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政治経済学の国民的体系 : 国際貿易・貿易政策およびドイツ関税同盟 上巻
上
https://dl.ndl.go.jp/pid/3046686/1/113?keyword=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B9
占松を受け取ったのではなく他国民に比較してただ時間的に優越していたにすきぬ有力な国民と、同等の地位にこうとする一の手段であるかぎりーこの見地から考察すれば、保護制度は、諸国民の第極的同盟の、したがって式の自由貿易の最も重要な手段のようである。思うに、国民経済学はこの見地から言えば、諸国民の現在の利害と固有の決酸とを認め、いかにすれば各国民を経済発達の一定設!この段階において、発達度を同じうする他の諸国民との結合したがって自由貿易が、各国民によって可能となり有用となるであろうーに到達せしめうるかを教える科学である。
だが、学派は二つの学説を互に混同した。学派は諸国民の状態を純万民的則にしたがって物断し、生産諸力の万民的傾向を政治的理由から選認す
大きな誤器に陥っている。
生産諸力の万民的領向を誤認したから
マルサスは人口の増加を制限しょうとするが如き設認を犯すこと
ができー最近に至ってチャーマーとトレンズとが、資本の増加と無制限の生産とは害悪であり、それらに限界を与えることは一般の福利を促進するものである、という不思議な見解を発表することができ、シスモンデイは工場を以て公安を害するもの、と宝言することができたのである。かくてこの理論は自分の子供を一呑みにする悪魔に似ている、それは人口と資本と機械との増加から分業を生ぜしめ、分業から社会の幸福を説明しておきたがら、最後に至って、これらの力を目して国民の幸福を脅かす怪物と見している、というのは、その理合かただ個々の国民の現状のみを眼中に置き、地球全土の状態と人類のご来の進歩とを考慮に入れないからである。
人口は生活資料の生産よりも大きた割合で増加する、ということは真実でない。地球上には幾何とも知れぬ天
然力が数置されており、それを利用すれば、現在生存している十倍の人間が、恐らくは百倍の人間が強われうるであろうかきり、このような不均を仮定し、現は技巧的計算によりまたは弁的議論によって論証しようとするが如きは、少なくとも思かな話である。
一般に生産路力の現在の力をとって、一定地域に何の人間が生存しうるかを測るべき尺度となすのは、狭い考えである、かかる計算によれば、未開人や楽師や漁夫は百万人に必要な場所を、牧畜者は一千万人に必要な場所を、粗放的染家は一人に必要な場所を、それぞれ地球上に持ってはいなかったであちる。しかも現在=ーロッパのみに二億の人間が生存しているのだ。馬鈴薯と飼草との栽培および貴業一般における近来の改良は、生活資料を出すべき人類の生産力を十倍にも増加させた。中世において、イギリスでは一ニーカーの土地の小麦産額は図倍に増加し、今日では十乃至二十倍となっており、加ろるに耕作地は五倍以上に加している。しかるにイギリスの土地と同様の天然の豊沢性を有する多数のローロッパ諸国では、その額は今日四倍以上には増加していない。更にまた、誰が人類の発見と発明と改良とに限界を加えようとするのか。農業化学は未だ幼稚である、しかしながら明日にでもなんらかの新発明または新発見によって土地の産出力が五倍十倍になることなし、とは誰が保証しうるであろうか、現代でさえすでにわれわれは、アルテスの泉の中に、不毛の草野を肥沃の田野に一変せしめる手段を有している。その上なおどんな力が大地のふところに隠されているかわからない。試みにわれわれが新たな発見によって、現在知られている燃料の力をかりずに、至る所で安価に熱を作ることができるようになった場合を想像してみよ。それがためにどれだけ広い面の土地が作され、また一定面織の土地の生
第十一章 政治経済学と万民離済学
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第二篇理給
産力が不断にどれだけ増進せしめられることである
マルサスの学説は、その意図においては限定的なものの
ようにわれわれには思われるが、その手段においては自然に背くもの、論理と力とを殺すもの、恐るべきものとして現れる。それは、自然が人間をしてその肉体と精神とを緊張せしめ、その尚な感情を喚起・脊成せしめるために最も有効な手段として使用する動ー人類がその進歩の大部分をそれに負わなければならないところのその衝動を、殺そうとする、それは最も無情な利己主義を法則にまで引き上げようとするものであり、またえている者に食物や飲物を与えれば、恐らく三十年以内に他の者がかれの代りに加えるに相途なかろうという理由で、その飢えている者に向ってわれわれの心を閉じることを要決する。それは打算を同情に置きえようとする。
この学説は人間の心を石に変化させるであろう、しかしながら、各人がその胸のうちに心のかわりに石を懐いているような国民から、結局何が期待されようか、国民のすべての道徳、したがってまたすべての生産力・すべての賞・すべての文明および勢力の徹底的改落以外に、何が期待されようか。
ある国民においてその人口が生活資彩の生産よりもおり多く加する場合、結に資本がひどく増加してもはやその国民の中ではその使途が見出されたい場合、機械が大人間を失業せしめ製品が過剰をきたす場合、これらの場合は知ち、自然は工業・文明・富および勢力をある国民にだけ与えるを欲したいということ、また排作し
うべき地上の大部分は動物のみの棲む場所となっていて人類の最大多数は然として未開と無知と貧困とに沈んでいるということ、の証拠にすぎない。
学派が人類の生産力を政治的見地から判断することによっていかなる割に踏ったかは、われわれの説明した
ところである。今やわれわれは、学派が諸国民の特殊利益を万民的見地から考察することによって犯した教をも、指摘しなければならない。
北アメリカ合衆国に成立しているような諸国民の同盟が実際に成立するとすれば、人口・才能・熟および数
質的資本の過刺部分は、あたかもそれがアメリカ合衆国の東部諸州から西部諸州へ流入するよろに、イギリスがら大陸路国へ向って逃れて行くであろう。但しそれには、生命および財産に関する同一の保証・同一の法および同一の一般的法律が大陸路国に存在するということ、またイギリス政府が世界的連合の総休志に展従するということ、この二つを前提とする。この前提の下では、これらの諸園とイギリスとを富と文明との同一段階に高めるための手段としては、自由賀場に勝るものはないであろう。これが学派の論拠である。ところが、現在の世界情勢の下では自由貿易の作用はどうであろうか、
自主的な・それ自体においてまとまれる国民としてのプリテン人は、以後その国民的利益を以て政治の準一の指針とするであろう。イギリス人は、その言話を、その法律および講度を、その横習を確受して、その力とその資本とをできるかぎり国内産業に投するであろう。なぜならば、自由易はそれがイギリスの製造品市場をあらゆる諸国にまで拡大することによって、そうする会をイキリス人に充分与えるからである。イギリス人がフラソス波はドイツに工業を起そうと思いつくのは容易なことではなかろう。通刺本はすべて、以後イギリスでは世界の未知の地方との貿易に利用されるであろう。イギリス人は、移住したりその資本をイギリス以外の他の場所へ投下したりする場合になると、隣りの大陸諸国を選ばずに現在のように先ず自国の言路・自国の法律および
第十一章 政治経済学と万民能済学
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下
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政治経済学の国民的体系 - Wikipedia
『政治経済学の国民的体系』(Das nationale System der politischen Oekonomie)とは1841年にドイツの経済学者フリードリッヒ・リストによる研究である。
概要
1789年にドイツで生まれたリストは幼稚産業論を主張し、スミスやリカードによって主張されてきた貿易自由化の議論に異議を唱えた経済学者である。リストが生まれた当時、ドイツの工業はイギリスの製品が大量に輸入されたために壊滅的打撃を受けた。そのためリストは国家の産業を育成するために貿易自由化を規制する必要を論じた。本書『政治経済学の国民的体系』とは観察、理論化、比較、政策提言から成り立っており、貿易自由化を批判している。
段階的発展
経済発展が段階的に前進することを指摘している。つまり農業が基盤にある経済で工業が確立されるためには科学技術の知識が導入されなければならず、また生産手段を準備する必要もある。つまり産業として工業が自立するためには時間がかかる。これをリストは「幼児や少年が格闘で強壮な男子に打ち勝ちがたい」と述べており幼稚な産業を自由競争に晒せば発展が阻害されると考えた。リストは経済発展のモデルとして未開状態、牧畜状態、農業状態、農工業状態、農工商業状態の五段階を提示した。まず農業によって国家の経済的基盤を確立すれば、工業を振興するための条件を整えることができる。ただし工業の発展のためには知識、技能、熟練が必要であるために政府によって保護しなければならない。重要なことは工業を育成することであり、国内の工業が需要に対する供給能力を備えれば、保護関税は段階的に廃止する。最終的には自国の工業が自由貿易によって駆逐されない程度に発展すれば、貿易の制限を撤廃することもできる。
精神的側面
経済の物質的側面だけではなく精神的側面にも着目しなければならないと論じている。それは社会関係や制度、そして産業の基礎となる知識体系である。スミスが『国富論』で明らかにした分業とは生産法の共有という社会関係が機能して初めて成立するものである。これをリストは精神的な国民資本として重要視しており、教師や行政官などによって蓄積されることが経済発展には不可欠であると考えられる。
邦訳
- 正木一夫訳『政治経済学の国民的体系』勁草書房、1965年
- 小林昇訳『経済学の国民的体系』岩波書店、1970年(オンデマンド版、2014年 ISBN 9784007301506)
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