「資本と国家への対抗」に機運 哲学者の柄谷行人さんに聞く
昨年来、米国での講義などの予定がなくなり、『世界史の構造』に続く「交換様式」に関する大作に取り組みながら、多摩の里山を歩き回る日々を送る。「庭で作物を作っているのをずいぶん見かけるようになった。農地を借りている人もいるようだ」。テレワークが進み、都会を出て地方に移住する人が増えたことに注目している。
アソシエーションとは、特定の興味や目的で結びついた社会組織を指す。食や環境への関心に導かれ、若者たちが都市から地方に移って就農することを「地縁や血縁で結びついた昔の共同体を取り返しているのではなく、新しい共同体を作っている」と好意的にみている。
多くの論者がコロナ禍をグローバル化と結びつけ、人々の移動の激しさが感染拡大を生んだと読み解いてきたが、柄谷さんは、むしろ「定住」にこそコロナ禍の根はあるとみる。
「僕の考えでは、人類史の大きな境目は定住にある。人類がなかなか定住に至らなかった原因の一つは、密集することで疫病が蔓延(まんえん)するからです。現代ほどの人口を抱えることは人類史になかった。移動の激しさはその次にくる要因でしょう。コロナは人類史そのものの問題なんです」
*
柄谷さんは『世界史の構造』などの著作で、「交換様式」という観点から歴史や社会を分析し、台湾のオードリー・タンIT担当相をはじめ、多くの人に影響を与えてきた。交換様式には、A=互酬交換、B=略取と再分配、C=商品交換、そしてAを高次元で回復した「D」の四つがあると柄谷さんは説く。それぞれが同時に存在しながらも、どの交換様式が支配的かによってその社会の性格が変わり、Aなら氏族社会、Bなら国家および帝国、Cなら資本制社会とみなすことができる。
かつて定住は蓄財を生み、互酬交換を発生させ、交易が始まって国家ができ、国家が資本主義を生み出した。コロナ禍で多くの企業の業績が悪化し、資本主義は危機にあるようにみえるが、柄谷さんは「国家と結びついた資本主義はそんなに簡単には終わらない」とみる。「産業資本主義は、個々の資本が利益を追求するばかりでは成り立たない。国家が個々の利害を超えた『総資本』の役割を担って労働者をつくり出すために学校教育を行い、年金などの社会福祉制度を作る。資本のもとに国家があり、国家が資本主義の理性のように働くわけです。だから、国家と資本主義のどちらかだけが滅びることはない」
だからこそ、「NAM」は資本と国家両方への対抗を掲げたのだろう。アソシエーション運動は「自由かつ平等な社会を実現するための運動」であると柄谷さんは言う。NAMは2000年に結成され、資本制へのボイコットや地域通貨を通じた活動を展開したものの、約2年半で解散した。
だが柄谷さんはその後も反原発デモに参加するなど、アソシエーション運動を実践してきた。一度は絶版にした『NAM原理』はウェブに残っていた英語訳が海外で読まれ、中国では独自の組織も生まれているという。「今回の本を読んだ人に、『昔と違ってよくわかります』と言われるんです。逆に言えば、当時はいかに理解されなかったかということでもある」
*
この20年で日本社会は東日本大震災や原発事故などを経験し、コロナ禍でも大きく変わった。「現在の産業資本主義社会ではダメだ、ということが見えてきたのでしょう。ものを作るのではなく、情報から差異を生み出せばよいというふうになっている。果たしてその発展が人の望むものを実現しているでしょうか。コロナ禍でも株価が上がるような状況に、嫌気が差す人が増えてきている」
柄谷さんは「アソシエーションの運動は交換様式Aの段階で、直接的に資本主義や国家を倒せるわけではない」とした上で、それでもアソシエーションには意味があると言う。「望むものが何かわかっていないと、実現したときに気付かず、つかみ損ねるかもしれない。『D』を追い求めることと、アソシエーションをやることは両立する。そうやって待つほかはない」
では、その「D」とは何か。これまでの著作では、普遍宗教や社会主義にその要素があるとされた。「人の力を超えたもので、いわば『神の力』なんです」。原始キリスト教が追い求め、ドイツのマルクス主義思想家ブロッホが「希望」と呼んだのも同じものだと言う。
「神というとすぐに宗教と誤解されるのですが、資本にも『物神』の力が働いています。ただ、私も今までの仕事では十分に書けていない。だからいま取り組んでいます」。その考察はいよいよ最後の山場を迎えている。(滝沢文那)=朝日新聞2021年5月19日掲載
0 件のコメント:
コメントを投稿