【古代史のタブー】伊勢神宮に隠されたユダヤの謎
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歴史沼チャンネルのきーです。
今回は伊勢神宮に隠されているユダヤの神について迫っていこうと思います。
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伊勢神宮とは、「お伊勢さん」として親しまれていますが、正式名称は「神宮」です。
神宮には、皇室の御祖先の神を仰ぎ、私たち国民の祖神として崇敬を集める天照大御神が祀られていることで有名です。
日本の神社の中の神社ともいえる「伊勢神宮」ですが、そんな伊勢神宮には日本の高祖神である天照大神よりも、大切に祀られているのではないか?と思われる神がいることはご存じでしょうか?
今回は伊勢神宮で天照大神より大切に祀られている神とユダヤというテーマでお話していきます。
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伊勢神宮の外宮に祀られている神
伊勢神宮の内宮に祀られているのは、もちろん天照大神です。
では伊勢神宮の外宮に祀られてる神をご存じでしょうか?
伊勢神宮の外宮に祀られている神とは、豊受大神です。
豊受大神とは、内宮の天照大神のお食事を司る豊穣の神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。
この豊受大神が伊勢神宮に祀られる経緯については、『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』や『豊受皇太神御鎮座本紀(とようけこうたいじんごちんざほんぎ)』に記されています。
それには、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹後国のにいる御饌(みけ)の神・豊受大神を呼び寄せなさい」と言われ、伊勢の山田原に社を建て、丹後国から遷宮させたと記載され、これが豊受大神が伊勢神宮に祀られる経緯です。
豊受大神が祀られている外宮と天照大神が祀られている内宮は、伊勢神宮の正宮として他の125の宮社と別格として扱われます。
天照大神と豊受大神
しかしその2つの正宮には、古来より天照大神が祀られている内宮よりも、豊受大神が祀られている外宮の方が優位に祀られている事実があることはご存じですか?
その事実は、伊勢神宮の正式な参拝方法にも見て取れます。
伊勢神宮の正式な参拝方法として、まず豊受大神が祀られている外宮から参拝し、その後に天照大神が祀られている内宮を参拝することが古くから現在まで続く習わしです。
そして外宮が優先されてるのは参拝方法だけではありません。
伊勢神宮で行われる行事ごとに関しても外宮から行うことが習わしなのです。
豊受大神は渡来神である
では、豊受大神について少し掘り下げてみましょう。
豊受大神とは、伊勢神宮に祀られる経緯からもわかるように食物や穀物を司る神様です。
この豊受大神は、日本にもともといた神様ではなく、海外からやってきた渡来神として側面を強く持っています。
籠神社と豊受大神
みなさんは、"元伊勢"という言葉をご存じでしょうか?
"元伊勢"とは、伊勢神宮ができる前に伊勢神宮に祀られている天照大神や豊受大神が一時的にでも祀られていた伝承をもつ神社のことをいいます。
近畿圏を中心に数十社ある"元伊勢"の中でも、天照大神と豊受大神どちらも祀っていた唯一の元伊勢があります。
それは京都府にある籠神社の奥宮にあたる真名井神社です。
籠神社のある丹後国には、天女伝説という伝説が伝わっています。
その伝説とは…
『丹後半島のほぼ中央、比治[ひじ]山の山頂には池があり、その池に八人の天女が舞い降りました。
そこにある老夫婦が現れ、密かに一人の天女の衣装を取り隠すと、天女たちは天に飛び上がってしまったが、衣を隠された天女だけ人間界にとり残され、老夫婦のいうままに娘となって10年を暮らしました。
その天女は蚕飼い方や機織り、米づくりや酒造りを教え、家はたちまち裕福になっていきます。
しかし、老夫婦はなぜか「おまえはやはり我が子ではない」と天女を追放してしまいました。
天女は嘆き、比治の里を彷徨った末に船木の里に至り、ここに安住の居を構えたといいいます。
そしてその天女が居を構えた村の村びとたちによって天女は豊宇賀能売命[とようかのめのみこと]として祀られました。
この豊宇賀能売命とは、伊勢神宮外宮に祀られる五穀豊饒の農耕神、豊受大神[とようけのおおかみ]のことである』
という伝説です。
この伝説からわかる通り、豊受大神は機織りや酒造り、米作りなどの渡来系の技術を持ち込んだ神として伝えられています。
豊受大神とユダヤ
この伝説が残る丹後国の一之宮が"元伊勢"で唯一、天照大神と豊受大神を祀っていたとされている籠神社です。
籠神社はとても不思議な神社で、籠神社の奥宮にあたる真名井神社にあった裏神紋は、なんとダビデの星である六芒星です。
六芒星とは、イスラエルの国旗にも描かれるユダヤのシンボルです。
現在では裏神紋は使われていないそうなのですが、渡来神の性質がある豊受大神を祀っていた"元伊勢"の真名井神社の裏神紋が六芒星となると豊受大神はユダヤの神なのかもしれません。
奥宮の名前でもある"真名井"は、ユダヤの三種の神器の一つであるマナの壺も連想させます。
マナというのは荒野をさまよっていた古代イスラエルの民たちを救った食物のさし、食物の神である豊受大神との関係が深いのではないでしょうか?
秦氏と豊受大神
渡来神の性質が強い豊受大神ですが、この豊受大神と同一神とされている神様がいます。
その神様は、「お稲荷さん」の愛称で親しまれている宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)です。
全国に約3万社あるといわれている「稲荷神社」は、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祀っています。
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の"宇迦"は、豊受大神の"ウケ"と同じ意味で、食物のことを表しており、この2柱の神は五穀豊穣の神として同一神とされています。
そしてこのウカノミタマを祀る「稲荷信仰」のルーツを作ったのは、秦氏です。
秦氏とは、古代の日本において最大の人口分布を誇り、長岡京・平安京造設をするなど古代日本に大きな影響力を及ぼしながら歴史の表舞台には登場しない謎の氏族です。
謎多き秦氏ですが、渡来系の氏族であることは学術的にも定説となっています。
そんな秦氏は、古代史マニアのなかではユダヤとの関わりが強いことで知られています。
秦氏の本拠地としていた京都の代表的な祭である、祇園祭はユダヤ教の聖典である旧約聖書の有名なノアの方舟のエピソードと同じ7月17日クライマックスが行われていたり、"祇園"という言葉はヘブライ語の"シオン"が転じたものだとも言われています。
秦氏とユダヤとのつながりについては、こちらの動画で詳しく解説しているので是非参考にしてみてください。
そしてここで思い出してほしいのが、丹後国に残されている天女伝説です。
丹後国の天女伝説では、豊受大神が渡来系の技術を持ち込んだとされその技術というのが、機織りや酒造り、米作りです。
「稲荷」は稲が成るが転じた言葉なので、米作りと関連していますし、機織りは秦氏が伝えた織物だから"ハタオリ"とも呼ばれるくらい、秦氏が得意として技術です。
そして酒造りの祖とされるのは秦氏であり、酒造の神を祀っている「松尾大社」は秦氏が氏神として祀ったことがルーツとされています。
豊受大神と同一神とされる宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祀る秦氏の性格とかぶる天女伝説で伝わる豊受大神。
渡来神として見え隠れするユダヤとの関りが、伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大神なのです。
ユダヤの神:豊受大神の一大勢力とは?
伊勢神宮で天照大神より優位に祀られている豊受大神は、渡来系の神であり、ユダヤとの深い関係を指摘されている秦氏が祀っている宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と同一神であることを紹介してきました。
ではもう一人豊受大神と同一神とされている、神様を紹介してこの動画の真髄に迫っていくことにしましょう。
その神とは、大宜都比売(オオゲツヒメノカミ)です。
オオゲツヒメという名称は「大いなる食物の女神」の意味であり、日本神話の中でも高天原を追放されたスサノオに食事を提供する神様として有名です。
この大宜都比売(オオゲツヒメノカミ)が『古事記』に初めて登場するのは、イザナギとイザナミが日本列島を生む『国生み神話』です。
『国生み神話』では、淡路島の次に誕生した伊予の二名島と呼ばれる四国には各国別名となる神が充てられていますが、大宜都比売は阿波、現在の徳島県にあてられています。
稲荷神社で祀られているウカノミタマ、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神と同一神とされている大宜都比売は阿波の祖神でもあるのです。
古代日本のユダヤ一大勢力は阿波だったのではないか?
ここからは、仮説であり考察ですが、
古代日本にいたユダヤ勢力の本拠地は、阿波、今の徳島県だったのではないでしょうか?
古代日本に古代イスラエルの遺民が来ていたことは、ご存じの方も多いでしょう。
そしてその古代イスラエルの民たちは、日本列島に来ていただけでなくヤマト王権など古代日本成立に大きな影響力があったと噂されています。
日本建国に功績があったかもしれないユダヤ勢力の、本拠地は阿波だったかもしれません。
その理由は、この動画の主人公でもある豊受大神です。
豊受大神は、渡来神的な要素の強い神でした。
そしてユダヤとの関係が深いと噂されている秦氏が祀った宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)や阿波の祖神である大宜都比売(オオゲツヒメノカミ)と同一神とされています。
『古事記』のイザナギとイザナミの国生み神話で阿波に大宜都比売(オオゲツヒメノカミ)が充てられているのは、阿波がユダヤの神を祀る一大勢力だったからではないでしょうか?
阿波の剣山には今でも古代イスラエルの民が神宝を運び込んだとされる、アーク伝説が残り、駐イスラエル大使が「古代イスラエルの祭壇にそっくりだ」といった磐境神明神社も残っています。
阿波には古代イスラエルの痕跡がたくさん残っているのです。
『古事記』の舞台となっている遺跡や伝承が阿波にはたくさん残っていることについては、このチャンネルでもたくさん紹介しています。
『古事記』の舞台を思わせるほどにヤマト王権の成立に影響している阿波、そしてその阿波には渡来神的要素の強い神が祖神として充てられている、そしてその阿波にはアーク伝説などのユダヤの痕跡が多く残っている…。
そのことを考えると、ユダヤの渡来人勢力は阿波にあり、その勢力はヤマト王権成立に影響力があった。
だからこそ、伊勢神宮のそれも正宮に祀られている。と考えることが出来るのではないでしょうか?
猿田毘古神と阿波
そして日本神話の中で唯一、容姿を詳細に記載されている神をご存じでしょうか?
それは、猿田毘古神(サルタヒコノカミ)です。
鼻の長さが約120センチもあり、背の丈は約200センチもあり、口と尻は明るく光っていて、目は大きくて丸く、真っ赤な酸漿(ほおずき)のように照り輝いていると伝わっている猿田毘古神(サルタヒコノカミ)は日本系じゃない容姿の特徴を持っていますし、あえて容姿を記載しているというのは渡来系であったことを表すためだとも言われています。
そして阿波国の一之宮、大麻比古神社のご祭神は大麻比古大神と呼ばれている天太玉命と、なんと猿田毘古神(サルタヒコノカミ)です。
ユダヤ的容姿の特徴を持った猿田毘古神(サルタヒコノカミ)は阿波国の一之宮で祀られてることからも、阿波とユダヤの関係は深いのではないでしょうか?
隠されてきた阿波の古代史
大麻比古神社に猿田毘古神(サルタヒコノカミ)と一緒に祀られているのは、天太玉命です。
天太玉命は、阿波忌部氏の祖神である天日鷲命の大先祖の神であり、天日鷲命は神武東征で神武天皇を助けた鳥ともいわれています。
このことからも阿波忌部氏が、ヤマト王権成立の大きな役目を果たしたことがうかがえます。
しかしそんな阿波も、神話の舞台として長らく語り継がれてきたヤマトや出雲、日向と比べて、阿波の古代史はいわば隠された存在でした。
『阿波国風土記』は明治時代に発禁処分され、天皇神格化を進める明治政府は阿波の浮島八幡宮を爆破したりしています。
これも阿波には天皇家にまつわるタブーがあり、隠しておきたい証拠、伝承が阿波にはあったのではないでしょうか?
その隠しておきたいタブーというのが、ユダヤとの深いつながりだったとするならば腑に落ちる話にもなります。
『古代日本のユダヤ勢力の本拠地は阿波だった』という話は、仮説であり考察ですのでいろいろな温かいコメントをお待ちしております。
まとめ
今回は、伊勢神宮で天皇家の祖神である天照大神よりも、大切に祀られている豊受大神について紹介しました。
豊受大神は渡来神の側面が強く、ユダヤとの関係もうかがわせる神です。
そしてその豊受大神と同一神とされている大宜都比売(オオゲツヒメノカミ)を祖神とする阿波は古代日本におけるユダヤの一大勢力だった可能性を指摘しました。
このことについてはまだまだ仮説段階であり、考察にすぎませんが、今回のお話の参考資料は概要欄にリンクを貼っていますので興味のある方はそちらもチェックしてみてください。
<参考資料>
今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!
今日はここらへんでお別れです。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
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