【大考察】今まで語られなかった...記紀が高天原の場所を隠している理由とは?
お元気様です!歴史沼チャンネルのきーです。
今まで誰も語ってこなかった...。
なぜ…記紀は高天原の場所を隠しているのか?
今回は、盲点であった記紀が高天原の場所を記さない理由にについて考察していきます。
このチャンネルは知識の量や深さに関係なく、歴史を楽しむコンテンツを聞き流しスタイルで紹介しているのでよかったらチャンネル登録よろしくお願いします。
YouTubeで見たい方はこちら。
記紀が高天原を記さないのは不自然ではないか?
今まで日本古代史や神道の研究者を悩ませ続けている謎があります。
それは、『高天原はいったいどこにあるのか?』という謎です。
この謎については、『古事記』や『日本書紀』いわゆる記紀が編纂されてから今まで1000年以上解かれていない…いわば日本史の中でも1番長く謎とされているものの一つでしょう。
この謎が判明しない1番大きな理由は、記紀が高天原の場所をはっきり記載していないからです。
『古事記』では【天地初発し時ときに、高天原に成なる神の名は、天之御中主神】から始まり、高天原の表記も「天の原」や「天」などで表されいますが、はっきりとした場所の記載はなく、『古事記伝』を発表した本居宣長ですら天上説を唱えたりと、今まで高天原の場所を確定しそれが認められた人はいません。
しかしそもそも、記紀が「高天原の場所をはっきりさせていない」ということ自体が大きな謎ではないでしょうか?
なぜなら、高天原とは皇祖神…天照大神が治める土地でありいわば皇祖の地であり、皇室の発祥地です。
そして記紀、少なくとも『日本書紀』はその皇室、天皇家が日本を統べる正統性をアピールするための歴史書であり国史です。
国史にとって、王家である皇室の発祥地は歴史の出発点です。
王家にとって、自らの発祥地は王権の正統性と神聖性を生み出す源泉であり、発祥地を宣言することは必須項目であるはずです。
王家の発祥地を示し、そこを神聖化することで王権の正統性を補完することの方が一般的ですし、権力者は自らの出自をアピールして誇張するものです。
なのに、高天原の場所をはっきりさせないということは天皇家にとって自らの発祥地をうやむやにし、自らの正統性や神聖性を失墜させているということができ、自らそんなことをわざわざしているという点で大きな謎ではないでしょうか?
なぜ記紀は高天原の場所を書かなかったのか?
ではなぜ、記紀は自らの正統性や神聖性を失墜させるにも関わらず、「高天原の場所を明記しなかったのか」について考えていきましょう。
まず疑われる人物は、藤原不比等でしょう。
藤原不比等とは、中大兄皇子のちの天智天皇とともに乙巳の変や大化改新を推し進めた中臣鎌足の息子にあたる人物です。
のちに朝廷内で絶大な権力を持つことになる藤原氏の祖と言える人物であり、持統天皇から文武、元明、元正と4代34年間にわたり宮廷を支配し、記紀編纂時の1番の権力者だったのが藤原不比等です。
そのため記紀は、天皇家だけでなく藤原氏に都合が良いように歴史を書き換え、記されていることは指摘されています。
記紀編纂に大きな影響力があったであろう藤原不比等が、工作し高天原の場所をあやふやにすることによって、天皇家の権威を失墜させようとした…という可能性を指摘することができます。
結局、記紀は建国主の天皇家の歴史書の皮をかぶりながら天皇家主導ではなく、藤原氏主導によって編纂されているという指摘です。
しかし藤原不比等が隠す必要はない
記紀が藤原不比等の都合の良いように編纂されていることは間違いないでしょう。
しかし私的には、だからといって藤原不比等が天皇家の発祥地、高天原をあやふやにして天皇家の権威を失墜させようとした。ということには懐疑的です。
なぜなら、藤原不比等の権力の源は天皇家の権威に依存しているからです。
天皇家の身内ということで、朝廷内で絶大な力を持つことになった藤原氏にとって天皇家の権威向上は喜ばしいことのはずです。
そんな藤原不比等がわざわざ記紀で、天皇家の権威を落とすようなことをする理由はないはずです。
その証拠に、藤原不比等は文武天皇と聖武天皇…2重に自分の娘を嫁がせています。
天皇家との深いつながりを自らの権力のよりどころとしている藤原不比等にとって、天皇家の発祥地をうやむやにし天皇家の正統性や神聖性を失墜させるということは自らの権力をも失墜させることと同じです。
なので藤原不比等が天皇家の権威を失墜させるために記紀に「高天原の場所を明記しなかった」ということは成立しないと思われます。
高天原はどこなのか?
日本神話を体系化した記紀の編纂者たちが、高天原の場所を知らなかったから明記しなかったとは考えにくいでしょう。
そうなってくると、高天原の場所は書きたくなかったから書かなかったと考えるのが自然なのではないでしょうか?
ではなぜ高天原の場所を書きたくなかったか…それは高天原の場所は天皇家の権威にとって都合の悪い場所だと考えたからでしょう。
そう考えるには、高天原がどこにあるのか?ということをはっきりさせなければなりません。
高天原は阿波にあった
高天原はどこにあったのか?…それはこのチャンネルを見てくださっている方にはお分かりかもしれません。
私の考察では、記紀に登場する天皇家の発祥の地である高天原は、阿波…現在の徳島県だったのではないでしょうか?
阿波が古事記に記される伝承になったと思われる地が集まっており、太古の昔に実際に起こったことを神話化されたと考えるとそれをリアルに体現できるのは阿波です。
出雲の国譲り神話から天孫降臨神話ひとつとっても、天照大神から遣わされた武御雷神が、国津神の大国主命から葦原の中つ国を譲られたのは通説では島根県の出雲です。
そして譲られた側である天照大神の孫であるニニギノミコトが高天原から降臨するのは、通説では宮崎県高千穂です。
普通に考えれば、譲った場所は島根県なのに降りてきた場所が宮崎県だとするのは現実的ではありません。
しかし阿波の剣山一帯の山間部を高天原とし、阿波の海岸部を出雲と考えれば神話内の話だった国譲りから天孫降臨の伝承が現実味を帯びていますし、阿波にはそれを裏づけるような神社や遺跡が残されています。
現在でも阿波から天皇即位の儀式である践祚大嘗祭で使用される麁服を新調していることからも天皇家の発祥の地は阿波であると思われます。
阿波が記紀に記されている高天原であるということに繋がる阿波の古代史については、別の動画で解説しているのでそちらをご覧ください。
しかし問題は、天皇家の発祥地である高天原が阿波だったことをなぜ隠さねばならなかったのか?ということです。
天災が多いのは統治者の不徳の致すところ
記紀が高天原の場所を隠した理由…それは、阿波が地震や津波などの天災が多い場所だったからではないでしょうか?
現代の我々の価値観であれば、天災が多いからと言って権威性を失墜させるリスクを負ってまでも隠さねばならないことなのか?と思ってしまうことでしょう。
しかし科学が未発達の古代において、地震や津波などの天災はどういう理由で起こると考えれていたか?というと、それは統治者や為政者の不徳の致すところ…だと考えられていました。
統治者たる天皇が良い政治を行っていない、王道に背いている罰として、天が怒り天災を起こしているという思想です。
その思想があった証拠に、天平6年(734年)大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでた際に、その時の天皇である聖武天皇は「地震が起きた責任は自分にある」とし大赦をしています。
阿波のある四国南部や紀伊半島南部は、フィリピン海プレート及びユーラシアプレートが接する「南海トラフ」沿いにあり、地震が多くそれに影響して津波も多く発生しやすい地域でした。
日本書紀は681年天武天皇の命によって編纂が始まりますが、その3年後である684年に南海トラフ巨大地震が起きています。
いわゆる白鳳地震や天武地震と呼ばれる『日本書紀』に記述されている有史以来、確かな記録の残る南海トラフ巨大地震と推定される地震としては最古の地震です。
記紀を編纂していた当時の人たちは、この白鳳地震を目の当たりにし、天皇家がこのような大きな地震が起こる地域の出身者として記載することを良しとしなかったのではないでしょうか?
天災は統治者の責任と考えられた時代に、現統治者である天皇家が、白鳳地震があった地の統治者であったとすると統治の正統性が揺らいでしまうのは必然です。
ましてや天皇家が統治の正統性をアピールするための歴史書に、天皇家の皇祖神である天照大神が治めた高天原は大きな地震が来て被害があった場所です。なんてことは書きたいはずはありません。
高天原の場所を隠したから欠史八代が生まれた
高天原は阿波にあったことを記載できなかった…とすると、「欠史八代」が生まれたことにもつながります。
「欠史八代」とは、初代天皇である神武天皇以降、記紀には系譜の記載だけで実在が疑われている2代~9代までの天皇のことです。
通説では、天皇の系譜を長く見せるため神武東征神話を創作したため初代神武天皇から9代開化天皇までは実在していないと考えられています。
しかしこれは私の考察ですが、初代~9代までは実在しないのではなく阿波だけを統治していた天皇として存在していたのではないでしょうか?
通説では10代崇神天皇から実在していて、実質の初代だから"ハツクニシラススメラミコト"という別名をつけられたと考えられています。
しかし初代~9代までの天皇の統治範囲は阿波がメインだったと考え、10代崇神天皇が阿波から畿内のヤマトに勢力範囲を広げたと考えられるのではないでしょうか?
私は神武天皇はいたが、記紀が語るような神武東征はなかった...と考えています。
これについてはまた別の動画をUP予定なので、少々お待ちください。
記紀は神武東征神話を作り上げたはよいものの、初代~9代までの天皇は阿波しか統治していなかったため、伝承も阿波のことだけになってしまいます。
神武東征後の2代~9代までの天皇のことを記載してしまうと、神武東征との整合性や天皇の出発点が阿波であることがわかってしまいます。
なので2代~9代までの天皇は存在したことだけを記載するしかなかったのではないでしょうか?
2人のハツクニシラススメラミコト
先ほど、崇神天皇には"ハツクニシラススメラミコト"という別名があることを紹介しました。
実はもう一人、"ハツクニシラススメラミコト"の別名をもつ天皇がいます。
それは神武天皇です。
はじめて国を統治した天皇という意味を持つ"ハツクニシラススメラミコト"を名前に持つ天皇が神武天皇と崇神天皇...2人いることは有名ですが、あてられてる漢字が2人とも違うことは知らない方も多いのではないでしょうか?
初代天皇である神武天皇は、"クニ"にあたる部分にこの字があてられいます。
→始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)
一方、10代崇神天皇は、"クニ"にあたる部分にこの字があてられています。
御肇国天皇(ハツクニシラシメススメラミコト)
一般的に考えれば、国より天下のほうが統治範囲が広いので、先の天皇に"国"をつけて、その後統治範囲が広がったので"天下"をつける方が矛盾がありません。
しかし統治範囲を表す漢字に、初代である神武天皇の方に"天下"の字があてられ、神武天皇のあとになる10代崇神天皇に"国"があてられているのです。
このことからも実在する初代は崇神天皇であり、天皇家の系譜を長く見せるために神武天皇という存在を作り出して、敬称するためにわざと"天下"という文字をあてた…と考えられていました。
しかし天皇家の発祥地、高天原をはじめて治めた天皇が神武天皇だと考えるとどうでしょうか?
記紀では、高天原の表記は「天の原」や「天」とも書かれていることも紹介しました。
これは私の考察ですが、初代神武天皇にあてられている"天下"は高天原であり阿波なのではないでしょうか?
はじめて皇祖神がいらっしゃる高天原である阿波を統治した天皇だから、"天下"の文字をあてて"ハツクニシラススメラミコト"。
そうなるとのちにヤマト王権の中心地となった畿内に進出した10代崇神天皇に"国"をあてた"ハツクニシラススメラミコト"を与えてることにしたのではないでしょうか?
まとめ
いかがでしょうか?
今回は、記紀が隠蔽している高天原の場所と隠蔽している理由について私なりに考察してみました。
やはり記紀編纂者は天皇家の発祥地を記さないよりも、高天原の場所を記す方が自分たちの正統性や神聖性の失墜リスクが高いと考えたのだと思います。
現代の私たちは自然の脅威をコントロールすることはどんな人間でも無理なことは理解できますし、そんなことは当たり前の事です。
しかし古代の人々にとって、天災が起こることによっての統治者への責任問題は大きかったのではないでしょうか?
今回は大大考察回なので、皆様の考えなど温かいコメントをお待ちしております。
今回の動画につかった台本も公開しています。
今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
また歴史を楽しめるコンテンツを配信していきますので、高評価やコメント、チャンネル登録、あとスーパーサンクス機能も使えるようになりましたので、よろしくお願いいたします!
ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿