遺跡情報
たむらいせきぐん
田村遺跡群
縄文時代から近世にかけての遺跡です。縄文時代後期では九州との関連が深い鐘崎式土器が多く出土し、注目されています。弥生時代では本格的に稲作を始めた初期のムラの様子が明らかとなりました。中期には西日本でも屈指の大集落となり、大きな影響力を持っていました。古代では官衙的な建物跡が検出され、荘園を管理する施設の可能性があります。中世では守護代の居館である田村城館とその周辺には環濠を伴った屋敷地が検出され、土佐国を支配する拠点でした。
- 所在地
- 南国市田村 GoogleMAPで表示
- 主な時代
- 縄文時代・弥生時代・古代・中世・近世
- 主な遺構
- 竪穴建物跡・大溝・土坑・掘立柱建物跡・環濠屋敷跡
- 主な遺物
- 縄文土器・弥生土器・銅矛・土師器・須恵器
基本情報
備 考
こうちじょうあと
高知城跡
高知城跡は、高知市内中央部に位置し、標高45mの大高坂山に築かれています。市内を東流する鏡川と江の口川に挟まれた孤立丘陵上に立地し、双方の川を外堀とし、山麓には内堀を配しています。城跡の基礎は南北朝期に遡り大高坂氏の頃とされています。その頃の遺構と遺物は城内の西部にある「御台所跡」で確認されています。天正16年(1588)には長宗我部氏が大高坂城(高知城)に進出してきます。その後、慶長三年(1601)に山内氏が土佐に入国し、現在の本丸、二の丸が完成した後に入城します。現在の高知城の姿に近い形に完成するのは慶長16年(1611)二代藩主忠義の時代で「三の丸」が完成します。近年、本丸の南石垣と三の丸の東面、南面の改修工事が行われ、発掘調査が行われました。三の丸石垣の背面には長宗我部氏の段階に築かれた高さ3mほどの石垣が発見され、桐文瓦が出土しました。また、江戸時代の三ノ丸御殿に関連する排水施設である石組み暗渠も確認されました。これらは、現在の三ノ丸で整備後、露出展示されており見学できます。
- 所在地
- 高知県高知市丸ノ内 GoogleMAPで表示
- 主な時代
- 江戸時代
- 主な遺構
- 石垣(長宗我部期)・石組み排水施設(石樋)・ピット・土坑
- 主な遺物
- 土師質土器・備前焼・近世陶磁器・瓦 他
基本情報
備 考
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