。
だから「コントロール」とは、
重圧や恐怖に直面しても屈服しないことを意味する。
日々のあらゆる些細な出来事を処理するにあたって
受け身のあきらめの気持ちになったり、
あるいは慌てふためいたりはしない、ということだ。
哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズは、いみじくもこう表現している。
『最善を求めて行動し、最善を願望し、そして起こることを受け止めよ』
ケヴィン・ライアン
ボストン大学名誉教授
「グローバル時代の幸福と社会的責任」
ー日本のモラル、アメリカのモラルー
より
****************
わかりやすく言い換えれば
ぶっちゃけ
「自分の人生」
という大きなパズルを
一枚一枚当てはめる作業を私たちは毎日毎日しており、
時にナンダコレ?!
みたいなわけのわからない形に遭遇して
作業を投げ出してしまいたくなることもあるんだけど
辛抱強く積み重ね
最終的に一つの絵を描いて完成させることに意味がある
っつーーーことなんだろうか。
いや、びみょーに違う?!
( ̄- ̄) シーン
ほぇっ。。。
その一人は幸福の達成を一途の目標として絶えず心がけながら、
しかし、幾多の障害物のせいでその達成が妨げられるため満ち足りず、
いらだっている人物。
もう一人は同じ幸福の追及を目標にしながらも、
自分の人生に障害物が現れることを予想している人物。
そういう人物は障害物を心乱さず慎重に取り除いて、
次の障害物に対しても落ち着いて対処する。
この俗説によれば、
幸福とは、
「世界一流のアーティスト」とか「有名なスケーター」になるといった
大目標を掲げて努力しても達成されるものではない。
むしろ、私たちは日常生活を大小さまざまな試練の連続と見なして、
次々と冷静にそれらに対処していかなければならない。
身に直接ふりかかってきた「障害物」に立ち向かって処理する勇気があってこそ、
平穏と安らぎが得られるのである。
また別の見方によれば、真の幸福を実現するためには
自分の生活をコントロールできなければならない。
といっても、全てをコントロールするわけではない。
それは全く私たちの手に余ることである。
だから「コントロール」とは、
重圧や恐怖に直面しても屈服しないことを意味する。
日々のあらゆる些細な出来事を処理するにあたって
受け身のあきらめの気持ちになったり、
あるいは慌てふためいたりはしない、ということだ。
哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズは、いみじくもこう表現している。
『最善を求めて行動し、最善を願望し、そして起こることを受け止めよ』
ケヴィン・ライアン
ボストン大学名誉教授
「グローバル時代の幸福と社会的責任」
ー日本のモラル、アメリカのモラルー
より
****************
わかりやすく言い換えれば
ぶっちゃけ
「自分の人生」
という大きなパズルを
一枚一枚当てはめる作業を私たちは毎日毎日しており、
時にナンダコレ?!
みたいなわけのわからない形に遭遇して
作業を投げ出してしまいたくなることもあるんだけど
辛抱強く積み重ね
最終的に一つの絵を描いて完成させることに意味がある
っつーーーことなんだろうか。
いや、びみょーに違う?!
( ̄- ̄) シーン
ほぇっ。。。
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