ブネイ・メナシェ(ヘブライ語: בני מנשה、メナシェの子どもたちの意)とは、インド北東部(マニプールとミゾラム)の少数派ユダヤ人。
Films
- Quest for the Lost Tribes. (2000) Directed by Simcha Jacobovici.
- Return of the Lost Tribe. Directed by Phillipe Stroun
- This Song Is Old[55] (2009), Directed by Bruce Sheridan
- A Prayer for Aliyah (2012). Directed by Zorawar Shukla.
Lost Tribe of Israel?
https://www.ne.jp/asahi/yasunao/picard/time/9909/losttrib.htm
イスラエルってのは考えてみれば凄いですね。いまだに10支族を探しつづけているという のは、ちょっと日本的な感覚では想像できません
イスラエルの10支族?
語彙は主に『英辞郎』Ver.17から抜粋
By MICHAEL FATHERS Aizawl
大意
語彙
P24 インド北東部の人里離れた山腹に住むミゾ族は、自らをユダヤの血を引く 子孫と名乗る
1 彼ら高地部族がかつては首狩族であったという黄金の三角地帯周辺にある、 未完成のコンクリートの建物の何もない部屋で、一人の男が祈祷用肩掛け を身につけヘブライ語で祈りを唱え始めた。何人かがそれに唱和した。終 わった後、彼はこう言った:「10年前は救世軍の幹部候補生だったのだが 今はユダヤ人だ」こう語るのはイェシュラン・ヌガイテ、ビルマと国境を 接するインドのミゾラーム州の州都アイザウルにある古びたセファルディー ユダヤ礼拝堂のチャザン(長老)50歳。
2 丘のさらに上、深い峡谷の斜面に位置し、鉄が波打つ倉庫では、この町では 古株のアシュケナジ礼拝堂のチャザンであるエリザー・セラ(56歳)が、21 人とやや多めの人数の信徒を率いて夕べの祈りを行っている。女性と男性は 蚊帳で区分けされている。9人の子供がおり、そのうち4人はイスラエルに住 んでいると言うセラは、1972年ユダヤ教に転向するまでは道端で茶の露天を 営み、長老派の教会で祈りを捧げていた。
3 インド北東部の森に覆われた山腹は、ユダヤ礼拝堂など決してないだろうと 思われる場所である、しかも2箇所もあるとは。だが待て待て、次のことには さらに興味をそそられるだろう:人里離れたこの地域のユダヤ人は、自分達 が旧約聖書に書かれている3,000年近くも前に姿を消した伝説の10支族の子孫 だと信じているのだ。「旧約聖書を読んだとき、ミゾ族はユダヤ人に酷似し ていることがわかったのです」とセラは言い、「だから、自分達がユダヤ人 かどうかをお教え下さいと神様にお祈りしました」
4 セラの話は、ミゾラムで多数を占めるキリスト教徒の指導者達には鼻であし らわれた。「私たちはユダヤ人の子孫などではありません」と語るのは、C. ヴァンラルアイア師で、ミゾラムでは最も重視されている宗派である長老派 教会の長老。「聖書の歴史にそれははっきり表れております。私たちはモン ゴロイド系なのです」
5 とはいえ、ミゾ族の人たちの中に、はるか離れた土地と自分たちが結びついて いると信ずるものがいる理由も分からぬではない。ミゾラム(人口700,000人) はインドの他の地域から距離的にも文化的にも切り離されている。その孤立感 は、1986年に終結したとはいえ20年に及ぶニューデリーに対するゲリラ活動で 深まり、救済を与え、自分たちが何者であるかを教え、海外への移民や富への 可能性を語る精神的指導者たちを育む土壌を提供してきた。キリスト教はと言 えば、ウェールズ伝道者によって100年前にインド東部のジャングルに国境地帯 にもたらされたものだが、それは彼等の精神的支えとなり生活のあらゆる面─ ─政治的、社会的かつ経済的に──に浸透していた。それも、彼等のなかに、 ミゾ族がイスラエルの10支族のひとつであると確信するようになるまでのこと。
6 自分たちが何者かということに関する混乱は、ミゾラムの首都であるアイザ ウルの狭い両側が切り立った通りにはっきりと現れている。片方の丘がベツ レヘムと呼ばれる一方で、もう片方はサレムとう名だ。大通りの交差点はイ スラムポイントと呼ばれている。商店は、イスラエル店とか、シオン洋装店、 エクソダス新聞、ナザレ校などと言った名前がついている。こうした名前は ユダヤ教とキリスト教共通の聖書から取られたもよう。ここは神の御言葉が 敬われている世界──新約聖書においても旧約聖書に関しても。長老派の元 大御所であるザイレマ師に言わせれば、旧約聖書に身を委ねそこに書かれて ある物語を深く読めば、ミゾ族が自分たちをユダヤ人と信じていることが理 解できるという。「こう考えている人たちには、自分たちがアブラハムの子 孫と精神的に結びつきがあるだけではなく、肉体的にもゆかりがあると信じ がちなのです。教会側としては、こうした主張には何ら意味がないとして無 視してきました」
7 この地の伝説によれば、ミゾ族のユダヤ人との関係は1,000年以上も前、中国 の人里離れた洞窟にまで遡る。その洞窟にはメナシュという10支族の名残があ ちこちに残っているのだ。彼らはその洞窟にちなんで自分たちをチチンランと 呼び、長い年月をかけて南下し、タイを通り、今日ビルマ、インド、バングラ デシュと呼ばれている地帯にまたがる狭い丘陵に永住した。
8 時代は1952年まで降り、その地の首長がトランス状態に陥り幻を見た。そし て、神が、ミゾ族は10支族であると彼に告げたと宣したのだ。これを信じる 者たちは約束の地が地平線の彼方のすぐ向こうにあると考えて歩き始めた。 北に向かった者は列車を始めて見、隣国インドの州であるアッサムに到達。 北東に向かった者は
9 その縁者とは、女性保険外交員であり元教員のザイタンチャンギで、彼女は 1983年にイスラエルにやって来た。そこで彼女はユダヤ教指導者であるエリ ヤフ・アヴィヤイルに出会ったのだが、彼のアミシャブ組織は10支族の子孫 を求めて世界中を調査しているのだ。彼女の話にすぐさま興味を示した彼は、 ユダヤ人は散り散りになってはるか遠く中国にまで行っていると話し、ミゾ 族の歴史のカタログを作るためにインドに戻るよう促した。彼女は、文化的 類似性があると思われる一覧を持って帰ってきた。そこには、祭壇の建物、 動物の生贄、埋葬の儀式、結婚や離婚の手続き、全能の神への信仰、様々な 行事において7という数字が象徴的に使われていることなどが書かれてある。 その他にも、楽器や家庭内の慣習などにも関連性を彼女は見て取った。「私 は信じてはいなかったのですが、調査をした今ではミゾ族がユダヤ人の子孫 であると固く信じています」彼女自身は長老派教会に今も属している。なぜっ て?「それは、イエス・キリストを信じているからですよ。祖先の考えに戻 るのが難しい人はたくさんいるのです」
10 改宗が始まったのは1980年代後半のこと。アヴィヤイル師のアミシャブ組織 が、ミゾ族がイスラエルに来れるように援助し始めてからだ。ザイタンチャ ンギによれば、400人ほどの男女がそれでやってきて、改宗し永住した── おもに占領地に──という。現在、資金は尽きてしまったようだ。イスラエ ルは、ミゾ族をユダヤ人としては認めていない。とはいえ、内務省は6月、ミ ゾ族の者100人を毎年観光客として入国を許可すると発表。もしユダヤ教に改 宗すれば、イスラエルの帰国法に従って彼らは移住者となることができる。 これはすべてのユダヤ人に対して市民権を与えるものである。ミゾラムの警 察当局は、過去5年間に渡り、およそ2,000人のミゾ族がイスラエル訪問のパ スポートを申請したという。実際は、年間平均30人から40人がイスラエルへ 旅行している。
11 当然ながらこのイスラエルへの帰還というのは、政治的に厄介な問題を生み 出している。44歳になる長老派教会の信徒であり、野心家の政治家で実業家 でもあるラルチャアンヒマ・サイロは、新しいミゾ族のアイデンティティに 関して権利の行使を先取りしようとしている。Chhinlung-Israel Peoples Conventionの設立者である彼は、ミゾ族の名前をチチンラン-イスラエルに変 更するように、州内を運動して回っている。彼はまた大チチンラン-イスラエ ル州について語っているが、それは隣国ビルマとバングラデシュのミゾ族を 含んでおり、バングラデシュもビルマもインドも歓迎するはずもない。
12 しかし、インド軍と戦ったことのあるゲリラ部隊の元副司令官であるChief Ministerのゾラムタンガにとり、アイデンティティは問題ではない。「ミゾ 族が10支族である可能性はあります。それを示唆するある種の慣例や習慣が ありますから。だけどこう言っときましょう、確かなことは、私たちが天国 に行ったとき始めて得られると」と彼は高々と笑う。
間違ってるところがあるかもしれません。見つけたらメール下さい!
Films
- Quest for the Lost Tribes. (2000) Directed by Simcha Jacobovici.
- Return of the Lost Tribe. Directed by Phillipe Stroun
- This Song Is Old[55] (2009), Directed by Bruce Sheridan
- A Prayer for Aliyah (2012). Directed by Zorawar Shukla.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%A7
ブネイ・メナシェ
ブネイ・メナシェ(ヘブライ語: בני מנשה、メナシェの子どもたちの意)とは、インド北東部(マニプールとミゾラム)の少数派ユダヤ人。
失われたユダヤ10支族の1つであるマナセ人(メナシェ族)の末裔という言い伝えを持つが、チベット=ビルマ系の山岳狩猟部族の系統に属し、永らくアニミズムを信仰していた。しかし、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、宣教師の影響でほぼ全員がキリスト教に改宗。
1953年、部族の長がイスラエル帰還の夢を見たのをきっかけに、突如としてユダヤ教に回心。一度は部族ぐるみで徒歩によるイスラエル移住を図るも、大自然に阻まれて挫折。しかしこれ以降、徐々にユダヤ教徒が増えていき、1972年までには数百人の部族民はユダヤ教の信仰に戻っていた。
イスラエルのユダヤ人団体はこれを知り、ブネイ・メナシェをイスラエルに移住させるべく尽力。この結果、1994年から2003年にかけて800人のブネイ・メナシェはイスラエルのユダヤ人入植地に移民した。彼らの入植地はガザ地区やヨルダン川西岸地区など、特に争いの多い地域である。彼らがイスラエル入植を許されたのは、パレスチナ問題での領土争いを背景に、ガザ地区やヨルダン川西岸地区でのユダヤ人口を増やし、これらの地区におけるイスラエルの覇権を既成事実化したいというイスラエル政府の意向が関係していたともいわれる。
2004年、セファルディムの主席ラビであるシュロモ・アマルから、正式にメナシェ族の末裔として認定を受ける。ただし彼らがメナシェ族の末裔であるとの人類学的な根拠は薄く、アマルの決定は民族的なものというよりもむしろ政治的なものであったといわれている。これ以降、ブネイ・メナシェは帰還法のもとに堂々とイスラエルに移住できるようになったが、彼らは永らくユダヤ教から離れていたため、イスラエル移住には完全な改宗を経ることという条件が付けられた。
2005年9月、ラビ委員会によって700人のブネイ・メナシェは完全にユダヤ教へ改宗。この段階で、9000人が改宗手続を待っていた。
2005年11月、インド国民であるブネイ・メナシェをユダヤ教に改宗させてイスラエルに移民させることについてインド政府から抗議を受けたため、イスラエル政府はブネイ・メナシェの改宗を中止すると決定。武器輸出の得意先であるインドから不興を買うのを恐れたためといわれている。
イスラエル政府はガザとヨルダン川西岸からのユダヤ移民の引揚を決定したため、2005年以降、ブネイ・メナシェの立場は極めて不安定になっている。
関連項目
ミズラヒム | |
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インドと周辺のユダヤ人(英語版) | |
その他 |
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