2023年8月10日木曜日

邪馬台国は阿波だった!?「魏志倭人伝」の記述と一致する数々の事実から「邪馬台国四国説」をトコトン解説!【ゆっくり解説】

https://youtu.be/F7yFm_GqFoE
5:25 「牛馬なし」
ちなみにANYAチャンネルでは行橋が伊都国に比定されていて、水行のルートが合理的に説明されています。
細かい点は色々ありますが、水行、人口等、総合的に考えて、邪馬台国四国説は妥当だと思います。


九州説だった自分が四国説へ転向したのは『翰苑』の「四面ともに海に極まる」と、
隋書倭国伝の「その国境は東西五月行、南北三月行で各海に至る。」という記述からです。

以下の魏志倭人伝の記述も四国説を念頭におけば納得できます。

参問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里

(訳)倭の地を訪ね歩くと、遠く離れた海の中の洲島の上にあり、あるいは海で隔てられたり、あるいは陸続きであった。「周旋(しゅうせん)」すれば、五千余里ばかりであった。

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