2024年1月26日金曜日

神武天皇の正体|きーの歴史沼チャンネル

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https://note.com/key_history_ch/n/neaf90fb9311e


神武天皇の正体

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お元気様です!歴史沼チャンネルのきーです。

日本の初代天皇である神武天皇の正体がヤバかった…。
神武天皇と阿波国風土記に隠された暗号とは?
日本古代史のカギを握る記紀が隠している神様の存在が物語るものは何なのか?
今回は、神武天皇の正体について私きーの大大大考察回としてお話していきます。

このチャンネルは知識の量や深さに関係なく、歴史を楽しむコンテンツを聞き流しスタイルで紹介しているのでよかったらチャンネル登録よろしくお願いします。

神武天皇とは

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神武天皇と言えば、日本国を建国したといわれる初代天皇です。
天孫降臨として日向に降り立ったニニギノミコトの曽孫にあたり、神日本磐余彦天皇の名前を持ちます。

神武天皇の父はウガヤフキアエズで、母はタマヨリヒメであり、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの間の子供であるホオリノミコトこと山幸彦は神武天皇にとっての祖父にあたり、ホオリノミコトの妻であるトヨタマヒメは神武天皇の母のタマヨリヒメの姉であり、トヨタマヒメはウガヤフキアエズを産んでいるため父方の祖母にあたります。

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日向にいた神武天皇は「東に国を治めるのにもっと良い土地がある」と聞き、大和である現在の奈良県へ進軍し、奈良盆地一帯を治めていた長髄彦らを滅ぼして、畝傍橿原宮に都をおいたとされています。
いわゆる神武東征です。

そして事代主神の娘とされるヒメタタライスズヒメを正妃として、紀元前660年2月11日に即位したとされています。

いまでも神武天皇が即位した2月11日を「建国記念の日」として国民の祝日とされています。

実在性が疑われている神武天皇

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しかしそんな神武天皇は実在性が疑われてもいます。
神武天皇の存在が疑われている理由は様々あり、神武天皇の功績が神武東征しかないことが挙げられます。

この神武東征も、神話における共通の英雄譚である「旅立ち」→「試練」→「成就」という典型的な構造であることも
神武東征自体が作り話であるといわれる一つの要因でしょう。

そして神武天皇が即位したといわれる紀元前660年というもの、辛酉の年とされ、辛酉年とは天命が改まる年であり、王朝交代の革命の年とされていて、神武天皇は実在しておらずわざと紀元前660年の辛酉年に即位したようにして、天皇家の系譜を長く見せるようにしたともいわれています。

ほかにも実在性があるとされている10代崇神天皇に神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」という名前が付けられていることなどから、神武天皇は伝説上の作られた人物であり、実質的な初代は崇神天皇ではないかともされています。

神武天皇にはモデルがいた

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ここからは私の考察になりますが、記紀が描くような神武天皇という人物はいなかったでしょう。

しかし全く架空の人物というわけではなく、モデルとなる人物がいたと考えています。

そのモデルが奈良盆地を中心とする大和を治めることになった人物であり、初代神武天皇として描かれ、そのモデルとなった人物は記紀から抹消されています。

その人物とは、天村雲命です。

天村雲命とは、射立神(いだてのかみ)とも云われるニギハヤヒの孫にあたる神様です。
父は天香語山であり、天村雲命の子孫は度会氏となり、伊勢神宮外宮の神主を世襲しています。

天村雲命といわれても、ピンとこない方も多いかもしれません。
その理由は、天村雲命は記紀神話には不自然なほどに登場することはなく、その存在を知るには『先代旧事本紀』や国宝となっている『海部氏系図』に系図のみで確認するほかありません。

記紀が記そうとしない天村雲命は、実は神武天皇の正体、モデルであり、神武天皇とは天村雲命の功績を被せられた人物なのです。

神武東征にモデルストーリーがあった

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天村雲命がどんな神様でどんな人物なのかを語る前に、神武東征はなかった…という話をしましょう。

神武東征はなかったというと誤解を生みますが、九州から畿内へ攻め込んだという事実はありますが、それを行ったのは神武天皇=天村雲命ではない。ということです。

神武東征は、出雲口伝で語られている北九州のニギハヤヒ=物部勢力がヤマトへ東征する話がモデルストーリーであると考えています。

要約すると、神武天皇=天村雲命は東征はしておらず、初代天皇の功績を輝かしいものとするため、ニギハヤヒ=物部勢力がヤマトへ東征した話を神武天皇=天村雲命の功績に置き換えたということです。

出雲口伝で語られている北九州のニギハヤヒ=物部勢力がヤマトへ東征する話はこちらの動画でも解説しています。

簡略的に説明すると、
北九州に三度目の渡来をした徐福と大勢の秦国の人民達は、筑紫を制圧し徐福は和名で饒速日(ニギハヤヒ)と名乗ります。
※出雲口伝ではニギハヤヒの正体は徐福になっています。

そして九州ではモノノベ王国が君臨し、徐福より5~6代目の子孫・五瀬で大和への遷都を開始します。

四国南方沖から紀伊国に上陸し、紀ノ川を逆上って大和に入ろうとしますが、待ち受けるヤマト王国軍に敗れて五瀬が亡くなり一時撤退をします。
疲弊したモノノベ勢は海沿いに熊野川から再度上陸し、熊野川の中洲(大斎原)に住み着きました。

これが出雲口伝で語られるニギハヤヒ=物部勢力がヤマトへ東征した話であり、これをモデルとして記紀に記されている神武東征が神武天皇=天村雲命の功績として語られるモデルストーリーです。

神武東征はなかった

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神武天皇の東征に比べて、物部氏ニギハヤヒの東征は、伝承レベルでも具体性に富むという事実です。
それと比べると神武天皇の軍団は、陣容にしても、東征期間においても具体性・真実性に欠ける物語となっています。
随伴した人物も兄弟は明記されていますが、その他は逸話的で具体性はありません。
特に兵員の構成や規模は一貫して記述されることがありません。
これは基本的に、創作に時間と工数を掛けていないためだと思います。

特に東征期間については、現実的な話となっていません。
古事記では東征期間は18年にも及びます。
これはあり得ないくらい長いのです。
弥生後期~古墳時代前期だとしても当時の平均寿命は40代に達しているかどうかです。
出発したときの青年は老人になっています。
東征中の世代交代などは現実的ではありませんし、日本書紀でも東征の期間は8年位と古事記との違いもあります。

なぜ神武天皇=天村雲命なのか?

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ではなぜ、天村雲命が神武天皇の正体だと言えるのでしょうか?
その答えは、系図を比較することで見えてきます。

日本書紀や古事記によると、神武天皇は日向で暮らす中で、吾平津媛(阿比良比売/あひらひめ)を娶っています。
 その後、大和へ移動して、事代主の娘である媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)を后に迎えます。

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一方、天村雲命は、籠神社(京都府宮津市)に伝わる海部氏系図(あまべしけいず)の1つ『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』(勘注系図)にはこのような記載があります。

天村雲命
赤名天五十楯天香語山命、於天上生神也、
此命坐日向國之時、娶阿俾良依姫命、
生天忍人命、次生天忍男命、次生天忍日女命、
而遷坐於丹波國之時、娶伊加里姫命、
生倭宿禰命、亦名天御蔭命、次生葛木出石姫命、亦名角屋姫命也

https://note.com/jolly_dietes942/n/n7fd8e8bdbbc0

天村雲命の日向国のときの后は阿俾良依姫(あひらよりひめ)」であり、3人の子を授かります。
その後、丹波国では「伊加里姫(いかりひめ)」を娶ります。

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天村雲命も日向に住んでいたというのは驚きですが、神武天皇も天村雲命も日向に住み、神武天皇の配偶者が阿比良比売(あひらひめ)で、天村雲命の配偶者が阿俾良依姫(あひらよりひめ)と配偶者の名前も似ています。

名前が似ていることと、同じ出身地ということで、強引ながら、神武天皇の配偶者である「阿比良比売(あひらひめ)」は、「天村雲命の配偶者である「阿俾良依姫(あひらよりひめ)」をモデルに創作したものと仮定して家系図を合体させてみました。

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 天村雲命が日向に居た際に得た子供は「尾張氏」に繋がり、その後、丹波で得た子供は「海部氏」に繋がり、大和で得た子供が、天皇家に繋がります。

少ない情報ながら、ピッタリくるのではないでしょうか?

神武天皇は、神武東征がなかったとするならばその功績は大和と呼ばれる畿内に権力基盤をつくったということとになるでしょう。

天村雲命はのちにヤマト王権の大王と呼ばれる一族の、はじめて奈良盆地に基盤を作った人物だと考えられ、これが記紀によって神武天皇と呼ばれるようになったと考えられます。

しかしこれだけでは、まだまだ神武天皇の正体が天村雲命であり、天村雲命がヤマト入りしたことが神武天皇のモデルになったということは見えてきません。

今回は長くなりましたのでここで一旦終わりにして次回は、天村雲命をもっと掘り下げて、海部氏や尾張氏、阿波や伊勢神宮などにも考察を広げながら、神武天皇の正体に迫っていこうと思っているので、次回の動画も楽しみにしていただけると幸いです。

まとめ

今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!

今回の考察に使用した参考資料も概要欄にのせておくので、興味のある方は概要欄をチェックしてみてください。

今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!

この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。

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