2024年1月24日水曜日

源氏物語 (1951年の映画) - Wikipedia

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源氏物語 (1951年の映画)

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源氏物語』(げんじものがたり)は、1951年(昭和26年)11月2日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は吉村公三郎、脚本は新藤兼人モノクロスタンダード、123分、映倫番号:483。

大映の創立10周年記念映画として、豪華出演者・スタッフで製作した大作映画。紫式部の『源氏物語』の初の映像化作品であり、本作では、桐壺の死と光源氏の幼少期をプロローグとし、26歳頃の源氏を中心とした1年半の物語を描いている[2]。配収は1億4105万円で、1951年度の邦画配収ランキング第1位となった。第25回キネマ旬報ベスト・テン第7位、第5回カンヌ国際映画祭撮影賞受賞。

広島県福山市鞆の浦で一部ロケが行われた[3]

スタッフ

キャスト

作品解説

本作は、当時の源氏物語ブームにあやかって製作され[4]、当時の日本映画においては空前の規模で製作を敢行した[5]新藤兼人は、原作に最も忠実といわれる与謝野晶子の現代語訳をもとに、長大な原作を約1年半の物語に脚色し、さらに明石の上女三宮を合体させた「淡路の上」という人物を新たに創出している[4][6]。脚色には、谷崎潤一郎が監修、池田亀鑑が校閲、紫式部学会が後援にあたった。

主演級の俳優の衣裳60組は、髙島屋の全面協力によって調達し、花の宴のシーンでは30人の女官の衣裳代だけで総予算をオーバーしたという[5]

1951年(昭和26年)11月1日帝国劇場で行われた大映創立10周年記念式典で先行上映され、翌日の11月2日に封切られた[7]。本作は当初カラー作品として構想されたが、技術的な問題でモノクロとなった[7]

脚注

  1. 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』、キネマ旬報社、2012年5月23日、p.88
  2. 田中純一郎日本映画発達史Ⅲ 戦後映画の解放』、中央公論社、1976年
  3. "日本遺産「鞆の浦」#3 映画やドラマの風景を探すロケ地巡り/広島県福山市【PR】 映画やドラマの風景を探す!鞆の浦のロケ地巡りコース". 瀬戸内ファインダー. せとうち観光推進機構 (2020–02–20). 2020年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月5日閲覧。none
  4. ^ a b 若井田恆『源氏物語の悲劇』、文芸社、2005年、p.287
  5. ^ a b 源氏物語KADOKAWA、2015年2月2日閲覧
  6. 源氏物語東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月3日閲覧
  7. ^ a b 『占領終結前後の映画産業と大映の企業経営(下)』、立教大学

外部リンク

吉村公三郎監督作品
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代

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