2023年5月24日水曜日

ルドンと私(抄) 水木しげる : Art & Bell by Tora

ルドンと私(抄) 水木しげる : Art & Bell by Tora

ルドンと私(抄) 水木しげる

現在三菱一号館美術展で開かれている「ルドンー秘密の花園」展のブログ記事はこちらである。

以下は、漫画家・故水木しげる氏が、「アサヒグラフ別冊・美術特集・西洋編7・ルドン p84~85、1989」に執筆された随想「ルドンと私」からその要旨を引用したものである。

・ぼくは、滅に、ルドンが好きで、たまらないというわけでもない。"変わった絵だ"というのが子供の時からの印象だ。

(中略)

・ルドンの絵を初めて見たのはずいぶん昔のことだ。学校の図書館で『世界美術全集』をみた。その中に、目の玉があくまでも空に昇る絵をみた。"ルドン"と書いてあった。世の中には不可思議な絵をかくものもいるなあ、と思う一方,ぼくも妖怪が好きだったから、ルドンがいるなら妖怪だって許されるのだ、と思い、気を強くした。
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・それから二、三年して『西洋版画集』なる書物を古本屋でみつけて買った。開いてみると、背中に顔のついた不気味な蜘蛛の絵があった。みると"ルドン"と書いてあった。なるほど、夜みる蜘蛛はこんな形だ、と思いながら強く印象に残った。
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・後年『河童の三平』なるマンガをかいていた時、ぼくはルドンのこの絵が頭の中にあったものだから、家内が蜘蛛になった男の話に、このルドンの蜘蛛の顔を使った。

・また、無限に空に昇る眼球なるエッチングは、鬼太郎の親父の目玉を発想するのに役立った。

・というのは、ぼくは丸い目玉とか丸い模様が好きだ。ルドンがそうだ。丸い目玉もさることながら『沼の花』という光る植物みたいな顔の絵があるが、これも"丸"だ。
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いろいろ暗い版画があるが、たいていどこかに"丸"がある。『小人』という絵も目が大きくバカに丸い、僕は、ルドンの"丸"が好きだったんだなあ、と思う。
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・彼は"丸"もさることながら"黒"も好きらしい。黒の使い方が美味い。画面における黒の分量が適切である、ために、ルドンの黒は黒であっても黒に見えない.ムラサキに見えたり、セピアに見えたりする。画面の黒の分量によって、黒がこうまでも変化するものかと感心させられる。

・妖怪というのは青天白日の下では具合が悪いので、やはり"暗夜"を好む。うると、どうしても"黒"の分量の問題が問題になる。そんなことから、ルドンの"黒"はうまいと感ずるようになった。

・ルドンは晩年になってパステル画を始めるが、これがまた面白い。すでに黒の中にいろいろの色を含んでいたわけだが、その色が晩年になって出てきたのであろう。

(中略)

・ルドンは、デルヴォーなんかとくらべて厳しいし、孤独だ、それにどことなく寂しい。人間が晩年に感ずる絵なのかもしれない。

美術散歩 管理人 とら 

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