2022年8月16日火曜日

アシモフのファウンデーションシリーズ

 アシモフのファウンデーションシリーズ

興亡史


「帝国から新しい原子炉を入手することを思いつき次第、気のすむまでさ」  するとマロウは楽しそうに笑った。「間違ってる、サット、主席自身が間違ったと同様に、ひどい間違いをおかしている。きみはあらゆる点で間違っており、なんにも理解していない。いいかね、きみ、帝国は何も補給することはできないのだ。帝国は常に広大な資源の王国だった。かれらは何もかも、惑星群の規模で、星系群の規模で、銀河系の全星域の規模で計算してきた。かれらは途方もなく巨大な規模で物事を考えた。だから、かれらの原子炉は途方もなく大きい。  しかし、われわれは──われわれ小さなファウンデーションは──ほとんど金属資源のない単一の世界は──非常識な経済で仕事をしなければならなかった。われわれの原子炉は人の親指ほどのサイズでなければならなかった。なぜなら、せいぜいそのくらいしか、金属を使うことができないからだ。われわれは新しい技術、新しい方法を開発しなければならなかった──帝国が追従できない技術や方法をだ。なぜなら、帝国は真に生命力のある科学的進歩をすることができる段階を超えて、退化してしまっているからだ。


対帝国


プロローグ

  銀河帝国は崩壊しつつあった。  それは銀河を構成する巨大な二重螺旋の腕の端から端に達する、何百万もの世界にまたがる壮大な帝国であった。その崩壊もまた壮大であり──長い時間がかかった。終局に行き着く道程もまた長かったからである。  帝国はすでに何世紀も前から崩壊を続けていたが、やがて、一人の男が実際にそれに気づいた。気づいた男はハリ・セルダン。かれは、いわば増大する頽廃の中にただひとつ残された創造的努力の火花だった。かれは心理歴史学という科学を発展させ、それを頂点に導いた。  心理歴史学は一人の人間を扱うのではなく、人間の群れを扱うのであった。それは群衆の科学、それも何億という群衆の、科学だった。この学問は刺激にたいする群衆の反応を、もっと規模の小さな科学がビリヤードの玉の跳ね返りかたを予測するのと同程度の確実性をもって、予測できた。一人の人間の反応は、既知の数学では予測することは不可能だが、何億もの群衆の反応はまたおのずから別であった。  ハリ・セルダンはその時代の社会的、経済的な流れを図表にし、そのカーブを綿密に研究して、文明の継続的、加速的崩壊を予測した。また、廃墟から新しい帝国が生まれてくるまでに、三万年の断絶があることを予測した。  その崩壊を防ぎとめるには手遅れだったが、まだ野蛮の隙間を閉じるだけの余裕はあった。セルダンは二つのファウンデーションを、〝銀河の両端〟に設置したが、その位置は、一千年期という短期間に、それらの間から否応なしに第二帝国がより強力に、より永久的に、よりすみやかに出現するように、物事を撚り合せ、編み上げるために、選定されたのであった。 『ファウンデーション』は、これらのファウンデーションの一方の、最初の二世紀の活動を描いた物語であった。


第二


8 〈セルダン・プラン〉    

 数学 n変数の計算法と、n次元の幾何学の計算法の総合が、セルダンがかつて、「人間についてのわたしのちょっとした代数学」と呼んだものの基礎である…… 銀河百科辞典    

 ひとつの部屋を思い浮かべて!  当面、その部屋がどこにあるかは問題ではない。ただ、他のいかなる場所よりも、その部屋の中に第二ファウンデーションが存在している、そういっておけば充分だろう。  それは、何世紀にもわたって、純粋科学の住居になっていた──しかし、そこには、何千年も科学と結びつけて考えられてきたので、科学がその同義語になってしまっている機械類は何ひとつなかった。それは、そういう科学とは違って──ちょうど、古代の、古代の原始人の、高度科学技術が発生する前の前史時代の、つまり、今ではわからなくなってしまっている唯一の世界を超えて人類が拡がる以前に、人間が物事を思索したのと同様な方法で──数学的概念だけを扱う科学だった。


 かれらは一緒に光の中に立った。それぞれの壁は長さ三十フィート、高さ十フィートあった。映った文字は小さく、壁面をびっしりと埋めていた。 「これは〈プラン〉全体ではない」第一発言者はいった。「両方の壁にそのすべてを映すとすれば、それぞれの数式は顕微鏡的な小ささになってしまうだろう。だが、その必要はない。今きみが見ているのは、現在までの〈プラン〉の主要部分だ。これは勉強したろうな?」


ナウシカ漫画版#7:



ジョブズも経済学者も憧れた!『ファウンデーション・銀河帝国の興亡』の学問『心理歴史学』を解説!【岡田斗司夫切り抜き】本/オススメ/SF/Appl...

クルーグマン:アシモフ「ファウンデーション」シリーズへのイントロダクション - P.E.S.
https://okemos.hatenablog.com/entry/20121021/1350805485

クルーグマン:アシモフ「ファウンデーション」シリーズへのイントロダクション

クルーグマンが新しくでるアシモフの「ファウンデーション」シリーズへイントロダクションを寄せたそうで、それを自身のブログで公表していました。でまあ、クルーグマンアシモフ*1もどちらも著名人なんですが、だからといってその二乗のこのイントロが日本で商業的に出るかどうかはわかりません。ほんとかどうか知りませんが、世界一多いファーストネームはムハンマド、世界一多いラストネームはチャン、しかしこの世にムハンマド・チャン氏はいないと言いますけど、ま、そんな感じかもしれません。ということで、訳しておきました。ただ、これまでのこのブログでのクルーグマンの翻訳では"I"を基本、「私」で訳してましたが、今回は何となく雰囲気で「僕」にしてます。なぜか、70年代の青春系SFの翻訳文体のマネをしたかったので...
なお「ファウンデーション」シリーズの重要なアイデアである「心理歴史学」とは、人間集団に適用された気体分子運動論のアナロジーで、個人の行動は予測できないが、集団の行動は予測できるとしたアイデアです。より詳しくは、wikipediaでの記述を参照してください。
追記:このイントロダクションはファウンデーションの新装版へのものなのに、誤って映画のタグがついてしまってました(削除済み)。このポストは依然書きかけた映画についてのポストを消して書き直したものでしたので、その時のカテゴリータグをうっかり消し忘れてました。
追記2: 無茶苦茶恥ずかしい間違いを発見しました。クルーグマンの大学をイェールなんて書いてましたが、プリンストンでした。ああああ、なんでこんな低レベルのミスを!調べればすぐ分かったことだったのに、なぜかイェールだと思い込んでました。すいません。
追記3:注13のスタトレオープニングのフレーズについて、コメント欄でのJavaBlackさんからの指摘を受けて一部修正しました。
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イントロダクション-

10代の少年の人生を変えてしまう小説というものがある。それはアイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」であったり、あるいはトールキンの「指輪物語」だったりするだろう。広く知られるネット上のミームによると、この2冊のうちのひとつの中で描かれる非現実的なファンタジーの世界は若者の心を永遠に歪めてしまうそうだ。そしてもう一冊はオークについての本である*2。でも僕についてはそのどっちでもなかった。僕の本、40と5年も経ってもまだ僕の中にある本は、アシモフの「ファウンデーション三部作」だ。これは彼自身が10代をようやく終えたばかりの頃に書かれたものだった*3。僕は四角いアゴの個人主義者になったり、英雄的な探求に参加したいと思いながら大人になったりはしなかった。僕はハリ・セルダンになりたりと思いながら大人になっていったんだ。人間行動についての数学を理解して文明を救いたいと思いながら。
だがもちろん、経済学は非常に貧弱な代替物だ。今から100年か200年経って、時間霊廟*4の中に録画映像として登場できるなんて思ってはいない。とはいえ、それでもがんばってはみたんだけどね。
そして、移民であった僕の祖母がよく言っていたように、スケベな事のできる大人にまで育った今、この「ファウンデーション」は僕にはどう見えているだろうか?それは、これまでよりさらに良く、なんだよ。この三部作は珍しい名作だ。他にはこういうものは全くない。ところでこれからはネタバレ話になるから、まっさらな状態で三部作に接したいならここで読むのを止めてくれ。
たぶん、「ファウンデーション」について最初に言っておくべきことは、これが正確にはサイエンスフィクションではないということだ*5。全く違う。もちろん、これは未来を舞台にしているし、恒星系間航行はあるし、人々がお互いに撃ち合うのはピストルではなくて光線銃だし、うんぬん。でもこういったことは表面的なことでしかないし、この物語のなかでは小さな意味しか持っていない。この「ファウンデーション」の小説は、社会についてであって、ガジェットについてではない。そして、たとえば、ウィリアム・ギブソンのサイバーパンク小説などとは違い、ま、それも非常に違う形でとても優れたものなのだが、技術の進歩による変化があまりない社会についてものだ。アシモフの銀河帝国はローマ帝国にとてもとても似た感じだ。帝国の首都であるトランターはハイパーバージョンの1940年代マンハッタンのよう。ファウンデーション*6自体もアメリカの歴史をかなりの程度なぞっているように感じられる。ボス・ツィード*7の政治や泥棒貴族タイプの金権政治を経て、三部作の終わりでは20世紀中ごろのアメリカに似たものへと移り変わっていく。もっともアシモフはそれが最後の状態ではないことを明白にしているが。
ここではっきりさせておこう。「ファウンデーション」の中でみられる様々な社会が見慣れたものであることを指摘することで、僕は批判しようとしているわけではない。全く違っていて、アシモフの創作した社会が歴史のなかのモデルをなぞっている事からのこの見慣れた感じは、彼が思いついたアイデアとぴったりだったのだ。それは、社会というものを理解し、そしてそれがどう変化するかを予測して、さらにその変化を操って利用することができる厳格な数学的社会科学の可能性だ。
このアイデアが物語全体の基礎となっている。ファウンデーションの中では小さな数学者の集団が、上で述べた社会についての厳格な科学である「心理歴史学」を生み出す。彼らが住む強大な銀河帝国にその科学を適用してみて、彼らは実は帝国が最終的な衰退の過程にあることを見出す。そしてその崩壊のあとには、3万年にわたる野蛮の時代が続くことになる。しかし、彼らはまた慎重にデザインした誘導により、この道筋を変えることができるのを発見する。帝国を救うことはできないが、しかしやってくる暗黒時代をたった千年にまで短くすることはできる、ということ。
小説はこのプランの展開を追っていく。最初の一冊と半分、つまりファウンデーションファンデーション対帝国の前半は、すべて順調にいく。そして、プロットは急展開してプランがコースを外れ、第三巻にその名を冠する謎めいた第二ファウンデーションによって元に戻されることになる。
こう書くと、この物語がまるで無味乾燥でお説教めいたものに聞こえるかもしれない。そして実際、もし豊かで繊細な人物造形を求めているのなら、アンナ・カレーニアを読んだほうがいい。実際のところ、アシモフは興味深い人物を生み出すのが多くのサイエンスフィクション作家よりもうまくて、10代のころのぼくは三部作を締めくくる元気のいいヒロイン(かな?)のアーカディア・ダレルを好きになったりしたものだったが、でもまあ、それはあんまり大したことを意味したりはしないんだ。
また言っておくと、もし派手な撃ち合いシーン、ギリギリでハン・ソロルーク・スカイウォーカーデス・スターを破壊するようなのを期待してるのでも、やっぱり失望することになるよ。宇宙での戦闘については一度軽く触れられるだけ。そしてその戦闘の真の目的、として僕たちが知ることになるのは、結局はやられてしまうだけの敵の破壊ではなくて、プランに沿う心理状態を作り出すことだったりするんだ。公平にいえば、ヒーローの(というか実際はヒロイン。ファウンデーション対帝国の最後でのベイタ・ダレルだ)の素早いアクションに銀河の運命がかかっているシーンは、ある。しかしそれですら、通常のアクションものではないんだ。ベイタが最後の最後に世界を救うのは、いいものの一人を撃つことでなんだ。
しかし、よくあるハラハラシーンや、そして物語の大部分でのヒーローや悪者の欠如にも関わらず、「ファウンデーション」はとてもスリリングなものなんだ。サスペンスフルで、心を奪うし、そして言ってしまうと、すがすがしくシニカルだ。ありがちなハラハラシーンの欠如は、ありがちでないハラハラの欠如ということにはならないんだよ。
最初の1冊と半分の中では、銀河の運命が危ういように思えることが何度もおこる。ファウンデーションが、野蛮な王達や、辺境の将軍、そしてついには衰退しているものの未だに強力な帝国自身によって滅亡の危機にさらされるからだ。こういった危機のそれぞれに、彼らの勇敢さと知恵だけが唯一の希望であると思えるような人々が立ち向かっていく。毎回、ファウンデーションが勝利する。しかしここに驚きが隠されているのだ。事態が収まった後、勇敢さや知恵は全然関係なかったことが明かされる。歴史心理学の法則によりファウンデーションは勝利することが運命づけられていたのだ。毎回、そのことをはっきりと知らしめるために、何世紀も前に記録されていたハリ・セルダンの画像が時間霊廟の中にあらわれて、みなに何が起こったのかを説明するんだ。野蛮人たちは征服することなどできなかった。なぜなら、ファウンデーションはその優れた科学力を宗教のごとく装って彼らをあしらっていけるからだ。将軍たちの軍事力もファウンデーションの経済の威力に敵うものではなかった。こういった調子。
この珍しいプロットの構造は、「ファウンデーション」と一見すると全然関係のないジャンル、予言ファンタジーとでも呼びたいものとの間の皮肉な類似性を生み出している。そういった小説、ロバート・ジョーダンの「時の車輪」なんかが思い浮かぶけど、そういったものの中では主人公は幻視や過去の書物などに予示された神秘な運命のもとにあり、プロットの展開はこの運命へむかっての主人公の歩みを語るものになっている。本当をいうと、僕はこういったフィクションが大好物だ。そんなものとは似ても似つかない現実の生活からのいい逃避だからね。しかし「ファウンデーション」シリーズの前半は、神秘性なしに預言と運命の構造をもつにいたっているんだ。それは全て歴史心理学の法則であり、そしてハリ・セルダンの予知はその数学から来ているんだから。
でももし「ファウンデーション」の物語を預言の実現の話とするなら、それは預言の非常にブルジュワ的な1バージョンだ。これは秘密の継承者がその遺産を受け取りにやってくる話ではないし、無敵の剣士がその力で平和を守る話でもない。アシモフは貴族政も軍国主義もはっきりと嫌っている。彼のヒーロー、とまあなる者たちは、もったいぶってもおらず、洗練されてもいなくて、そして暴力的なところはまったくない。「暴力は無能者の最後の逃げ場所」とサルヴァー・ハーディン市長*8は断言する。
しかし、ちょっと待った。「ファウンデーション」は中産階級の勝利についてのものでもない。僕たちは約束された第二帝国を見ることはないし、そしてそれでいいんだ。大好きになれるようなものには多分、ならないだろうから。あきらかに、民主的なものになったりはしないだろう。プラトンの共和国の数学バージョンといったもの、その守護者たちが彼らの徳を数学の公理から導き出しているようなものになるだろう。この事がこの小説にとってどういう意味があるかというと、比較的ブルジョワ的な社会が各対決において勝者とはなるものの、アシモフはその社会を是としているわけではないし、また長期の運命を与えているわけでもないということだ。これが物語の語りについてどういう事を意味するかというと、対決はありがちな善い者対悪者の物語ではなく、またそういうものとして組み立てられてもいないということ、そしてこの小説には思いがけないシニシズムがあるという事だ。ファウンデーションはその野蛮な隣人たちよりははるかにましにスタートしてはいても、時と共に腐敗した寡頭政治へと変化していく。そしてそれもまたプランの一部なんだ。そして物語は正しい人間の勝利ではなくセルダン・プランの実現についてであるので、アシモフはその悪役たちの一部の性格についてかなり自由にやっている。悪い人間にはしていないということ。帝国の将軍でファウンデーションを脅かすベル・リオーズは、その時点でファウンデーションを動かしている金持ちたちよりずっと魅力がある人物になっている。プラン全体を危機にさらすミュールですら、おどろくほど共感の持てる人物になっている。
さてミュールの出番となった。このデウス・エクス・ミュータイジェン*9はシリーズの半ばでプロットを大きく変えてしまう。最初に「ファウンデーション」を読んだ大昔、僕はミュールの登場を恨んだものだった。彼は心理歴史学の無敵さのスムースな物語を邪魔したからだ。でも再読して、僕はアシモフが自分のしていることを分かっていたのを理解することができた。それはセルダン危機があと1冊半続くのは退屈だっただろうというだけではない。
ミュールは人の感情を操る能力をもったミュータントで、その力によりファウンデーションを征服して、セルダン・プラン全体を危うくした。この脅威に対抗するため、歴史心理学者の隠された集団であり、プランの秘密の守り手であった第二ファウンデーションが隠れ家から出てこざるを得なくなる。ここまでは、何百とある善と悪の間の闘いのうちの一つのように聞こえる。しかし、「ファウンデーション」はそういったシリーズのたぐいじゃないんだ。問題は、いかにしてミュールをやっつけて、真実と正義、そしてファウンデーションウェイ*10の勝利を確保するかという事ではない、ということを僕たちは知ることになる。そうではなくて、問題はいかにしてプランをもとの軌道に戻すかということであり、そしてその為には誰にもプランの内容について知られてはならないのだ!*11
だからミュール(前に言ったように、共感できないような人物では全くない)は破られなきゃならないが、でもその敗北は派手なものではダメなんだ。ドラマチックな宇宙での戦闘とか、勝利のパレードとかはダメ。実際のところ、はっきりした敗北すらダメなんだ。このシリーズ全体の特徴を表すように、ミュールの静かな敗北の実現自体、彼がこの目立たなさの必要性を理解していないことに決定的にかかってくる。第二ファウンデーションが実はまさに避けなければならない派手な撃ち合いを計画していると、ミュールには信じていてもらわなければならないんだ。
それでも、第二ファウンデーションはその手の内をすこし見せてしまうことになる。なので最後のエピソードは第一と第二ファウンデーションの間の対立に関してのもので、この対立のなかで第二ファウンデーションは負けたように見せることで勝たなければならない。セルダンプランの修復には適度な無知の状態を広めることが必要である。そのため、第一ファウンデーションには第二ファウンデーションの影響力についての危険な知識を無くしてもらわなければならず、これは第二ファウンデーションが破壊されてしまったように見えることでしか実現されえないんだ。
ああ、それから、シリーズ全体のまさに最後の行の驚きは、いまでも僕の顔をほころばしてくれる。
ファウンデーション」には欠点があるかって?もちろんある。登場人物たちは大体において、段ボールから切り出した人形みたいなものだ。人物たちの身体的特徴も、そして、その他のことについての説明もはっきりと欠落している。もう言ったように、トルストイではないんだよ。
もっとナード的な問題は、そしてほんとにナード的な問題なんだけれど、歴史のテンプレートを銀河規模の文明に押し付けたことで、アシモフはスケールについて問題をはっきりとかかえることになっていることだ。第二ファウンデーションに出てくるタゼンダは大体において野蛮な王国、たった20の惑星しか支配していない小さな政体ということになっている。だけど、20の惑星だって????そしてトランターのこともある。750万平方マイルの陸地面積に400億の人口を住まわせるこの惑星は完全に金属に覆われている。しかし計算してみると、この情報からトランターの人口密度はニュージャージーの半分しかないことがわかる。そして最後に窓の外を見た時には、ニュージャージーは金属で覆われてはいなかった*12
とわいえこういった事は言ったように、ナード的な問題だ。結局のところ、「ファウンデーション」の物語は銀河についてではないし、そして宇宙旅行についてですらない。それは真の最後のフロンティア*13、僕たち自身を、そして僕たちが作る社会を理解することについてなんだ。
ナード的でない問題、いやまあ、すこしだけナード的でない問題もある。それは、今では自身が社会科学者となった、少なくとも人類文明のこの初期の段階において可能な限りそれに近い立場になった僕自身が、この最後のフロンティアの征服というアシモフの考えをどう思うかということ、理解しそしてもしかしたら人類の運命を決定することすらできる力をその学徒にあたえるような社会科学を生み出すことができると思うかというものだ。
まあ、良い日には、その方向に向かって僕たちは進歩を続けているように思えたりもする。そして経済学者として、このところ僕は結構な数のそういう良い日を迎えている。
経済の実際の運営に完全に失敗している時に、これがかなりおかしな主張に聞こえることはわかっている。でもさ、ハリ・セルダンは皇帝にその政策を変更することを納得させることで自身の仕事をなしたわけじゃない。彼は自分のプロジェクトを隠れ蓑の中にかくして、結果がでるまで千年待たなければならなかったんだ。さて、僕の知る限り、僕達の今の文明を救うための1000年の計画を持った経済学者の秘密結社なんてものはない(でももしあったとしたら、教えてるわけないけどね)。しかし、僕はここ何年か、まともな経済学が持つ、よくある偏見や「常識」とは非常に違った正しい予測を行う強力な力に驚かされてきた。
まったく任意ではない例を考えてみよう。スタンダードなマクロ経済学のアプローチであるIS-LMモデル(これが何かは訊かないでくれ)は、僕たちが経験している恐慌のような状況においては、いつものルールのいくつかは適用できないと教えてくれていた。数兆ドルの財政赤字は利子率を引き上げないし、貨幣供給の大きな増加は急激なインフレーションを引き起こさない。このモデルをたとえば2009年初めに真剣に受け取っていた経済学者はバカにされ、こういった直観に反する主張をすると批判を浴びまくっていた。でも彼らの予測は実現した。だから、現実におこることを予測する力を持った社会科学は可能なんだ。たぶん、よりよい未来へと導くものも。
そうは言っても、利子率やインフレーションの中期の変化をそれなりに正しくあてる事から、何世紀にもわたる文明の全体的なコースを事前に予測する事までは、遠い道のりだ。アシモフ心理歴史学は明らかに経済学を政治学や社会学と統合したものだが、それらは経済学よりもずっと難しい分野だ。経済学は結局、主に欲についてであり、ほかの社会科学はその他の複雑な感情を取り扱わなければならないのだから。洞察に富んだ素晴らしい政治学者や社会学者が今日も活躍している。しかし彼らの分野はまだその知恵の統合が(非常に限定されてですら)出来ていない。それは、経済学を実践していると、時にはまるで僕たちがハリ・セルダン心理歴史学の非常に早い時期を生きているのかと感じさせてしまうほどだ。
しかしそういった分野もたぶんやって来ることだろう。ではその時には、時間霊廟の為の録画を行う準備が整うのだろう?それは、無理だろう。永遠に無理だろうと思う。いつか真実の、統一された社会科学ができるとしても、それは複雑で、非線形システムの科学のままだろう。科学的な意味でカオス状態であり、よって詳細な長期の予測はできないシステムについてのもの。天気予報を考えてみよう。モデルがどれだけ良くなっても、ある特定の嵐が20年後のある週にフィラデルフィアをおそうかどうか予測することは永遠にできないだろう。超光速航行については信じてもいい。けれど、ハリ・セルダンが自身の記録をターミナスとその近隣諸国の間での最新の危機が起こるちょうどその時に合わせて出現させることが出来るとは、信じることができない。
でも段ボール紙の登場人物同様、「ファウンデーション」におけるこの小さなありえなさは全然、問題にならない。これは、唯一の、自分達自身についての知識、僕たちの社会がどう動くのかについての理解がいかに歴史を良いほうに変えることができるのかについてのスリリングな物語のままなんだ。そして今でも、インスピレーションをもたらす物語である。僕が最初に読んだ時、僕の人生の三分の四だけ昔の時とまったく同様に。
ポール・クルーグマン

スター・ウォーズ STAR WARS: EPISODE 249 [無断転載禁止]©2ch.net

132 : 
名無シネマ@上映中
2017/07/02(日) 01:26:27.29 ID:S9VMm/Td
スターウォーズが参考にしたSF作品として 
アシモフのファウンデーションシリーズがある。 
「銀河帝国」「首都惑星」「辺境惑星」この辺は明確なパクリ。 

アシモフの銀河帝国は自滅的に滅んでしまい文明が失われ 
暗黒時代は数千年続きやがて民主世界が勃興する。 
もちろんローマ帝国と近代文明をなぞったものだが 
スターウォーズ世界もこの流れを踏襲する可能性は高い。 
それゆえの昔々の物語であり 
ルーカス自身帝国の絶頂期、戦争時代と言及しているが 
その後どのような世界になるのかは言及がない。 


7,8,9のスタッフにはそうした最小限の教養がない
手近なヒットした映画からパクるだけ


第二ファウンデーション | アイザック アシモフ, 岡部 宏之 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

https://www.amazon.co.jp/第二ファウンデーション-アイザック-アシモフ-ebook/dp/B00N4FBCR8/ref=sr_1_2?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1498964275&sr=1-2&keywords=アシモフ+ファウンデーション

トップカスタマーレビュー

形式: 文庫
古典的名作SFのファウンデーションシリーズ3部作の締めくくりだ。実際は、時をおいてこのシリーズは再開されるので、この後も物語りは続くわけだが、個人的には初めてこのシリーズを読んだ時にはこの3部作しかなかったので、本作をもって一旦締めくくりと考えているし、初めてこのシリーズを読む人もこの3部作を先に読むのがよいと思う。

本作品ではタイトル通り、謎に包まれていた第二ファウンデーションが前面に登場する。前半部分はミュータントのミュールによる第二ファウンデーションの捜索がテーマだ。罠を仕掛けたつもりのミュールが逆に第二ファウンデーションの周到な罠に嵌るところが面白い。

後半は何と第一ファウンデーションによる第二ファウンデーションの捜索の様子が描かれる。第二ファウンデーションの実際の所在をめぐって、どんでん返しの連続となるラストのシーンは圧巻だ。

10数年ぶりにこのシリーズを原書で読み返してみたが、ストーリーは概ね覚えていたものの細部は結構忘れており、新鮮な感覚で楽しむことができた。やはりこの3部作はアシモフの最高傑作だと改めて実感しました。
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投稿者 ローダン 投稿日 2009/10/12
形式: 文庫 Amazonで購入
SFの古典的名作です。現代の若い人から見ると、ちょっと違和感のある作品かもしれませんが、まず読んでみることから、始めてもらいたいです。このシリーズは、最近になって、続編を別の筆者の手によって書かれたことでも話題になりました。もちろん、遺族の承諾を得て、作品のイメージを失わせないという条件で。最近は、SFという分野が、すたれてますが、是非とも読んでもらいたいシリーズです。まず、読んでみて下さい。
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形式: 文庫
壮大な未来の歴史物語の大御所といってよいシリーズです。
「ローマ帝国衰亡史」をモデルに架空の未来史を作り上げた
アシモフは科学・歴史など多芸な才能をもった人物だということが、
改めて分かる作品です。
「銀河英雄伝説」などもこの作品の影響を受けたことからも、
やはり一度は読んでおきたい作品です。
で、この巻はファウンデーションの最大の敵として立ちはだかった
ミュール、そして謎に包まれていた第2ファウンデーションが物語りの
中心になります。
シリーズはこの後も続きますが、アシモフが一度筆を置いたように
この3部作で一区切りがついており、
続編は蛇足という感もしないわけでもありません。
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形式: 文庫 Amazonで購入
第2部に続きミュールが出てくる。ネタバレ、ミュールはデブ専の呪いがかけられた天才でぽっちゃり系の丸顔に弱かった。自称しているミュールもらばを意味するのでもミュータントを意味するのでもなく重さに耐えるのが好きなデブ専だからという大胆でシンプルな性嗜好についての告白でありミュールだけが裏切らないのであった。本当にミュールは重さに耐える運命、デブに嫉妬される運命を背負っていて、ミュールは必ず毎回丸顔ぽっちゃりデブにめろめろになり秒速で依存し行間で負けてしまう。エブリングミス、ベイタ、、、。宮崎アニメのように気色の悪い父性愛かロリコンか見分けのつかない卑怯な何もしない父親に動かされたお転婆な若い女の子とデブ専の呪いがかけられた唯一一人で平和を守るために戦っていた重さに耐えるガリガリの音楽的な天才とただひたすらはったりをかましつづける自信満々なズレた人達の話でした。ハリセルダンとドースとヒューミンとトランターの栄光時代がひたすら懐かしい。ミュールだけがまともだった。
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投稿者 じゃぐぁ トップ1000レビュアー 投稿日 2013/12/4
形式: 文庫
ファウンデーションシリーズの第3作目。
当初はここまでで一区切りだったようだが、アシモフの壮大な構想に驚かされっぱなしの3部作だった。
解説によれば、時系列とはばらばらに発表された小説を単行本にしたもののようだが、全くそんなことを感じさせない。

ストーリーは心理描写や推理が多く、SFのガジェットの描写が少ない。
60年前のSFだから、計算尺やリレイといった道具を発展させたものは出てくる。だが、道具の古さが気にならないほどの興奮を味わえる。

張り巡らされた伏線が最終的に回収され、謎が解き明かされ、それでもどんでん返しが続くのが見事。
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形式: 文庫
このシリーズ全編に登場する「心理歴史学」と言う仮想理論は、
SF的論考として興味深いだけでなく、
出版当時(1942年)からすると驚異的と言って良い未来予測も含まれていた。

「衰退しつつある巨大な組織の将来的な滅亡自体は救えないが、
 遠く離れて影響の少ない場所に小回りの効く別組織を置くことにより、
 巨大組織滅亡の悪影響は最小限に抑えることが出来る。」
と言う、物語中の"ファウンデーション"の考え方は、
最近の現実世界のマーケティング理論にも同じものを見ることが出来る。
(現実の理論は「イノベーションのジレンマ」を読んで欲しい)

このような極めて論理的な論考に基づいて書かれたシリーズ第1作は、
社会科学的な興味を惹くアカデミックな面白さが特徴的だった。
ところがさすがのアシモフも、純粋に科学的な論考だけで、
「銀河帝国興亡史」と言えるだけの十分な物語は苦しくなったのだろう。
シリーズ第2作において、"精神作用力"を持った超能力者を登場させた。

精神作用力とは他人の心を自由に操る能力であるが、
これはある意味SFにおいては反則技かもしれない。
なにしろ、いくらでもご都合主義的な物語が出来てしまうのだから。
凡百の作家なら、せいぜい超人的なヒーローの能力に使うところだろうか。

もちろん、アシモフはそんな野暮なことはしない。
このシリーズ第3作で繰り広げられているのは、
精神作用力を持った者同士の丁々発止の騙し合いなのだが、
極めて高度な論理パズルの様相も見せてくれる。
さらには推理小説にも似た謎解きのスリルと、
物語が二転も三転も四転もした後に、さらに大どんでん返しがやってくるのだ。

ただし、高度な論理パズルに、少しばかり頭が疲れてしまうことには注意。
もちろん「パズル」が好きな人には堪えられない面白さなのだが。
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