韓国でジャンボリーが失敗した理由? 祭りは手段ではない![寄稿]
チョン・ボムソン|歌手、バンド「両班たち」リーダー9日、全羅北道扶安郡の2023セマングム世界スカウトジャンボリーの会場ががらんとしている。隊員たちは前日、会場を後にした/聯合ニュース
ジャンボリーが失敗した。4万3千人あまりの参加者全員がキャンプをやめ、8市・道の宿泊先へと散っていった。共同組織委員長のキム・ヒョンスク女性家族部長官は、ジャンボリーは終わったのではなく、大きくなったのだと主張した。セマングムジャンボリーは終わったが、コリアジャンボリーは続くというのだ。このような言い訳はジャンボリー精神を冒とくしている。ジャンボリー(jamboree)の本質は「青少年のキャンプ祭り」だ。にぎやかに集まって遊ぶという意味で、19世紀に米国で作られた言葉だ。それぞれ散らばってホテル、寮、研修所に泊まるなどというのはキャンプでも祭りでもない。ジャンボリーではなく団体観光にすぎない。
どうして失敗したのだろうか。真っ先に撤退を決めた英国スカウト連盟は4つの理由をあげている。衛生、食事、猛暑、医療。政府は台風のせいにしているが、実はそもそも準備が不十分だったのだ。青少年の健康と安全が危険なほどだった。トイレとシャワー室は恐ろしく汚れていて、ゴミも捨て場がないためあちこちに散らかっていた。食事は不十分で、ビーガン、ハラールなどのメニューへの配慮も完全ではなかった。猛暑対策や医療支援も不足していたため、熱中症患者が続出した。「失望した」というのが英国連盟の立場だ。
スカウト運動の元祖である英国は、今回も最も多い4500人あまりを派遣した。ほとんどの隊員は数年間のアルバイトと募金で600万ウォンあまりの参加費をまかなった。だが突然の撤収で、ホテル代だけで17億ウォンもの予備費を支出した。今後3年から5年は活動に支障が出ると予想される。米国の1500人あまりのスカウト隊員も、京畿道平沢市(ピョンテクシ)にある米軍基地「キャンプ・ハンフリーズ」に移動した。保護者たちの不満は相当なものだ。会場内の性犯罪に対するずさんな対応への批判もあった。主催者側である大韓民国政府の責任を問う訴訟へとつながる可能性もある。何より世界ジャンボリーは14~17歳だけが参加でき、4年に1度なので、今回の機会を逃せば終わりだ。二度と戻ってこない。青少年たちの崩れ落ちた期待と希望はどのように補償するのか。
私も中学生の時にジャンボリーに参加したことがある。2004年に江原道高城郡土城面(コソングン・トソンミョン)で開催された第24回アジア太平洋ジャンボリーだ。高城ジャンボリー修練場は雪岳山(ソラクサン)を背に東海(トンヘ)を見下ろす天恵の名所だ。渓谷と湖と海が近く、豊かな森があるため猛暑にも耐えられる。20年にならんとする今もジャンボリーの思い出は鮮やかに残っている。テントを張ったり、外国の仲間と仲良くなってバッジを交換したりした。野外活動を通じて冒険心と協同意識を育んだ。今思えば軍隊ごっこのようで少し後ろめたい気持ちもあるが、その時は本当に楽しかった。それこそ一生忘れられない美しい日々だった。
祭りとはそのようなものだ。人生のハイライトだ。誕生日、結婚、還暦祝いもそうだし、フェスティバルやジャンボリーもそうだ。死ぬ前に回想したら笑いとともに浮かぶであろう、きらめく瞬間だ。私たちはある意味、祭りを楽しむために生きていると言っても過言ではない。人生を礼賛し、生きていることを祝うことこそ、命の目的ではないだろうか。祭りとは、私たちが制限された時空間において具現するユートピアだ。少しの間でも誰もが健康で安全で幸せでいられる環境を作るものだ。最も良い国は日常が祭りの国だ。幸せな国を建設することと祭りを企画することとに違いはない。
大韓民国はジャンボリーはもちろん、ワールドカップやオリンピックやエキスポもやすやすと開催する国だった。しかし、今回は全く準備ができていなかった。祭りの企画の基本は適切な時期と場所を決めることだ。気候危機の時代の韓国で8月に12日間も、大規模なキャンプ祭りを繰り広げるのは、誰が見ても危険だ。それも陰一つない干拓地で行うという決定を下すことができるのは、祭り文化にまったく関心がないか無知な人だけだ。このような懸念があるにもかかわらずセマングム開催を強行したのは、全北研究院が6兆ウォンにのぼる経済効果を予想したからだ。ジャンボリーを誘致すればセマングム新空港、高速道路、港湾などのインフラが早期に構築されるという論理だった。もちろん今となってはしんきろうのような話だ。命あふれる干潟を土で覆って死の地と湖を作ったセマングム開発の論理こそ、今回のジャンボリー失敗の根本原因だ。
アイドルを動員してKポップコンサートを開催すれば国格が回復するだろう、と今になって自慰行為に励む。一体なぜ祭りをするのか問いたい。金のため? 国のため? 梨泰院(イテウォン)惨事直後に「祭りも集会だ」というコラムに書いたように、祭りは手段ではない。目的だ。むしろ金と国が祭りのために存在するのだ。
//ハンギョレ新聞社
チョン・ボムソン|歌手、バンド「両班たち」リーダー (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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