2023年9月3日日曜日

徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代暦記」の重要性の指摘 | 日本の歴史と日本人のルーツ

徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代暦記」の重要性の指摘 | 日本の歴史と日本人のルーツ
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2023/04
-『富士古文献』を通じて見る古代史の歴史認識神奈川徐福研究会 伊藤健二


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徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代暦記」の重要性の指摘 | 日本の歴史と日本人のルーツ
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徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代暦記」の重要性の指摘

秦、新羅、百済、高句麗は原日本語を喋った同族である(参考)。春秋戦国時代の秦、羌族、斉なども同族である(参考)。漢民族は3000年前に中原に侵入してきた(参考)もので、それまでの東アジアは秦の始皇帝の祖先のものだった。


国名の秦の字そのものは漢の時代の史記に秦と書かれたためで、以降、秦と呼ばれたのである。秦人たちは秦を原日本語(訓読み)で「支那」とか「震旦」と読み書きしたのであろう。紀元2世紀前後にインドで中国を指して「チーナ・スターナ"China staana"」と呼んでいたが、これが秦の国名の発音、震旦であった(参考)。後代、大陸の国を支那、漢、唐、、、中国(中華人民共和国)を混同して、尊大な国名の中国を卑下するのに支那と呼んだのである。


日本の天皇家は、初代の神武天皇の真偽はなんとも言えないが、原日本語を喋る同族の出身であり、途中、応神天皇や継体天皇は大陸からの渡来をうかがわせるが、同族の秦の始皇帝の末裔の秦氏と考えられる。すなわち、天皇家は同族のルーツを持つという意味で万世一系と言えよう(参考)。

 

支那震旦國皇代暦記(以下、宮下文書)に書かれた内容は大枠、正しい。現代以前の印刷機やコピー機の無かった時代、文書を保存する方法は書写しか無く、現在の古史古伝に関わる古文書は原本は無く、全て写本であり、そして種本の系統によって内容が異なっていることが普通である。すなわち、書写する人の誤写や加筆があることが普通の様だ。


宮下文書の記述に用いられる漢文とは異なる漢字の使い方など、徐福が原日本語を喋ったとすれば漢字仮名交じり文として納得出来る(参考)


徐福一行の名前が日本的であることへの疑問は、秦をルーツとする渡来人達は元々日本的な漢字二文字の名前を持っていたが、これに対し日本列島の原住民は漢字二字の名前を持たなかったのを8世紀に発布された好字令で地名のみならず全員、日本的な名前を持つに至ったと考えれば納得出来る。大陸の人達は皆、漢民族的な名前であったとは限らない。漢時代に書かれた史記は漢民族から見た歴史書であり、漢式の名前を付けたと考えられる。


偽書とされる他の古史古伝についても、神代文字の使用や母音の数に基づいて否定される必要はない。記紀の中の万葉仮名や8母音が特殊であったと思われる(参考)ウエツフミ、竹内文書、九鬼文書などにも出てくるウガヤフキアエズ王朝など、記紀では1人の神様にまとめて代表させた王朝の存在をうかがわせるが、縄文時代以前の海人族の王朝の歴史を反映させたものであろう(参考)。


秦についての記述は従来、考古学的に出土した竹簡など以外には、史記など漢の時代以降に書かれたものである。これに対し、徐福が書いたとされる宮下文書は真偽は別にして、秦にゆかりの人物の著作物として唯一のものであり、十分な研究が必要である。

参考

富士古文献の中の徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代暦記」(参考)


① 書き出し部分


② 秦の始皇帝、日本の天皇家と徐福の系図

注: 高麗、百済、新羅も同族の国家として系図にみえる。北畠親房の神皇正統記においても「昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代にやきすてられしなり(神皇正統記、参考)」とある。

③ 始皇帝の国は秦では無くて支那、または震旦国


④ 徐福の一行の名前が日本的

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