徐福とスサノオ
日本の根底にはおそらく徐福がいると思う。かなりいけると思うのが、天皇家=D1b1a2。やや怪しいな?がD1b1c1=物部氏。おっと肝心の徐福だが、O2a2b1a1(O-M117)。中国ではすごくポピュラーな系統。だが大事なのはこれ中国東海岸には良く出る。何故なら、これも秦王族のO2a2b1a1a(O-M133)の先祖系にあたり遼河文明の中国東北部からの気候悪化による南下組だから。
これは日本でも最大のハプロだしかなり良い線言ってると思う。逆に言えば、日本の地理的状況を見れば移民としてきて当たり前で珍しくも何とも無い。むしろO1B2よりこっちの方が当たり前。中国東北部、山東省南も北も全部出る。
私としては徐福はどうでも良い。徐福のような直接江南から来たかなり技術レベルの高い集団が日本にやってきた。それが徐福である可能性があり、日本の名家は大半この系統の子孫になる。
そしてこれらが絡む神社が高木神社になる。この祭ってある神が日本のいざなぎいざなみぐらいに偉い神様。
日本において直接ルートは遺伝子的には全く重要だとは私は思ってない。だが支配者層の遺伝子においてはこの直接ルートこそがキーになる。だから日本語は南方中国語にはならなかった。直接ルートは技術は高いが少数派だから。
さてここで重要なのは、新羅は秦の難民が多かった話しだが、ここに山東省からの難民も居ただろう。秦国の難民であって、秦という地域の難民じゃない。これがキーで、実は秦の労役で死んだ人のmtDNA調査されていて、大半が華人のハプロが出ない異民族の色が強いものらしい。辰韓の住民の大半は華人じゃない。
私が以前予想したとおり。労役から逃げた秦人はよりその傾向が強い。ゆえにあそこには華人の遺伝子がかなり薄い可能性が高い。直接ルートで日本に来た人達は半島に立ち寄ってから来た可能性もある。
ただ日本と朝鮮がちょうど華人の血の濃さで全く違う系統になるので、華人の血が濃い系統は朝鮮半島から動かなかった。そして高い文化水準を持った直接ルートの船を使った人は基本少数集団だったのがキー。
徐福は来て無くても、稲作の担い手としては後発でも、別の技術文化の水準が高くて日本で指導的立場になったのはこの直接ルートの中国人である可能性が高い。それらをまとめて徐福として1つのグループとしてしまった可能性が高い。実際来た可能性も高い。
さてバラバラで日本土着の系統が多いのはなぜか?そこが徐福集団だからだとなる。まだ歴史と繋がってない時代に地元の人間と交わってどんどん広がっていったため、徐福一族と言う集団は多分無かったと見ている。そして後の時代にこれらの集団はまとめて徐福系として1つの血族集団になった。これが真相じゃないか?と見ている。
直接ルート出は後は呉越系がいる。越は歴史的には良く分からない。ただ北陸と繋がっているとは言われている。新羅ルートを通じてO1B2が沿海州に広がったためこれがその可能性がある。後は、呉であるが、王族の子孫はまず無い。これは何度も否定してる。だが呉の王族以外が日本に直接来たのはあると思う。その集団も多分日本で古代の名家になってると予想する。
日本の名家は大半直接ルートの人が多いと見ている。先進的な文化を直接持って来るのが原因だと見ている。遺伝子とこれは多分一致し無い。日本の大半の遺伝子は直接ルートとは関係が無い。だから今まで無視してきたが、天皇に触れた瞬間に無視できないのに気がついた。むしろ名家は直接ルートの方が大事だと思う。
次の問題出雲王家は徐福系なのか?これが難しい。扶余とそれよりわいはくは、かなり前から朝鮮半島に来ていると見ている。そもそもこれらのベースになったのが稲作民族とほぼ同じなんだから。
問題は騎馬民族の扱いで、そもそも早すぎるとスキタイがまだ発生してない。諏訪氏の金氏と同じC2C1は何か?日本に来た集団は、全く別集団か?または、徐福グループであって徐福である必要が無い。新羅に立ち寄った徐福グループが地元のやや北方の中国東北人と交わって日本に来たか?それならすさのおも徐福グループの一員になる。
本当にC2C1の弥生縄文を分ける事が出来れば便利なのに、当然朝鮮半島にも古モンゴロイド系のC2C1が居る。金海金氏の場合、高いレベルの騎馬による軍隊と防具武器を持っていたので遺伝子は逆に不明だが、疑う余地が無い。そこから新羅の金氏は中国の書に別れたとあるので、おそらく同じ騎馬民族だろう。
半島のC2C1はかなり高い確率で、騎馬民族である可能性が高くて、新羅とつながりの深い出雲でそのハプロが出たというのは何かしらのその系統の流れである可能性が高い。すさのおは新羅系徐福ではなくて、騎馬民族の可能性がある。しかもだ、小国別によって、出自の色が全く違う。だから辰韓=秦人というような単純なものじゃない。
徐福と同様に出雲も胡散臭いデータが多いが、父系がバラバラなんだ。出雲はおそらく征服の過程で娘婿を直系として一族に加えていく戦略を取った可能性がある。騎馬民族が?すさのおが英雄だったのを否定し無いが、出雲王朝を広げたのは物部氏のニギハヤになる。天皇の四道将軍と似てたのじゃないか?と見ている。
おそらくすさのおの代じゃなかったのかも?より縄文色が強くなって、特に男子直系に拘らずに親族にしていった可能性がある。ここにまた天皇が関わってくる。
日本はD1b1a2以外もD系がしこたま残っている。なのに実際の縄文遺伝子は2割以下だといわれてる。これはD系以外の縄文ハプロも当然いるだろうから、異常な偏りになる。どうみても有名氏族は渡来系が多い。その答えがこの2人のせいじゃないか?となる。
天皇家はこの2人の集団と血縁関係の可能性がある。
すさのおを雷の神様に捉え居る人が居て、それとニギハヤも太陽神と見ているそうなるとこれ全くゼウスとアポロンの関係になる。扶余の流れでギリシャ神話的な遊牧民らしい天思想は共通するがそれはさすがに無い。これは偶然なのか?が気になってくる。そもそもすさのおは何の神様なのか?で海人達の海の嵐への恐れが生んだ神様になる。
粗暴さはこれが大きい。雷はここから来てる可能性がある。後ニギハヤが太陽神なのはやはりすさのおが騎馬民族だからなのか?なら、そこで、多分男子直系ではない。この辺りよー分からん。
かなりあやしいデータも多くて、そっちが間違っていたらすべて終りで、天皇家以外かなり怪しい。天皇家以外古代から権力者として時間が空きすぎていて、胡散臭い血が混じってる可能性が否定できない。天皇家と藤原家以外栄枯盛衰が激しくて最近まで繋がってる名家って多分大江の毛利ぐらいだと思う。
ああ織田の忌部がやっぱりO1B2じゃないか?と出ていた。ただし調査データ1件のみ…。後最大の問題は、徳川と同じで織田家も平家の血が入ったって話がある。これ嘘だと思ってたら徳川本当だった。徳川家の分家の人がハプロの調査をしてて、源氏系だった。
賀茂家もまたややこしい話しなのだが、出雲か徐福系なので実にやっかい。忌部はこの徐福の系統になる。もちろん徐家とは全く違う。うさんくさいデータだが、私は前から忌部の多い県でO1B2が高いのでこれじゃないかな?と見てた。だが、その県秦氏も多い。実にやっかいだ。
秦氏は本当に始皇帝の王族の系統が日本に来ている。ただ始皇帝の子孫が明確な人じゃない。始皇帝の先祖でおじさんみたいな人になる。その系統はきちんと中国の歴史に残っていて、この人達が日本に来たのは分かっていて、こっちは間違いないだろう。
ちゃんと下位系統まで調べないと、徐福の系統は秦氏と間違える。しかも徐福の子孫って秦氏って名乗ってるらしい。とてもつもなく紛らわしい。高丘家と言うんだけど、そうじゃなくて秦氏のハプロもまた1件だけある。確かに始皇帝と同じで徐福とは1つ下の変異があり系統が違う。
一応始皇帝との関係がありうるが、前も書いたように魯=山東省に残った親戚や、その上の中国東北部から新羅に来た後日本に来た可能性がとても高い。さすがに秦の時代は長いので、始皇帝の変異は5000年前の中国東北部から一切変化して無いとは思わないけど。ハプロの分岐年代調べてないので分からない。
この徐福系ってのはとんでもなく日本の歴史を遺伝子で分からなくするやっかいなものになる。私ぐらい知ってると、これが爆弾だとすぐ分かるが、しらないと始皇帝の子孫だと思ってしまうから性質が悪い。そしてこの系統が日本の歴史を語る上でとんでもなく重要だったなんてのは今知った。
0 件のコメント:
コメントを投稿