2023年9月22日金曜日

ロックの王者 ★ ローリング・ストーンズ / THE ROLLING STONES 及びミック・ジャガー / MICK JAGGERに開眼した日☆ハイドパーク・コンサート / HYDE PARK CONCERT (1969年) - 麗かな憂鬱・時の鐘よ鳴れ

ロックの王者 ★ ローリング・ストーンズ / THE ROLLING STONES 及びミック・ジャガー / MICK JAGGERに開眼した日☆ハイドパーク・コンサート / HYDE PARK CONCERT (1969年) - 麗かな憂鬱・時の鐘よ鳴れ
ミックが本を手に詩を朗読する。ブライアンへの追悼なのだけれど、その詩は英国ロマン派詩人のお一人であるパーシー・ビッシュ・シェリーの『アドネイス』よりの引用である。シェリーが友人ジョン・キーツの死を追悼して書いたものとして有名な一節でもある。

かれは死なぬ かれは眠ったのではない
彼は生の夢からめざめたのだ
激しい夢想におぼれ 幻影とむなしいたたかいをつづけ
恍惚となり 精神の刃で
不死身の無を打つのはわれら
その私らこそ 死の家のしかばねのごとく
腐敗し 恐怖と悲哀は私らを
日々 悶えさせ、私らを焼きつくし
つめたい希望は蛆虫どものように私らの肉体のうちに群がる

「シェリー詩集」 訳:上田和夫 より
http://lepetitjardinsecret.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

ロックの王者 ★ ローリング・ストーンズ / THE ROLLING STONES 及びミック・ジャガー / MICK JAGGERに開眼した日☆ハイドパーク・コンサート / HYDE PARK CONCERT (1969年)

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「ロック&シャンソン愛好者」などと云っているのだけれど、ジャンルなんて曖昧なものだとずっと想っている。ショーケンをロックだと想う、泉谷しげるもロックだと想う。フォーク・ロックという言葉があるけれど。ボブ・ディランはフォークの神様だろうけれど、私はずっと後追いなのでボブ・ディランもロックだと感じて来た。そんな定義など難しいし「ロックだ!」と感じたその音楽や人がロックであるのだと想う。もしも、私が"あなたの一等好きなロック・バンドは?"と訊かれたなら、即答で"ローリング・ストーンズ!"と答えるだろう。

今も現役のロック・モンスターである。私はビートルズからデヴィッド・ボウイという順番で聴き始めた。そして、ケイト・ブッシュやマリアンヌ・フェイスフル...と今も大切な心のミューズ方と出会う。特に、マリアンヌ・フェイスフルは色んなトラブルとスキャンダルからの脱却後という時期であり、それまでのキャリアに興味を異常に示してしまった。関する書物を読み、重厚かつ複雑な想いを抱き、その想いは次第に愛へと変わって行ったと大袈裟な様だけれど。今現在、永遠のヒーローであるデヴィッド・ボウイと唯一双璧を成すお方である。兎に角大好きなのだ!お若き日の可憐なマリアンヌ・フェイスフルも現在も、どの時代だって。ストーンズはそんな大好きになってしまったマリアンヌ・フェイスフルの人生を台無しにしたミック・ジャガーというヴォーカルが居ると知識だけ得る。限られたお小遣いでまだストーンズは買えない(優先順位があったので)。幼い弟も音楽に興味を持ち始めたので、お年玉でストーンズのレコードを買うように姉の立場を利用し薦めていた。私だってどんなアルバムがあるのか知らないのに弟が知ってる筈も無い。彼は一番近くのレコード屋さんに行き、最も安価な日本盤を一枚買って帰って来た。二人でどんな音楽だろう...と針を置いた。どうもピンと来ないものだった。それは全てカバー曲であった。

そんな日から何年か後にテレビでローリング・ストーンズの「ハイドパーク・コンサート」のライヴ映像が流れた。偶然観ることが出来たのだけれど、マリアンヌ・フェイスフルを自殺未遂に追い込んだ裏切り者という勝手なレッテル、先入観がミックにあった私。けれど、その映像を観てミック・ジャガー、そしてローリング・ストーンズのカッコよさにようやく開眼!観ている内に、安易で愚かなイメージなど吹き飛んでしまったように想う。このライヴには素敵なマリアンヌ・フェイスフルも映っていた(けれど、すぐ後にお二人は破局となる)。

1969年7月5日、ハイドパークの無料コンサートで観客は25万人以上だったという。その二日前にブライアン・ジョーンズが自宅のプールにて死去され、新しいギタリストのミック・テイラーが加入したばかり。ブライアンが亡くなったことで、このコンサートは「ブライアン・ジョーンズの追悼コンサート」ということになったけれど、本来はミック・テイラー加入の新生ストーンズの久しぶりのライヴだった。後に分ったことだけれど、ミックが本を手に詩を朗読する。ブライアンへの追悼なのだけれど、その詩は英国ロマン派詩人のお一人であるパーシー・ビッシュ・シェリーの『アドネイス』よりの引用である。シェリーが友人ジョン・キーツの死を追悼して書いたものとして有名な一節でもある。

かれは死なぬ かれは眠ったのではない
彼は生の夢からめざめたのだ
激しい夢想におぼれ 幻影とむなしいたたかいをつづけ
恍惚となり 精神の刃で
不死身の無を打つのはわれら
その私らこそ 死の家のしかばねのごとく
腐敗し 恐怖と悲哀は私らを
日々 悶えさせ、私らを焼きつくし
つめたい希望は蛆虫どものように私らの肉体のうちに群がる

「シェリー詩集」 訳:上田和夫 より

人それぞれの音楽の愉しみ方があると想うので、それらに正否など有り得ない。私はどうしてか音楽と映画、あるいは文学や絵画といった関連性にハッとしてしまう。なので、どれも切り離すことなどできずに繋がり絡まり合う事柄を愉しむ。殊にロマン派あるいはロマン主義的な作品や世界が好きであるので、感動したストーンズの「ハイドパーク・コンサート」でのとってもカッコいい!ミックやキースのお姿と共にこのシェリーの詩も記憶されてしまっている。

そのローリング・ストーンズの「ハイドパーク・コンサート」での、ミック・ジャガーによるパーシー・ビッシュ・シェリーの『アドネイス』からの朗読(ブライアン・ジョーンズの追悼)から派生というか連想ゲーム癖ゆえにちょっと覚え書き。実質上、ブライアン・ジョーンズはストーンズのメンバーを解雇されたという状況だったことも追記しておかなくてはとも想う。ブライアンの死を予想していた筈も無いので不思議な巡り合わせを想う。

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シェリーの『アドネイス』から連想される神話や絵画が浮かぶ。アドネイスは神話のアドニスからとされる。アドニスというと神話の神々の中でも美少年として有名。色んな画家が主題にされているけれど、このルーベンスの『ヴィーナスとアドニス』(1577~1640)の中の小さな天使(クピドあるいはキューピット)がなんとも愛らしく好き。このお話は、ヴィーナスことウェヌスはギリシャのアフロディテである。ウェヌスの従者にはあの三美神がおり、持ち物には白鳥や鳩、聖なる植物には薔薇や桃金嬢(てんにんか)や林檎がある。美と愛欲を司る女神であり、ことに女性の美しさの典型とされたお方。アドニスはキュプロスの王とその娘ミュラの許されぬ恋を恥じた王女が神に願って樹木に変わり、その幹が裂けて生まれた。そのアドニスは成長と共にたいそう美少年となり、ウェヌスに愛されるようになる。美少年が的になるのは世の常。ゼウスと女神デメテルの娘である冥界王妃ペルセポネもアドニスを愛するようになるので、ここは女神たちの激しいアドニスの奪い合い劇。そして、ペルセポネはアフロディテの愛人マルス(アレス)をたきつけ狩りに出たアドニスの殺害を企てる。ウェヌスは不吉な予感から狩に出ないように頼むけれど、聞き入れずに出かけてしまったアドニスはイノシシに突き殺されてしまった。それはすべてペルセポネとマルスによる嫉妬からのこと。ウェヌスはアドニスの血から薔薇あるいはアネモネを咲かせた。ある説では、アドニスの遺骸を探し求めているうちに、茂みの茨の棘で手を傷つけてしまい、その血が薔薇を紅く染めた。またはアネモネは女神ウェヌスの零した涙から生えたとも。どれにしても美しいお話です。

そして、小さな天使クピド(キューピット)が愛らしくアドニスの足を引っ張っている。クピドはウェヌスと軍神マルスの息子とされているけれど、諸説が存在する。神話の中のロマンスに度々登場するのは、有翼の愛の神であり、彼の持つ黄金の矢に射られた者の心に激しい恋情を植えつける。ゆえに、クピドは人の愛を自在に支配するのである。気紛れに放つその矢の先には運命的な劇的な末路も多い。クピド=天使の題材はかなり好きで、少年愛好へとも繋がる。時代や画家によっては描かれるクピドは両性具有の存在ともとれるもの。また、このルーベンスの『ヴィーナスとアドニス』にしても、なんとも可愛いのだけれど、そもそもアドニスに愛の矢を放ったのはこの愛しきクピドであったというのだから、やはり微笑ましい気まぐれ天使君。

ウェヌスの持ち物である鳩も、このミックの追悼場面に重要な映像として私には焼きついている。流石に英国人だなあっと時空を超えた美しきロマンを想い愉しいのでもある。そして、私がローリング・ストーンズの音楽を聴いたりライヴで得られるあの感動は何だろう。大好きなボウイでさえ、誰も超えられないローリング・ストーンズだけが放つエネルギーをいっぱいに感じる「生の哲学」と呼べるのではないでしょうか。ロック王者は50年を経た今も君臨し続けるのです。ずっと後追いですが、ローリング・ストーンズが大好きです。

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私が初めて聴いたトラッドフォークのレコードはサンディ・デニーのソロ・アルバムだったと思います。でも、まだ「トラッドフォーク」という音楽世界のことなど微塵も知らない頃でした。フォーク・ミュージックというかフォーキーな調べ、繊細な美しいアコースティック・サウンドは既に好きでした。その起源はフランソワーズ・アルディだと思います。また、サンディ・デニーからフェアポート・コンヴェンションを知りました。

80年代育ちの私は当時ニュー・ウェイヴというインディペンデントから続々と発表される音楽が大好きで、そんな中に「ネオ・アコースティック」というジャンルがありました。「ネオ」とあるのだから本家本元があるのだ!"それはどんな音楽だろう"と思ったものです。既に女性ヴォーカルを優先していたようですので、悲しいかな、「ネオ・アコースティック」に女の子ヴォーカルは少ない状況でした。なので、新しく発売される作品と、70年代、60年代と遡って中古盤や再発盤のレコードも購入し、それらの新旧の音楽を平行して聴くようになってゆきました。

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そんな流れの中で、ジャケ買いなのですが、ペンタングルの1stアルバム『ペンタングル』(再発盤レコード)にとても感動して、この『クルエル・シスター』で完璧にノックアウト!という状態となったのです。この作品は、ペンタングルの1970年4thアルバムで『クルーエル・シスター』或いは『クルエル・シスター』と表記されています。メンバーはジャッキー・マクシー、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ダニー・トンプソン、テリー・コックスという強力な5人組。古くからの伝承バラッド、トラッドフォークの素材と新しさを融合させた「ペンタングル」独自の音楽世界を物語性を帯びながら、ラストの18分40秒に及ぶ大曲まで聴く者を魅了する名作です。

「美しいけれど悲しい調べ」というのはどんな音楽ジャンルでも私の好きなキーとなるようなのですが、このペンタングルの『クルエル・シスター』を聴いた折は、さらになにかゾクゾクするような「美しいけれど怖い」という印象を強く受けたのです。それは何故かと幾度も聴いているうちに、太古の伝承(バラッド)を元に作られた楽曲たちであること、そんな時空を超えた幽玄美のような世界に魅了されたのでした。そして、トラッド・フォークやフォーク・ミュージックをさらに好きになり今も継続中です。生音も電子音もそれぞれに魅力がなるので、私はどちらかを贔屓することはないお気楽者でもあります。

THE TWA SISTERS

上の絵はスコットランドの画家ジョン・ファエド(JOHN FAED:1819年8月31日~1902年10月22日)の『クルエル・シスター』(1851年)と題された作品です。英国のトラッドフォーク・バンドのペンタングルの同タイトル曲を作に知り、後にこの絵画を知りました。私はジャンルをあまり意識せず女性ヴォーカルがいつの間にか大好きになり、今では愛好しているのだという自覚があります。少女愛好と無縁でもないのです。そんな中でトラッドフォークが好きになってゆきましたが、何と云ってもあの幻想とロマンの歌詞の世界とメロディに魅了されたからです。そのきっかけとなった曲がペンタングルだったのです。

ロマン主義とも無縁ではなく、美しくも残酷な伝承たちは遥かなる時代から生き続けています。元来、神話や妖精物語が大好きなので今もまだまだ色々と読んだり鑑賞したりしては感動しています。フランシス・ジェームズ・チャイルド(FRANCIS JAMES CHILD:1825年2月1日~1896年9月11日)というお方の大偉業である『チャイルド・バラッド』の文献の日本語訳(全部ではないけれど)が全3巻として発行された折は飛び上がる思いで、今も机の片隅にいつも居るご本たち。この『クルエル・シスター』は『チャイルド・バラッド』の10番(チャイルド氏の名がリスト番号となっている)の『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』と題されたものと類似したお話。似たお話は、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズを中心にヨーロッパ各地までに及ぶ「バラッド集」は幾種類もの文献が存在するようです。私は特に研究家でもないので限られた手許にある資料を参考にさせて頂いています。

姉妹物語が好きでもあるので、この絵に関連した『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』のお話も。この絵の三人は、真ん中の騎士、そして向かって左の女性が姉で右が妹の姉妹です。この騎士は妹を愛しているのだけれど姉の妬みにより、可哀相に妹は姉の手によって川へ突き落とされて死んでしまいます。姉は黒髪であることが強調されているようで、妹は金髪で白百合のような手で細い腰の美しい娘。しかし、姉の手によって溺死してしまう。妹は浮いては沈み浮いては沈み水車の堰まで流れてゆく。粉屋が娘を見つけ、竪琴弾きが通りかかり、その娘の蒼い姿をみつめ泣く。竪琴弾きは娘の肋骨(ほね)で琴を作り、娘の髪で弦を張り、その竪琴を持ってお城にゆく。その音色は石の心も和らげ、その調べは人の心を悲しませる。お城に着き石の上においたその琴はひとりでに鳴り出すのでした。

琴がならした最後の音は
ビノリー ビノリー
「ひどいお姉様のヘレンにわざわいあれ」
きれいなビノリーの水車のほとり


『チャイルド・バラッド』 より

「肋骨(ほね)で琴をつくり」、「髪で弦を張り」という現実的とも非現実的ともいえる表現について、ウィンバリーは「『二人の姉妹』は骨=魂の関係の証拠であり、娘の精霊が髪の毛に現れている」と述べている。なので、琴が妹の化身であるということでもあると、解説にあります。

「ビノリー ビノリー」のリフレインがまた不気味に美しいのですが、こうした伝承バラッドには詳しい舞台設定など無く、淡々と突発的に物語が進んでゆくのも愉快です。黒い髪の姉は色黒のようであり、この時代「黒い」とか「黒」は不吉なとか、野蛮、劣悪さの象徴とされていた時代。赤い髪もかなり酷い扱われ方をしてきたけれど、こうした伝承世界に有色人種に対する嫌悪は隠せない時代であったということも、長い歴史の中で考えさせられ学びとなると想っています。ちなみに、ペンタングルの歌の最後では、この残酷な姉は涙を流して終わりますが、バラッド詩の中では残酷な姉は妹の呪いの歌声(調べ)を聞きながら終えるのが通説のようです。


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私がジョン・レノンよりも好きで好きでたまらなくなったアーティストはデヴィッド・ボウイ。まだ中学生で14歳だった。あれから早いもので30年以上経てしまった。それでもどうしてもボウイが大好き!デヴィッド・ボウイとしてロック史に刻まれた数多くの名曲やアルバムたち。ボウイ史を4つか5つに分類できるほど、時代時代に重要な作品を発表し続けて来た、とてもアーティスティックなお方。ボウイについて語り出すと止まらない。また同時に私を思考に向かわせる。夢の世界であったり現実の恐怖の世界であったり。

1997年にボウイがリリースしたアルバム『アースリング』に収録されて、シングル盤にもなった『セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)』という曲が、ここ数年私の中でボウイの重要な曲の一つとして蘇ってきたのです。この同年にはジャン=ジャック・アノー監督による映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』も公開された。原作はドイツ人で元ナチス親衛隊(ナチ党員でもあった)ハインリッヒ・ハラーの自伝『チベットでの七年間』。刊行は1952年。ハインリッヒ・ハラーがチベットで過ごした7年間、ハラーと若きダライ・ラマとの交流を脚色を加えて描かれたもの。当然の事ながら、中国共産党は公開してほしくない作品なので、中国では上映禁止となった。主演はブラット・ピットやデヴィッド・シューリスという米英の有名な俳優たち。またダライ・ラマの母親役を演じたのは、ダライ・ラマの実妹ジェツン・ペマである。

私が「チベット」というお国の名を知ったのは小学生の社会の時間で白地図に世界の国々の名を埋めて行くテストもあった。これまでの私はヨーロッパの国々が好きで、アジアの国々の作品を鑑賞したり触れたりという機会とは圧倒的差異がある。ところが、ボウイのヒストリー本などを読む中に10代の頃にチベット仏教に傾倒していた頃があり、短期間ながらチベット僧としての修業体験もあるのだと知る。それ以来、チベットやチベット仏教は私に何かしらの影響を知らず知らずのうちに与えてくださっていたのかもしれない。当時はインターネットも無く、ニュースは新聞かテレビ。ましてやまだ10代の私には何も分からない事が世界で起こっていた。中国もまだ今のように経済大国ではなかったし、日本はバブルで世界の先端を走っていた頃のこと。

そんな日本もバブル崩壊後、景気は悪化。そんな折に左翼政権を生み日米同盟も揺らぎ始めた。追い打ちのように東日本大震災という1000年に一度とも云われる大地震と大津波によって日本の大切な東北が大きな被害に遭い、多くの犠牲を生んでしまった。原発事故まで起こり、司令塔が麻痺する菅直人政権という最悪の総理の折に不幸が重なる。尖閣諸島での日本の領海内での中国船との衝突事件。それ以来、やって来る頻度も規模も大きくなっている現状。中国は覇権主義の国、一党独裁の共産主義の国。何が日中国交正常化40周年だろう?正常化などしていない事が日本人にも分かって良かったのです。問題提起された石原慎太郎東京都知事は中国でも、日本国内の親中派の方々からも右翼だの、反中だのと悪者にされますが、もうずっと一貫しておっしゃっているのは「私は中国の文化や中国は好きです。中国共産党が大嫌いなのだ」と。この意志は日本人より中国で民主化運動をされている方々の方がお詳しいかもしれない。とても不思議なことですが重要なことでもあると思えます。また、石原都知事は「日本をチベットにしたくない」とも幾度もおっしゃっている。私も深く同意しています。

『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』という曲について、ボウイ自身は以下のように語っています。

チベットの状況について何か発言したかったんだ。僕は19才の頃ににわか仏教徒になった。半年ほど勉強したかな。実に素晴らしいチベット人たちと知り合った。ロンドンのチベット協会でのことだ。その中の一人とは数年間付き合いを保っていた。彼の名前はチメ・ヨン・ドン・リンポチェといい、ロンドンの大英博物館の翻訳者なんだ。当時僕が非常に影響を受けていた本にハインリッヒ・ハラーというドイツ人の『チベットでの七年間』というのがあった。彼はごく初期の内に実際にチベットに行った西洋人の一人だった。この本の卓越した実在感と実に崇高な哲学は感動的だ。何年たっても忘れることのできない本だった。そこで僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している。敢えて具体性を追求しすぎないようにした。表現主義的なレベルの歌詞の方がより効果的だからだ。曲全体から漂う雰囲気を感じ取ってほしい。

デヴィッド・ボウイ

このボウイの言葉を1997年に読んだ折と今の私はとても違います。チベットに対する意識と、弾圧する側の中国共産党に対する嫌悪感という意味に於いて。私も石原都知事やデヴィッド・ボウイが問うチベットへの弾圧行為が許せない。よその国の出来事だと暢気にしてはいられない、今、日本は既に危機にさらされているのですから!経済的にダメージを受けても守るべきものは日本である。国家であり、領土であり、日本語であり、日本の文化や尊い歴史を奪われて、中国の属国などには絶対になりたくはない!という気持ちは確固たるものになっています。


上のライヴではシングル・ヴァージョン、下のライヴではアルバム・ヴァージョンでしょうか。



デヴィッド・ボウイ / セヴン・イヤーズ・イン・チベット
DAVID BOWIE / SEVEN YEARS IN TIBET
作詞・作曲:デヴィッド・ボウイ 1997年


大丈夫だろうか
君は頭を打ち抜かれた
僕は君の脳みそを抱えている
老婆が云った
そこで僕は夕暮れ空の下の物陰で
酒を飲む
何も見えない

星空が特別なものに見える
ずっと前に降ったような雪
儚い人影が
ヨガゾーンの向こうに漂っている
山に問う時が来た
なぜ豚が空を飛べるのかと
大した問題じゃないけれど・・・

僕は君を賛美しよう
何も去って行きはしない
僕は君を賛美しよう
何も去り行きはしない
僕は君を賛美しよう

seven years in tibet 7
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