2023年2月8日水曜日

天羽羽矢(あまのははや)と歩靫(かちゆき)(やなぐい)

倭大国魂神を奉ずる者4 | あおもり"藤崎学プロジェクト"
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あおもり"藤崎学プロジェクト"

倭大国魂神を奉ずる者4

谷川健一氏は『白鳥伝説』上巻、「邪馬台国の東遷」の中で、神武帝の大和侵入について、長髄彦が饒速日命の天羽羽矢と歩靫を神武に示す『日本書紀』にある故事によって、長髄彦の仕える君が天神の子であるであることを証し、神武もそれを認めたという。つまり、饒速日命は神武帝と同族であり、二ギハヤヒの大和降臨は神武帝のそれよりも早かったとことを述べる。以下、引用する。
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神武天皇-座乱読後乱駄夢人名事典
 画像は左記のサイトから許可を得て掲載したものです。画像はたまには眼の保養になるものも欲しいと考えたもので。

「大和の国の支配者はもとナガスネヒコであった。これは『日本書紀』も認めている。ナガスネヒコを真の支配者たらしめたものは二ギハヤヒであり、二ギハヤヒを奉祭する物部氏の力であった。
物部氏は、二世紀の後半、金属集団とともに九州の筑紫平野から摂津・河内・和泉・大和へ移動した。魂を扱う物部氏がどうして金属集団と密接な関係をもっていたかというと、戦争に使用する金属の利器が祭儀用の呪器に代用されても、その役割に変化がなかった。また銅剣や銅鉾のたぐいを製作していた工人たちが銅鐸を作るようになっても、物部氏はそれにまつわる祭祀に関与していたとおもわれる。鏡作の工人もまた物部氏に属していた。鏡は影見、すなわち人間の霊魂を見る道具と考えられていたことから、霊魂を扱う物部氏にとって、もっとも関係の深い道具にちがいなかった。

畿内に移住した物部氏は大和に勢威を張っていたナガスネヒコと姻戚関係をむすび、みずからの奉祭する二ギハヤヒの魂をナガスネヒコに付着させた。そこでナガスネヒコは大和の国魂を身につけることになり、強大な威霊の助力によって、神武の軍をなやました。

物部氏も邪馬台国も出身地はおなじ筑紫平野であり、物部氏の東遷は、邪馬台国の東遷に先だって、その一部が先発したというにほかならなかった。そのことはナガスネヒコがニギハヤヒの天羽羽矢と歩靫(かちゆき)(やなぐい)を神武帝にみせ、神武帝もおなじように天羽羽矢と歩靫をナガスネヒコに示す、という条に暗示されている。
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靫 国史大辞典 吉川弘文館

折口は〈同種族の分離して、別に住むべき地を求め行く別れの際に、とり換す聖器の物語として、類型の多いものだ〉と述べているが、この指摘は肯綮にあたっている。神武も二ギハヤヒもおなじく天つ神の子としての表徴を所有していた。ということは、東遷した物部氏もまたそれから一世紀半おくれて、四半世紀の前半に東遷した邪馬台国も、その出身地がおなじであったことを示しているのである。天羽羽矢と歩靫は同族のしるしにほかならなかった。」


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発掘ゆき2 発掘4

最近、新潟県で発掘された前期古墳にすぐれた副葬品が多く含まれていた。出土した中に「靫」があり、工芸的に大変優れたものだという。この古墳は4世紀前半に築造され、前期古墳時代のものとしては、日本海側最北端と目されている。1995年以降、地元の教育委員会の手により調査が実施され、2012年からは副葬品の発掘調査が行われている。棺周辺部に赤色の顔料が大量に用いられていること、多くの副葬品などから、大和朝廷が東北方面へ進出していく過程の手がかりになりうるものとして位置づけられている。

古墳時代は、通説では3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多い。この古墳は4世紀前半ころとされ、東西に41メートル南北35メートル高さ約5メートルの楕円形の円墳で新潟県内では3番目の大きさという。「出土したヒスイの勾玉や靫などは工芸的に優れており全国の前期古墳の基準となりうる重要な出土となった。」城の山古墳パンフレット

ちなみに奈良県天理市中山町に所在する10代のハツクニシラス崇神天皇陵墓との有力な説もある西殿塚古墳(にしとのづかこふん)は、古墳時代前期の前方後円墳である。3世紀後半から4世紀初めごろと想定されている。ただ築造年代は諸説あって以前に比較すれば絞り込んできているが、まだまだ難しいらしい。

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城(じょう)の山古墳 新潟県胎内市教育委員会 2012年9月7日 胎内市大塚

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