交換様式三部作の完結
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結局マルクスは信用というものを理解しなかった。それは相対的剰余価値を二次的なものとしたこととと関連する。
マルクスは資本論第2巻の再生産表式をカレツキ的に展開しないと評価出来ない。
以下の信用主義者が重要なのにマルクス信者は読もうとしない。
プルードン
リスト
フィヒテ
ゾンバルト
デューリング
┏━━━━━━━┳━━━━━━━┓
┃世界史の構造 ┃力と交換様式 ┃
┃(2010、 ┃(2022、 ┃
┃ 2015) ┃ 2026) ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃トランス ┃ NAM原理 ┃
┃クリティーク ┃(2000) ┃
┃(2001) ┃ ┃
┗━━━━━━━┻━━━━━━━┛
『力と交換様式』の構造 序論0:①~⑨
┏序文━━━┳『世界史の構造』の構造━━━━━━┓ ┏━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━1:③マルクス
┃ ┃アジア ┃2(氏族社会)1 ┃ ┃2:2~⑤┃2:1~⑤┃ 1:2┃予備的考察┃
┃ 1国家 ┃3世界帝国┃贈与と呪術┃ 定住革命┃ ┃封建制 ギリシア・ローマ:①~⑨┃力とは0:①~⑦
┃ 第2部 ギリシア 第1部 ┃ ┃ゲルマン ┃古典古代 ┃交換様式B┃様式Aと力:1⑦
┣━━━世界=帝国━━━╋━━ミニ世界システム━┫ ┣2世界史の構造と「力」╋1交換から来る「力」━┫
┃ (B)アジール┃ (A) ┃ ┃2:3~⑥┃ ┃1:3 ┃ 1:4:~⑨
┃ ┃ ┃ ┃序説 ┃ 絶対王政と宗教改革 ┃交換様式C┃交換様式Dと力
┃2世界貨幣┃4普遍宗教┃ ┃交換様式論┃ ┃③④ヴェーバー ┃:①~⑦ ┃:①アジール
┣━━━━━╋━━━━━╋━━━━━╋━━━━━┫ ┣━━━━━╋━━━━━╋━━━━━╋━━━━━┫
┃ ┃3 ┃ ┃ ┃ ┃3:2~⑦┃3:1~⑦┃4:2:①~⑤ 4:1~⑥
┃1近代国家┃ネーション┃ ┃ ┃ 資本=国民 ┃経済学批判┃社会主義の┃社会主義の┃
┃ 第3部 ┃ 第4部 ┃ =国家②カント③ヘーゲル┃科学 二┃科学 一┃⑥
┣━近代世界システム━━╋━━━現在と未来━━━┫ ┣3 資本主義の科学━━╋━4 社会主義の科学モーガン
┃ (C)4 ┃1 (D) 2 ┃ ┃3:3~⑥┃ ┃4:3:①~⑨ ┃
┃2産業資本┃アソシエー┃世界資本主┃世界 ┃ ┃資本主義の終わり 社会主義の科┃ ┃
┃ ┃ショニズム┃義の段階と┃共和国へ ┃ ┃⑥エンゲルス 学三①②⑥⑦┃ ┃
┗━━━━━┻━━━━━┻反復━━━┻━━━━━┛ ┗━━━━━┻━━━━━┻━ブロッホ┻━━━━━┛
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃代表機構 ┃ 移動 ┃ 1:1 ┃ 1:2 ┃
┃ ┃ ┃カント的 ┃綜合的判断┃
┣━━━━2:1━━━━╋転回━第一部━━の問題┫
┃ 移動と批判 ┃ カント ┃
┃恐慌として┃アナキスト┃ 1:3 ┃ イントロ┃
┃の視差 ┃たち ┃超越論的と┃ダクション┃
┣微細な差異╋━━━━━╋━━横断的╋━━━━━┫
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ :1 ┃ 2:2 ┃ 国家と ┃ネーション┃
┃ ┃綜合の危機┃ 2:4 ┃
┣━━━━第二部━━━━╋トランスクリティカルな┫
┃ マルクス ┃対抗運動 ┃ ┃
┃ 2:3 ┃ :4 ┃ ┃ 可能なる┃
┃価値形態と┃ ┃ 資本と ┃コミュニズム
┗剰余価値━┻━━━━━┻━━━━━┻━━━━━┛
力と交換様式2026:書評
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力と交換様式2026~ブロッホその可能性の亜周辺~
本書の要約は他の優秀なレビュアーさんたちがやっているので単行本版2022との比較を中心に以下述べる。
定本文庫版は単行本版本文中の一部書誌(及びマルクスの長い引用文)を巻末脚注を回したので読みやすくなっている(詳細確認したい人は逐次巻末をめくる必要があるので一長一短だが引用元は頁数が追加されているので助かる)。
各思想家の生年没年併記の追記拡大もありがたい。
序文、後半は刈り込んでいる箇所があるので全体としてはコンパクトになった印象。逆に第一部のキリスト関連の脚注の論考を本文に組み込んでおり、その箇所は読み応えが増している。
2022年175頁にあった聖書についての共通資料(Q資料)については今回2026年版では割愛された。したがってマルコ最古説も割愛。とは言え引用はマルコ伝からが多い。
仏教についてもカニシカ王関連で最新の知見が追加されている。
(2022版29頁のアルフレッド・ビネーの名が2026年版27頁ではリヒャルト・フォン・クラフト=エビングに訂正されている。)
印象的な加筆箇所は先述の第一部におけるキリストと第二部、第四部終盤におけるブロッホ関連である。
単行本では第四部中間部にいきなりブロッホが現れてアソシエーションを示唆していたが、唐突感は否めなかった。
この岩波現代文庫版は第二部でブロッホのアウグスティヌス論が引用され、ブロッホを通して思考が貫かれている。ブロッホその可能性の亜周辺といった趣だ(追記:アウグスティヌス紹介の前段、Aの高次元の回復を提示している文庫版2:1:①221頁のヘーゲル批判も以前よりかなりわかりやすく書き換えられていた)。
これは第四部の加筆された最終結論部(アウグスティヌスの用語では恩寵)に関係する。
要するにブロッホやカントが目指した未来社会の展望に際し彼らが心に留めていた宗教を甘くみてはいけないということだ。旧約聖書の預言者へのコメントも(相変わらずヴェーバー経由なので多少バイアスはあるが*)より精度を増している。
参考:
柄谷行人『力と交換様式』(2026)の構造 序論0:①~⑨
┏━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━1:━┓③マルクス
┃2:2~⑤┃2:1~⑤┃ 1:2┃予備的考察┃
┃封建制 ギリシア・ローマ:①~⑨┃力とは何か:0:①~⑦
┃ゲルマン ┃古典古代 ┃交換様式B┃交換様式Aと力:1:①~⑦
┣2世界史の構造と「力」╋1交換から来る「力」━┫
┃2:3~⑥┃ ┃1:3 ┃ 1:4 ┃
絶対王政と宗教改革 ┃交換様式C┃交換様式Dと力
┃③④ヴェーバー ┃:①~⑦ ┃:①~⑨ ┃
┣━━━━━╋━━━━━╋━━━━━╋━━━━━┫
┃3:2~⑦┃3:1~⑦┃4:2:①~⑤ 4:1:①~⑥
資本=国民 ┃経済学批判┃社会主義の┃社会主義の┃
=国家②カント③ヘーゲル┃科学 二┃科学 一┃⑥モーガン
┣3 資本主義の科学━━╋━4 社会主義の科学━┫
┃3:3~⑥┃ ┃4:3:①~⑨ ┃
┃資本主義の終わり 社会主義の科┃ ┃
┃⑥エンゲルス 学三①②⑥⑦┃ ┃
┗━━━━━┻━━━━━┻━ブロッホ┻━━━━━┛
(ここで普遍宗教の位置付けが『世界史の構造』2:4から『力と交換様式』1:4へ移行したことを注記したい。両書の構造は同じで2はBで1はAである。それはここ10数年で柄谷行人によるAの重視傾向が強くなったことを意味する。『世界史の構造』執筆以降に自身も語るようにエンゲルス再評価、デリダ『マルクスの亡霊』からの影響がある。ただし本書と相互主義である幾多の記述、特にプルードンのマルクスへの手紙が入っている『世界史の構造』は後からでも目を通した方がいい。)
┏序文━━━┳『世界史の構造』の構造━━━━━━┓
┃ ┃アジア ┃2(氏族社会)1 ┃
┃ 1国家 ┃3世界帝国┃贈与と呪術┃ 定住革命┃
┃ 第2部 ギリシア 第1部 ┃
┣━━━世界=帝国━━━╋━━ミニ世界システム━┫
┃ (B) ┃ (A) ┃
┃ ┃ ┃ ┃序説 ┃
┃2世界貨幣┃4普遍宗教┃ ┃交換様式論┃
┣━━━━━╋━━━━━╋━━━━━╋━━━━━┫
┃ ┃3 ┃ ┃ ┃
┃1近代国家┃ネーション┃ ┃ ┃
┃ 第3部 ┃ 第4部 ┃
┣━近代世界システム━━╋━━━現在と未来━━━┫
┃ (C)4 ┃1 (D) 2 ┃
┃2産業資本┃アソシエー┃世界資本主┃世界 ┃
┃ ┃ショニズム┃義の段階と┃共和国へ ┃
┗━━━━━┻━━━━━┻反復━━━┻━━━━━┛
3:4:③にプルードンのマルクスへの手紙
┏━━━━『トランスクリティーク』構造図━━━━┓
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃代表機構 ┃ 移動 ┃ 1:1 ┃ 1:2 ┃
┃ ┃ ┃カント的 ┃綜合的判断┃
┣━━━━2:1━━━━╋転回━第一部━━の問題┫
┃ 移動と批判 ┃ カント ┃
┃恐慌として┃アナキスト┃ 1:3 ┃ イントロ┃
┃の視差 ┃たち ┃超越論的と┃ダクション┃
┣微細な差異╋━━━━━╋━━横断的╋━━━━━┫
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ :1 ┃ 2:2 ┃ 国家と ┃ネーション┃
┃ ┃綜合の危機┃ 2:4 ┃
┣━━━━第二部━━━━╋トランスクリティカルな┫
┃ マルクス ┃対抗運動 ┃ ┃
┃ 2:3 ┃ :4 ┃ ┃ 可能なる┃
┃価値形態と┃ ┃ 資本と ┃コミュニズム
┗剰余価値━┻━━━━━┻━━━━━┻━━━━━┛
柄谷行人の今世紀の思考はアソシエーションからネーションへと反時計回りに遡行し続けている。
柄谷行人にとってカントがダンテにとってのウェルギリウスだ。マルクスは…ベアトリーチェか…
┏━━━━━━━┳━━━━━━━┓
┃世界史の構造 ┃力と交換様式 ┃
┃(2010、 ┃(2022、 ┃
┃ 2015) ┃ 2026) ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃トランス ┃ NAM原理 ┃
┃クリティーク ┃(2000) ┃
┃(2001) ┃ ┃
┗━━━━━━━┻━━━━━━━┛
今世紀柄谷行人のその他の著作に、帝国の構造(2014)、遊動論(2014)ほか。
本来の文学はアソシエーションを例示する。柄谷は文学から離れることで本来の文学へ近づいている。
本書に話を戻すと、
マルクスとフロイトを合わせた認識が普遍宗教の検証において墨子、トマス・モア、エンゲルス、ブロッホの再評価を伴う。
本書は読者が交換様式について理解しているのを前提としているが、本書全体を貫くのは交換様式Dに導きたいという人類愛と言ってもいい倫理的使命感なので、そこにブレはなく一気に読める。
以下個人的感想など。
柄谷の交換様式論は自由と平等のパラメータが交差し四つの象限(ネーション・国家・資本・X)をつくるというもので、これはカントのカテゴリー(質・量・関係・様相)とフラクタルな関係を持つと思うがそれは同時にマルクスの脱ヘーゲルの際の思考様式でもある(柄谷行人の言う力はカントの言うアンチノミーのようである。望まないがやってくる。得られないが手を伸ばさざるを得ない。物神が資本に対応するようにそうした力はアンチノミーのようにカテゴリーごとに様相を変える)。
Aマナ/霊/欲動/フェティシズム
Bリヴァイアサン
C物神
Dアジール/アソシエーション/超自我(A)/ユートピア的意志/普遍宗教/社会主義
マルクスはヘーゲルではなく柄谷行人が言うようにカントの弟子なのだ(『「力と交換様式」を読む 』文春新書70頁**~ちなみにマルクスは若い頃カントの法学を勉強していた)。
Xはカントの用語では統整的理念でもあるが構成的理念から否定神学的に明確化されるというのが柄谷の発見だ。否定神学を批判哲学と言い換えることもできる。
第三部のプルードン関連がもっと加筆されるべきだが、そうしないのはマルクスの思考様式を踏まえていることの現れだろう。
数学を選んだワルラスに対しマルクスの物神は信用主義を内包するというのが柄谷の主張だろうがプルードン(第四部での記述は単行本版より減っている)を中心に据えた方がわかりやすいのではないかと思う。
(エンゲルスのミュンツアー再評価は武力革命信仰を加速させただけだ。『世界史の構造』で引用されたプルードンの手紙が重要。)
プルードンの交換銀行の試みが示すのは信用主義こそが物神を内包する現実であり、それは国家として考えれば総資本を意味する。総資本(292,3:1脚注)はプルードンの用語では集合力となるだろう。集合力は相対的剰余価値とマルクスが命名したものだが相対的という分析志向からくる命名が本来本質的なものを二次的なものだと誤解させてしまった…と自分は考える。
本書はマルクス主義を否定しマルクスを延命するものだが来るべき交換様式Dにマルクスは必要ないと思う。むしろスピノザにマルクスは内包される。
要約すると、経済学史的には金属主義は信用主義***に内包され、哲学的にはマルクスはスピノザに内包される。本書にスピノザへの言及はないが、本書を貫くのはスピノザ的思考だ。
(信用主義は柄谷行人の言葉を借りて「交換(様式)」主義と言ってもいい。
観念論と唯物論の間の齟齬の検討も交換(様式)主義である。
バブルの拡大だけが信用主義ではない。バブルの着地こそが信用主義なのだ。
交換主義はヒュームの原理****と同じだ。)
スピノザ体系なら物神と唯物論はセットで思惟と延長に位置付けられるだろう。
神と自然(汎神論として同一視されるがニュアンス的には思惟と延長)も内在的だが、それらは見方次第で外在的にも見えるのは不思議ではない。
批判哲学はスピノザ哲学と結論Xを共有し得る。
脚注に的確に書名が出てくる柄谷の過去の著作(世界共和国へ、世界史の構造、帝国の構造~0:0注冒頭、哲学の起源~0:0:⑤,2:2、遊動論~1:1、歴史と反復~1:4,4:2、トランスクリティーク~3:1、憲法の無意識~あとがき)を読み直したくなる。
注
ヴェーバーやマルクス、デュルケムよりゾンバルトが再評価されるべきだ。
歴史学派周辺の方が信用貨幣についての理解が正しい。歴史学派周辺でもヴェーバーは少し偏っている。ゾンバルト『ユダヤ人と経済生活』を読んではじめてバランスが保てる。
リストなど歴史学派周辺は信用貨幣論的に近年再評価されている。
柄谷行人は『反デューリング論』を評価していない分意味合いは薄れるが、リービッヒ受容などのトピックを含め、デューリングとエンゲルスの関係も再検討する必要がある。
エンゲルスはリスト、デューリングなど自分が批判した人間に多くを負っている。
**
《…実は、私はカントのことはずいぶん長い間忘れていたんですが、最近あらためてカントのことを考えるようになった。とくにカントが晩年に語った「自然」についてです。カントは、『永遠平和のために』のなかで、社会の歴史を「自然の隠微な計画」として見ました。つまり、そこに、人間でも神でもない何かの働きを見出したんです。「自然」は、ヘーゲルの「精神」のようなものではないし、「神」の言い換えでもないと思います。明らかに物理的な意味での自然ですから。だけど、「自然の隠微な計画」は、単なる唯物論でもないわけです。私が考えた交換様式も同じなんじゃないかと思ったんですね。神が出てくるのではなく、交換様式Dが出てくる。Dは「自然」なんですよ。うまく説明できませんけど、カントは「神」という言葉をみだりに使わなかったわけです。「統整的理念」にもそういう謎めいたところがあるけれど、自分がやっていることはカントに近いということを、今度の本を書き終える段階であらためて思いました。マルクスは『資本論』で、ヘーゲルの弟子と名乗ったけど、違いますね。カントの弟子ですよ。》
(文春新書70頁。定本322頁3:2:②参照)
(邦訳マルクス全集40所収の1837年11月の父への手紙にカント法学を勉強して間違えたとある。学生時代、マルクスはカント哲学と近かった。)
***
(以下は本書1:0:⑤*62頁の《国家の介入を斥ける「自由主義」を唱え》たとされるスミスについての記述に関連する。スミスが《金銀貨幣を特別視する考えを否定した》のは正しいが…。ちなみに『世界史の構造』2:1:⑥*126頁のウェーバーの官僚制の記述、3:2:③*303頁のケインズの有効需要の話とも関係する。信用の問題は『トランスクリティーク』24頁及び2:2:⑤*331頁などで主要な課題として問い続けられている。本書1:2:②*154~155頁の貨幣と国家の関係についても誤解を生む記述になっている。「国家の保証」が必要というより「国家が税に採用する保証」が必要であると正確に言わねばならない。)
トラクリ2:2:④文庫版328頁より
《…だが、最初には物品であったものが最後には貨幣となったということは、いかにして可能であるか? [中略]偉大にして権力ある浪費者が、すなわち国君が、自分の臣民たちから(物品としての)この材料で貢租を徴集し、そしてまた、この材料の調達に費やす勤労がそのことによって刺激されるべき者たちに、(市場あるいは取引所における)彼らのあいだの、また彼らとの取引関係一般の諸規定に従って、まさに同じ材料で支払う場合が、そうである。──そういうことによってのみ(私の意見によれば)或る物品が臣民たち相互間における勤労の取引関係の、かくしてまた国富の取引関係の法定の手段、すなわち貨幣となりえたのである。
(『人倫の形而上学』第一部、吉澤傳三郎・尾田幸雄訳、「全集」第一一巻、理想社)[139頁。岩波全集版11では123頁。]》
このようにカントはスミスの貨幣国定説、租税貨幣論を受け継いでいるが、柄谷はこのカントの言葉を(その前段のみを取り上げて)労働価値説を受け継いでいると要約する。
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部 世界の大思想上
スミス=カントは労働価値説を前提に含むが大枠では貨幣国定説である。
フィヒテの表券主義からは金属主義に見えるが、カントの租税貨幣論は一般常識的範囲ではあっても現代貨幣理論と大枠で齟齬はない。
柄谷行人の言う交換様式Bと交換様式Cの違いはマネタリーベースとマネーストックの違いに対応する。
イングランド銀行創設における大和解は交換様式B内におけるB'C'の結合に過ぎない。
また、マルクスが資本論3:35:2で旧教と新教に分けたのは逆だ。
重金主義より信用主義の方が古いのだから。
新教がユダヤ教のリバイバルというハイネの意見は正しい。
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論理主義の代表フレーゲに「ヒュームの原理」(略称HP)というものがある(命名はジュージ・ブーロス『フレーゲ哲学の最新像』)。数を認識する時、一対一対応が最も確実で、幾何学等の延長は不確実になるというもの。
「ヒュームの原理」は、フレーゲの『算術の基礎』(§63、著作集2勁草書房122頁)において、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』第1巻第3部第一節からの引用というかたちで言及されているという。「例えば、二つの数を集成する各々の単位がそれぞれ常に相応するとき、我々は二つの数が等しいと宣言する。」(岩波文庫人性論1p123)。
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