つまり、岐神とは、富家伝承では本来は最も尊い出雲の神である、というのが彼ら(冨家)の主張なのです。
スサノオ様=来日1回目の徐福であり、ニギハヤヒは来日2回目の徐福であり、スサノオ=ニギハヤヒは出雲を滅ぼした征服者である、というのが、一族の歴史を4千年もの間一子相伝の口伝でのみ伝えてきたという(その割には21世紀に入ってから急に他言しまくって現在では本まで出しているという一貫性の無さ)、産土神が津島神社のスサノオ様であり、出雲のヒーロー神だと信じている私には、不快も此処に極まれりという荒唐無稽な説なので、岐神ごと冨家伝承には関わりたくなかったのです。
https://chikaru414.blog.fc2.com/blog-entry-283.html
スサノオ様=来日1回目の徐福であり、ニギハヤヒは来日2回目の徐福であり、スサノオ=ニギハヤヒは出雲を滅ぼした征服者である、というのが、一族の歴史を4千年もの間一子相伝の口伝でのみ伝えてきたという(その割には21世紀に入ってから急に他言しまくって現在では本まで出しているという一貫性の無さ)、産土神が津島神社のスサノオ様であり、出雲のヒーロー神だと信じている私には、不快も此処に極まれりという荒唐無稽な説なので、岐神ごと冨家伝承には関わりたくなかったのです。
https://chikaru414.blog.fc2.com/blog-entry-283.html
謎の神社【志波彦神社・鹽竈神社】(宮城県塩竈市)参拝記。その8
※ 中4日空けましたので、前回の『その7』の記事は、20/08/01 になります。現在の別宮の祭神とされる鹽土老翁神((しおつちおぢのかみ)の名に隠された、岐神(くなとのかみ)とは、如何なる神か?
実は、私が深入りしたくないと思っていた神です。
何故なら、私が滅法嫌いな富家伝承に関わる神だからです。
※ 大事なことなので、大文字で言いました。
※ 富家伝承を信じている人は、私のブログは読まない方がいいです。
※ ボロクソ言いますので、気分を害しない為にも、今すぐこのページを閉じて、読まない方がいいです。
※ 大事なことなので2回言いました。今後気分が悪くなっても私は一切の責任を負いません。
つまり、岐神とは、富家伝承では本来は最も尊い出雲の神である、というのが彼ら(冨家)の主張なのです。
スサノオ様=来日1回目の徐福であり、ニギハヤヒは来日2回目の徐福であり、スサノオ=ニギハヤヒは出雲を滅ぼした征服者である、というのが、一族の歴史を4千年もの間一子相伝の口伝でのみ伝えてきたという(その割には21世紀に入ってから急に他言しまくって現在では本まで出しているという一貫性の無さ)、産土神が津島神社のスサノオ様であり、出雲のヒーロー神だと信じている私には、不快も此処に極まれりという荒唐無稽な説なので、岐神ごと冨家伝承には関わりたくなかったのです。
※ 蓬莱山に向かったはずの徐福の行き先が日本にされてしまったのは、徐福が船出してからずいぶん経ってから尾びれと背びれが付いた根も葉もない話で、当の中国人からしてそれを見届けた者はいないし徐福の実在性すら怪しい
※ 日本の各地に徐福上陸伝説があり、その数の多さと不確かさが、返ってそれがいにしえの人々のロマンであって、それ以上ではないことを露呈している。源義経が逃避行で立ち寄ったと主張する土地がむやみに多かったり、果てはチンギス・ハーンになった話と同程度の荒唐無稽な話に過ぎない
と、全身で冨家伝承に毛を逆立てている私ですが、塩釜神社に岐神が関わっているというのであれば、少しは学ばねばなりません。
岐神には様々な異称や性格があるので、不慣れな私が語るよりも、以下のリンク先を読んだ方がいいでしょう。
岐の神 - Wikipedia
サイト『玄松子の記憶』様より、久那土神(くなどのかみ)
非常にざっくり言いますと、『境界の神』で『結界の神』であると、私は理解しています。
神社の鳥居が、俗世と神域を分けているようなものだと思えば解りやすいでしょうか。
※ 道祖神がそうであるように、道案内をしてくれるとか、旅の道中の守り神とかという性質は、後から付随したものだと思います。
神社の向こうの神様は人間を拒んではいらっしゃいませんが、岐神は《敵》に対して、明確に『来るな。此処より入り込むは許さぬ』と仰る神です。
外敵を払い、内側の人々や土地を守る、そういう性質の神様です。
でも、岐神は、本来は塩竈の神ではありません。
古事記や日本書紀に登場する程度に、ヤマト王朝に帰属する神です。
塩竈神社は、国府・多賀城のちょうど丑寅の方角にあります。
多賀城創建は724年。11世紀半ばまで存続しています。
多分、この間に、塩竈神社から志波彦神は追い出されたのではないでしょうか。
塩竈神社の『塩竈/しおがま』という名前や、塩を作るという原始的作業の神事からして、《塩竈の神》への信仰は多賀城よりも遙か昔からあったはずです。
その、塩竈の神をどう扱うか。
ひとつは、先住民の神を尊重し、手厚く守ることで鎮まって頂き、多賀城も鬼門の守りを得る。
もうひとつは真逆に、先住民の神を追い出し、ヤマトに帰属する神を祀って多賀城の鬼門の守りにする。
多賀城が創立してからも、長い間そこには蝦夷系の人々と関東以南から移住してきた人々が混在しており、多賀城内の人々にとってはまだまだ塩竈の地は異界だったのではないかと思います。
結果的に、異界の神・志波彦神は冠川(七北田川)のほとりに追い出されていた訳で、それがいつ起こったのかはわかりませんが、伝統的な神事はそのままに、祭神は密かに早い時期に入れ替えられて、確実に大和勢力を守ってくれる神を鬼門に置いたであろうと推測します。
私が奇妙に思ったのは、塩竈神社から鹿島・香取両神宮へと向かう線上に何か手がかりは無いだろうかと探していたとき、『冠川』についての薄ぼんやりとした伝承に出会った、ということです。
現在、泉区・七北田橋近くに、志波彦神の馬が川を渡るときに石に蹴躓いて冠を落としたから『冠川』であり、その時の石が御神体と伝えられる『石留神社』が存在するのに、七北田川河口付近の伝承では、漠然と
貴人が川を渡るときに冠を落としたので『冠川』と言う。
と、志波彦神の名が抜け落ちていたのです。
海に近い土地の方が、中流域よりも早い時期に志波彦神の名を忘れ去っていた。
塩竈神社の神は、塩の精製を教えたと言い伝えられる、塩竈の漁労の民が信仰した神であったというのに?
(つづく)
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難しい考察が続いたので、少し気楽な話をしましょう。
この連載は、『参拝記』というタイトルですので、久しぶりに、実際に参拝してみて感じたことをお話ししたいと思います。
参拝経路は、正しく(?)
志波彦神社→塩竈神社・別宮→同・左宮→同・右宮、の順です。
私にしてみれば、志波彦神が塩竈神社境内にわざわざ『志波彦神社』を創建してまで帰ってきて頂き祀られていらっしゃるならば、鹽竈神社の祭神は、『鹽竈神社縁起』通りに、正面の左宮右宮が正宮で、別宮は格下のままでいいんじゃないの?と思うのですが、現在の神社サイドは別宮の別はスペシャルの別という何とも苦しい言い訳をしている程度に、別宮を敬わなければならない事情がある模様ですので、一応その通りの順番にお参りしてみました。
まず、志波彦神社から。
私は、
「お久しぶりにございます。@@に住む@@と申します。やっとお参りが叶いましたことを、とても嬉しく思います。ありがとうございます」
と心の中で唱えました。
私は、特に神頼みする事柄が無いときには、大抵こんな感じに、お参りすることが出来た御縁に感謝するご挨拶をしております。
そして、奥深くに感じるのは、『玄』です。
以前から、お参りするときには、いつもそうでした。
黒と言うよりも、『玄』と書いて、『くろ』。荘厳な、『玄』。
確かに此処にいらっしゃるのに、とても遠く、とても深いように感じるのです。
でも、全く怖さは感じない、不思議な威厳と深淵です。
そして、玄に伴って少し感じるのは、赤です。『朱』で『あか』でもいいかもしれません。
『よく来た』と、無言で褒めて頂けたような気がしました。
そして、塩竈神社へ。
ご祈祷するときには、混み合っていない限りこちら、という別宮です。
同じように感謝の心を伝えますと、静かに頷いたような気配を感じました。
色は、薄墨色です。
『薄墨色』で検索しますと、『喪』に関連する色なので、縁起が悪い色とされているようですが、そういう寂しさや不吉さではありません。
水墨画のような…と言えばいいのでしょうか。
静かな薄墨色。薄墨色なのに、水晶のように透き通る雰囲気なのが、不思議な感覚でした。
次は、左宮のタケミカヅチ神。
『おう、よく来たな!』という感じで、朗らかで快活なお兄さんっぽく迎えられたので、そしてお参りに来た私は可愛がられる小娘のような感覚だったので、面食らいました。
というのは、私はタケミカヅチ神にあまり良いイメージを持っていなかったからです。
(つづく)
この連載は、『参拝記』というタイトルですので、久しぶりに、実際に参拝してみて感じたことをお話ししたいと思います。
参拝経路は、正しく(?)
志波彦神社→塩竈神社・別宮→同・左宮→同・右宮、の順です。
私にしてみれば、志波彦神が塩竈神社境内にわざわざ『志波彦神社』を創建してまで帰ってきて頂き祀られていらっしゃるならば、鹽竈神社の祭神は、『鹽竈神社縁起』通りに、正面の左宮右宮が正宮で、別宮は格下のままでいいんじゃないの?と思うのですが、現在の神社サイドは別宮の別はスペシャルの別という何とも苦しい言い訳をしている程度に、別宮を敬わなければならない事情がある模様ですので、一応その通りの順番にお参りしてみました。
まず、志波彦神社から。
私は、
「お久しぶりにございます。@@に住む@@と申します。やっとお参りが叶いましたことを、とても嬉しく思います。ありがとうございます」
と心の中で唱えました。
私は、特に神頼みする事柄が無いときには、大抵こんな感じに、お参りすることが出来た御縁に感謝するご挨拶をしております。
そして、奥深くに感じるのは、『玄』です。
以前から、お参りするときには、いつもそうでした。
黒と言うよりも、『玄』と書いて、『くろ』。荘厳な、『玄』。
確かに此処にいらっしゃるのに、とても遠く、とても深いように感じるのです。
でも、全く怖さは感じない、不思議な威厳と深淵です。
そして、玄に伴って少し感じるのは、赤です。『朱』で『あか』でもいいかもしれません。
『よく来た』と、無言で褒めて頂けたような気がしました。
そして、塩竈神社へ。
ご祈祷するときには、混み合っていない限りこちら、という別宮です。
同じように感謝の心を伝えますと、静かに頷いたような気配を感じました。
色は、薄墨色です。
『薄墨色』で検索しますと、『喪』に関連する色なので、縁起が悪い色とされているようですが、そういう寂しさや不吉さではありません。
水墨画のような…と言えばいいのでしょうか。
静かな薄墨色。薄墨色なのに、水晶のように透き通る雰囲気なのが、不思議な感覚でした。
次は、左宮のタケミカヅチ神。
『おう、よく来たな!』という感じで、朗らかで快活なお兄さんっぽく迎えられたので、そしてお参りに来た私は可愛がられる小娘のような感覚だったので、面食らいました。
というのは、私はタケミカヅチ神にあまり良いイメージを持っていなかったからです。
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