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スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜
この項目では、1961年の日仏合作映画について説明しています。2003年の日本映画については「スパイ・ゾルゲ」をご覧ください。 |
スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜 | |
---|---|
Qui êtes-vous, Monsieur Sorge? | |
監督 | イヴ・シャンピ |
原案 | 岸恵子 |
原作 | ハンス・オットー・マイスナー |
出演者 | トーマス・ホルツマン 岸恵子 |
製作会社 | 松竹映画 Terra Films Silver Films |
配給 | 東宝 |
公開 | 1961年6月21日 1961年3月29日 |
上映時間 | 129分 |
製作国 | フランス 日本 |
言語 | 日本語、フランス語 |
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『スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜』(スパイ・ゾルゲ しんじゅわんぜんや) は、1961年6月21日公開の日仏合作映画。フランス語の題名は「Quiêtes-vous、Monsieur Sorge?」
概要
岸惠子の回想によると、岸が日本で『風花』撮影中に、ソビエト連邦のスパイだったリヒャルト・ゾルゲの獄中手記を読んで、「ゾルゲ氏よ、あなたは誰(原題)」の企画を立て、映画監督である夫イヴ・シャンピに映画化を勧めて、プロジェクトが始動した[1]。ハンス・オットー・マイスナー(英語版)が著したゾルゲについての書籍が原作で、シャンピのほか、アンリ・アルローと沢村勉の三人で原作に脚色を加え、シャンピが監督した[2]。岸自身も出演している。
撮影はビリー・ヴィレルヴュが担当した[3]。原作者のマイスナー(ドイツの外交官で作家)は、映画で自身を演じている[4]。
ストーリー
1936年9月から、リヒャルト・ゾルゲは日本やドイツの動きを探るためにドイツの新聞『フランクフルター・ツァイトゥング』の東京特派員かつナチス党員という形で日本に赴き、東京の駐日ドイツ大使館に出入りしていた。 当時日本におけるドイツ人社会で、ゾルゲは日本通のナチス党員として知られるようになっていた。彼の記者の活動の裏側には、香港を通じてモスクワとの接触を確立する秘密の使命を持っていた。
ゾルゲは無線技士のマックス・クラウゼン、特派員のブラノフスキー[5]、画家の宮城与徳、内閣嘱託の尾崎秀実らをメンバーとする諜報組織を編成し、政治や軍事の情報を無線やマイクロフィルムでモスクワに送っていた。陸軍の防諜部長・藤森大佐は、怪しい電波発信や、クラウゼンがタクシーに忘れた秘密書類の存在から、ドイツ大使館への監視を強化する。
桜井男爵の夫人・ユキは藤森から、ドイツ大使館に行く際に関係者を内偵する依頼を受け、ゾルゲに会う。ユキはスパイ活動の現場を押さえるための船上パーティにゾルゲらを呼んだが、ゾルゲは裏をかいて近くの小舟に乗った漁師の仲間に無線を発信させ、検挙は失敗に終わる。ユキは内偵活動から手を引き、ゾルゲと交際するも、憲兵隊に拘束された。独ソ開戦や、日本の対ソ攻撃がないことをゾルゲらはモスクワに通報する。だが、検挙された宮城が自供したことでゾルゲらは逮捕された。藤森は拘置所のゾルゲの元を訪れ、日本が真珠湾攻撃に成功したと告げる。
キャスト
- リヒャルト・ゾルゲ:トーマス・ホルツマン
- マックス・クラウゼン:マリオ・アドルフ
- 尾崎秀実:山内明
- セルジュ・ブラノフスキー: ジャック・ベルティエ
- 宮城与徳:南原宏治
- アンナ・クラウセン:ナディーン・バジル
- 尾崎の妻:浅茅しのぶ
- 藤森大佐:小沢栄太郎
- 近衛公:北龍二
- 桜井優希:岸恵子
- 桜井男爵:成瀬昌彦
- マイシンガー:ポイ・ゴッペルト
評価
ヨーロッパにおいては大きな反響があり、モスクワ国際映画祭に出品が決まったが、ソ連側の検閲により「ゾルゲという人物はわが国には存在しない」として却下された[1][6]。のちに在仏ソ連大使が映画をクレムリンに送り、当時の最高指導者であるニキータ・フルシチョフが「こんないい映画をなぜ上映しないんだ」と感動し、モスクワにおいて映画館21館で一斉封切され、闇の切符が出まわるほどヒットした[1]。シャンピと岸は後に夫婦でフルシチョフにモスクワまで招待されている[1]。後のロシア大統領ウラジーミル・プーチンは、本作を観てスパイを志したとされている[7]。
その他
本作では、ゾルゲが真珠湾攻撃をソ連に報告したという設定であるが[8]、史実においては裏付けられていない。詳細は真珠湾攻撃陰謀説#ゾルゲ通報説を参照。
映画の元になったマイスナーの著書(ドイツ語タイトルは"ゾルゲ事件 Der Fall Sorge"[9]、英訳タイトルは"3つの顔を持つ男:ゾルゲ—ロシアのマスタースパイ The Man With Three Faces: Sorge - Russia's Master Spy"[10]、日本では大木坦の翻訳により『スパイ・ゾルゲ』のタイトルで1958年に実業之日本社より刊行[11])は、石井花子によると、「ゾルゲは処刑されずに生存している」と主張する内容だった[12]。映画では明確な生存の主張はしていないものの、「生死は謎」という形の結末になっている[8]。
脚注
- ^ a b c d "私の履歴書 岸恵子 (20)復帰 ゾルゲ主人公の映画企画 フルシチョフ感動 ソ連でも上映". 日本経済新聞. (2020年5月21日) 2020年5月22日閲覧。none(全文を読むには会員登録が必要)
- ^ スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜 - Movie Walker
- ^ An Impeccable Spy: Richard Sorge, Stalin's Master Agent
- ^ Кто вы, доктор Зорге?
- ^ 史実におけるブランコ・ド・ヴーケリッチに相当する人物。
- ^ ソ連政府がゾルゲの名誉を回復して「ソ連邦英雄」の称号を公式に授けたのは、映画公開から3年後、フルシチョフが失脚した直後の1964年11月である。
- ^ フォーサイト (2004年12月). "ロシアでゾルゲがブームになる不気味な理由". 新潮社. 2019年9月19日閲覧。
- ^ a b 外部リンクの映画.comのあらすじを参照。
- ^ Der Fall Sorge - Amazon
- ^ The Man With Three Faces: Sorge - Russia's Master Spy - Amazon
- ^ スパイ・ゾルゲ - 国立国会図書館サーチ
- ^ 石井花子『人間ゾルゲ』角川書店<角川文庫>、2003年、pp.303 - 304、316。石井はマイスナーの姓を「マイスメル」と表記している。
外部リンク[編集]
- スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜 - allcinema
- スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜 - KINENOTE
- スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜 - 映画.com
- Spy Sorge: Shinjuwan zenya - IMDb(英語)
- Qui Quiêtes-vous、Monsieur Sorge? ユニフランス
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