飛鳥時代、聖徳太子が大伴細人を志能備(しのび)として用いたと伝わります。
聖徳太子のブレーンとして渡来人の秦河勝が有名ですね。
で、伊賀忍者といえば有名なのが服部半蔵ですが、服部氏は秦氏だとされます。
忍者と秦氏は何か関係があるのかも?
1962年に伊賀上野の旧家で発見された「上嶋家文書」には次のように記されていました。
伊賀国の服部氏族・上嶋元成の三男が能楽者の観阿弥で、母は楠正成の姉妹であると。
観阿弥の子の世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していたということです。
そして能楽の始祖は秦河勝とされているのです。
能楽と忍者にも何か関係がありそうです。
能楽とは芸能のひとつです。
芸能とは現在では娯楽ですが、かつては神事だったと思います。
そして忍者の仕事の中には諜報活動も含まれていると考えられます。
芸能・神事・諜報活動といえば非人を思い浮かべます。
中世、京都の清水坂には祇園社(現在の八坂神社)に隷属する犬神人(「いぬじにん」「つるめそ」とも)と呼ばれる非人が住んでいました。
彼らは弓の弦を売る権利を得て「弦召そ」と言いながら町を歩いていたため「つるめそ」と呼ばれるようになったとされます。
しかし、それだけではなく死体の処理、清掃などにも携わっていたようです。
伊賀電鉄 忍者列車 『伊賀忍者は秦氏?』
三重県伊賀市 伊賀鉄道
2019年6月23日 撮影
①目力半端ない!忍者列車。
メーテル?それともスターシャ?
いや、よく見ると「くノ一(くのいち)」でした。
一目で松本零士さんのデザインとわかりますね!
ものすごい目力で、インパクト大です。
今度は駐車場に車を預けて一駅だけでも乗ってみたいです。
というのは中もなかなか凝ってるようなんですよ!→ https://www.igatetsu.co.jp/cat75/
痺れますね!
②くノ一とは女の忍者ではなく女をさす隠語だった。
「女の忍者」のことを「くノ一」といいます。
「女」という字は「く」「ノ」「一」と書くので、「女の忍者」のことを「くノ一」と言うのだと説明されます。
しかし、本来「くノ一」とは「女の忍者」のことではなく、「女」を意味する隠語であったそうです。
山田風太郎さんの『忍法帖シリーズ』の『忍法八犬伝(1964年)に「八人の女忍者、いわゆる服部くノ一衆もまじっていた。 」と記されていて、こういったことから「くノ一=女忍者」と捉えられるようになったと考えられているそうです。
くノ一と呼ばれてはいませんでしたが女性の忍者もいたようです。
ただし、忍装束を着用し、忍の術を使ったりするのではなく、女中などに扮して諜報活動を行ったりしていたようです。
また男では潜入しにくいケースなどに女性を潜入させることを「くノ一の術」と言っていたようですね。
③忍者のルーツは秦氏?
飛鳥時代、聖徳太子が大伴細人を志能備(しのび)として用いたと伝わります。
聖徳太子のブレーンとして渡来人の秦河勝が有名ですね。
で、伊賀忍者といえば有名なのが服部半蔵ですが、服部氏は秦氏だとされます。
忍者と秦氏は何か関係があるのかも?
1962年に伊賀上野の旧家で発見された「上嶋家文書」には次のように記されていました。
伊賀国の服部氏族・上嶋元成の三男が能楽者の観阿弥で、母は楠正成の姉妹であると。
観阿弥の子の世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していたということです。
そして能楽の始祖は秦河勝とされているのです。
能楽と忍者にも何か関係がありそうです。
能楽とは芸能のひとつです。
芸能とは現在では娯楽ですが、かつては神事だったと思います。
そして忍者の仕事の中には諜報活動も含まれていると考えられます。
芸能・神事・諜報活動といえば非人を思い浮かべます。
中世、京都の清水坂には祇園社(現在の八坂神社)に隷属する犬神人(「いぬじにん」「つるめそ」とも)と呼ばれる非人が住んでいました。
彼らは弓の弦を売る権利を得て「弦召そ」と言いながら町を歩いていたため「つるめそ」と呼ばれるようになったとされます。
しかし、それだけではなく死体の処理、清掃などにも携わっていたようです。
祇園祭 綾傘鉾の棒振り。
犬神人はこんな覆面をした姿で絵巻などに描かれています。
棒振りはもともとは犬神人によって行われていたのではないでしょうか。
清水坂から近い六波羅に平清盛は邸宅を構え、禿とよばれる少年を諜報部員(スパイ)として用いていたといわれますが
禿とは犬神人ではないかとする説があります。
犬神人は結髪がゆるされず童形(結髪しない髪型)であったとされますが、禿はおかっぱ頭であったとされます。
犬神人が芸能に携わったかどうかは勉強不足ゆえよくわからないのですが
興福寺に隷属する非人が住んでいたとされる奈良坂には奈良豆比古神社があり、毎年能のルーツともいわれる「翁舞」を奉納しています。
奈良豆比古神社 翁舞
芸能(神事)と諜報活動は非人と関係が深いのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%99
上記ウィキペディアの「夙」の項目を見ると、「大体、夙の分布は畿内の外、紀伊・伊賀・近江・伊勢・丹波・播磨・淡路に広がっており、」とあり、伊賀に非人が住んでいたとはいえそうです。
すると秦氏は非人なのか、と思えますが、秦氏は造(みやつこ)という姓(かばね。古代日本における氏族の称号。臣(おみ)・連 (むらじ) ,君 (きみ) ,首 (おびと) など三十種近くある。)でした。
この造(みやつこ)とは御奴からくるのではないかとする説があります。
奴は奴隷を意味する漢字です。
まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
にほんブログ村
- 関連記事
-
- 伊賀電鉄 忍者列車 『伊賀忍者は秦氏?』 2019/06/30
- 伊賀市上林の水車 『諸国に灌漑用水車を作った良岑安世』 2019/06/27
- メナード青山リゾート ハーブガーデン 『似ている。ヘカテ―とみほとけと日本の神』 2019/06/25
- なばなの里 プロジェクションマッピング くまモンと熊本②『通潤橋のしくみ』 2019/02/19
- なばなの里 プロジェクションマッピング くまモンと熊本 『下駄隠しのナゾ』 2019/01/25
- 湯の山温泉 紅葉 『折り鶴は白or黒?』 2018/11/16
- なばなの里 河津桜 ライトアップ 『太陽神の子孫なのに天皇(北極星の神)とはこれいかに』 2018/03/27
- なばなの里 しだれ梅 河津桜 『伊勢神宮が伊勢につくられた理由とは?』 2018/03/24
- いなべ 農業公園 梅 『二つの名前を持つ山』 2016/03/03
0 件のコメント:
コメントを投稿