2023年2月11日土曜日

江戸幕府以前の江戸

江戸幕府以前の江戸

江戸幕府以前の江戸

秩父一族 当時隆盛を誇っていた 秩父一族 には、 江戸氏の他に畠山氏、豊島氏、河越氏などの武将もいて、 武蔵国 (参考1) 一帯を治めていました。
  • 江戸氏武蔵国江戸郷
  • 畠山氏武蔵国畠山郷
  • 豊島氏武蔵国豊嶋郡
  • 河越氏武蔵国入間郡
河越家は、秩父一族の惣領家でした。 その長である河越重頼は、源頼朝の乳母 比企局の娘聟であり、重頼の娘は源義経の妻にもなっています。 また、河越氏は、嘉禄2年(1226)に鎌倉幕府より武蔵国国守の代理という重要な役職を与えられています。

武蔵国江戸郷については前に述べましたが、武蔵国畠山郷は現在の埼玉県深谷市あたり、 武蔵国豊嶋郡は現在の東京都周辺地域、また武蔵国入間郡は埼玉県南部中央地域、 すなわち越生、飯能、入間、所沢、川越などを含む地域を指すと考えられます。
当時、 入間川 は江戸湾に注いでいて、現在の隅田川がその最下流域になっていました。 このことからも、武蔵国秩父郡を発祥とする秩父一族が、入間川沿いの一帯で大いに栄えていたことがよく分かります。

なお、現在の入間川は、飯能市あたりを起点とし、川越市とさいたま市の境、 ちょうど国道16号線の上江橋あたりで荒川と合流していますが、飯能市より上流についてはよく分かっていないようです。 おそらくいろいろな場所のたまり水が飯能市あたりに集まってきているのでしょう。

また、 荒川 も当時から存在していました。 当時の荒川は、熊谷、鴻巣あたりを経て、現在の元荒川につながっていましたが、 後の家康の一大河川工事で入間川に付け替えられたのです。

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