経済学批判と信用貨幣論
https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/04/blog-post_23.html @
https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/924427905625580074
ジェイムズ・スチュアート
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/07/james-steuart-economist-17121780.html
《象徴的貨幣または信用貨幣は、ステュアートは貨幣のこのふたつの形態をまだ区別してはいない、ー購買手段または支払手段としての貴金属に、国内流通ではかわることができるが、世界市場ではかわることができない。だから、紙幣は社会の貨幣(money of the society)であるが、金銀は世界の貨幣(money of the worla)である。*》
*
スチュアート「産経済学の諸原理にかんする研究」、第二巻、370頁。
マルクスはスチュアートを高く評価している。
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/06/alexander-hamilton-1755-1804.html
計算貨幣
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/09/blog-post_86.html
世界史の構造
1 マルクスのヘーゲル批判
現在の先進資本主義国では、資本=ネーション=ステートという三位一体のシステムがある。それはつぎのような仕組みになっている。先ず資本主義的市場経済が存在する。だが、それは放置すれば、必ず経済的格差と階級対立に帰結してしまう。それに対して、ネーションは共同性と平等性を志向する観点から、資本制経済がもたらす諸矛盾の解決を要求する。そして、国家は課税と再分配や諸規制によって、その課題を果たす。資本もネーションも国家も異なるものであり、それぞれ異なる原理に根ざしているのだが、ここでは、それらが互いに補うように接合されている。それらは、どの一つを欠いても成立しないボロメオの環である。
これまで、このような仕組みをとらえようとした者はいない。だが、ある意味で、ヘーゲルの『法の哲学』がそれを把握しようとしたということができる。ただし、ヘーゲルは資本=ネーション=ステートを窮極的な社会形態として見ており、それを越えることを考えなかった。とはいえ、資本=ネーション=ステートを越えるためには、先ず、それを見出さなければならない。したがってまた、ヘーゲルの『法の哲学』を根本的に批判(吟味)することから始めなければならないのである。
マルクスは青年期に、ヘーゲル法哲学の批判から知的活動を開始した。その際、彼は、ネーション=ステートを至上の地位におくヘーゲルの体系に対して、国家やネーションは観念的な上部構造であり、市民社会(資本主義経済)こそが基礎的な下部構造であると考えた。のみならず、彼はそれを世界史全体について適用しようとした。たとえば、マルクスはつぎのように書いている。
わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、簡単につぎのように公式化することができる。人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、〔古典〕古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである(1)。
[世界史*3]
このような見方は、のちにエンゲルス以下のマルクス主義者によって史的唯物論と呼ばれている。ここで問題なのは、国家・ネーションを、芸術や哲学などと同じ観念的な上部構造と見たことである。それは、国家が能動的な主 体であると考えていたヘーゲルを批判し、国家をたんに市民社会によって規定される観念的対象とみなすことである。
(1) 『経済学批判』序言、武田隆夫ほか訳、岩波文庫、一三─一五頁。 戻る
現実には、はじめから等価物になりやすい素材があった。そして、それらの中で一般的な等価物となるものが生まれ、さらに、その中から、貨幣形態が生まれたと考えられる。したがって、金や銀が貨幣となったのは、たんなる偶然ではない。それらは、「任意に分割しうるということ、諸部分が一様であるということ、その使用価値が耐久的であること」[世界史*145](『経済学批判』)という、世界貨幣の条件を満たしていたからである。それは「生まれながらに一般的等価の社会機能に適した商品」である。だが、この点を強調しすぎると、金や銀には貨幣となる必然があるという考えに陥ってしまう。だから、先ず、素材ではなく、貨幣形態こそが大事なのだということを強調する必要があるのだ。そして、それを念頭においた上で、はじめて貨幣の歴史的な生成について考えることができる。
4 世界貨幣
力と:
1:0:⑦
とはいえ、交換様式の歴史的変容について論じる次章以降では、便宜上、史的唯物論の「定式」に大まかに従うことにする。それは、次のようなものである。《(前略)大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、〔古典〕古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる(15)》。少し説明すると、「アジア的」(もしくは「オリエント的」)にはインド、中国、エジプト、メソポタミアなどの古代王朝国家が、「古典古代」には古代ギリシア・ローマに発展したポリス型の市民共同体が、封建制には古代から中世にかけての「ゲルマン的」社会が該当すると解釈されている。このモデルは、歴史学的、民俗学的、文化史的な説明ではなく、あくまで生産様式の発展を捉えるための理論的枠組みである。
(15) 『経済学批判』序言、岩波文庫、一四頁
けれども困難は、ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展形態とむすびついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれにたいしてなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では規範としての、到達できない模範としての意義をもっているということを理解する点にある。
おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。子供のような性質のひとにはどんな年代においても、かれの本来の性格がその自然のままの真実さでよみがえらないだろうか? 人類がもっとも美しく花をひらいた歴史的な幼年期が、二度とかえらないひとつの段階として、なぜ永遠の魅力を発揮してはならないのだろうか? しつけの悪い子供もいれば、ませた子供もいる。古代民族の多くはこのカテゴリーにはいるのである。ギリシャ人は正常な子供であった。かれらの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、その芸術が生い育った未発展な社会段階と矛盾するものではない。魅力は、むしろ、こういう社会段階の結果なのである、それは、むしろ、芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的諸条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである(2)。
(2) 「経済学批判序説」『経済学批判』岩波文庫、三二八─三二九頁
トラクリ:
4 貨幣の神学・形而上学
共同体の「間」に育つ、商人資本あるいは商品経済は、原理的に、世界性をもっている。イギリスで産業資本が確立した後に出てきた古典経済学者は、商人資本あるいは重商主義を見下して否定した。しかし、資本制生産は重商主義あるいは重金主義のなかではじまったのだ。部分的でしかない資本制生産が世界を動かすとしたら、その力は商品経済の社会性(世界性)から来るのである。
《貨幣が世界貨幣に発展するように、商品所有者はコスモポリタンに発展する。人間同士の間のコスモポリタン的関連は、もともと、ただかれらの商品所有者としての関連にすぎない。商品はそれ自身、宗教的、政治的、国民的、言語的なすべての障壁を超越している。商品の一般的な言葉は価格であり、その共通の本質は貨幣である》(『経済学批判』同前)。
たとえば、カントのコスモポリタニズムの現実的基盤は、商品経済にある。実際、彼は商業の発展に「恒久平和」の基礎を見いだしていた。
産業資本主義が優位に立った時代の古典経済学者において見失われたのは、商品経済がもつ「神学的」性格である。若いマルクスはいった。《ドイツにとって宗教の批判はもう終わっている。そして、宗教批判はあらゆる批判の前提である》(『ヘーゲル法哲学批判序説』花田圭介訳、「マルクス=エンゲルス全集」第一巻、大月書店)。さらに「宗教の批判は現実の批判にとって代わらねばならない」と書く。しかし、彼がそう言ったのは、宗教を理性的に廃棄させようとする啓蒙主義者に対してであった。《民衆の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の現実的幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてえがく幻想をすてろと要求することは、その幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。宗教の批判は、したがって宗教を後光とするこの苦界の批判をはらんでいる》(同前)。マルクスがいわんとするのは、宗教は「現実の不幸」に根ざしているので、それが解消されないかぎり宗教を廃棄することはできないということである。宗教をどんなに理論的に批判してもむだである。それは実践的に解決されるほかない。
。。
産業資本が確立した段階、つまり商品経済が労働力の商品化によって全生産を規制しはじめたとき、それ以前の社会を生産の観点から見る視点が開ける。それが史的唯物論である。しかし、産業資本主義を解明することはそれ以前の社会を理解することに役立つが、その逆は真ではない。
《人間の解剖は猿の解剖への鍵である》(「経済学批判序説」『経済学批判』同前(55))。
資本制経済は、生産力と生産関係、あるいは下部構造と上部構造といった概念では理解できない。われわれが知るべきなのは、資本が人間の「交換」に存する困難に胚胎すること、したがってそれを廃棄するのは容易ではないということだ。しかし、不可能ではない、と付け加えておこう。
。。
別のところで、マルクスはこういっている。
《W─G。商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛躍は、私が別の所で言ったように(『経済学批判』)、
商品の生命がけの飛躍〔salto mortale〕である。これに失敗すれば、商品のほうは打ちのめされはしないが、しかし商品所有者はおそらく打ちのめされる》(第一巻第一篇第三章第二節a、鈴木他訳、同前)。だが、売れなかったときは、多くの場合廃棄されてしまうのだから、商品も「打ちのめされる」だろう。商品に価値があるかどうかは、このような交換の「命がけの飛躍」によってのみ確証される。売れなかった商品は、キルケゴールがいうように、他者にその根拠を与えられないで、「絶望的に自己自身であろうとする形態」、すなわち「死に至る病」にある。要するに、事後的に見れば、商品は使用価値と交換価値の「綜合」であるが、事前において、それは存在しない。それが実現するためには、他の商品(等価物)と交換されなければならないのだ。
。。。
ヘーゲルは『精神哲学』(『エンチクロペディー』)において、病を、精神の発展段階において低次の段階に固執することと見なしている。或る意味では、フロイトのいったこともその中に含まれる。しかし、フロイトは、たんに低次の段階(幼年期)に遡行しただけではない。正常なる「発展」がいかなる困難の忘却によってなされたかを示したのである。マルクスは古典経済学についてつぎのようにいう。
《 重金主義ないし重商主義にたいする近代の経済学者たちのやむにやまれない闘争は、大部分、この主義が、粗野で素朴な形態で、ブルジョア的生産の秘密を、つまりそれが交換価値によって支配されていることを、口外したことからきたものである。(中略)だから経済学が重金主義と重商主義を批判するのに失敗したのは、それが、この主義を、単なる幻想として、ただまちがった理論として敵視するだけで、自分自身の基本的前提の野蛮な形態として再認識しなかったからである。》
(『経済学批判』第二章C、武田隆夫他訳、岩波文庫)
。。
《 社会的生産関係が対象という形態をとり、そのために労働における人と人との関係がむしろ物同志の関係、および物が人にたいしてとる関係として表示されるということ、このことをありふれた自明のことのように思わせるものは、日常生活の習慣にほかならない。商品のばあいにはこのような神秘化はまだきわめて単純である。交換価値としての諸商品の関係は、むしろ人々のかれら相互の生産的活動にたいする関係だという考えが、多かれ少なかれ、皆の頭のなかにある。もっと高度の生産諸関係にあっては、この単純に見える外観も消えうせてしまう。重金主義のすべての錯覚は、貨幣をひとつの社会的生産関係を表示するものとはみなさないで、一定の属性をもつ自然物という形態においてみたことに由来している。重金主義の錯覚を嘲笑する近頃の経済学者たちでも、かれらがより高度の経済学的諸カテゴリー、たとえば資本をあつかう段になると、たちまち同じ錯覚におちいっていることをさらけだしてしまう。かれらが不細工にもやっと物としてつかまえたと思ったばかりのものが、たちまち社会的関係として見え、そしてようやく社会関係として固定しおえたものが、またもや物としてかれらを愚弄しにかかるばあいにみられる、かれらの素朴な驚嘆の告白のうちに、はからずもかれらの錯覚がばくろされているのである。 》
(『経済学批判』同前)
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貨幣に関する歴史実証の視点 ―貨幣博物館リニューアルによせて―
鎮目雅人
2017
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/cm_201703naritachi.pdf
日本銀行金融研究所貨幣博物館『常設展示リニューアルの記録』2017年
「欲望の二重の一致」の制約を貨幣の起源と結び付けるアリストテレスの説明は、時代を超えて多くの論者によって繰り返し言及されることとなる。例えば、アダム・スミス(1723-1790年)は『国論』の中で、以下のように説明する。
一方に、ある商品を自分が必要とする以上に持っている人がおり、他方に、それを持っていない人がいる状況を考えてみよう。この場合、一方は余った部分を手放そうとし、他方はそれを手に入れようとする。しかし、手放そうとする側がそのときに必要とするものを、手に入れようとする側がたまた法持っていなければ、交換は成立しない。このような状態から生まれる不便を避けるために、分業が確立した後、どの時代にも賢明な人はみな、自分の仕事で生産したもの以外に、他人が各自の生産物と交換するのを断らないと思える商品をある程度持っておくお法をとったはずである。
ここでスミスは、「はずである」という表現を用いている。このことは、スミスの見解が歴史的事象の観察から導かれたものというよりは、理論的考察に基づく推論であることを示している。
スミスをはじめ、「欲望の二重の一」の制約と貨幣の起源を結びつける論者は、さまざまな商品の中で他の商品との交換にした性質を持つ商品(例えば貴金展)が徐々に商品貨幣としての地位を確立していった、との見解を示す。こうした見解を広める役割を果たした有力な経済学者のひとりにカール・メンガー(1840-1921年)が挙げられる。メンガーは、商品によって「販売可能性」が異なるという点を強調し、「販売可能性が高い商品が、他の商品との交換を目的として保有される」貸
幣として選ばれると論じた。
*• Under these circumstances, when any one has brought goods not highly saleable to market, the idea uppermost in his mind is to exchange them, not only for such as he happens to be in need of, but, if this cannot be effected directly, for other goods also, which, while he did not want them himself, were nevertheless more saleable than his own'Men have been led, with increasing knowledge of their individual interests, each by his own economic interests, without convention, without legal compulsion, nay, even without any regard to the common interest, to exchange goods destined for exchange (their "wares") for other goods equally destined for exchange, but more saleable".
カール・マルクス(1818-1883 年)は、その著作の中で貨幣に関して広況かつ詳細に記述している。その際、貨形の起源についてマルクスは「商品貨幣起源説」を採用する。すなわち、「貨幣の分析におけるおもな困難は、貨常が商品そのものから発生するということが理解されれば、たちまち克服される」とする、そして、他の商品との交換が容易な物理的展性(任意に分割しうること、各部分が一様であること、ひとつひとつが無差別であること、使用価値の耐久性があること)を持つ商品が貨幣となるとして、「貴金属はこれらの風性を非常によくそなえている」とする。
マルクスがこのような立場を採った背景には、当時の社会経済情勢とその下でマルクスが抱いていた問題意識が影響しているものと考えられる。マルクスの主たる関心は、19世紀の資本主義の下での産業革命の進行により悲惨な状況下におかれていた労働者の生活実態の原因究明とその解決の道筋の模索にあった。また、マルクスが著作活動を行っていた時期は国際金本位制の確立期にあたっており、18世紀以降のイギリスで本位貨幣としての地位を確立していた金が国際貨幣としての地位を確立するに至る過程にあった。マルクスは、当時における資本主義経済の問題点を描写する経済モデルを構築することに重点を置き、固有の使用価値を持つさまざまな商品が貨幣=金と交換されるにあたり、交換価値と本来その商品が持っていた使用価値との間に乖離が生じるとしたものと推測される。
1-4.「一用貨幣起源説」の系譜
「欲望の二重の一致」の制約が存在することは、必ずしも特定の商品が貨幣として選ばれることとは直結しない。実在する特定の商品(例えば貴金属)を貨幣として利用せずに、当該制約を解消する手立ても考え得る。実際、「商品貨幣起源説」は理論仮説として繰り返し提示されてきたにもかかわらず、証拠としては断片的な事例が挙げられているに過ぎず、必ずしも歴史的に実証されたものではない。
「欲望の二重の一致」が成立していない状況においても、取引の当事者間で相互の借用が存在していれば取引は成立しうるとの見解を示す論者もある。例えば、スタンレー・ジェボンズ(1835-1882年)は、当事者間の用を利用することにより、貨幣を使わなくても「欲望の二重の一致」の制約を克服できると考えていた。ただしジェボンズは、貨幣による取引と言用による取引とを区別しており、借用が貨幣の起源となるとの見方は取っていない"。
貨幣と信用との関係は、最近の貨幣理論でも論じられている。清滝備とジョン・ムーアは、「望の二重の一致」が成立しない状況下で、商品の買い手が売り手に対して将来の債務返済を確実にコミットすることが可能であれば貨幣がなくても取引が成立するとしたらえで、そうしたコミットメントができない状況において、貨幣が存在意義を持つと論じている。こうした考え方に立てば、特定の商品が貨幣に転化したわけではないので、貨幣の素材が金属であるか紙片や木片であるかは重要ではない。
Our approach to modeling money places limited commitment center stage, rather than physical trading frictions. We assume a perfectly competitive environment where agents freely meet and trade in a marketplace, but debtors who issue IOUs (paper) cannot necessarily pledge all of their future income. For moral-hazard reasons, there may be an upper bound, 0 ,, say, on the fraction of future income that a debtor D can credibly commit to repay'?
さらに進んで、貨幣の起源を当事者間の債権債務関係に求め、借用こそが貨幣の起源であるとする論者(ラスキン、イネス等)もある。本稿では、貨幣の起源についてのこうした説明を「借用貨幣
起源説」と呼ぶことにする。例えば、美術評論家であるとともに社会・経済・政治問題についても幅広く論陣を張ったジョン・ラスキン(1819-1900年)は、「貨幣は、いわば財産の権利証書(title-deedof an estate)であり、仮にそれが失われても財産自体がなくなるわけではなく、その財産権の所在が問題となるに過ぎない」と述べている。
Money has been inaccurately spoken of as merely a means of exchange. But it is far more than this. It is a documentary expression of legal claim. It is not wealth, but a documentary claim to wealth, being the sign of the relative quantities of it, or of the labour producing it, to which, at a given time, persons, or societies, are entitled. If all the money in the world, notes and gold, were destroyed in an instant, it would leave the world neither richer nor poorer than it was.
But it would leave the individual inhabitants of it in different relations. Money is, therefore, correspondent in its nature to the title-deed of an estate. Though the deed be burned, the estate still exists, but the right to it has become disputable!.
歴史学者・法学者ミッチェル・イネス(1864-1950年)は、アダム・スミスを批判的に引用しつつこの点をより明示的に論じ、歴史的にみると、初期の貨幣は商品貨幣としてではなく、むしろ取引当事者間の債権債務関係(借用)の標章物から発生したとの見方を示した。
One of the popular fallacies in connection with commerce is that in modern days a money-saving device has been introduced called credit and that, before this device was known, all purchases were paid for in cash, in other words in coins. A careful investigation shows that the precise reverse is true. In olden days coins played a far smaller part in commerce than they do to-day. Indeed so small was the quantity of coins, that they did not even suffice for the needs of the Royal household and estates which regularly used tokens of various kinds for the purpose of making small payments. So unimportant indeed was the coinage that sometimes Kings did not hesitate to call it all in for re-minting and re-issue and still commerce went on just the same.
Adam Smith's position depends on the truth of the proposition that, if the baker or the brewer wants meat from the butcher, but has (the latter being sufficiently provided with bread and beer) nothing to offer in exchange, no exchange can be made between them. If this were true, the doctrine of a medium of exchange would, perhaps, be correct. But is it true?
Assuming the baker and the brewer to be honest men, and honesty is no modern virtue, the butcher could take from them an acknowledgement that they had brought from him so much meat, and all we have to assume is that the community would recognise the obligation of the baker and the brewer to redeem these acknowledgements in bread or beer at the relative values current in the village market, whenever they might be presented to them, and we at once a good and sufficient currency. A sale, according to this theory, is not the exchange of a commodity for some intermediate commodity called the 'medium of exchange,' but the exchange of a commodity for a credit'
「商品貨幣起源説」を否定し国家の法権力に貨幣の起源を求める「貨幣国定説」を掲げる代表
的な論者としてゲオルク・フリードリッヒ・クナップ(1842-1926年)が挙げられる。クナップは、『貨幣
国定学説』において、貨幣を「表券的支払要具」”と定義した。具体的には、劇場のクロークで「脱いだ外套の返還を要求すべきことに対する証拠」として渡される引替札の例を挙げ、「記号を有し目法制が素材より独立した充用を見出している、一定の形態を見えた動かし得る物」として貨幣を捉える。そのうえで、「国家は、法の監督者として・支払要具たるの性質は一定の記号を有する箇
片それ自身に付着せるものにして、箇片の素材に固着せるものにあらざることを宜言する」と述べる。政府が債権債務関係を規定すると考える点に留意する必要はあるが、こうした議論も、社会内部の債権債務関係が貨幣の根底にあるという点では「宿用貨幣起源説」に近いということができる。
ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946年)の見解は、「借用貨幣起源説」と親和的である。ケインズは、イネスの論文が公表された翌年の1914年に、自らが編集長を務めていた The Economic
Jounal誌に書評を載せ、「イネス氏の示した歴史的結論は確固たる根拠に基づいたものであるが、
19 世紀中葉の『健全貨幣』の教義に過度に影響された著者たちによって無視されてきた」と述べた
1%。ケインズは、同じ号にクナップの『貨幣国定学説』の奉者フレデリック・ベンデイクセンによる同書の解説記事に対する書評を載せ、「貨幣に関する古き『地金論者(metallist)』的な見方は迷信に基いたものである」としたうえで、「この古き『地金論者」的な見方とそれに基づく銀行券発行規制は通貨改革の障害となってきた」ので、「こうした見方を撲滅するための基礎を築くことができる教義は、世界にとって非常に有益ではなかろうか」と述べた?。
ケインズは、1930年に刊行した『貨幣論』の中で、「貨幣は文明にとって不可な他の幾つかの要素と同様に、われわれが数年ばかり前までそのように教えられて借じていたものよりも、はるかに古い制度である。その起源は、氷河の氷が溶けつつあった時代の霧の中~没して」いるとした”。
そして、「貨幣の鋳造という行為が、その結果として通常それに帰せられているほど重要な変革をもたらしたとは思わない」とし、「表券主義的貨幣あるいは国家貨幣への推移は、恐らくはそれにはるかに先行していた」と述べた??。
1-5. 文化人類学的研究
文化人類学の分野では、貨幣の起源に関する豊富な実証研究の蓄積がある”。以下では、歴史的観点に立って文化人類学の成果を紹介している福田徳三(1925)を手掛かりにみていきたいで。
福田は、古来の習慣が残存している原始社会において多様な取引が行われ、貨幣ないし貨幣的な要素を持った多様な品物が使用されている様子を詳細に記述している。
福田は、オーストラリアの諸種族間において、①各種族が製作する各種石器の原料の大部分は自己種族産の物でなく、他の種族から交換によって買入れたものであること、②種々の原料や製作品はかなり遠い距離を越えて種族から種族へと交換されて行くものであること、③種族間分業は必ずしも原料品の有無に関わらないこと、④交換媒酌人、貸借、貸借に対する返礼としての贈り物等の事実が存在すること、を明らかにし、原始社会において自給自足を補うための物々交換を遥かに超える規模の流通経済が発達していることを指摘している※。また、オーストラリアの各種族内部において、家族間、男の種族員間などで間断なく財の流通が一般に行われてきたことを示す
日本銀行金融研究所博物館『常設限示リニューアルの記録』2017年
Cambridge University Press, 2014, pp.25-6.
- 「欲望の二重の一致 (double coincidence of wants)」という表現を初めて使ったのはジェボンズであるが、後述のとおり、その概念自体はアリストテレスまで遡る。
- グレゴリー・マンキュー(足立英之・地主敏・中谷武・柳川隆訳)「マンキューマクロ経済学1』入門編、第3版、東洋経済新報社、2011年「第4貨幣とインフレーション」110頁。
- アリストテレス(神崎繁訳)『アリストテレス全集』第15巻、2014年、202頁。
- アダム・スミス(山岡洋一訳)『国宮齢国の豊かさの本質と原因についての研究』日本経済新聞出版社、2007年「第
4章 通貨の起源と利用」25-26頁。なお、『国富』の初刊は1776年。
* Menger, karl, “On the Origin of Money” Economle Joumal, vol.?. June 1892.p.248.
”カール・マルクス(杉本俊訳)『経済学批判』大月店、1953年(初版は1859年)76頁。
10同上55頁。
" Jevons, W. Stanley. Money and the Mechanism of Exchange, Henry S. King & Co., 1875.
13 Kiyotaki, Nobuhiro, and Moore, John, "Evil is the Root of All Money," The American Economic Review, vol.92, No.2, May.
13 Ruskin, John, Munera Pulveris: Six Essays on the Elements of Political Economy, London, Smith Elder and Company, written and first published in 1862, 1863, sold in 1872, reprinted in The Works of John Raskin, volume XVII, 1905. pp.157-8. (5 x‡*.
宇井之助「政治経済要義一のたまもの一」『ラスキン政治経済論集』史楽房、1981年)
" Innes, A. Mitchell, "What is Money?" The Banking Law Journal, May 1913, reprint, edited by Wray, L. Randall, Credit and State Theories of Money: The Contributions of A. Mitchell Innes, Edward Elger, Cheltenham, UK and Northampton MA, USA, 2004,
15 Knapp, Georg Friedrich, Staatliche Theorie des Geldes, 1905, Leipzig: Duncker & Humblot. 07>7. 8H%
代蔵訳『貨幣国定学説』岩波書店、1922年)
1同上40頁。
- 同上49-50頁。
- John M. Keynes, "Review: What is Money? By A. Mitchell Innes," The Economic Journal, 24-95, September 1914,
* John M. Keynes, "Review: Geld und Kapital. By Friedrich Bendixen," The Economic Journal, 24-95, September 1914, pp.417-419.
- ジョン・メイナード・ケインズ(小泉明・長澤恭訳)『ケインズ全集第5巻貨幣論1』東洋経済新報社、1979年(原杏の初版は1930年)、14頁。
- 前地ケインズ(1979)12頁。
川純一訳『贈与論』ちくま学芸文庫、2009年)、北近の研究としては、例えばKeith Hart, "Notes towards An Anthropology
of Money," An International and Interdisciplinary Journal of Postmodern Cultural Sound, Text and Image, 2, June
21 福田徳三『流通経済講話』大閣1925年、このほか、高垣食郎『貨の生成』同文館、1926年、およびPaul Einzig,
Primitive Money: in Its Ethnological, Historical and Economic Aspects, Byre and Spottiswoode, London, 1948 % $
照。
25 前揭福田 228-229頁。
3同上248-249頁。
31同上471-472頁。
33山崎直方「ヤップ島の石貨と貝貨」『東洋学芸雑誌』第32巻第408号1-11頁、1915年、および、前掲福田 606-607
貞。
20 牛島旅「携えるカネ、据え置くカネ:ヤップの石貨」小馬徹編『くらしの文化人類学5カネと人生』山、2002年、76・99頁。
31 William Henry Furness, 3rd, The Island of Stone Money: Uap of the Carolines, J. P. Lippincott Company, 1910.
82前掲高坂69-70頁、72-73頁。
33 日本貨史との関係を検討する本橋では詳しないが、ケインズも逃べているように、19世紀のイギリスにおける貨幣制度に関する論争は、貨幣の起源に関する上記の2つの見方と関連している。すなわち、ナポレオン戦争期イギリスにおける地金論争における地金主義者の主張、これに続く 19世紀前半の「通貨主義」と「銀行主義」の論争における通
貸主義者の主は、「商品貨幣起説」と親和性が高い一方、地金論争における地金主義反対派、「通貨主義」と「銀行
主義」の論争における銀行主義者の主張は、「用貨起源説」との親和性が高い。19世紀の貨幣制度に関する論争については、渡辺佐平『地金論争・通貨論争の研究』法政大学出版局、1984年を参照。
3 Georg Simmel, Philosophie des Geldes, 1900.(ジンメル、元浜清海訳『ジンメル著作集2貨幣の哲学(分析結)』
白水社、1981年)。前述の福田は、東京高等商業学校で数様をっていた際に、自らのゼミでジンメルの『貨幣の哲学』を講読していた。岸川富士夫「日本における『貨階の哲学』」、岩崎信彦・應茂福『「貨幣の哲学」という作品:ジンメルの価値世界』世界思想社、2006年、240頁。
33前掲ジンメル55頁、61-64頁。
31 同上57-58頁、60頁、83頁。
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