百人一首に秘められた謎
この謎を解く重要な手がかりが、定家自身の筆で書きのこされている。それは、百人一首の姉妹篇にあたる百人秀歌(1951年に発見された)につけられた次のような「奥書(おくがき)」の文章である。『上古以来の歌仙の一首、思ひ出づるに随ひてこれを書きいだす。名誉の人、秀逸の詠、皆これを漏らす。用捨は心に在り。自他の傍難あるベからざるか。(上古以来歌仙一首、随思出書出之。名挙之人、秀逸之詠、皆漏之。用捨在心。自他不可有傍難歟)』
その意味は、「上古からの歌仙の歌を一首ずつ、思い出すままに書いた。このなかには、歌の名人と誇れ高い人の秀逸な歌といわれているものが、ほとんど漏れている。けれども、どの歌を用い、どの歌を捨てたかの選択基準は私の心の中にある。ほかの人間がいろいろと非難することは意味のないことだろう」、といったことである。
この「奥書」は、この歌集の歌の撰択の仕方について後世の人々が必ず疑念を抱くだろうということを、あたかも予想したかのように語っている。
・・・中略・・・
こうして、この歌集が普通の歌集とはちがった、ある特殊な意図のもとに編纂されたものだということが、定家自身によってはっきりと語られていたわけである。ではその「用捨は心にあり」の《心》とは何だったのだろうか?
たとえば晩年の定家は、新勅撰和歌集を編纂するにあたって、新古今和歌集の、技巧をいっぱい散りばめた、きらびやか歌風をしりぞけ、深沈、重厚な歌を重んじたといわれている。百人一首の歌撰びの《心》も、そういう意味なのだろうか?
しかし、どうもそうではないように思える。百人一首には技巧にみちた歌、絢欄華麗な歌もたくさん入っているからである。
また百人秀歌では、いろいろな角度から二首ずつペアに組んでゆくという趣向がこらされているといわれる(安東次男『百首通見』参照)。ではこの趣向が「用捨は心にあり」の《心》の意味だろうか?
しかし、そうではあるまい。これだったらなにも「名誉の人 秀逸の詠」を「皆これを漏らす」必要など少しもないからである。
秀歌をあつめようとした歌集ではないのだ、という定家の説明は、要するにこの歌集が和歌本来の歌としての出来ばえ以外の何かを、撰択の原理としたのだというふうにしか解釈できない。
とすれば、さしあたり、まず思い浮かぶのは、和歌の世界でさかんに行なわれていた言葉遊びのことである。おそらく定家は、百人一首に何かの言葉遊びの技術的なシステムをくみこもうと考え、それに適合した歌を撰んでいったのではないだろうか?
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