2024年1月1日月曜日

板野郡田上郷戸籍断簡

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阿波国板野郡田上郷戸籍断簡(http://twitpic.com/8pcviq

 

この写真の戸籍は現存する我が国最古の戸籍である。ちょっと見て、奇妙なことに気づかれないであろうか? そう、この郷(部落)の中には成年男子がほぼ皆無と言ってよいほど記載されていないのである。阿波古代史の大先輩、小杉氏は全国の文献を30年間調査しつくしてこれについても述べていらっしゃるのだが、他国にはこうした戸籍は当時(たぶん今も)皆無であろうと思われる。だが、これこそ阿波が本国であったことの証のひとつなのだ。

実は倭(阿波)から大倭(奈良)へ王都を移遷したのちも中世平安時代はもとより室町時代までも阿波では成年男子は都へ出仕する義務があったのだ。これが他の地方ならどうだろう? 部落の働きの中心である働き盛りの男手を全て都に出仕させねばならないとすれば当然不平不満が出るに違いない。だが、古代から近所にある都に出仕し、男は基本的にあてにならない状態であっただろう阿波人にとって当たり前のこと、都は奈良に移り都が遠くなってもその都の中枢を担うのは至極当然のこと、誇らしいことであっただろう。

そしてそれぞれは都に出仕してその血脈に従い能力に応じた官職についていたのだ。

もちろん定年になれば帰郷するし、虚弱であれば出仕しないこともありえることだ。

やがて奈良や京都に住むようになり、本拠地が移ったので新撰姓氏録では阿波が膨大な数で出身地となって記述されているのだ。小杉氏を含む阿波国国史研究会のメンバーは大正時代にこの戸籍に記された一人一人について新撰姓氏録にもとづき、奈良、京都、河内地方との突合せを行い、天皇家を支える名族ばかりなのを確認されている。たったひとつの部落の戸籍でも都の高官と全くひけをとらない出身名族の数、阿波全体の戸籍が残されていたらさぞやそうそうたる数になったであろうと思われる。

「道は阿波より始まる」は、小杉氏の30年の研究、岩利氏の先祖を含む80年、そして阿波国国史研究会のメンバーと、足を使って現地を訪ね、その裏をとって結論づけるという途方もない情熱と労力をかけて最後に岩利氏が研究をまとめているのだ。机上で資料を集めて発表する研究者とは一線を画しているのである。文中に出ている新撰姓氏録の阿波出身の名族についてはまた別途記載することにする。

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