2024年1月16日火曜日

阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展1

阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展1

阿波の農業に纏わる神々と文化編-写真展1

阿波世界農業遺産

オオゲツヒメが鎮まる阿波国 -日本の養蚕・五穀起源神、日本最古の農業神-

・大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。オオゲツヒメ型神話は環太平洋圏に分布し、21世紀の生命文明の世紀に移行するシンボルにふさわしい大地母神がオオゲツヒメなのである。

オオゲツヒメを祀る「上一宮大粟神社」

・『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神、日本最古の農業神オオゲツヒメを祀るのが、名西郡神山町神領上角の大粟山に鎮まる「上一宮大粟神社」である。鳴門市大麻町の「大麻比古神社」以前は、当社が阿波国一宮であった。社伝によると、元は大粟山頂上部のテンペノ丸にあり、大宜都比売神は[大粟比売神]と呼ばれた。大宜都比売神が始めて粟を栽培したことから、この地を「大粟山」と呼び、国名を「粟国」とし、「阿波国」と呼ばれるようになったという。神紋は[粟の穂]。

オオゲツヒメが鎮まる「大粟山」

・『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神、日本最古の農業神を祀るのが、名西郡神山町神領上角の大粟山に鎮まる「上一宮大粟神社」であった。社伝によれば、元は大粟山頂上部のテンペノ丸にあり、大宜都比売神は、[大粟比売神]と呼ばれた。大宜都比売神がはじめて当地に植えたとされる粟は、収量の多い「大粟」であったと考えられ、大粟が植えられた丘陵が「大粟山」と命名された。粟は焼畑作物であることから、オオゲツヒメは稲作以前の日本農業の源流となる焼畑神でもあった。

阿波国を拓いた阿波忌部の祖神・天日鷲命

・阿波国を拓いたとされるのが阿波忌部族であり、徳島市二軒屋町の「忌部神社」の由緒によれば、徳島県民の総鎮守が「忌部神社」であったという。戦前の徳島県民歌にも、「忌部と海部が手と手をつなぎ阿波国が成立した。」と語り継がれている。忌部氏とは、上代より大和朝廷の宮廷祭祀を担当した氏族で、主に祭具の調達を役目としていた。中でも天日鷲命を祖神と仰ぐ阿波忌部は、最重要祭具となる麻や木綿(ゆう)を栽培・製造する役目を負っていた。

日本各地を拓いた農業神・天日鷲命

・吉野川流域に勢力圏を誇った阿波忌部族(阿波勢力)は、阿波国を拓くとともに、海路で日本各地に進出し、農業・織物・製紙技術などを伝えた産業技術集団であり、ヤマト王権の成立に力を尽くした。天日鷲命の別名は「天日鷲翔矢命」で、『忌部神社正蹟考』には「~阿波国を開拓し農耕に従事せしものは、農作物を害する鳥獣を狩るにも、亦専ら弓矢を使用せしこと明らかなり。従って忌部氏がその製作に従事せしこと明らかなり~」とあり、麻を扱うが故に日本の弓矢の創始神でもあった。また、日本の製紙の祖神としても各地の和紙の産地で天日鷲命が祀られている。まさしく天日鷲命は、日本の農業・産業の創始神なのである。さらに、天日鷲命は天加奈止美命(あめのかなとびのみこと)=[天金鳥・天金鵄]とも呼ばれ、日本神話では、天照大神を天の岩屋から引き出すために大きな功績を挙げた神様、神武天皇を即位に導いた金鵄(きんし)でもあった。

阿波忌部が粟を植えた粟島(善入寺島)

・吉野川中流域の日本最大の川中島である「粟島」(善入寺島)は、約500haの広大な農地となる島である。それは阿波忌部族が粟を植えて開拓したことに由来し、天日鷲命が坐す島なので、極楽壙と呼ばれる死体を投げ入れるための穴が設けられ、墓による埋葬を決して行わなかった。阿波国の名前も、阿波忌部が粟を植えた故事に由来するという。島の周りを囲むように竹林が植えられ、上流からの肥沃な土砂が下流まで流れないよう工夫を凝らしている。大正11年の河川改修工事までは、約500戸・3000人余りが居住し、天日鷲命を祀る「浮島宮」が鎮座していた。

麻殖神を祀る「忌部神社」(天日鷲社)

・吉野川市山川町(旧麻植郡)の忌部山に祀られた「山崎忌部神社」は、名神大社「忌部神社」に比定され、天日鷲命を主祭神とする。当社は「忌部神」「忌部大明神」とも称され、古来より朝廷からの崇敬が篤かった。平成2年(1990年)11月の大嘗祭には、古来の伝統が生かされ、旧木屋平村の三木家から運ばれてきた麻が、当社の織殿で、巫女装束の織姫によって織られアラタエ(麻織物)の貢進が行われた。神紋は阿波忌部氏の代名詞となる麻葉である。

麻・榖・五穀の種伝承をもつ種穂山

・吉野川市山川町の西部には、標高380mの種穂山が聳え、山頂には「種穂忌部神社」が置かれ、正殿に天日鷲命、忌部の祖神・天太玉命、栲機千々姫命の三神、相殿に麻績族の祖・長白羽命、津咋見命の2神が祀られる。社伝には、「麻楮五穀等の種を玉う神であるが故に社名を種穂とした。」、「天日鷲命が天磐船に乗り、穀木及び粟の種子を持ち携え、種植る地を探し、豊葦原中国の最も優れたる地である鼓嶽に船を止めた。五穀の種を国中に蒔きて豊実なる種の穂を集めて天祖神を祭った。」等の伝をもつ。中世にこの一帯は種野山庄と呼ばれた。農業で最も大切な要素が優良種の確保と保存であった。麻・榖だけでなく、五穀の種の伝承を有するのは日本で阿波忌部の根拠地しかなく、阿波忌部族は、優秀な種を携え日本各地に農業技術などを伝えていったと見られる。

阿波国一宮「大麻比古神社」(麻の産業神)

・鳴門市大麻町板東の大麻山(標高538m)の南山麓には、阿波国一宮で忌部族ゆかりの名神大社「大麻比古神社」が祀られている。祭神は、大麻比古大神と猿田彦大神。周辺には、麻漬川(天日鷲命が麻楮を洗った旧跡)、丹の水(天日鷲命が麻榖を濯ぎ洗った井戸)、を山谷、をとけ谷など忌部ゆかりの伝承地が点在する。神紋は[麻の葉]。日本の生活産業や祭事の根幹をなす[麻]自体を神格化したのが[大麻比古神]で、それは畑作の一つとなる麻の神様であり、農業・産業神の一つでもあった。

忌部族が崇拝した霊峰「大麻山」

・大麻山は弥山、十八山とも呼ばれる標高538mの山で、南山麓に「大麻比古神社」が鎮座し、大麻山は当地を拠点に置く忌部族が信奉した神山であった。徳島の名産すだちは、大麻山の見えるところでしか育たないと伝わる。山頂には、「大麻比古神社」の奥ノ院が祀られる。神社の「社」なるものは、古代には存在しなかった。その原初の信仰は、山や森を畏れ敬い、樹木や草木、石に至るまでカミや精霊が宿るといったアニミズムにあった。大麻山は、その原初の信仰をもつ山自体にカミが宿るとの神山でもあった。この10年来、萩原1.2号墓、西山谷2号墓などヤマト王権のルーツとなる墳墓群が発掘され考古学を覆しつつある。大麻山一帯はヤマト王権の発祥地となる地域でもあった。

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