2026年4月26日日曜日

ブルーノ・ヒルデブラント - Wikipedia

ブルーノ・ヒルデブラント - Wikipedia

信用は金属貨幣以上に完全な取引手段である。


 ヒルデブラント 著[他] 未来社, 1972


実物経済、貨幣経済および信用経済(原著一八六四年)


41頁

三 信用経済

 信用とは与えられた約束が履行されることについての信頼、および同時にこの信頼の基になっている特性の総体である。約束が支払いに関するものであれば、借用は交換手段の代替物になり、取引を促し、貨幣の力をもつことにより、それじたいが貨幣となる。

 それは貨幣と極めて似かよった働きをするが、金展貨幣のように取引を最後までとり行なうものでないということによってそれから区別される。信用はむしろ、証書や借用証、あるいはまた会計簿への記入によってのみ成立する債務関係の基礎となる。それゆえに、それは取引を二つの契機に分ける。すなわち有価物件が買い手にわたるという契機と、この価値の等価物が買い手から償還され、債務が解消するという契機とに。言葉を換えれば、これら二つの取引の各々は一つの取引の契機としてのみあらわれる。したがって信用は、債務関係がつづく限り、買い手と売り手を相互に結びつけておく。金属貨幣は取引が成立すれば、そのあとは人間を再がすぐに切り離すのに対し、用という支払手段は人間を相互に結びつけ、相方に義務を負わせ、一方で相互言類に根ざし、他方で再び相互的関心を呼びおこす結びつきをつくりだす。

 さらに信用は金属貨幣以上に完全な取引手段である。それは各国民に貨幣の支払いと運搬の時間と労働を節約させ、さらに貨幣じたいを節約させる。そして各国民はその貨幣帯要を、労働と労働生産物によってまず購い入れなければならないが、信用は観念的な力であって物質的な財によって獲得せられるものではないゆえに信用が金属貨幣にとってかわれば各国民にとっては多くの価値の節約となり、それによって国民資本は増加する。

 信用の貨幣的力は、外見的には二つの制度によって機能する。国際貿易には為替によって、国内取引には銀行によって。…


ブルーノ・ヒルデブラントブルーノ・ヒルデブラントBruno Hildebrand, 1812年3月6日 - 1878年1月29日)は初期歴史学派を代表するドイツ経済学者古典派経済学とりわけデイヴィッド・リカードを厳しく批判した。




ヒルデブラント


https://dl.ndl.go.jp/pid/11938985/1/1



実物経済,貨幣経済および信用経済 (社会科学ゼミナール ; 57)



図書

 ヒルデブラント 著[他] 未来社, 1972


実物経済、貨幣経済および信用経済(一八六四年)


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ることができる。またかれらは賃金をもっとも収益をあげる労働力に支払うことができ、労働者を健康な時に使用し、年をとれば解雇することができる。各人は自分のことだけを考え、利己的な利害を露骨に追うことができる。才能のあるものは、非才なものを、大資本家は小資本家を、小資本家は無産者を圧迫する。あらゆる社会的な力の闘争が繰りひろげられ、それは貨幣支配、資本支配へとつながる。新しい生活の可動性は、資本支配のために利用され、闘争は、それが国民の公共的道徳心のもとで制限されないかぎり、最後には弱者すなわちプロレタリアートを破滅させてしまう。

そこでふたたび、新しい貨幣経済的貧困が生じ、このことのためには第三の経済形態、すな

わち言用経済のみが救済手段たりうる。  


41 実物経済、貨幣経済および信用経済


三 信用経済

 信用とは与えられた約束が履行されることについての言頼、および同時にこの倍頼の基になっている特性の総体である。約束が支払いに関するものであれば、借用は交換手段の代替物になり、取引を促し、貨幣の力をもつことにより、それじたいが貨幣となる。

 それは貨幣と極めて似かよった働きをするが、金展貨幣のように取引を最後までとり行なうものでないということによってそれから区別される。僧用はむしろ、証書や借用証、あるいはまた会計簿への記入によってのみ成立する債務関係の基礎となる。それゆえに、それは取引を二つの契機に分ける。すなわち有価物件が買い手にわたるという契機と、この価値の等価物が買い手から償還され、債務が解消するという契機とに。言葉を換えれば、これら二つの取引の各々は一つの取引の契機としてのみあらわれる。したがって借用は、債務関係がつづく限り、買い手と売り手を相互に結びつけておく。金属貨幣は取引が成立すれば、そのあとは人間を再がすぐに切り離すのに対し、用という支払手段は人間を相互に結びつけ、相方に義務を負わせ、一方で相互言類に根ざし、他方で再び相互的関心を呼びおこす結びつきをつくりだす。

 さらに信用は金属貨幣以上に完全な取引手段である。それは各国民に貨幣の支払いと運搬の時間と労働を節約させ、さらに貨幣じたいを節約させる。そして各国民はその貨幣帯要を、労働と労働生産物によってまず購い入れなければならないが、用は観念的な力であって物質的な財によって獲得せられるものではないゆえに信用が金属貨幣にとってかわれば各国民にとっては多くの価値の節約となり、それによって国民資本は増加する。

 信用の貨幣的力は、外見的には二つの制度によって機能する。国際貿易には為替によって、国内取引には銀行によって。両制度によっておこる用取引の枠は事実によってみることができる。もっとも言頼すべき統計調査によれば、英国では金貨は四〇〇〇万ポンドも流通してい


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43 実物経済,貨幣経済および僧用経済

ないが、ピール(R. Peel)の制限にもかかわらず、紙幣は三四〇〇万から四〇〇〇万ポンド出

廻っており、同時に手形の流通は一億二〇〇〇万ポンドにも見積もられる。したがって流通している倍用貨幣の額は、小切手を除いても流通貨幣のほぼ四倍にもなる。しかしさらにこの二つの制度を経ない、単なる会計簿上の転記とか、書式による引受、あるいは双方による相殺といったものによる、ほとんど公けにならないが支払いのうちに数えることのできる取引はより多いであろうし、多分極めて多いであろう。

(1) J・S・ミル『経済学原理』ゾートベーア(ドイツ語)訳第一巻五七六ページ、第二巻六五九

ページ参照。

ドイツの書籍商がすべての書籍や楽譜の相互取引を会計簿に記載するだけで、年の終りになってから書籍市で互いに清算するように、何千人もの商人が互いに当座勘定関係にあって、年の途中では何の支払いも受けないで物を納入するということがありうる。年の終りに、それまでの勘定が決算され、給付と反対給付の額を対比し、一方あるいは他方の剰余が新しい勘定のなかに繰越として記帳される。このような方法で一部は現在もすでに機能しており、一部はこれから起りうる用取引による莫大な金額について理解しようとするならば、現在の生産過程において支配的な、そこから人間の努力の結晶である生産物がもたらされる、特別の分業を念

頭におかなければならない。生産された価値のうちで、一人の手あるいは一つの営業過程を通して、直接に完成されるものはごく僅かである。圧倒的に多くのものは、長い生産者の連なりのなかを動いてゆく。各生産者はかれの前任者の生産物をうけとり、かれの労働を添加し、さらに加工するためにかれの後継者にひきわたす。各々は一方の手で貸し、他方の手で借りる。

原材料の生産者は、これに最初の形をほどこす製造業者に原材料を引き渡し、一方ではさらに労働用具を受け取る。製造者は加工した原材料を、これに新しい形を加える第三番目のものに譲りわたし、それはまた同じように第四番目のもののところに移り、そこでさらにより完全な形態をとって五番目のものの下に移行し、最後に、そのものに最終的な形をほどこす者の手から、人間の欲求に応える完成品として、卸商人の手へ引きわたされる。そしてここの倉庫から貿易商あるいは小売商の店へ移され、商品はようやく着費者に購入される。

(2)ドイツ書籍商協会がもしも毎年、相互の年取引の統計を、どれだけが債務の帳消しで、どれだけが現金払いで清算されたかという債権の区別をしたうえで、提出し、この統計的分類の結果を公表するならば、経済学に寄与することになろう。この整理から、文献欲求のための支出が増大しているかどうか、またどの程度そうなのかということも同時に判明するであろう。

極めて多面的に交錯し、生産と交換のそれぞれの進歩とともに増加するこれらのあらゆる繰


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もちろんこの生活秩序は一つの制度によってつくりあげうるものではない。倍用は科学と同じように精神的および倫理的な力である。それは誠実さと良心的であることに、双方の倍頼に依存している、さらに一般的には国民の公的道徳心に依存している。これがなければ、銀行も借用証も役にはたたない。後者のものは、借用のしるしであるとともに不用のしるしでもある。それらは科学における出版雑誌と同様に用の道具にすぎず、また年々印刷される紙の量が国民の科学文化の高さを表わしていないのと同じように、銀行券すなわち紙幣の量は倍用の力がどこまで発展したかを示すものではない。少なくとも、相場策謀、さや取りおよびそれと同じような不道徳な投機は、既存の倍用経済の他の特徴を妨害している。それらはむしろ貨幣経済の弊害であるにすぎず、まさに倍用を否定している。

それゆえに第三の経済形態はどこででも実現しうるというものではなく、それには不可久の前提がある。それは国民の文化段階が高いところでのみ発展しうるものである、がしかしそれはヨーロッパのもっとも文明化した国々にとってもすぐ身近かな将来における経済形態であり・現在の社会的病患に対するもっとも有効な救済手段である。

国民の経済生活はつねにより高い文化に向って法則的に発展していることについて読者に納得していただけるならば、単に個々の国民生活ばかりでなく、全人間の経済もまたつねにより高い完成に向って法則的に進んでいるということ、および人類の育成についてのレッシング的

47実物経済,貨幣経済および借用経済

な考えが、宗教やそれに近い精神文化の面にだけではなく、人類の国民経済的生活にも適用できるということを最後に述べ、主張しても、了解していただけるであろう。

(3)ロッシャーは、借用経済が将来の経済形態であろうという、わたしがすでに『現在と将来の経済学』の第一巻二七六ページで簡単に触れておいたこの見解に反対して(『国民経済学原理』第九

•章註6)、単なる個人用はますます不可能になると主張しているが、ロッシャーは事実において誤っている。なによりも英国において今世紀になってから、約束手形の使用量は上昇する一方であるという事情が、個人用が絶えず進んでいることを示しているし、さらに多少ともグラスゴーやチューリッヒ州での商業活動をみたものであれば、そこでの産業は、まさに最近では現在の繁栄を大部分、個人用に負っていることが分る。一八五九年にチューリッヒ州に存在しており、年々約四五〇〇万スイス・フランの絹を加工している九五の絹布製造業者のうちほとんど全部が、この四〇年の間に、まったく資産なしにその製造活動をはじめたのであり、チューリッヒの絹商人の間では絹原糸を年六パーセントの利子による九ヶ月用で売るという一般慣習があることによってのみ、一歩一歩現在の営業活動水準にまで到達することができたのである。したがって織物業者はその製品を使した綿原糸に対する支払いをすます以前に販売することができた。そしてさらにシュルツェーデリッツシュの昨年の年次報告(ライプチッヒ、一八六三年)によると、一八四九年以降にでき、六九、二〇二人の組合員が支払いを行ない一八六二年ではあわせて二三、六七四、二六一ターレルの前貸しをした、ドイツの二四三の貸付組合や借用組合は、個人用がまさに高い経済的文化段階においてめざましい発展をとげたことの証拠として十分ではないのであろうか?


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延行為は、それがさらに簡単な書式上の支払約束によって有効とされる時には、用の貨幣的力に大きな発展の余地を与える。そしてそれは、受取人の手にわたるとすぐにまた現品の購入手段として利用できる特性をもっているために、営業活動を行なおうとする人は、この商業上の信用証書の助けによって、かれが他人から借用によって受けとった価値とともに、かれが他人に信用によって与えるものの価値をも同時に利用することが可能となる。

しかしながら大菜からみると、購入したり、借りたるする価値に対して、いざという時には完全な保証をなしうるに十分な所有があるものの頼のみが利益を得るにすぎないのであり、そのかぎりでは借用の貨幣としての力はなおまだ制約されている。もちろんすでにこの国民経済にとっての真の信用はもっとも完全で、もっとも低廉な流通手段としてのあらゆる有利さをそなえており、それと同時にあらゆる営業階級の生産力をとりわけ大きく高める、がしかしそれはなお社会の富裕層の特権にとどまっている。

そうではあるが、倍用の貨幣的能力は無限に拡大してゆく。僧用はただなにかをもっているもののためにだけあるのではなく、またなにかであるもののためにもある。そして人間の倫理的特性が用の基となり、販売者や貸し主にとって、価値の償還の十分な保証とみなされる。

取引は、その人間の将来の支払いに対する頼のもとに生じうる。この人格的倍用、あるいは

駅(13)

むしろ道徳的倍用が育成され、現在のスイスの貯蓄銀行や倍用銀行あるいはドイツの貸付組合

45 実物経済,貨幣経済および信用経済

や僧用組合のような銀行制度と用制度として実現されるならば、資本家の独占、あるいは所有者と非所有者の分裂はなくなるだろう。人間の道徳的価値は資本の力をもっている。また所有の可能性は無産者にも与えられるであろう。勤勉で能力のある労働者は、資本家と同じように、みずから企業家となり、労働貨金以外に所有による賃料を得ることができる。かくして銀行は社会組織の中で中心的機能を受けもつ。すなわちそれは余っている資本力を集め、迅速に組織のなかでそれを必要としている個所へ再分配する。銀行は富者と貧者との間の保険機関になる。前者は銀行を通じて後者の教育者となり、所有者としての善行を社会において督促する道徳的義務を負う。

実物経済は人間を、外観的感覚的社帯によって互いに拘束してきたが、そのことによって国民の組織のなかにおける、さわやかで自由な血液の流れが姉たげられていた、貨幣経済はその拘束をうちやぶり、人間を、新しい力と新しい生活へと目覚めさせた、がしかし利己的利益

経済(Interessenokonomie)をつくりだし、社会全体を騒がしい原子へと分解した。借用経済はふたたび人間を精神的および倫理的紐帯で結びつける、すなわちそれは大きな変動を内から堅めてひとつにし、国民の資本力を一般的にし、プロレタリアートを除去するために役立ち、さらにそれによって以前の経済発展段階における両階級の利益を相互に結びつける経済的生活秩序をもたらす。


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歴史学派の世界 単行本 – 1998/1/1 

ヒルデブラント

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(5) B. Hildebrand, Nationalökonomie der Gegenwart und Zukunft und andere gesammelte Schriften. Hrsg. und eingeleitet von H. Gehrig, Jena: G. Fischer, 1922 [1848].


https://archive.org/details/dienationalkon01hilduoft


B. ヒルデブランド『現代および未来の経済学ならびにその他の論文集』。H. ゲリヒ編・序文、イェーナ:G. フィッシャー、1922年[1848年]。


https://archive.org/details/dienationalkon01hilduoft/page/184/mode/2up


(6) F. Engels, Die Lage der arbeitenden Klasse in England, in: K. Marx und F. Engels: Werke, Band 2, Berlin: Dietz, 1974

[1845] S. 225-506.

(7)Hildebrand, op. cit., S. 184.

(8)Ibid., S. 184-5.

(9) Ibid., S. 186.



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https://archive.org/details/dienationalkon01hilduoft/page/182/mode/2up?q=Vertrauen


Page 182 — Die Einseitigkeit und Unwahrheit der Engelsschen Schlußfolgerungen, die wir bisher kennen gelernt haben, wiederholt sich fast in allen einzelnen Partien seines Buches. Er führt die Nachteile der Konzentration der Bevölkerung in den großen Städten an, aber hebt nicht ihre unermeß- lichen Vorteile hervor, jene durch sie bewirkte Teilung des Bedürfnisses, welche die Leichtigkeit der Konsumtion ebenso steigert wie die Teilung der Arbeit die Produktion, jene großen "Wasserleitungen, jene Parks und Squares, welche die frische Luft des Landlebens mitten in die Städte verpflanzen, jene geordnete Sorge für Reinlichkeit und Gesundheit, welche immer größere Kreise umfaßt und in den letzten Jahren namentlich auch die Arbeiterviertel berührt hat. Er folgert aus einzelnen Fällen vom Verkauf schlechten Fleisches und aus einzelnen vorgekommenen Strafen wegen falschen Gewichtes, daß die Arbeiterklasse von der Bourgeoisie gerade unter der gegenwärtigen Industrieverfassung betrogen werde, während doch erst aus Vergleichung der Zahl dieser Fälle mit der Zahl der redlichen Verkäufe und aus Vergleichung dieses Verhältnisses mit dem analogen Verhältnis in anderen Ländern oder in früheren Zeiten ein Schluß gestattet w^äre, während gerade die industrielle Moralität, wie sie sich in den festen Warenpreisen, in der Zuverlässigkeit und in dem gegenseitigen (225) Vertrauen auf die Redlichkeit der Mitmenschen, in dem Kredit und in ähnlichen Erscheinungen des Verkehrs bekundet, in England größer ist als in irgendeinem anderen Lande Europas, und eine der Riesensäulen bildet, auf denen das Gebäude der britischen Weltherrschaft ruht. Er folgert aus den statistischen Angaben über die größere Sterblichkeit in den Fabrikdistikten die nachteiligen Wirkungen der Fabrikation auf di


182ページ — これまで見てきたエンゲルスの結論における偏狭さと虚偽は、彼の著書のほぼすべての部分で繰り返されている。彼は大都市への人口集中の欠点を挙げるが、その計り知れない利点、すなわち、消費の容易さを労働の分業が生産性を高めるのと同様に高める、需要の分散、そして、 水道、都市の中心に田園生活の清々しい空気を移植するような公園や広場、そして清潔さと健康への整然とした配慮——これらはますます広範囲に及んでおり、近年では特に労働者地区にも及んでいる。彼は、不良な肉の販売や、不正な計量による個別の処罰事例から、現在の産業体制の下で労働者階級がブルジョアジーによって欺かれていると結論づけている。しかし、こうした事例の数を誠実な販売の件数と比較し、その比率を他国や過去の同様の比率と比較して初めて、結論を導き出すことが可能となるはずである。一方で、固定された商品価格、信頼性、そして他者の誠実さに対する相互の(225)信頼、信用、および取引における同様の現象に表れる産業的道徳は、イギリスにおいてより高い


(225) 信用や取引における類似の慣行に表れる、他者に対する誠実さへの信頼は、イギリスにおいてヨーロッパの他のどの国よりも強く、英国の世界支配という大いなる構造を支える巨大な柱の一つとなっている。彼は、工場地帯における死亡率が高いという統計データから、製造業が健康に及ぼす悪影響を導き出している。

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Gesundheit, während ebenso wie bei der Beurteilung der Moralität erst eine Vergleichung dieser Sterblichkeit mit der der irischen Bevölkerung vor ihrer Einwanderung zu Schlüssen berechtigt. Er zieht aus den Gesundheitsberichten einzelner Ärzte und aus den Kommissionsberichten über die arbeitende Bevölkerung an das Parlament nur einen Schluß auf die existierende Not, aber nicht auf die Anstrengung, welche die Nation gerade zur Heilung dieser Gebrechen macht. Er übersieht, daß gerade in diesen zahlreichen Untersuchungen, in den Bestrebungen, die Geheimnisse des englischen Lebens an das Tageslicht zu ziehen und zur öffentlichen Diskussion zu bringen, das wirksamste Mittel liegt, die herrschenden Übel zu beseitigen, und daß bei dem stark ausgeprägten Interesse aller Stände für das öffentliche Wohl jedes soziale Leiden hier schon zu verschwinden an-fängt, sobald es eben erkannt ist.

Es würde hier zu weit führen, alle diese einzelnen Schilderungen einer Detailkritik zu unterwerfen und die mitgeteilten Tatsachen in das rechte Licht zu setzen; aber eins wollen wir hier zum Schluß noch beleuchten, nämlich sein Gesamturteil über die moderne Industrie.

(226) Wir haben gesehen, daß Engels alles vermeintliche Unglück der Gegenwart in England, den Pauperismus, das Proletariat, die Demoralisation usw. der industriellen Revolution zuschreibt und daß alle seine übertriebenen Schilderungen und Entwicklungen eigentlich nur die Motivierung des Verdammungsurteils bilden, das über die heutige Industrie und tiber die Maschinen ausgesprochen werden soll. Wenn er irgendeine gute Seite an jenem Besitztum der neueren Zeit, irgendein Verdienst desselben finden kann, so besteht dies lediglich darin, daß die Industrie die hergebrachte Verderbtheit aller menschlichen Ordnung bis zu ihrem Kulminationspunkte ausgebildet und dadurch die Notwendigkeit eiuer kommunistischen Weltreform immer drin-


健康は、道徳の評価と同様に、移民前のアイルランド人口の死亡率と比較することだけが結論を導く権利を与える。個々の医師の健康報告と、労働人口に関する委員会の議会への報告から、彼は既存の必要性についてのみ結論を導き出すが、これらの疾患を解消するために国が行っている努力については結論を出さない。


彼は、まさにこれら多数の調査、すなわち英語生活の秘密を明らかにし、公共の議論に持ち込む努力の中に、支配的な悪を排除する最も効果的な手段が潜んでいること、そしてすべての財産が公共の利益に対して強く関心を示す中、ここでのすべての社会的苦しみは、正確に認識された瞬間に消え始めることを見落としている。


ここでは、これらすべての個別の記述に詳細な批判を要し、伝えられた事実を正しく示すことは行き過度ですが、最後にここで一つだけ強調したいことがあります。それは、彼の現代産業に対する総合的な判断です。


(226) エンゲルスが現在のイングランドにおけるすべての不幸、すなわちパパリシズム、プロレタリアート、士気低下などをすべて産業革命のせいにしていること、そして彼の誇張された描写や展開は、実際には今日の産業と機械に関して宣言すべき非難の判断の動機にすぎなされていることを我々は見ています。もし彼が近年の所有物に何らかの良い側面や価値を見出すことができるのであれば、それは産業が人類全体の秩序の腐敗をその頂点まで訓練してきたという事実にのみあり、したがって常に共産主義的世界改革の必要性にある。


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184

gender gelehrt hat.

Die bisherige Geschichte gilt ihm gleich-

sam als der allmähliche Sündenfall des Menschengeschlechts, als das große Drama, in dem die Menschheit sich selbst durch die eigene Schuld zugrunde richtet, um in der Zukunft ihre irdische Auferstehung durch die Verwirklichung des Kommunismus zu feiern.

Wir sind weit entfernt, dieser Ansicht gegenüber mit dem Manufakturphilosophen Ure in die unbedingte Vergötterung des heutigen Fabriksystems einzustimmen und leugnen zu wollen, daß dasselbe an sich die Tendenz nach Begründung einer mächtigen Kapitalherrschaft in sich trage, welche für die Dauer ohne kräftigen Widerstand den verderblichsten Druck ausüben kann.

Wir sind vielmehr voll-

ständig darin einverstanden, daß wir in einer Übergangsperiode leben, in der das Bedürfnis einer gerechteren (227)

Güterverteilung, einer

Aufhebung des

Mißverhältnisses

zwischen Kapital- und Arbeitskraft immer dringender eine Befriedigung fordern.

Wir verkennen das

große soziale

Problem der Gegenwart nicht, sondern halten es vielmehr für das größte, das jemals dem Menschengeschlechte zur

Losung vorgelegen hat.

Aber über jenen entfernteren Wir-

kungen des Fabriksystems sind die nächsten unendlichen Vorteile nicht zu vergessen. Die Arbeitsteilung, die Maschinen und alle jene großen mechanischen Erfindungen und Fortschritte der Industrie, welche während der letzten

70 Jahre der englischen

Geschichte in

ununterbrochener

Reihenfolge ins Leben getreten sind und lediglich der freien Konkurrenz ihr Dasein verdanken, haben zunächst Wirkungen gehabt, die sie als notwendiges Glied in der Kulturentwick-lung der Menschheit legitimieren, und die sich durch nichts in der Welt ersetzen lassen.

Sie haben die Armut der

unteren Schichten der Gesellschaft nicht geschaffen oder vergrößert, sondern nur ans Tageslicht gebracht.

Sie haben

das Elend und das Laster ebenso wie den Reichtum, die

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Bildung und die sittliche und geistige Kraft der Menschen konzentriert und dadurch den vorhandenen Gegensatz zu einer sichtbaren und unleugbaren Tatsache erhoben.

Sie

haben die Hände des Arbeiters durch den gleichmäßigen Takt der Maschinen an angestrengte regelmäßige Tätigkeit, Ausdauer und gewissenhafte Zeitbenutzung gewöhnt und in ihm Tatkraft und Energie des Willens großgezogen.

Sie haben die Arbeiter aus einem Geschäftszweige in den anderen gedrängt und durch diese Nötigung zum (228) Ge-werbewechsel ihren Blick erweitert und ihnen eine gewisse Beweglichkeit des Geistes und Selbstvertrauen verliehen.

Sie haben die einzelnen isolierten Berufsgenossen in große Gemeinschaften vereinigt und dadurch in ihnen zum ersten Male ein Selbstbewußtsein, gesellschaftliche Ansprüche und einen Trieb nach Vervollkommnung geschaffen.

Selbst alle

kommunistischen und sozialistischen Bestrebungen der neueren Zeit, soweit sie einen Boden in den Herzen der Arbeiterwelt haben, was sind sie anderes als ein phantastischer Ausdruck jenes an der modernen Industrie erwachten Selbstbewußt-seins der Arbeiter?

Es ist gerade die größte Errungenschaft der heutigen Zivilisation, daß sie das Mitgefühl der gebildeten Klassen an dem Geschicke der Millionen geweckt hat, die bisher in der Geschichte nur als bewußtlose Werkzeuge den bevorzugten Ständen gedient haben, gerade der größte Triumph der Kultur, daß sich endlich auch diese Millionen als be-wußtvolle Glieder der menschlichen Gesellschaft zu fühlen beginnen.

Darin besteht eben die nächste weltgeschichtliche Be-

deutung

der Maschinen, daß sie die arbeitenden Klassen aus der Trägheit und Unwissenheit, aus dem dumpfen und gedankenlosen Hinbrüten herausgerissen und in ihnen mit dem Kraftbewußtsein, mit der Beharrlichkeit in der Arbeit und mit dem Unternehmungsgeiste auf das Streben nach


教育と人々の道徳的・精神的な力は、既存の対比を可視的かつ否定できない事実に高めます。


労働者の手は、機械の均一なリズムにより、激しい規則的な活動に慣れ、耐久力と時間の良心的な使用に慣れており、そして彼の中にあります。


意志の推進力とエネルギー


彼らは労働者をある事業部門から別の事業部門へと押し進め、この(228)事業変更の強要により、視野が広がり、ある程度の柔軟性と自信を与えました。


彼らは個々の孤立した専門家を大規模なコミュニティに統合し、初めて彼らに自信と社会的要求、そして完璧への志向を生み出しました。


すべてさえも


近年の共産主義的・社会主義的志向は、労働者層の心に底にある限り、現代の産業で目覚めた労働者の自信を見事に表現する以外に、何なのでしょうか?


まさに今日の文明における最大の成果は、これまで歴史の中で好まれる身分、すなわち文化の祝福された勝利という無意識の道具としてしか果たされてきた何百万人もの人々の運命に対する教育を受けた階層の同情を呼び覚ましたことであり、ついにこの何百万人もが人類社会の意識的な構成員であると感じ始めるのです。


ここには、まさに機械の次なる世界史的献身が成り立っており、彼らは惰性と無知から労働者階級を退屈で軽率な思考の思考から、力の自覚、仕事に対する忍耐、そして起業家精神をもって、追求へと導い改めました。


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ドイツ歴史学派

~倫理観とその進歩への信頼~

ベルトラン・シェフォールト


M. Weber

A. Müller

W. Roscher

G. Schmoller

W. Sombart

J . Schumpeter

C. Menger

  1. Lederer
  2. List
  1. Wagner
  2. HildeBrand
  1. Knies
  2. Brentano

W. Ashley

W. Cunningham

世界

住谷一彦

八木紀一郎

日本経済評論社


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が公的賦役への自発的参加と文化的発展の質とが対応している点を強調している。ロッシャーの進歩への頼は、抑制されたものであった。というのは、彼は過去の時代の文化的達成にたいして敬意と宗教的付条によって、人類はその運命を知り得ないかも知れないと考えていたからである。こういったロッシャーの限界は、繰り返し批判されてきたが、もっと好意的な判断もシュトライスラーによって示されている。

歴史の発展を、高度の文化形態に向かった確定的な進化であるともっとも明快に解釈したのはヒルデブラントであった。リストの主者の八年後の一八四八年に出版されたヒルデブラントの主者は、新しい産業システムに対するロマン主義者や社会主義者からの批判に反発している。とりわけ重要なのは、それがエンゲルスの著値を批判している点である。ヒルデブラントはエンゲルスが引き出した結論に、統計を用いて効果的に反証している。彼は、労働者がしばしば悲惨な状態で生活していることを否定しなったが、労働者の状態は産業革命以前よりも改善されているということをドイツの後進農業地域と比較することによって示した。彼は、道徳の状態も改善していると考えた。論証のために、人口の動態を適切に考慮した上で犯罪率が低下していることと、またイギリスでは、他のヨーロッパ諸国以上に、借用制度が相互信頼に基礎をおいていることがもちだされた。また彼は、資本と労働力との不調整を白日の下にさらす点が、工場制度の長所の一つであると考えた。貧困は以前にも存在し、実際にもっと悪かった。いまようやくそれを減らす方法をかんがえることができるようになったのである。マルクスとエンゲルスが「共産党宜言」で用いたのと同じようなリズムと劇的な迫力をもつが、同著とは正反対の内容をもつ文章のなかで、ヒルデブラントは分業と産業の成長の長所について次のように書いている。

「両者は社会の下層にある貧困を生み出したわけでもなく増大させたわけでもなく、ただそれを白日のもとにさらしたにすぎない。両者は人間の富や教養や道徳的精神的力と同様に人間の貧困と陥を集積し、その集積によって既存の対立を眼前の否定しえない事実にまで格上げしたのである。両者は機械の規則的なリズムに

よって、ちから)..


(Lo) B. Hildebrand, Nationalökonomie der Gegenwart und Zukunft und andere gesammelte Schriften. Hrsg. und eingeleitet von H.

Gehrig, Jena: G. Fischer, 1922 [1848].

(o) F. Engels, Die Lage der arbeitenden Klasse in England, in: K. Marx und F. Engels: Werke, Band 2, Berlin: Dietz, 1974

[1845] S. 225-506.

Hildebrand, op. cit., S. 184.

Ibid., S. 184-5.

(os) Ibid., S. 186.


生涯

ナウムブルク(ザーレ)で生まれる。マールブルク大学経済学教授に在任中、ドイツ・オーストリア3月革命に連座したとして反逆罪で死刑を宣告されるも、チューリッヒ大学准教授を務めていたスイスに亡命し処刑は免れた。スイスでは北東鉄道を設立した功を買われ名誉市民の称号を与えられた。

その後、スイスのベルン大学教授を経てドイツに戻る。晩年はイェーナ大学教授を務めた。イェーナで死去。

業績

1948年に著書Economics of the Present and the Future(『現在と未来の経済学』)を発表。経済発展の法則を追究した本書では、経済発展が直線的ではあっても循環的ではないと述べられており、ヒルデブラントの発想が社会主義理論にも影響を与えることとなる。

家族

実子は彫刻家アドルフ・フォン・ヒルデブラントカトリック哲学者のディートリッヒ・フォン・ヒルデブラントは孫に当たる。

参考文献

  • The Soul of A Lion:Dietrich von Hildebrand, a biography by Alice von Hildebrand, Ignatius Press, 2000, ISBN 0-89870-801-X

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