語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~
生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登
とうとうたらりたらりら
いとうせいこう: 能の演目に、『翁』があります。「能にして能にあらず」とも言われる不思議な演目で、狂言でも演じられていますが、実は能や狂言が生まれる以前からあったそうで、いわばこれらの源流をなすような演目です。通常の能や狂言とは異なる点が多々ありますが、特に意味が分からないのは、冒頭でシテ方が謡う言葉です。
安田登: 流派によって微妙に違いますが、「とうとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう」というものですね。
いとうせいこう: これは日本語ではない、という説があるそうですね?
安田登: 黄檗宗の僧侶で仏教学者でもあった河口慧海(かわぐち・えかい)氏が、昭和初期に新聞上で「これはチベット語で、太陽賛歌である」と指摘しました。ご丁寧に逐語訳までつけて。しかし翌年、チベットの方が「そんなチベット語はない」と否定したとか(笑)。したがって、正確なところはよく分かりません。
でも、この説は魅力的ですよね。そこで私は若い頃、チベットを旅した時、現地でこの『翁』の謡を謡ってみたんです。すると、それを聞いたチベットの方が、「知っている」と言い出して、実際に謡ってくれたのですが、これが「アラタラタラリタラリラ」と謡うんです。「とうとうたらりたらりら」と非常に似ているでしょ。
いとうせいこう: たしかに似ていますね。
安田登: 意味を聞くと「言葉自体に意味はない」というんです。これは『ケサル王伝』という、チベットや中央アジアに古くから伝わる叙事詩の一部だそうで、「アラタラタラリタラリラ」と謡うと、伝説の英雄ケサル王の魂が降りて来る。謡うことで語り手は神がかった状態になり、自らの伝説を語り始める。つまり、神降ろしの呪言だったわけです。
実は『翁』にもよく似た構造があります。通常の演目は、楽屋で能面をかけてから舞台にあがりますが、『翁』は唯一、観客が見つめる舞台上で能面をかけます。舞台に登場したシテ方は、「とうとうたらりたらりら」と謡った後、翁の能面をかけることで神様に変身し、舞うのです。
これだけで「『翁』はチベットから来た」とは決めつけられませんが、少なくとも太陽賛歌ではなさそうです(笑)。
で、『ケサル王伝』のチベット語の本を何冊か買ってみると、「アラタラタラリ」もあるし、「タラタラタラリ」もあり、いろいろなバリエーションはあるのですが、どうも「タラタラ」や「ラ」音の連続というのが共通しているようなのです。
つまり、言葉に意味がないのだとすれば、音の響きや発声がポイントになる。先ほど、欧米の方々は謡を「ノイズ」として捉えると言いましたが、それにも関係する気がします。
いとうせいこう: たしかにラ行の音は、頭蓋に響きます。響きや振動を通じてトランス状態に入り、神降ろしや憑依を行おうとした。その可能性は考えられますね。
安田登: そうですね。『翁』とチベットが関連するのかどうかは別としても、非常に面白く、興味深い話ですよね。
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