2023年5月17日水曜日

オヴィディウス『恋の歌』 スピノザ『エチカ』3:31


3:31

   我ら愛する者はかつ望みかつ恐れようよ、
   他人の捨てるものを愛するなんて野暮なことだ、       (オヴィディウス) 



他人が許すものを愛する人は、鉄の心の持主だ。
恋をするなら等しく希望し、等しく恐れたいものだ。

Hinc et ex propositione 28 hujus sequitur unumquemque quantum potest conari ut unusquisque id quod ipse amat, amet et quod ipse odit, odio etiam habeat; unde illud poetæ:

Speremus pariter, pariter metuamus amantes; Ferreus est si quis quod sinit alter, amat.

https://sacred-texts.com/phi/spinoza/ethics/eth06.htm

9 Ovid, "Amores," II. xix. 4,5. Spinoza transposes the verses.
 "Speremus pariter, pariter metuamus amantes;
  Ferreus est, si quis, quod sinit alter, amat."

http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0068%3Atext%3DAm.%3Abook%3D2%3Apoem%3D19

"As lovers let us share every hope and every fear: ironhearted were he who should love what the other leaves."[9] [9] Ovid, "Amores," II. xix. 4,5. Spinoza transposes the verses.
"Speremus pariter, pariter metuamus amantes;
Ferreus est, si quis, quod sinit alter, amat."

中公

定理三一 もしわれわれが、自分の愛し、欲求し、あるいは憎悪しているものを、ある人も愛し、欲求し、あるいは憎むと想像するならば、まさにそのことから、その人にたいするわれわれの愛や憎しみはいっそう不動なものとなるであろう。ところがもし、われわれの愛するものを彼が拒否している、と想像するなら、あるいは反対に〈われわれの憎んでいるものを彼が愛していると〉想像するなら、そのとき、われわれは心の迷いを感ずるであろう。

証明 だれかがあるものを愛していると想像するただそれだけのことから、〔この部の定理二七により〕われわれはただちにそれを愛するであろう。ところがそうでなくとも、われわれがそのものを愛していると仮定されている。したがってこの愛には、さらにその愛をはぐくむような新しい原因が加わることになる。したがってわれわれの愛するものへの愛は、そのことのために、ますます不動なものとなるであろう。  
 次にわれわれは、だれかがあるものに背を向けていると想像することから、〔同じ定理により〕それを拒否するであろう。ところが、ここで同時にわれわれがそれを愛していると仮定するならば、われわれはこの同じものを同時に愛し、かつ拒否することになるであろう。あるいは心の迷いを感ずるであろう〔この部の定理一七の注解を見られたい〕。かくてこの定理は証明された。  
系 このことおよびこの部の定理二八から、人は、だれもが自分の愛するものを愛してくれるように、また自分の憎むものを憎むように、可能なかぎりつとめるものだということが、導きだされてくる。  ここから、かの有名な詩人の次のようなことばも出てくる。

われら恋するものひとしく望み、ひとしく恐れよう
他人の捨てしものを愛する者ぞ、うたてし(1)  

注解 自分の愛するものあるいは憎むものを、だれもが承認してくれるように欲するこの努力は、じつは野心である〔この部の定理二九の注解を見られたい〕。このことから、だれにも他人を自分自身の気持どおりに生活させようとする気質があるのを知る。だから、すべてのものがそろって同じようにこのことを要求することが、たがいに同じように妨害となる。まただれもが、だれからも称讃されたい、愛されたいと願うことが、たがいの憎しみあいを生む。

(1)この二行の詩は、オウィディウスの『愛』二・一九の第四句と第五句を、逆にして引用したもの。原詩の順を逆にして引用したのは、スピノザに意図があってのことだろう。

ローマ恋愛詩人集
539-542頁

オウィディウス 『恋の歌』

一九、旦那のお人好し

お前には、愚か者よ、乙女を守る必要がないとしても、
ぼくのために守れ、それだけいっそう欲しくなるように。
許されるものは、有難くない。 許されぬものこそ、いっそう激しく燃え立たせる。
他人が許すものを愛する人は、鉄の心の持主だ。
恋をするなら等しく希望し、等しく恐れたいものだ。
そうしてたの拒絶が 願望の余地を作ってくれるといい。
絶対に偽ろうとしない幸運など ぼくにとって何になろう。
決して傷つけてくれぬものなど ぼくは何も愛さない。
コリンナはぼくの中にこの欠点をずるくも見つけていた。
賢くもぼくを捕える手立てを知っていた。
ああ、幾たび、健康な頭の痛みを偽って、
ためらうぼくに 進まぬ足で帰るようにと命じたことか。
ああ、幾たび、罪を装って、潔白の人にできる範囲で、
危害を加える振りをしたことか。
こうして苦しめ、冷めかけた火を 再び燃え上がらせてから、
もう一度ぼくの願いに愛想よく素直になったものだ。
何という媚びを、何と甘い言葉を、ぼくのために用意したことか。
どのような口付けを、偉大な神々よ、どれほど多く くれたことか。
最近ぼくの目を奪った君もまた、
しばしばわなを恐れ、しばしば懇願されても嫌と言え。
君の扉の前の敷居の上に 体を伸ばしたぼくに
霜の夜の長い寒さを我慢させよ。
そうすればぼくの恋は辛抱強くなり、長い年月かけて成長する。
これが役立つ、これがぼくの情熱の糧になる。
豊かであまりに開かれた恋はうんざりさせる元になり、
甘い食物が胃を悪くするように、害になる。
青銅の塔がダナエーを閉じ込めなかったら、
ダナエーはユッピテルによって母になることはなかっただろう。
ユーノーが角で姿の変ったイーオーを監視している間に、
前よりいっそう彼女はユッピテルのお気に入りになった。
許された容易なものを望む人は、木から葉を摘み、
大河から水を飲むがいい。
長い間支配しようと望む女は、恋人をだますがいい。
(ああ、このぼくが自分で自分の忠告に苦しめられませんように)。
何が起ろうと、甘さはぼくのためにならぬ。
追うものを、ぼくは逃げ、逃げるものを、こちらから追う。
だが美しい乙女にあまりにも警戒を怠っているお前は、
もう夜になる頃、扉を閉ざすことを始めよ。
誰がこれほど度々こっそりと お前の敷居を叩くのかと、
いぶかり始めよ、なぜ犬が静かな夜に吠えるのか、
どんな手紙をもって抜け目ない下女が行き来するのか、
どうしてこれほど度々 乙女は空(から)の褥(しとね)に独り寝るのかと。
時にはこんな心配に お前の骨の髄まで噛ませ、
たくらみの機会と種をぼくに与えよ。
オ愚か者の妻を愛することのできる者は、
人気(ひとけ)のない浜で砂を盗むことができる。
今こそぼくは警告する。お前が乙女を守り始めなければ、
彼女はぼくのものであることをやめ始めるだろう。
多くのことに長いこと耐えた。しばしばぼくは上手に出し抜くことが
できるように、お前が上手に監視するようになることを期待した。
お前は鈍で、どこの旦那にも耐えられぬことに耐えている。
だがぼくには、許された恋は終りを告げるだろう。
確かにぼくは、不幸なことに、言い寄ることを決して妨げられないのか。
夜は誰にも罰せられずに いつもぼくのものになるのか。
何も恐れるものはないのか。ため息もつかずに眠りをむさぼれるのか。
お前の死を願うのが当然のことを お前はしてくれないのか。
気のいい男をどうすれば、妻を売る夫をどうすればいいのか。
彼は自分の欠点でぼくの喜びを破壊する。
これほどの辛抱を喜ぶ他の男をどうして探さないのか。
ぼくをお前の恋敵にしたいと思うなら、妨害せよ。

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