コレクションNo.
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)上段右
・須佐之男命(すさのおのみこと)上段左
・多岐都比賣命(たきつひめのみこと)上段左の小人3人のうち右
・狭依比賣命(さよりひめのみこと)上段左の小人3人のうち中央
・多紀理比賣命(たきりひめのみこと)上段左の小人3人のうち左
・天之穂日命(あめのほひのみこと)上段右の小人5人のうち右端
・天之穂耳命(あめのおしほみみのみこと)上段右の小人5人のうち右から2
・天之津日子根命(あまつひこねのみこと)上段右の小人5人のうち右から3
・活津日子根命(いくつひこねのみこと)上段右の小人5人のうち右から4
・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)上段右の小人5人のうち左端
・伊耶那岐神(いざなぎのかみ)上段中下
・志那都比古命(しなつひこのみこと)上段中下の右の小人2人のうち右
・志那都比売命(しなつひめのみこと)上段中下の右の小人2人のうち左
・伊耶那岐神(いざなぎのかみ)中段上の右
・伊耶那美神(いざなみのかみ)中段上の右
・伊耶那岐神(いざなぎのかみ)中段上の左
・火産霊命(ほむすびのみこと)中段上の左
・甕速日命(みかはやひのみこと)中段上の左上の3人のうち右
・根裂命(ねさくのみこと)中段上の左上の3人のうち中央
・磐列命(いわさくのみこと)中段上の左上の3人のうち左
・金山比古命(かなやまびこのみこと)中段下の右端
・金山比売命(かなやまびめのみこと)中段下の右から2
・火産霊命(ほむすひのみこと)中段下の右から3
・稚産霊命(わくむすひのみこと)中段下の右から4
・豊宇気毘賣命(とようけびめのみこと)中段下の右から5
・埴山毘賣命(はにやまびめのみこと)中段下の右から6
・水波能売命(みづはのめのみこと)中段下の右から7
・伊耶那美神(いざなみのかみ)中段下の右から8
・高龗命(たかおかみのみこと)中段下の左から3
・大雷命(おおいかづちのみこと)中段下の左から2
・大山祇命(おおやまつみのみこと)中段下の左端
・道之長乳歯命(みちのながちはのみこと)下段右上の右上
・開齧之宇斯能命(あきくいのうしのみこと)下段右上の右上より2
・煩之宇志能命(わづらいのうしのみこと)下段右上の右上より3
・奥津甲斐弁羅命(おきつかいべらのみこと)下段右上の右上より4
→注釈に続く
・奥疎命(おきざかるのみこと)下段右上の右上より6
・辺津甲斐弁羅命(へつかいべらのみこと)下段右上の右上より7
・辺津那芸佐毘古命(へつなぎさびこのみこと)下段右上の右上より8
・辺疎命(へざかるのみこと)下段右上の右上より9
・上筒之男命(うわつつのおのみこと)下段右上の中段右端
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)下段右上の中段右より2
・上津綿津見命(うわつわだつみのみこと)下段右上の中段右より3
・伊耶那岐神(いざなぎのかみ)下段右上の中段右より4
・月夜見命(つくよみのみこと)下段右上の中段右より5
・速佐須良比賣命(はやさすらひめのみこと)下段右上の中段右より6
・伊豆能賣命(いづのめのみこと)下段右上の中段右より7
・底筒之男命(そこつつのおのみこと)下段右上の下段右端
・底津綿津見命(そこつわだつみのみこと)下段右上の下段右より2
・中筒之男命(なかつつのおのみこと)下段右上の下段右より3
・中津綿津見命(なかつわだつみのみこと)下段右上の下段右より4
・大直毘命(おほなほびのみこと)下段右上の下段右より5
・大禍津日命(おほまがつひのみこと)下段右上の下段右より6
・伊耶那美神(いざなみのかみ)下段右下の右端
・伊耶那岐神(いざなぎのかみ)下段右下の右より2
・豫母都志許賣八人(よもつしこめ、8人)下段右下の右より3の8人
・伊耶那美神(いざなみのかみ)下段右下の右より4
・伊耶那岐神(いざなぎのかみ)下段右下の右より5
古代的日本貴族其實都不洗澡?貴族:不洗澡可以養生!洗澡是窮人的專利!
首先要承認的是,現在的日本人極端喜歡洗澡,有入浴狂熱。
但是,在古代日本,洗澡是窮屌絲的專利,真正的貴族是不洗澡的。
日本人和洗澡的恩恩怨怨,要從日本神話的開天闢地說起。
(通過洗澡誕生了日本諸神)
天照大神是洗澡時洗出的XX
日本神道教神仙譜系裡,地位最高的是太陽神——天照大神。
天皇家族也被認為是天照大神的後代。
天照大神從哪兒來的呢?
據《古事記》記載,日本創世大神伊奘諾尊,與愛妻兼妹妹伊奘冉尊創造世界,但愛妻在生產火神時,因下體慘遭燒傷而去世。
伊奘諾尊痛不欲生,到黃泉去找回自己的愛妻。
但他發現:
愛妻變鬼的樣子,極端恐怖。
嚇得他拔腿就跑(說好的永不分離呢)。
甩掉了妻子的陰魂後,伊奘諾尊到河邊洗眼。
就在洗左眼的時候,天照大神誕生了,洗右眼時,月亮神月讀命誕生,洗鼻子時,搗蛋神須佐之男命誕生了。
通稱——洗臉三貴子!
但按照神話的原文,伊奘諾尊是要洗掉臉上的各種污垢,是的,說的很清楚,他就是要洗污垢,而不是精華下來。
那麼眼屎,鼻屎?(也可能只是眼睛懷孕了)
(《古事記》漫畫,哇,眼屎成精了)
但無論如何,既然神話都這麼說了,那麼洗澡在日本理應是一個,很神聖,很受推崇的事兒。
但古代日本貴族不這麼想。
平安時代貴族不洗澡
這是平安時代貴族美女的標準像。
黑長直的頭髮,華麗的衣服,粉雕玉琢的肌膚,雍容慵懶的眼神。
對了,你首先注意到的,可能就是她的頭髮。
這種緊貼頭皮,油光發亮的頭髮,你該如何才能擁有?
對,一個月不洗澡,讓頭髮更油。
為了讓頭髮更黑更油,平安時代的貴族女性不洗澡,而用淘米水保養頭髮。
那麼男性貴族洗澡嗎?
也不洗澡,而他們的理由是
怕死。
日本古代的貴族,認為洗澡是一件危險的事兒。
因為洗去污垢,毛孔洞開,邪氣會侵入人體。
所以最好的養生辦法,是不洗澡。
根據藤原師輔的《九條殿遺戒》規定:
初一沐浴必短命;
初八沐浴才長命;
十一沐浴耳目明;
凶日沐浴不可行。
(原文很嚴肅地告訴你保命要訣,被我翻譯成打油詩了)
就算為了祭祀,不得不冒著生命危險沐浴淨身,那也要先算一卦,良辰吉日才能洗。
平時呢,大家最多用水擦擦身。
於是從天皇為首的貴族之間,永遠洋溢著一股特別的味道。
大家臭,並快樂著。
為了掩飾這股味道,日本香道特別發達。
不得不提一句,不洗澡,真的不養生。
日本古代貴族平均壽命,男32歲,女27歲,而且根據《日本疾病史》的統計,皮膚病,是僅次於肺結核、腳氣的死因排名第三的疾病,有十分之一的貴族都死于皮膚病,而這和不洗澡的衛生習慣有關。
近代日本人喜歡混浴的大澡堂子,錢湯
日本貴族不洗澡,老百姓人賤命賤,愛洗澡就讓他們洗去。
日本百姓從古就愛洗桑拿浴,也愛在溫泉中泡澡。
洗溫泉爽,是連日本的猴子都知道的道理。
到了近代的江戶時代,日本人喜歡去「錢湯」泡澡,就是大澡堂子,日本人把熱水叫湯,錢湯,就是要交錢的熱水澡。
《千與千尋》的錢婆婆營業的「湯屋」,就是一家「錢湯」。
得,洗著洗著,洗出了優越感。
日本人覺得,自己是「東方的羅馬人」。
兩者相似的地方就是,都愛洗澡(哦,那我還和羅馬人一樣,都兩條腿走路呢)
有部日劇講的就是,一個羅馬的浴池設計師,穿越到日本,學習到了日本特色的洗浴文化,並穿越改造羅馬。
(從羅馬前往神秘的東方,學習洗浴文化的真諦)
(見識到東方神秘島國洗浴文化的偉大)
(敏而好學地尋找神秘東方文化的精髓)
(感受到了東方神秘島國洗浴文化的愉悅)
(立志回羅馬弘揚日本洗浴文化)
這種庶民的洗浴文化,漸漸壓過了貴族的不洗浴文化,成為日本衛生習慣的主流。
但大澡堂子文化,在近些年來逐漸消退。
據統計,上世紀六十年代,超過百分之六十的日本家庭有了自己的衛浴設施,到2008年,這個數字提高到95%,到2013年,基本上是百分之百。
就算日本再破的房子,基本上也都有個浴室,於是大澡堂子逐漸推出了歷史舞臺。
讓日本人懷念的澡堂子文化,其中一個重要的部分,就是男女混浴文化。
三貴子の誕生
「伊耶那岐神、黄泉の国へ」以来の古事記の物語に戻ります。
(原文現代語訳)
このようなことでイザナキは「私はなんと醜く汚い国に行っていたことであろうか。だから、我が身の禊ぎをしよう」と仰せになり、筑紫の日向の、橘の小門の阿波岐原(アワキハラ)においでになって、禊ぎをされた。
そこで投げ捨てた杖に生まれた神の名は衝立船戸神(ツキタツフナト)である。
つぎに投げ捨てた帯に生まれた神の名は道之長乳歯神(ミチノナガチハ)である。
つぎに投げ捨てた袋に生まれた神の名は時量師神(トキハカシ)である。
つぎに投げ捨てた衣に生まれた神の名は和豆良比能宇斯能神(ワヅラヒノウシノ)である。
つぎに投げ捨てた袴に生まれた神の名は道俣神(チマタ)である。
つぎに投げ捨てた冠に生まれた神の名は飽咋之宇斯能神(アキグヒノウシノ)である。
つぎに投げ捨てた左手の腕輪に生まれた神の名は奥疎遠神(オキザカル)、
つぎに奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコ)、
つぎに奥津甲斐弁羅神(オキツカヒベラ)である。
つぎに投げ捨てた右手の腕輪に生まれた神の名は辺疎遠神(ヘザカル)、
つぎに辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコ)、
つぎに辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラ)である。
以上の船戸神から辺津甲斐弁羅神まで十二柱の神は身に付けていた物を脱いだことによって生まれた神である。
またイザナキは「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」と仰せられ、そこで中流の瀬に沈んで身を清められた時に生まれた神の名は八十禍津日神(ヤソマガツヒ)、つぎに大禍津日神(オオマガツヒ)である。この二柱の神は汚らわしい黄泉の国に行ったときの汚れから生まれた神である。
つぎにその禍を直そうとして生まれた神の名は神直毘神(カムナホビ)、
つぎに大直毘神(オオナオビ)、
つぎに伊豆能売(イヅノメ)である。
つぎに水の底で禊ぎをしたときに生まれた神の名は底津綿津見神(ソコツワタツミ)、
つぎに底筒之男命(ソコツツノヲ)である。
水の中程で禊ぎをしたときに生まれた神の名は中津綿津見神(ナカツワタツミ)、
つぎに中筒之男命(ナカツツノヲ)である。
水の表面で禊ぎをしたときに生まれた神の名は上津綿津見神(ウハツワタツミ)、
つぎに上筒之男命(ウハツツノヲ)である。
これら三柱の綿津見神(ワタツミ)は阿曇連(アズミノムラジ)らの祖先神として祀られている神である。そして阿曇連らはそのワタツミの子の、宇都志日金析命(ウツシヒカナサク)の子孫である。またソコツツノヲ、ナカツツノヲ、ウハツツノヲの三柱の神は住吉神社に祀られている大神である。
イザナミさまは、黄泉の国と、その帰路の出来事によって身心共に穢れてしまい、とてもこのままでは葦原中つ国には帰れないと言うことで、禊をされます。その際にたくさんの神様が生まれました。
そしてその最後に、この国の歴史を作り上げることになる重要な神さまを誕生させるのです。
(原文現代語訳)
ここで左の目をお洗いになったとき生まれ出た神の名は天照大御神(アマテラスオオミカミ、以下アマテラス)である。
つぎに右の目をお洗いになったとき生まれ出た神の名は月読命(ツクヨミ)である。
つぎに鼻をお洗いになったとき生まれ出た神の名は建速須佐之男(タケハヤスサノオ、以下スサノオ)である。
このときイザナキはたいそうお喜びになられ「私は多くの子を生んで、最後に三柱の貴い子を得ることができた」と仰せになった。
ただちにその御首の、首飾りの玉の緒をゆらゆらと鳴らしながらアマテラスに賜った。そして「あなたは高天原を治めなさい」と仰せになった。そこでその首飾りの玉を御倉板挙之神(ミクラタナノ)という。
つぎにツクヨミに「あなたは夜の国を治めなさい」と仰せになった。
つぎにスサノオに「あなたは海原を治めなさい」と仰せになった。
このようにして、古事記は主役の座は伊邪那岐命・伊邪那美命から、天照大御神と素戔嗚尊に移っていくのです。
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