2023年8月31日木曜日

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 安房神社はどこから?

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 安房神社はどこから?

安房神社はどこから?

以前から、ちらちら書いてたんですが、誰も気付いてくれないのか無視されてるのか(笑)反応がなかったので改めて書いてみます。
千葉県館山市に鎮座いたします、式内社(名神大社)、安房国一宮である「安房神社」がございます。
千葉県館山市大神宮589、場所はここ。


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Wikipediaを見ますと
安房神社(あわじんじゃ)は、千葉県館山市にある神社。式内社(名神大社)、安房国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称として「大神宮」とも。神話の時代に阿波国より渡ってきた忌部氏による創建とされる。
大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、開拓したとされる。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸、その周辺を安房郡と名附けて天太玉命を祀る社を創建した。さらに続けて、その社が今は安房社と呼ばれており、神戸には斎部氏が住んでいると書かれている。
館山市布良(めら)にある布良崎神社の『郷社布良崎神社略誌』では、天富命は上陸した房総半島南端の布良にある男神山へ天太玉命、女神山へ天乃比理刀咩命を祀り、その後さらに上ノ谷に天太玉命、下ノ谷に天忍日命の仮宮を建てたのが当社の「上の宮」と「下の宮」の起源だとしている。やがて布良を出発点として半島開拓を進めた天富命は、宮ノ谷(みやのやつ)に「太玉命ノ社」(当社)を創建したのだという。『安房忌部家系之図』によれば、養老元年(717年)に布良から西へ数百メートルの現在地に遷座し、同時に天富命を下の宮に祀ったとしている。また、周辺の地は神部とされ、全国八神郡の一つとなった。『新抄格勅符抄』によれば大同元年(806年)に神封94戸が充てられ、さらに10戸が加増されている。これについて、神郡が定められたのは大化5年(649年)で、その後当地は『和名類聚抄』にある神戸郷に属することになったのではないかと推測されている。

安房神社の公式HPを見ても
■ 神代 
安房神社の創始は、今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。

その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。

とあり、往古阿波忌部が房総半島へ進出し、この神社を創建したことは間違いありません。延喜式神名帳にも
安房坐神社とあり(読み方は「あわのざ」もしくは「あわのいます」神社と思われる)
安房(阿波)に坐する、つまり阿波から移された神社であることが社名に表されております。
また上記「神名帳考証」にも「阿波忌部所居便名安房郡 今安房國也」と記され、安房国が阿波より派生した国名であることを示しております。

でも、阿波からやって来たと云っても、阿波國結構広くて漠然としております。
忌部だから麻植近辺だろうとは想像できますが。
で、調べてましたら(何を)出てくるもんですねえ(何が)。
安房神社の元社。
山崎村神社記より、画像は見やすいように2ページを併せてあります。
原本の画像が欲しい方は仰って下さい。
じらしても面白くないのであっさり書いてしまいます。
山川町岩戸に鎮座いたします「岩戸神社」

舊伝曰当社上代安房国安房郡安房神社御迁(遷)座具古社也止(と)伝

前後しますが場所はここ。

より大きな地図で 岩戸神社 を表示


社伝は御覧の通り「安房神社」と比べたりしてはいけません(笑)

にしても、阿波忌部は「ここから」黒潮に乗って房総半島まで進出して行ったのです。

そのスタート地点が「ここ」なのです。

このように、神代忌部の旧跡が残る「聖地」でもあるのです。

あ〜久々にブログ書くと、肩が凝ってしゃーないです。

なので、内容はあんまり「ないよ〜」。

大爆笑!!!して下さい、すいませんけど(涙)

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