レイモン・アロン (Raymond Claude Ferdinand Aron、1905- 1983)
(Raymond Claude Ferdinand Aron、1905年3月14日 - 1983年10月17日)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%B3
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レイモン・アロン
レイモン(レモン)・クロード・フェルディナン・アロン(Raymond Claude Ferdinand Aron、1905年3月14日 - 1983年10月17日)は、フランスの社会学者[1]・哲学者[1]・政治学者[1]・ジャーナリスト。
裕福なユダヤ人一家の息子としてパリに生まれる。1924年高等師範学校入学、ここで生涯の友人であり、ライバルとなるジャン=ポール・サルトルに出会う。1930年~1933年、ドイツ留学。ケルン大学、ベルリン大学で学ぶが、この時ナチスの台頭を目の当たりにすることになる。第二次世界大戦勃発後はフランス空軍に参加するも、フランス敗北後はイギリスへ渡り、自由フランス軍の機関紙の編集に携わる。戦後はフランスに戻り、フランス国立行政学院とパリ政治学院、高等研究実習院で教鞭を執った。1955年以降はソルボンヌ大学、1977年からはコレージュ・ド・フランスで教授を務めた。また、1947年から1977年まで新聞フィガロの論説委員を務め、1977年から亡くなる1983年までは報道週刊誌エクスプレスで筆をふるった。国際政治や戦争論に関する卓越した議論を展開したことでも有名である。
アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員(1960年)、エラスムス賞受賞(1983年)。
フランスの学生運動の活動家たちのあいだでは、「アロンとともに正しいよりも、サルトルとともに間違った方がいい」と言われていたことがある[2][3][4]。
ドイツ留学中に現象学に出会い、サルトルに現象学を伝えたことでも知られている[5]。
- 『現代ドイツ社会学』秋元律郎・河原宏・芳仲和夫共訳、理想社、1956年5月。
- 『現代の知識人』(『論争叢書』)渡辺善一郎訳、論争社、1960年1月。
- 『現代の社会-組織の時代と個人の復権』(『現代人の教養』12)松原洋三訳、エンサイクロペディアブリタニカ日本支社、1968年6月。
- 『発展の思想-産業社会を考える三つのエッセイ』(『ダイヤモンド現代選書』)浜口晴彦訳、ダイヤモンド社、1970年9月。
- 『レイモン・アロン選集』(全4巻)、荒地出版社、1970-71年。
- 『社会学的思考の流れI モンテスキュー コント マルクス トックヴィル』 北川隆吉・宮島喬ほか訳、叢書ウニベルシタス52:法政大学出版局、1974年6月。ISBN 978-4-588-00052-2
- 『社会学的思考の流れII デュルケム パレート ウェーバー』 北川隆吉・宮島喬ほか訳、叢書ウニベルシタス53:法政大学出版局、1984年5月。ISBN 978-4-588-00053-9
- 『戦争を考える-クラウゼヴィッツと現代の戦略』 佐藤毅夫・中村五雄訳、政治広報センター、1978年9月。原書第2部のみの訳書
- 『ヴェーバーへの道』川上源太郎訳、福村出版、1982年1月。
- 『対談 知識人たちの阿片-サルトル・カミュ・メルロー=ポンティ』廣島敏史訳、駿河台出版、1986年4月。ISBN 978-4-411-01665-2
- 『世紀末の国際関係-アロンの最後のメッセージ』柏岡富英ほか訳、昭和堂、1986年9月。
- 『レーモン・アロン回想録』三保元訳、みすず書房、1999年2月-7月。
- 『1 政治の誘惑』 ISBN 978-4-622-03803-0
- 『2 知識人としての歳月』 ISBN 978-4-622-03804-7
- ミシェル・フーコーと共著 『レイモン・アロンとの対話』西村和泉訳、水声社〈叢書言語の政治〉、2013年6月。
- 岩城完之『レイモン・アロン-危機の時代における透徹した警世の思想家』(『シリーズ世界の社会学・日本の社会学』)、東信堂、2001年9月。ISBN 978-4-88713-401-0
- 北川忠明『レイモン・アロンの政治思想』、青木書店、1995年12月。ISBN 978-4-250-95052-0
- 斎藤廣編『現代における知識人と自由-レイモン・アロン教授を迎えて』(『日本文化会議月例懇談会収録集』第19集)、日本文化会議、1970年11月。
[脚注の使い方] |
- ^ a b c "レイモン・アロン、フランス国際関係論の源流". ニューズウィーク日本版. (2019年10月23日). https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13238.php 2020年1月22日閲覧。none
- ^ 奈良和重「エティエンヌ・バリリィエ著『レ・プティ・カマラード : サルトルとアロンに関する試論』」『法學研究 : 法律・政治・社会』第61巻第7号、慶應義塾大学法学研究会、1988年7月、 108頁、 ISSN 03890538。
- ^ Halimi, Serge (2019年3月1日). "Avoir tort avec Raymond Aron" (フランス語). Le Monde diplomatique. 2020年7月24日閲覧。
- ^ Raphaël, Sorin (1995年9月28日). "Sartre-Aron: duels au sommet" (フランス語). LExpress.fr. L'Express. 2020年7月24日閲覧。
- ^ 箱石匡行「サルトルにおける現象学的存在論の形成」『岩手大学教育学部研究年報』第37巻、岩手大学教育学部、1977年11月30日、 109-150頁、 ISSN 0367-7370。
外部リンク編集
- レイモン・アロンの立場- 花の絵
- レモン・アロンの発音例
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