2023年9月1日金曜日

勢夜陀多良比売 せやだたらひめ と 丹塗矢 オリオン : ひもろぎ逍遥 真鍋大覚の世界 オリオン座 ー 星の和名と渡来した海の民、鉄の民 

勢夜陀多良比売 せやだたらひめ と 丹塗矢 オリオン : ひもろぎ逍遥

勢夜陀多良比売 せやだたらひめ と 丹塗矢 オリオン


勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)は三輪山の麓に住んでいた。その父は三嶋湟咋(みぞくい)という。

三輪山の大物主神がセヤダタラヒメを見初めた話が古事記に載っている。



大物主神は丹塗矢になると、姫が厠で大便をした時、ホトをついた。
驚いた姫は丹塗矢を床に置いたところ、矢は麗しい男になった。

結ばれた二人の間に生まれた子をホトタタライススキ姫という。
ホトの言葉を嫌ってヒメタタライススキヒメと呼ぶようになった。

こうして生まれたイススキヒメは神武天皇の大后になった。
神武天皇は狭井河のほとりにあった姫の家に行幸して一晩泊まって共寝をした。

狭井河の狭井(さい)とは山ユリ草のことだ。山ユリ草はもともと佐韋と言ったと、古事記にわざわざ注書きが挿入されている。


イススキヒメはこののち、宮中に参内(さんだい)する。この時、天皇は

葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し
(葦原にある 粗末な小屋で、菅で編んだ敷物を 清らかに敷いて 二人で寝たなあ)
と歌を詠んだ。





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サイ(ゆり)を持つイスケヨリ姫


以上、簡単に記したが、丹塗矢(にぬりや)の話はいくつものバージョンがあるので、聞いたことがあるなあと思う人が多いだろう。

イスケヨリヒメの父の名も複数の説があるので、今回は古事記だけを対象にする。



さて、真鍋大覚はこの話の中に多くの製鉄用語、またオリオン座とオリオンの三星を見ている。


1 三嶋湟咋 ミシマもミゾクイもオリオン座の事で、かつ水のあるオアシスを意味していた。一族は砂漠を越えて渡来してきた。



2 丹塗矢 三輪山は三諸山ともいう。三諸星とはオリオンの三星で、かつて那珂川市では女性が明け方に髪を洗って股の向こうに三ツ星が見えると良い事があると言っていた。この話は丹塗矢の伝承と繋がるのかもしれない。つまり、オリオン山の神がオリオンの三星の化身として丹塗矢になって求婚したということだ。


3 ホトタタラ ホトは女陰、タタラは蹈鞴のことで、鉄が出来て流れ出す様子がこれに例えられている。


4 セヤダタラ 穴の位置が偏っている平たい坩堝(るつぼ)のこと。



5 葦原 セヤダタラの燃料はカヤやオギ、ススキを蒸し焼きにした炭塵で、ギリシア語でサラロスと言った。


6 山ユリ 風によって山ユリの種が飛ばされ、花が咲く位置は前年の風の道を示した。蹈鞴には風が重要だった。



つまり、三嶋セヤダタラヒメの一族は製鉄技術を携え、シルクロードを越えて日本列島に辿り着き、三輪山の麓で製鉄を行っていた渡来人ということになろう。


姫や母の名、また葦原や山ユリなどを聞くと、製鉄を知るひとは、一族のシンボルが散りばめられていることが分かるのである。

前回書いた引田部赤猪子はヒッタイトの末裔で三輪山に仕える巫女だったという。
ヒッタイトの鉄は有名だ。ここには製鉄に適した環境があったのだろう。

ただ、三嶋湟咋の一族がヒッタイトだったかどうかは不明だ。


ちなみに、纏向遺跡から出土したものは製鉄道具の羽口で、博多のものと同型だという。
三輪山からのいくつもの川が流れを変えるような洪水原だったと聞いた。

弥生集落を作ることは出来ない地形で、蹈鞴をする人には適当な地形だったと考えられる。


以上から、神武天皇の一族は製鉄技術を持った一族と婚姻して勢力の安定を図った話がシンボリックに神話化されたことが読み取れる。


古代鉄は考古学には出て来ないので、なかなか学ぶ機会がないが、最近は原料を計測する分銅で紀元前のものが日本で各種出土している。


多くの地名にタタラの原料や資材、理想の土地、植物層などが残されていることが真鍋によって記録されていた。

星の名の中に込められた倭人の暮らしや産業が読み取れるのが真鍋大覚の本である。



以上、今日も歴史カフェの予習でした。

タイトルを考え中ですが、今のところ

真鍋大覚の世界 オリオン座 ー 星の和名と渡来した海の民、鉄の民 ―

という感じです。

2019年6月23日(日)午後2時~4時


申し込み先、会場案内




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