2023年5月24日水曜日

若林 泰央| 大阪大学 大学院 情報科学研究科 情報基礎数学専攻 ウェブサイト

数学者に遠慮なく研究の話をしてくださいと言ったら【学術対談】 

准教授 若林 泰央 Wakabayashi Yasuhiro

東京大学大学院数理科学研究科特任助教,東京工業大学理学院数学系助教などを経て,2022年10月に大阪大学に着任.

[研究分野について]

私はおもに,代数多様体上のベクトル束や微分作用素などに関連する対象の(数論幾何学的観点を含む)研究をしてきました.たとえば,dormant operと呼ばれる,正標数代数曲線上の然るべき接続付き主束の数え上げ幾何学を展開してきました.ほかにも超代数幾何学やp進Teichmüller理論(および遠アーベル幾何学)にも関わっており,最近は正標数代数多様体におけるCartan幾何や(G, X)構造(ただしGは代数群,Xはその商として得られる等質空間)の幾何学に取り組んでいます.
関わっている理論や分野の名前をこのように挙げれば取り止めなく数学をやっているように聞こえるかもしれません.(実際それは間違ってないのですが)しかし,私の研究においてつねに中心に位置するキーワードに「モジュライ空間」という概念があります.

[モジュライ空間とは]

私たちは「四面体」という言葉の定義を知っています.それでは,四面体の定義を知っていれば四面体について完全に理解したことになるのでしょうか.おそらく違うでしょう.たとえ定義を知っていたとしても,私たちには以下のような問いについて考える余地が残されています:
・二つの四面体を「同じ」とみなすのはどのようなときだろうか.
・四面体にはどれだけの種類があるのだろうか.
・四面体どうしの「似ている具合」をどのように測ればよいだろうか.
これらはいずれも四面体たちが織りなす関係性や多様性の在り様,つまり比喩的に言えば「四面体たちの社会」に関する問いかけです.四面体たちの社会について理解が進んだとき,私たちは一段と四面体に対する認識を深めたと言えるのではないでしょうか.

与えられた条件を満たす(たとえば四面体のような)数学的対象を分類し,それらの関係を理解することは,数学における中心的な課題の一つです.そのアプローチとして,対象たちの集まりを,幾何学的構造を持った空間と捉える観点があります.数学的対象を分類するこのようなパラメータ空間のことをモジュライ空間と呼びます.例えば,主偏極アーベル多様体を分類するモジュライ空間やインスタントンを分類するモジュライ空間など,数学の世界には様々な種類のモジュライ空間があります.皆さんお馴染みの射影空間も,アフィン空間内の直線を分類するモジュライ空間にほかなりません.

諸々のモジュライ空間に内在する(計量の存在や連結性といった)幾何学的構造を分析することによって,分類している対象どうしの関係や変形の在り様など(つまり,先ほどの言葉でいうところの「社会」)を,幾何学における言語や観点に基づきより高い精度で理解・記述することが可能です.スローガンを掲げるならば,

「○○を分類するモジュライ空間の幾何学」 = 「○○たちの社会学」

と言えるのではないでしょうか.たとえばモジュライ空間が連結であるならば,それが分類している対象のうちどの二つも連続的な変形で移り合うことがわかります.

また,異なるモジュライ空間どうしの比較は私たちに重要な事実をもたらすことがあります.二つのモジュライ空間の幾何学的構造あるいはそれぞれに付随する不変量が何らかの意味で等価であるならば,一方のモジュライ空間が分類する対象の情報によって他方の分類の様子が理解できます.このような方法によって対象や現象の背後に潜む個別性を越えた深い結びつきが見出される場面は数学において随所に見られます.幾何的Langlands対応やMNOP予想などはそういった観点を含む主張(予想)です.

[代数曲線のモジュライ空間]

私がとくに興味を持っているモジュライ空間は「代数曲線(あるいはRiemann面)のモジュライ空間」です(こいつはとにかく可愛い!).より正確には,2g-2+r>0をみたす非負整数の組(g, r)に対して定まる,種数gのr点付き非特異射影代数曲線を分類するモジュライ空間を考えます.代数曲線を大雑把に説明すると,代数多様体,つまり局所的に多項式系の零点集合として表される幾何的対象のうち,一次元のパラメータによって記述されるものです.複素数を係数に持つ代数曲線はRiemann面とみなすことができます.

一次元と聞いて「なんだか大したことなさそうだな」と思われるかもしれません.しかし実際は,一次元でも非常に奥深く,未開の領域をたくさん秘めています.その一方で,高次元ではないこともあって比較的扱いやすく,様々な数学を展開するポテンシャルを備えた両面あわせ持つ存在です.たとえば有限体上の代数曲線に関する理論は,符号理論や暗号理論などにも応用されています.

また,代数曲線のモジュライ空間の構造は,一般にはいまだ完全に理解されているとは言えず,依然としてミステリアスな魅力を放っています.この空間は数学の世界において主役級のキャラクターの一人と言っても過言ではないでしょう.歴史的にもこのモジュライ空間を理解することにおいて(Teichmüller理論に代表される)多くの数学が発展し,多岐にわたって分野の繋がりが見出されてきました.以下では,代数曲線のモジュライ空間に関係するトピックをいくつか簡単に紹介します.

【p進Teichmüller理論】 Riemann面の一意化理論の類似を,標数p>0やp進的な幾何学の世界で展開させたものがp進Teichmüller理論です.この理論では,正標数代数曲線上で定義される「べき零固有束」という接続付きPGL(2)-束が中心的な役割を担います.たとえば,通常べき零固有束は下部代数曲線の正準的p進変形を誘導し,標数pの体およびp進体上で定義される代数曲線たちの間の繋がりがもつ深い数論的現象を詳らかにします.また,そういった固有束をp進変形して得られるクリスタルは,Riemann面の一意化に付随するFuchs表現のp進類似を与えます.このような事実の背景には,(通常)べき零固有束付きの代数曲線を分類するモジュライ空間の構造に対する研究があり,その空間上で構成されるFrobenius持ち上げや無限遠点における状況の分析などが議論の核となっています.

【遠アーベル幾何】 各代数多様体に対し,エタール基本群と呼ばれる位相群を考えることができます.これは位相的基本群,つまり多様体内のループのなす群の対応物としてGrothendieckにより導入され,「代数多様体(あるいはより一般のスキーム)のGalois理論」を実現するものです.遠アーベル幾何では,エタール基本群において生じる双曲的代数曲線の数論的現象(剛性)を理解することが目標の一つです.たとえば,Grothendieck-Teichmüller群という,r(>3)点付きのRiemann球面を分類するモジュライ空間たちの基本群から定まる群があります.エタール基本群の性質から,有理数体の絶対Galois群がこの群に埋め込まれていることが分かります.出自の異なるこれらの群の比較(まだ完全には解明されていません)によって,モジュライ空間の幾何が有理数体のGalois拡大によって統制される様子を記述することが可能になります.

【交叉理論】 部分多様体の交叉の様子や数え上げに関する技術を提供する理論が交叉理論です.代数曲線のモジュライ空間に関連する交叉理論は,たとえばGromov-Witten理論のように理論物理学(弦理論)を背景の一つとしながら大いに発展してきました.二つの或る量子重力モデルが等価であるという期待から数学的に定式化されたWitten予想というものがあります.これは代数曲線のモジュライ空間(のDeligne-Mumfordコンパクト化)上定義されるψ-類の交点数の生成関数がKdV階層のτ関数になるという予想であり,一見すると計算が難しそうなψ-類の交点数を具体的に導くことができる驚くべき主張です.今となってはKontsevichをはじめとする数学者たちによって多様な証明が与えられています.このように理論物理学と呼応してモジュライ空間の理論が進展していくのは興味深い出来事です.

【トロピカル幾何】 各頂点や各辺に数値的データを付与して定まるグラフを「トロピカル曲線」と呼びます(異なる定義もあります).トロピカル曲線は純粋に組み合わせ論的対象であり,したがってそのモジュライ空間の幾何学的構造もまた組み合わせ論的に記述し得るものです.じつはその空間と代数曲線のモジュライ空間の間に,Berkovich解析化を介した幾何的な繋がりを構成することができます(Abramovich, Caporaso, Payne).この繋がりの背景には,トロピカル曲線を代数曲線の或る種の極限(トロピカル化)と見なしているという観点があります.このような繋がりは,代数曲線のモジュライ空間の構造を理解するための組み合わせ論的アプローチを提供し,先に触れた交叉理論における諸々の数え上げ問題への応用をもたらしてくれます.

[今までの研究について]

冒頭で私の研究分野について簡単に紹介しました.ここでは,(参考になるかわからないですが)今までの経緯を振り返りながらそのうちの一部をお話しさせてください.

【修士課程】 大学院では望月新一先生に師事しました.修士課程のはじめの頃に読んで勉強したのは,SGAシリーズやその後の研究に繋がる文献,たとえばモジュライ空間の一般論や対数幾何学に関するものなどです.そしてその合間を縫って(というか気分転換に?)できるかぎり幅広く各分野の文化に触れるようにしていました.そのおかげで自分の興味の範疇にある領域の全体像を(当時も今も低い精度ですが)把握することができたと同時に,研究を前に進めるために必要な「問いの立て方」をそこから多面的に学んだような気がします.
遠アーベル幾何に関する研究が修士論文のテーマになりました.具体的には,カスプ化と呼ばれる,有限体上定義された代数曲線の配置空間を群論的に復元する問題です.修士二年の始めごろから修士論文を書き始めましたが,当時の私はTeXを使ったことすらなく,初めて書く論文にとにかく悪戦苦闘した記憶があります.何度も書き直しては文章の構成を組み替え,証明を洗練させ,その結果かなり時間がかかってしまいました.
今となっては遠アーベル幾何は私の中心的な研究テーマではありませんが,このときに理論の奥深さや哲学の一端に触れることができ,とても有意義な二年間となりました.

【博士課程】 博士課程ではどんなことをやろうかと悩みつつ,いろんな勉強をしてしばらくふらふらしていたのですが,あるとき一つの未解決問題と出逢います.Kirti Joshiさんという方による予想なのですが,それはdormant PGL(n)-operの個数を明示的に与える公式の正しさを主張するものです.Dormant G-oper(ただし,Gは簡約代数群)という正標数代数曲線上の対象は,p進Teichmüller理論のなかで論じられる休眠固有束を一般化した概念です(G=PGL(2)の場合が休眠固有束に相当).たとえばdormant GL(n)-operは,根がすべて代数的で主表象が可逆なn階線型常微分作用素に対応します.
このような対象の数え上げに関する先行研究はほとんどなく,当初は本当にその予想が正しいのか確信が持てませんでした.しかしその公式の美しさと意外さゆえに「自分がその予想を解決したい!」と強く思った当時のことは今でも鮮明に覚えています.その後の研究の方向性を決定づけた瞬間でした.
n=2の場合,つまり最も簡単な場合でこの予想が正しいことを示した論文が私の博士論文です.dormant PGL(2)-oper(= 休眠固有束)を分類するモジュライ空間の構造については,すでにp進Teichmüller理論のなかで詳細に分析されています.そういった先行研究と簡単なRiemann-Rochの定理の計算を組み合わせることにより相対Grassmann多様体の次数公式(Gromov-Witten不変量の計算)と関係づけ,証明することができました.証明は決して難しくありませんが,p進Teichmüller理論とGromov-Witten理論がこのような形で結びつくことに対し,論文を書いた当時はひたすら感動していました.

【ポスドク〜助教】 この頃は複数の研究テーマに取り組んだのですが,Joshiさんの予想にも継続して関わっていました.一般のnに対して博士論文と同様のアプローチで解決するためには,p進Teichmüller理論の一部を大きく拡張・一般化する必要があります.当時はdormant operのモジュライ理論はおろか,それが前提としている対数スキーム上の接続付き主束に対する一般論も十分に整備されている状況ではありませんでした.必要な段階を一から積み上げながらコツコツ証明を書き進めていくなかで(学生の頃はまったく分からなかった)元々のp進Teichmüller理論に対する理解も同時に深まっていったように思います.
論文を書き上げてからも査読が終わるまでにかなり時間がかかりましたが,最終的に,一連の基礎理論と一般のnに対するJoshi予想の証明は以下の本(左下の写真はその表紙)になりました:
Y. Wakabayashi, A Theory of Dormant Opers on Pointed Stable Curves,
Astérisque 432, Soc. Math. de France (2022), in press.
Joshiさんが予想した公式は,数学的にも精神的にも多大な成長を促してくれました.その公式は私にとって大切な先生の一人です.

ちなみに,dormant operやそのモジュライ空間は(先ほど触れた相対Grassmann多様体との対応のみならず)多種多様な数学的対象との関わりがあり,たいへん面白いです.たとえば,完全退化曲線上のdormant PGL(2)-operは,彩色グラフや有理凸多面体内の格子点と対応し,組み合わせ論的にその数え上げ幾何学を記述することが可能です.また,dormant Miura PGL(2)-operと呼ばれるものは,(たとえば小平消滅定理の反例となる)いわゆる「病理的な」正標数の代数曲面を誘導します.さらにそれらはGaudin模型におけるBethe仮説方程式の有限体上の解とも繋がります.このような連関を通じて各々の対象に対する理解を相互的に深めることができます.

[大学院進学を考えている学生の皆さんへ]

以上の説明で紹介したトピックは,関連する数学のなかのごく一部です.それらは様々な数学とリゾーム状に相互接続しており,分野横断的な研究の可能性に開かれています.ですから(ここでは代数曲線に関連するモジュライ空間についておもに説明しましたが,それに限らず)自分の関心に沿った研究内容やアプローチを見つけることがきっとできるはずです.主体的にテーマを考え研究に取り組んでみたい学生さんは大歓迎です.
数学研究の日々には,人や文化や歴史との素晴らしい出逢いがあります.そして現象と向き合い発見していくことのかけがえない喜びがあります.楽なことはほとんどありません.ぜひ学生の皆さんには,人類が連綿と繋いできた数学というバトンリレーに関わることを通して,心震わせる物事に出逢い,自らそれをとことん深める経験をしてほしいと願っています.

0 件のコメント:

コメントを投稿