魂須霊 5 ~「儺の国の星」の 三島~
高良の神が祀られている「三島神社」。
「儺の国の星」に三島について記述があった。
(三笠の星 項 真鍋大覚氏著)
ORIONを三島星、或は三諸星と呼んだはるかな昔があった。
"しま"或は"すま"とは、船人の渇きを癒す湧水井泉のあるところ。
"し"は元来は透明な無色の水を表現する胡語。
"しま"或は"ふくら"とは、海中に孤立した山巓(さんてん)の集合であり、船の寄せ場を言った胡語。
絶海の孤島を"ほし"という西洋東洋を通しての呼び名。
神武帝の后媛蹈鞴五十鈴媛命は三嶋溝橛(みしまみそくい・三島溝杙と同じか)の家系である。
三嶋も溝橛もオリオンの古称であった。
"そくひ"は栄井即ち、砂漠の中のオアシスのこと。
一望千里の砂礫の中に碧空を映しだす水鏡は、まさに虚慮の中に孤影悄然たる星辰の姿と同じ。
(以上、要約)
*
これが「三島神社」にも、かの神が祀られている理由。
高良の神が住吉の神でもある理由。
住吉は海の神。
三神は、オリオン座の三つ星を意味している。
高良の神は月神でもあった。
二つの珠を使い、海の満ち引きを操る。
(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)
「みそくい」もオリオン座の意味があるとは。
父の大物主が饒速日命ならば、母の玉櫛媛の三島溝杙は、ミカシヤ姫。
ミカシヤ姫のカシ(星の古語)にも星を意味する言葉がある。
饒速日命が住吉神だからこそ。
彼女には、櫛甕玉比古、櫛甕玉姫など、常に対になる名がある。
高良玉垂命に対しての、息長垂姫もまたそうなのかもしれない。
高良の神が最初の天皇・応神(息長の筆頭)でもあるからこそ。
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「三笠三原御井三潴三池」の地名」 について
三島に関連すると思われる地名が書かれてあった。
(三笠の星 項)
博多湾から有明海まで南北に三笠三原御井三潴三池と揃った郡名が並ぶ。
これは、倭人伝の水行十日の解釈に発展した。
((太宰府の前の)針摺瀬戸(はりずりせと)、二日市水道があったという考え)
太宰府の北西にある四王寺山は昔は、潮路見山(しおじみやま)・或は四明山(しみょうざん)と言った。
麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮。
今から千八百年の昔はここで北と南の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられる。
筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。 (要約)
*
三笠郡は、今の大野城市の大部分、筑紫野市の全域、太宰府の全域、
三原郡は、御原郡か。小郡市の大部分、三井郡大刀洗の大部分。
御井郡は、三井郡御井町辺り。高良大社の麓です。
三潴郡は、三島神社のあった辺り。大善寺玉垂宮も。
三池郡は、大牟田市の全域(有明海に臨む)とみやま市の一部。
1の場所は、三笠郡と呼ばれた場所の、針摺(はりずり)。
文中には、太宰府の前の針摺瀬戸としてある。
三笠には、三笠山とも呼ばれる宝満山がある。上宮のご祭神は玉依媛、神功皇后、応神天皇。
2の御原には、物部氏が関わる、筑紫の飛鳥とも言われている宮があった。
印は御勢大霊石神社 神功皇后の伝承がある。
(物部氏は饒速日命と、ミカシヤ姫の子孫)
3の御井には、高良大社。ご祭神が高良玉垂神、八幡大神、住吉神。
印の場所は山なので、麓はもう少し西。
9の場所には伊勢天照御祖神社(大石神社)
ご祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
4には、大善寺玉垂宮。ご祭神、高良玉垂神、
この辺りも昔は三潴。
5の三潴には、三島神社。ご祭神が事代主、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。
この辺りに「三島神社」が多い。
6には、風浪宮。ご祭神、高良玉垂神、息長垂姫命。
7には、こうやの宮。別名、磯神物部神社。
邪馬台国の候補地です。
その側にも玉垂神社がある。
(そこには、高良の神と神功皇后が祀られている。)
8の三池には、黒崎玉垂神社があり、三韓征伐から帰った神功皇后が最初に上陸した場所。
ご祭神、武内宿禰命、応神天皇、神功皇后、住吉大神、建磐龍神。
(7と8は昔の三池。この周辺には特に玉垂神社が多い)
三笠三原御井三潴三池 には、
すべて高良の神か、神功皇后が関わる。(もともと多いのですが)
この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」だったのだろう。
古くからあるお社は、その海沿いにあるよう。
かの神は「海の神」でもあった。
それは当然なのかもしれない。
また、高良の神達の勢力圏が広かったことを意味していた。
これが「九州王朝」と言われているものなのだ。
( つづく )
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