2023年8月16日水曜日

薩摩の島津氏は、秦氏の出でしょうか。 - 系譜を遡って調べたんですが、詳細がわ... - Yahoo!知恵袋

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島津


参考:

惟宗氏

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この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2017年6月

惟宗氏(これむねし)は、日本の氏族のひとつ。平安時代に始まる氏族で、秦氏の子孫とされる[1]。 

惟宗氏
氏姓惟宗朝臣[1]
出自秦氏
氏祖惟宗直宗
惟宗直本
種別諸蕃
本貫山城国
薩摩国
対馬国 ほか
著名な人物惟宗直本
後裔島津氏武家
宗氏(武家)
神保氏(武家)
執印氏(武家)
川原氏(武家)?
河俣氏(武家)?
市来氏(武家)?
安芸氏(武家)? など
凡例 / Category:氏

概要

家系としては朝臣または宿禰の姓をもつもの、また伊統これむねと称するものもあるが、中でもよく知られるのは惟宗直宗直本兄弟らに始まる惟宗朝臣である。彼らは讃岐国香川郡を本貫とする秦公(はたのきみ)であったが、本貫を京に移し、883年に同族の秦宿禰秦忌寸とともに惟宗朝臣の姓を賜った[1]。惟宗直本は『律集解』と『令集解』の著者として名高い[1]。彼の子孫は明法家あるいは医家として知られ、『本朝月令』を書いた惟宗公方、『政事要略』を書いた惟宗允亮(律令にちなみ「令宗よしむね朝臣」を賜った)が有名[1]。 

また系譜は必ずしも明らかでないが在庁官人や郡司などに多くの名が見える。惟宗広言もしくは惟宗忠康の子・忠久日向国に下って土着し、当地にあった荘園「島津荘」にちなんで島津氏と名乗るようになったとされる[2]。ただし忠久は源頼朝落胤と自称して(後世の伝承)、島津氏は(名目上は)清和源氏ということになっている[2]。 

また対馬宗氏(のちに桓武平氏知盛流を自称する)[2]神保氏執印氏も惟宗氏の子孫とする。そのほかに安芸氏などが惟宗氏の子孫と自称した。 

脚注

  1. a b c d e 太田 1934, p. 2422.
  2. a b c 太田 1934, p. 2424.

参考文献




聖フランシスコ・ザビエル全書簡1985 全一冊(分冊では3?)


書簡第96

ヨーロッパのイエズス会員にあてて

1552年1月29日 コーチンより


…シナから日本へ諸宗派が渡来する以前から、日本人は殺すこと、盗むこと、偽りの証言をすること、 その他十戒に背く行いが悪いことであると知っていましたし、行ったことが悪いことであるしるしとして、 良心の責め苦を感じていました。なぜなら、悪を避け、善を行うことは〔もともと〕人の心に刻みこまれていたのですから。 全人類の創造主〔である御者が、すべての人の心のうちに刻みこんだ〕神の掟を他の誰からも教えられずに〔生まれながら〕 人びとは知っていたのであると説明しました。


533~4


〔日本に以前〕 ある時代に神やキリストの知識が伝えられたのではないかと思い、これを調べるのにたいへん苦労しましたが、文書や伝承によっても、 神についての知識があったという確証を得られませんでした。私たちが一年間滞在した鹿児島において、 領主とその親戚が紋章に白い十字架を用いているのを見ましたが、それは主なるキリストを認めたからではありませんでした。


538


http://www2.harimaya.com/simazu/html/sm_kamon.html

薩摩島津氏-家紋-


『蒙古襲来絵巻』に見える島津下野守久経の旗指物 (復元)


 島津氏の家紋は「丸に十の字」である。しかし、昔は外郭の丸はなく、単に筆書体の「十」だけであった。 これは鎌倉初期の島津忠久着用の甲胄につけてある十文字でわかる。また、『蒙古襲来絵巻』にも、 久親・久長の兵船の旗に十字紋があり、『 見聞諸家紋』でも筆書体の十字である。ところが、徳川期になると、 礼装用の紋に転化したために、多くの武家が外郭に丸を付けるようになった。島津氏もこれにならい以後、 定着したものである。  ・左『 見聞諸家紋』に見える十字紋、右:丸に筆十字紋 

 ところで、この「十字」は、いったい何を意味するのだろう? 
 一つは二匹の龍を組合せたものであるという。からみあって昇天する様だというが、これは引両紋から 連想されたものだろう。二つは、 二本の箸を交叉して出陣戦勝の呪いにしたのが始まりだという。三つは、キリスト教の印とする説。 四つは、「十字を切る」という形の呪符からきたとする説。これに似たもので忍者が九字を切ったり、 民間で安倍清明判や籠目などを魔除けに用いるものなども同じような呪符だという。五つは、轡紋から転じたとする説。 このように諸説あるなかで、四の説が正しいとするのが定説となっている。キリスト教などの入る前から、 島津氏は十字紋を用いていたので十字架説などは問題にならない。
 十字紋はもっとも古い紋のひとつで、歴史的にも名高く、鎌倉時代は清和源氏の小笠原・逸見・田沢・志村の 諸氏も用いたが、のちには島津氏に遠慮して廃止している。島津氏は宗家以外は十字の原形を少しずつ 変えて用いている。  
・参考:日本の名族12巻の内「島津氏」/日本家紋総覧/日本家紋由来総覧 

■島津一族の家紋

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