2022年8月21日日曜日

仁田忠常 - Wikipedia

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仁田忠常

 
仁田忠常
Yoshitoshi Apparition in a Cave.jpg
仁田忠常/月岡芳年画(明治時代
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁安2年4月10日1167年5月7日[1]
死没 建仁3年9月6日1203年10月12日[2]
別名 新田氏、日田氏
四郎、忠経、忠綱
墓所 慶音寺(静岡県函南町仁田)
幕府 鎌倉幕府 御家人
主君 源頼朝頼家
氏族 藤原南家工藤氏仁田氏[3][4]
父母 父:仁田忠行[1]
兄弟 忠俊忠次忠常忠正忠時[1]
菊子[5]
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仁田 忠常(にった ただつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。通称は四郎。苗字は新田あるいは日田とも言われ、『平家物語』では「にたんのただつね」と読まれる。

生涯

伊豆国田方郡仁田郷(現静岡県函南町)の住人[2]。静岡県域を中心に敷衍した工藤氏の一流で、岡部氏の近類という[3]彰考館本『曽我物語』は曾我祐成時致兄弟の従兄弟にあたるとするが不明[6]

治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に一族とともに加わり、山木館攻撃や石橋山の戦いに従軍。石橋山では兄の忠俊が戦死し自身も敗走したが、後に再度兵を挙げて大庭景親を降伏させる功があった。源義仲や平氏追討にあたっては源範頼の軍に従い、畿内から九州までを転戦して武功を挙げた。この間の元暦元年(1184年)に父・忠行が病没している[7][2]。頼朝からの信任は厚く、文治3年(1187年)正月、忠常が危篤状態に陥った時、頼朝が自ら見舞っている。文治5年(1189年奥州合戦に従軍。建久4年(1193年)の曾我兄弟の仇討ちの際に、兄の曾我祐成を討ち取っている[2]

頼朝死後は跡を継いだ二代将軍源頼家に仕えた。引き続き頼家に信頼され、建仁2年(1202年)には忠常の屋敷で小笠懸が催されている。『保暦間記』『北条九代記』は頼家の嫡男一幡の乳母父となったとする[8]。建仁3年(1203年)頼家に命じられて富士山麓の人穴を探索した[2]。同年9月2日比企能員の乱では北条時政の命に従い、時政邸に呼び出された頼家の外戚・比企能員天野遠景と共に謀殺した。『吾妻鏡』によると、5日に危篤状態だった頼家が回復すると逆に頼家から時政討伐の命令を受ける。翌晩、能員追討の賞を受けるべく時政邸へ向かうが、帰宅の遅れを怪しんだ弟たちの軽挙を理由に謀反の疑いをかけられ、時政邸を出て御所へ戻る途中で加藤景廉に殺害された[2]。一方『愚管抄』には、忠常は頼家の状態を知らなかったため能員を討ったが、5日に侍所に2人で出仕していた北条義時と闘って討たれたとある[8][注 1]。享年37。弟の忠正もまた波多野忠綱に討たれ、忠時も自害したため、鎌倉御家人としての仁田氏は終焉を迎えた[11]。函南町仁田には忠常の墓と館跡がある[12]

逸話

  • 曾我兄弟の仇討ちが行われたことで知られる富士の巻狩りにて、手負いの暴れる大猪を仕留めたとされている。『曽我物語』によって知られる豪勇の逸話だがその猪は実は山神であり、後の忠常の不幸は山神殺しの祟りであるとする。これは曾我祐成を討った忠常が祐成の怨霊によって不慮の死を迎えたことから着想されたものだろう。また『吾妻鏡』にも記される富士人穴の探検にもこの伝承が応用され、御伽草子「富士の人穴」は忠常が富士の禁を破ったがために忠常は命を縮めたと説明する[13]
  • 妻の菊子は貞女としてよく知られている。文治3年(1187年)忠常が危篤に陥った際、三嶋大社へ「自らの命を縮める代わりに夫の命を助けてほしい」と願文を捧げて参詣したが、嵐のために渡し舟が転覆して命を落としたのだという[5]

画像集

  • 仁田館遺跡説明板(伊豆仁田駅から田方農業高校越え狩野川渡る)

    仁田館遺跡説明板(伊豆仁田駅から田方農業高校越え狩野川渡る)

  • 仁田忠常・忠時・忠正公の墓(田方郡函南町仁田167‐1右六郎忠時・左五郎忠正公)

    仁田忠常・忠時・忠正公の墓(田方郡函南町仁田167‐1右六郎忠時・左五郎忠正公)

  • 仁田四郎忠常 月岡芳年画「芳年武者无類」

    仁田四郎忠常 月岡芳年画「芳年武者无類」

関連作品

テレビドラマ

脚注

注釈

  1. 義時ではなく、侍所別当を務めた和田義盛の誤りではないかと推測する説もごく一部にある[9]。『吾妻鏡』では義盛は忠常とともに頼家より時政追討の命を受けていたが、忠常とは違い時政にそれを知らせていた[10]。ただし『愚管抄』にはそのような記述はない。

出典

  1. ^ a b c 函南町 1974, p. 93.
  2. ^ a b c d e f 菊池 1990.
  3. ^ a b 梶原, 大津 & 野中 2002, p. 427.
  4. 太田 1963, § 新田 33.
  5. ^ a b 函南町 1974, pp. 94–95.
  6. 青木, 池田 & 北川 1987, p. 229.
  7. 函南町 1974, p. 94.
  8. ^ a b 『大日本史料』, p. 906.
  9. 中島 1935, p. 445.
  10. 細川 & 岩崎 2012.
  11. 函南町 1974, p. 95.
  12. 函南町 1974, p. 96.
  13. 細川 & 岩崎 2012, § 伝承.

参考文献

  • 中島悦次 『愚管抄評釈』国文研究会、1935年。none 
  • 太田亮 『姓氏家系大辞典』 3巻、角川書店、1963年。 
  • 大日本史料 第四編』 7巻、東京大学出版会、1970年。ISBN 9784130901574 
  • 函南町 編 『函南町誌』 上、函南町、1974年。 
  • 青木晃; 池田敬子; 北川忠彦 編 『真名本 曾我物語』 1巻、平凡社〈東洋文庫〉、1987年。ISBN 9784582804683 
  • 菊池紳一 著「仁田忠常」、国史大辞典編集委員会 編 『国史大辞典』 11巻、吉川弘文館、1990年。ISBN 9784642005111 
  • 梶原正昭; 大津雄一; 野中哲照 編 『曾我物語』小学館〈新編日本古典文学全集〉、2002年。ISBN 4096580538 
  • 細川涼一; 岩崎武夫「仁田四郎」 『新版 日本架空伝承人名事典』平凡社、2012年。ISBN 9784582126440 

関連項目[編集]

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