2020年6月3日水曜日

karatani kojin 柄谷行人

               (リンク:::::::::柄谷行人
柄谷行人
http://nam-students.blogspot.com/2013/05/blog-post_2018.html
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/karatani-kojin.html@

https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/4076173460589321693





ルソーはいう。《人民はアセンブリにおいてだけ、主権者として行動しうるだろう》(『社会契約論』)。この場合、アセンブリは、代議制の議会ではありえません。そこでは、「寄り合い」にあった直接民主主義的な要素は失われてしまうからです。

(柄谷行人『思想的地震1995-2015』)
 
2022/06/08 22:44
 
 
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1534531926329282560?s=21

歴史サイクル説と柄谷交換図 : 再掲

トランスクリティーク, Transcritique, 트랜스크리틱, 跨越性批判, 移動的批判

NAM総括
NA宣言書評
《…これまでの世の中は、村人(A)、ヤクザ(B)、商人(C)みたいな奴(やつ)らが交互にウロチョロして成り立ってきたが、どれも嫌だっていうやつらが意味不明な価値観で勝手なことをやり始め(D)、それが必然だという…》

497 考える名無しさん[] 2021/12/06(月) 15:13:23.26 ID:0 
イオ
@odradek34
12月5日
つぎのCrisis and Critiqueの特集はヘーゲルの『法の哲学』で、
執筆陣も相当豪華ですね。ジジェク、バトラー、ナンシー、柄谷、ピピン、マラブー。

Crisis and Critique
@CrisisCritique
In the forthcoming issue (8.2) devoted to “Hegel’s philosophy of right”, 
you can read papers from Zizek, Butler, Nancy, Karatani, Pinkard, Schuhback, 
Pippin, Malabou, Kove, Kervegan, Johnston, et al
午後9:57 ・ 2021年11月26日


上山春平によると、カントのカテゴリー、量、質、関係、様相は

外的/内的、形式的/質料的に分類できる(世界の名著48パース他,解説41頁)。

これを図にすると以下になる。

             「質料的」
      量                質     
「外            _|_            「内
 的」             |             的」
      関係              様相
             「形式的」

質料的は分析/形式的は総合、外的は規定/内的は反省と、カントの言葉に置換し得る。

そもそもカントは判断表、カテゴリー表を象限図として表記していた(縦書きの邦訳だと分かりにくいが)。


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhTlIBOS7WyDMY9nzvjY_pKyVpjPxmqVj0y7jrI4FcP9Qwvxjsrx98kJasKPnD_ig_w21nCdhshns5xskm-iGk1bE3q_vr7danxJSj5E5zOVeHmtNO7frAZi45HUS0eBEXdFXZVfHsTSZ4/s1600/kant4.jpg


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh7sC0EV1jpRZNbTc-jzKSdd2NUIIphcFh_YUuLVOu9F0hmmsU2JQpTmivSDqrNDYaXztqy8dPYAiWwAy5fqV9T77gcVOmjuSC1xRysjbphYvpT1tdxQryAAiqu4RnUXpoyiwb4-1zqFCs/s400/kant4444.jpg


柄谷の場合パラメータは自由と平等に置き換えられたが、

その象限図はヘーゲルからカントへの遡行と解釈出来る。

(ヘーゲルにあった主体化がカントにおいてはアンチノミーで困難になる。)


というのは無理矢理なのでマジメに書くと、

自分は作田啓一によるプルードン思想図解(岩波『プルードン研究』48頁)が柄谷に

直接影響を与えたと考えている。


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjCLh4g-nWnyEmc463CZryQ1cTuo0PUGZm6bFcpnfbGaXV6Oh4XyPFtpGIKwpH63vW-vlf2smEaazZDGQOnO2AjBbFRUw4f3wsoCfgnO4P5nVRfQpX4svfIoqKdu9SC78EXdR5QXDU8NHM/s0/984290AF-D71B-426A-8720-A4E5D4F6E948.jpeg


柄谷がその図を見ていないとは考え難い。

作田はタルコット・パーソンズの影響を受けてその図を描いている。

作田はパラメータの設定が正確ではないから(資本と国家の位置が逆?)パーソンズの方が優れている。

そしてパーソンズはカントの影響を受けている


アリストテレス以来*象限図は使われており、柄谷の言及範囲では丸山眞男も使っている。

社会学的、ゲーム理論的には定番だから(宮台真司の権力分析も)影響関係は

なんとでも説明出来る。


カントのカテゴリーに話を戻すと、ここら辺が哲学で一番面白いと思うのだが理解者は少ない。
パースはカントの4つのカテゴリ-を(量、質)(関係)(様相)といったように

3つに区分けし直した(パース著作集『現象学』)。

岩崎武雄は実質上(量)(質)(関係)といったように3つに区分けし直した。岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると指摘している

(『カント『純粋理性批判』の研究』343頁、純理b223参照)。



厳密にはエンペドクレス以来。


http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1213524.jpg


これら四元素及びそれらがつくる性質の関係は、中世のヒスパニウス(『神曲』天国篇12に出て来る)がつくった矛盾対当(主語ー述語はそのままで、量と質が変わる)の図にも似ている(相似ではない)。


https://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1271836.jpg


A=B式の定義を重視したアリストテレスやライプニッツは主語を重要視したから、ニュアンスは少し異なる(山下正男『論理学史』参照)。



2021/05/03 憲法記念日
発言集2020
ローザ・ルクセンブルク

Climate Leviathan: A Political Theory of our Planetary Future : by Geoff Mann and Joel Wainwright

柄谷行人『世界史の実験』2019:メモ
https://nam-students.blogspot.com/2019/02/2019.html
書評
https://nam-students.blogspot.com/2020/02/20191005.html
https://book.asahi.com/article/12767290

2011 9 11 新宿アルタ前 柄谷行人 演説

https://youtu.be/ylWQlrHQ4Gk

柄谷行人 in 1987 雨月の使者

台湾 オードリー・タン Audrey Tang
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/08/blog-post_15.html 
  1. ーー


    《…宇野(=マルクス)とポランニーの洞察は、柄谷行人の『世界史の構造』によって、モースの贈与体系の分析と結び合わされた上で、文字通り世界史的な、かつ(これが主たるポイントであるが)来たるべき社会を見通すようなパースペクティヴを与えられることになった。 

    柄谷の独創は、下部構造論(経済決定論)の再評価を、ポランニーがまさに経済決定論を批判するために提出した原理、すなわち彼が「本来的に経済とは無縁の」行動原理とみなした「互酬」と「再分配」とを、「(商品)交換」と並ぶ交換様式(経済的下部構造)として位置づけ直すことによって行ったことにある。》

  2. 山田広昭『可能なるアナキズム』#11交換様式D
  3. 169〜171頁

山田広昭『可能なるアナキズム』

  1. https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/09/20209.html 

  2. ちなみに山田広昭はかつて批評空間でヴァレリーの資本論評を邦訳紹介している(『三点確保』)。

    柄谷行人はトラクリ脚注でそれを参照している。


    (59) ヴァレリーは『資本論』についてこう書いている。《昨晩、読み返したよ(少しばかり)、『資

    本論』をね!! ぼくはあれを読んだ数少ない人間の一人だ。ジョレス[当時代表的な社会主義者]

    自身はーー(読んでいないように見える)。(中略)『資本論』はといえば、この分厚い本(book)

    にはきわめて注目すべきことが書かれている。ただそれを見つけてやりさえすればいい。これは

    かなりの自負心の産物だ。しばしば厳密さの点で不十分であったり、無益にやたらと衒学的であ

    ったりするけれど、いくつかの分析には驚嘆させられる。ぼくが言いたいのは、物事をとらえる

    際のやり方が、ぼくがかなり頻繁に用いるやり方に似ているということであり、彼の言葉は、か

    なりしばしば、ぼくの言葉に翻訳できるということなんだ。対象の違いは重要ではない。それに

    結局をいえば、対象は同じなんだから!》(一九一八年五月一一日、ジッド宛書簡)(山田広昭訳)

    (A. Gide-P. Valery, Correspondence 1890–1942, Gallimard, 1955, pp. 472–3)

    トラクリ文庫489頁より


204 考える名無しさん[sage] 2020/08/26(水) 05:40:51.38 ID:0 
tapioca @tapioca077
27s
ちなみに村上春樹は、夜のくもざるという掌編集に「柄谷行人」という柄谷をおちょくるような掌編を書いている。
確か文庫化する際に削除されたはずで、編集者から柄谷を怒らせるとまずいので削除するよう求められた
からと…春樹が柄谷を意識していることが窺われるエピソードだと思う。

205 考える名無しさん[sage] 2020/08/26(水) 05:41:45.72 ID:0 
今その文章は村上春樹雑文集に入ってます。
ちゃんと新潮文庫でも読めますよ。

151 考える名無しさん[] 2020/08/02(日) 19:53:15.22 ID:0 
柄谷行人著『ニューアソシエーショニスト宣言』(仮題、作品社から11月刊行予定)

60 考える名無しさん[] 2020/07/17(金) 00:29:22.35 ID:0 
今はフーコー講義録の12巻「自己と他者の統治」を読んでいるんですがちょっと気にかかることがあります。この本は2010年に翻訳が出ているんですが。これはフーコーの晩年で最後の古代ギリシア研究が内容になってるんですけど、イオニアの話もイソノミアの話もちゃんと既に出ているんですよね。もしかして実はフーコーのこの本が、柄谷にとって「哲学の起源」の元ネタになっていたということはないのでしょうか?「哲学の起源」は2012年に出版されてますが主な原稿は2011年に新潮の誌上で連載されましたが。。。


弔辞2019/4/29
https://youtu.be/ylAUDZ2QLYc

nam21.org
http://nam21.org/
柄谷行人「交換様式入門」2017
http://www.kojinkaratani.com/jp/pdf/20171207_jp.pdf
柄谷行人「交換様式入門」
http://www.kojinkaratani.com/jp/pdf/20171207_jp.pdf 13頁
ブロッホはそれ[エンゲルスの宗教研究]を受け継いだといえます。彼は、つぎのように述べました。
《唯物論者のみがよきキリスト教徒たりうる、しかし、また確かに、キリスト教のみがよき無神論者たりうる、という命題が可能である》
(『キリスト教の中の無神論』、法政大学出版会)。

NAMs出版プロジェクト: 世界史的构造 (豆瓣) 他:目次
http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/blog-post_18.html

フランス語訳『世界史の構造』:
Structure de l'histoire du monde – 31 mai 2018
https://nam-students.blogspot.com/2018/10/structure-de-l-du-monde-31-mai-2018.html

四つの交換
https://nam-students.blogspot.com/2019/05/blog-post.html
 ___________
|B再分配 |A互酬  |
|(略奪と | (贈与と|
| 再分配)|  返礼)|
|_____|_____|
|C商品交換|D    |
| (貨幣と|  X  |
|  商品)|     |
|_____|_____|
『世界共和国へ』より

Bは日本の鎌倉時代で言えば御恩と奉公


交換様式Bと交換様式Cの違いは
マネタリーベースとマネーストックの違いに対応する
負債フラクタル

参考:
120年周期説(転載再掲) 
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/120.html
マルセル・モース(Marcel Mauss、1872 - 1950)
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/marcel-mauss-1872-1950-httpnam-students.html
ウイットフォーゲル 1896~1988
ウォーラーステイン 世界システム論 Immanuel Wallerstein World-Systems Theory




NAMs出版プロジェクト: NAM再考 2017/11/25
http://nam-students.blogspot.jp/2017/11/nam2017.html

A  Japanese  Utopia  Kojin  Karatani 2016
https://thecharnelhouse.org/wp-content/uploads/2017/09/Fredric-Jameson-An-American-Utopia-Dual-Power-and-the-Universal-Army-2016.pdf

 Isonomia and the Origins of Philosophy [Kindle edition] by Kojin Karatani, Joseph A. Murphy 2017/8/11
http://nam-students.blogspot.jp/2017/10/isonomia-and-origins-of-philosophy.html

Nation and Aesthetics: On Kant and Freud (Global Asias) Kindle版
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/nation-and-aesthetics-on-kant-and-freud.html

NAMs出版プロジェクト: 柄谷行人 Capital as Spirit 2016 精神としての資本 2017
http://nam-students.blogspot.jp/2017/04/capital-as-spirit-2016.html


NAMs出版プロジェクト: 柄谷行人:哲學是普遍思考 youtube 20170117
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/httpsyoutubeg-isiagsbjm.html

『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/1995-2015-httpwww.html

NAMs出版プロジェクト: 『憲法の無意識』柄谷行人 201604 岩波新書
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/201604.html

NAMs出版プロジェクト: 思想の散策 2015~6 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_87.html

NAMs出版プロジェクト: 柄谷行人とプルードン:転載
http://nam-students.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html

NAMs出版プロジェクト: 『世界史の構造』『哲学の起源』『帝国の構造』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_24.html
柄谷は哲学の起源で否定しているが
パルメニデスとヘラクレイトスを対比させる哲学史の把握は
ある程度有効だと思う 

NAMs出版プロジェクト: FREEASSOCIATIONS.ORGについて
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/freeassociationsorg.html

120年周期説(転載再掲)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/120.html

NAMs出版プロジェクト: アウグスティヌス『神の国』

NAMs出版プロジェクト: 柄谷行人インタビュー「戦後七〇年 憲法九条を本当に実行する」 2015年8月 15日 朝日新聞
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/2015815_20.html?m=0

NAMs出版プロジェクト: 「反復強迫としての平和」柄谷行人:メモ(フロイトの戦争論)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html?m=0

「世界建築史をめぐって」 中川武、原広司、柄谷行人 2015年3月21日 早稲田大学
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/20153-21.html
20140926 柄谷行人×港千尋×龔卓軍×林暉鈞
http://nam-students.blogspot.jp/2014/09/20140926.html

『帝国の構造』目次
http://nam-students.blogspot.jp/2014/07/blog-post_46.html

 索引『帝国の構造』+『世界史の構造』:作業中
http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_15.html

NAMs出版プロジェクト: 20150109 柄谷行人講演会「批評と移動」@紀伊国屋書店:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/20150109_13.html

探究 II:ノート
http://nam-students.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html

NAMs出版プロジェクト: キルケゴール:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_28.html

NAMs出版プロジェクト: 康有為『大同書』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2014/03/blog-post_14.html

文庫版柳田国男全集目次(柄谷行人『遊動論』引用文献)
http://nam-students.blogspot.jp/2014/01/321989919912_19.html

『遊動論』目次及び、文庫版『柳田国男全集』、柄谷行人言及箇所:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2014/01/20140120.html

NAMs出版プロジェクト: ボロメオの環と共同幻想論と交換図:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_28.html

2013年11月23日 知の現在と未来:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/20131123.html

「磯崎新 都市ソラリス」展 20140215
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/das-kapitalder-reichtum-der.html

NAMs出版プロジェクト: 宇野弘蔵『価値論』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_99.html

宇野弘蔵、またはマルクスとスピノザ(日本資本主義論争)
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html

ヘーゲル『小論理学』と宇野弘蔵『経済原論』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html

NAMs出版プロジェクト: 宇野弘蔵と弁証法:メモ(過去の書き込みのまとめ)
http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_13.html

「資本主義の世界史的諸段階」:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_6.html

NAMs出版プロジェクト: 世界資本主義の諸段階(資本主義の世界史的諸段階):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_11.html

2008年11月27日早稲田講演
http://nam-students.blogspot.jp/2008/12/20081127_26.html

NAMs出版プロジェクト: 堺利彦「社会主義鳥瞰図」
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_9080.html


柄谷行人「中国で読む『世界史の構造』」
雑誌「現代思想」青土社 2013年5〜10月号:メモ
 ___________
|③  ⑤⑥|     |
|     |  ②  |
|④    |     |
|_____①_____|
|     |     |
|  ⑥  |     |
|     |     |
|_____|_____|

著者が2012年9月から2カ月間にわたって中国の研究機関(中国の友人に頼まれ北京清華大学及び、北京哲学会、中央民族大学、社会科学院、上海大学)で『世界史の構造』の詳細な解説を行った記録。2013年5〜10月号、全六回。

  5月号 第一回「『世界史の構造』について」
  6月号 第二回「世界史における定住革命」
  7月号 第三回「専制国家と帝国」
  8月号 第四回「東アジアの帝国」
  9月号 第五回「亜周辺としての日本(上)」
 10月号 第六回「亜周辺としての日本(下)」


《世界史の構造》日本語版(目次) 2010年6月24日
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html

《世界史的构造》大陸版(目次)  2012年9月
http://book.douban.com/subject/19897923/

作者: 柄谷行人
出版社: 中央编译出版社
译者: 赵京华
出版年: 2012-9

《세계사의 구조》韓国語版(目次) 2012年12月28日
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592

《世界史的結構》台湾版(目次)  2013年1月29日
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=

_____________

NAMs出版プロジェクト: 定本柄谷行人集(付『世界共和国へ』『NAM原理』)総合索引
http://nam-students.blogspot.jp/2006/05/nam_31.html

NAMs出版プロジェクト: 『哲学の起源』と『世界史の構造』の構造:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_18.html?m=0


 序文____『世界史の構造』の構造______
|     |     |2(氏族社会)1   |
| 1国家 |3世界帝国|贈与と呪術| 定住革命|
|    第2部ギリシア|    第1部    |
|___世界=帝国___|__ミニ世界システム_|
|    (B)    |    (A)    |
|     |     |     |序説   |
|2世界貨幣|4普遍宗教|     |交換様式論|
|_____|_____|_____|_____|
|     |3    |     |     |
|1近代国家|ネーション|     |     |
|    第3部    |    第4部    |
|_近代世界システム__|___現在と未来___|
|    (C)4   |1   (D) 2  |
|2産業資本|アソシエー|世界資本主|世界   |
|     |ショニズム|義の段階と|共和国へ |
|_____|_____|反復___|_____|


NAMs出版プロジェクト: 『哲学の起源』:索引&目次(作業中)
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_5870.html?m=0#ref0

NAMs出版プロジェクト: 『世界史の構造』参考文献表
http://nam-students.blogspot.jp/2010/06/blog-post_9796.html

NAMs出版プロジェクト: 『世界史の構造』索引:作業中
http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/blog-post_7190.html

NAMs出版プロジェクト: 『世界史の構造』英語版:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2014/04/blog-post.html

NAMs出版プロジェクト: 『世界共和国へ』索引
http://nam-students.blogspot.jp/2006/06/blog-post.html

NAMs出版プロジェクト: 「変容する様式:ラディカルに向って」(柄谷行人、石原慎太郎との対談、『すばる』1989年9月号)より
http://nam-students.blogspot.jp/2009/08/19899.html

NAMs出版プロジェクト: What's the difference?:再々投稿
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/whats-difference.html

柄谷行人関連:別ブログ
http://yojiseki.exblog.jp/i6

nam21.org
http://nam21.org/ 

 注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より[削除済み]
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/2016-4.html

注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より[原文未使用改訂版]

定本柄谷行人集(付『世界共和国へ』『NAM原理』)総合索引
http://nam21.sakura.ne.jp/sakuin/

NAMs出版プロジェクト: 定本柄谷行人集目次(付『世界共和国へ』)+総合索引(改訂版)
http://nam-students.blogspot.jp/2011/12/blog-post_01.html


 ____『トランスクリティーク』構造図____
|     |     |     |     |
|代表機構 |  移動 | 1:1 | 1:2 |
|     |     |カント的 |綜合的判断|    
|____2:1____|転回_第一部__の問題|    
|   移動と批判   |    カント    |    
|恐慌として|アナキスト| 1:3 | イントロ|    
|の視差  |たち   |超越論的と|ダクション|
|微細な差異|_____|__横断的|_____|
|     |     |     |     |
|  :1 | 2:2 | 国家と |ネーション|
|     |綜合の危機|    2:4    |    
|____第二部____|トランスクリティカルな|    
|   マルクス    |対抗運動 |     |    
| 2:3 |  :4 |     | 可能なる|    
|価値形態と|     | 資本と |コミュニズム     
|剰余価値_|_____|_____|_____|


 _______________________
|     |  『世界史の構造』 |     |
| ②『隠喩としての建築』     |     |
|     |     |①『日本近代文学の起源』
|__⑤:1|__⑤『歴史と反復』_|_____|
|ブリューメル一八日  |     |     |
|     |     |④『ネーションと美学』|
|     |     |     |     |
|_____|_____|_____|_____|
|     | ④:2 |『世界共和国へ』   |
|  死とナショナリズム|世界共和国④:2:2 |
|     |     |     |     |
|③『トランス_____|_____|_____|
|    クリティーク』|     |     |
|     |     |     |     |
|     |     |     |     |
|_____|_____|_____|_____|


 _______________________
|           |           |
|           |           | 
|           |           | 
|   国家      | ネーション     |  
|   B       | A         |           
|           |           |     
|           |           |平
|___________|___________|
|           |           |等   
|           |           |          
|           |           |       
|   資本      | アソシエーション  |          
|   C       | D   X     |          
|           |           |          
|           |           |          
|___________|___________|
           自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。

柄谷行人・村上龍 - YouTube
https://youtube.com/watch?v=KqNYXg-yP8g

あとがきおよび外国語版への序文・梗概~「定本 日本近代文学の起源」
http://blog.livedoor.jp/mineallmine/archives/52057155.html
英語版あとがき

しかし起源への遡行をあまり遠くまでやってはならないと私は考える。たとえば、
反セミティズムの起源は一般に中世から古代に求められるが、ハンナ・アーレントは、
それを19世紀後半の国家的経済の確立の中に見た。その頃、ユダヤ的経済が強まっ
たからではなく、逆に無力化したがゆえに反ユダヤ主義が広がったのだと彼女は言う。
またニーチェは、あらゆるレベルで隠蔽された「起源」に遡行し、遠くプラトンや
キリスト教に「転倒」の起源を求めたが、彼が対峙していたのは実は、この時期に
確立されたネーションステートやそれに対応する文化、文学といった、彼の同時代に
進行していた「転倒」だった。またハイデガーはニーチェをまだ西洋の形而上学の
圏域にとどまっていると批判したが、彼の起源への遡行は結局、ニーチェの時代に
生じたナショナリズムと反ユダヤ主義をそっくり肯定することに帰着してしまった。

__
Kojin Karatani「The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange (Unabridged)」
https://itun.es/jp/bQpJ-


台湾 オードリー・タン Audrey Tang
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/08/blog-post_15.html 

アジア内で『世界史の構造』の翻訳は台湾は遅れていたが

現実化は一番早かった


《世界史の構造》日本語版(目次) 2010年6月24日

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html


《世界史的构造》大陸版(目次)  2012年9月

http://book.douban.com/subject/19897923/


《세계사의 구조》韓国語版(目次) 2012年12月28日

http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592


《世界史的結構》台湾版(目次)  2013年1月29日

http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=


参考

Auf der Suche nach der Weltrepublik: Eine Kritik von Kapital, Nation und Staat [世界共和国へ] 2012 

https://www.amazon.co.jp/Auf-Suche-nach-Weltrepublik-Kapital/dp/3865837387/


The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange  2014

http://www.amazon.co.jp/dp/0822356767/


Structure de l'histoire du monde 2018

https://www.amazon.fr/Structure-lhistoire-monde-Kojin-Karatani/dp/2271114195



74 件のコメント:

  1. 高瀬幸途 - Wikipedia
    ja.wikipedia.org/wiki/高瀬幸途
    -キャッシュ
    高瀬 幸途(たかせ よしみち、本名:中里 幸途、1948年 - 2019年4月24日)は、日本の編集者。太田出版社長を務めた(1995年 ...
    人物-編集業績-論考
    前太田出版社長の高瀬幸途氏死去 たけしさんの著書担当:朝日新聞 ...
    www.asahi.com/.../ASM4T4CCZM4TUCLV009.html
    -キャッシュ
    高瀬幸途さん(たかせ・よしみち=前太田出版社長、本名中里幸途〈なかざと・よしみち〉) が24日、大動脈解離 ...

    返信削除
  2. 弔辞。
    これまでの人生で私は葬儀で弔辞を読んだことが二度あります。
    その二度とも高瀬さん、あなたが来てくれました。
    一人は小説家の中上健次、もう一人は太田出版で雑誌「批評空間」の編集長をやっていた内藤裕治。
    凡そ30年前そして20年前のことでした。彼らは癌で長く闘病した後で亡くなりました。
    しかしあなたは今回突然亡くなられた。そしてわたしももう若くない。
    だから私が受けた打撃はそれだけ深刻です。
    振り返るとあなたと私の縁が深くなったのは、1990年代はじめ「批評空間」の発行を引き受けてくれた時からです。
    平成の始めのことでした。
    それまで「批評空間」は別の出版社から出ていたのですがさほど評判にもならなかった。
    太田出版であなたが育ててくれて注目を浴びるようになったのです。
    次に私は今世紀に入って大阪で新アソシエーショニズム運動、通称NAMを始めたのですが、
    それを陰に陽に支えてくれたのも中里さん、あなたでした。
    例えば『NAM原理』を刊行してくれました。その中にはあなたの論文も入っています。
    またNAMの事務局を太田出版でやってくれました。
    私がお願いしたのではなく私が知らないうちにそのように計らってくれたのです。
    またNAM解散後もあなたはアソシエーションの運動を生活クラブ生協で続けてこられた。
    おそらくそこでもあなたは目立たないが重要な役割をしてこられたのだと思います。
    また2011年の東日本震災の後、私は反原発のデモに参加し始めたのですが、
    その時もあなたはアソシエーションJPという運動体を結成し、先頭に立ってくれました。
    近年私はあなたの提案でNAMについて振り返りそれを歴史的に検討する仕事を始めました。
    そして解散とともに絶版にした『NAM原理』を書き直し、あなたのインタビューとともに
    刊行する計画を進めていました。それは今後に必ず実現させる所存です。
    振り返ればあなたは私より年少であるのに実際はやんちゃな弟を見守るやさしい兄のような人でした。
    ある人が「柄谷はドン・キホーテで高瀬はサンチョ・パンサだ」と言いました。
    実際その通りだと思います。
    もしサンチョがいなくなったらドン・キホーテはどうするのでしょうか? それが今の私の状態です。
    平成の始めに始まった私たちの縁は丁度平成の終わりに終わったように見えます。
    しかしそれはそれは終わっていない。
    あなたが常に考えてこられた未来の社会は必ず今後に実現されると、そう思います。

    返信削除
  3. Apr 29, 2019
    Condolence Message.
    Twice in my life so far I have read eulogies at funerals.
    Both of those times, Takasei-san, you came to us.
    One is the novelist Kenji Nakagami and the other is Yuji Naito, who was the editor-in-chief of the magazine "Criticism Space" at Ota Publishing Co.
    That was about 30 years ago and 20 years ago. They passed away after a long battle with cancer.
    But this time you passed away suddenly. And I am no longer young.
    So the blows I've taken are just that serious.
    Looking back, you and I became deeply connected in the early 1990s when you accepted to publish "Criticism Space".
    It was the beginning of the Heisei era.
    Until then, "Criticism Space" had come out from another publisher, but it wasn't very well received.
    It was you who nurtured me at Ota Publishing and brought me into the limelight.
    Next, at the beginning of this century, I started the New Associationism Movement (NAM) in Osaka.
    It was you, Mr. Takahashi, who supported me through the yin and the yang.
    For example, he published "The NAM Principle". Your thesis is included in it.
    Ohta Publishing Co., Ltd. also provided the secretariat for NAM.
    I didn't ask for it, but he measured it out that way without my knowing it.
    Also, even after the dissolution of NAM, you have continued the association movement in the living club co-op.
    Perhaps even there, you've played an inconspicuous but important role.
    Also, after the 2011 earthquake and tsunami, I started participating in anti-nuclear demonstrations.
    At that time too, you formed a motion body called Association JP and took the lead.
    Recently I have begun the work of looking back at the NAM at your suggestion and examining it historically.
    and rewrite "The NAM Principle", which was out of print with the dissolution of the company, with your interview.
    We were moving forward with plans to publish the book. We are determined to make that happen in the future.
    Looking back, you were younger than me, but in reality you were like a gentle brother watching over your mischievous brother.
    Someone said, "Karatani is Don Quixote and Takase is Sancho Panza.”
    I think that's actually true.
    What will Don Quixote do if Sancho is gone? That's where I am now.
    Our relationship that began at the beginning of the Heisei era appears to have ended exactly at the end of the Heisei era.
    But that's not the end of it.
    I believe that the future society that you have always been thinking about will be realized in the future.

    返信削除
  4. 可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル (日本語) 単行本 – 2020/9/18
    山田広昭 (著)
    その他 の形式およびエディションを表示する
    単行本
    ¥3,740
    獲得ポイント: 37pt
    ¥3,740 より 1 新品
    「予約商品の価格保証」対象商品。 詳細

    もっと少なく読む
    不正確な製品情報を報告。

    返信削除
  5. 可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル (日本語) 単行本 – 2020/9/18
    山田広昭 (著)
    その他 の形式およびエディションを表示する
    単行本
    ¥3,740
    獲得ポイント: 37pt
    ¥3,740 より 1 新品
    権力なき共生はいかに可能か。マルセル・モースに端を発し、ポランニーを経由して、柄谷行人の交換様式論にいたる流れを追い、マルクス、ワルラスらの理論的探求、グレーバー、J・C・スコットらの実践的展望を援用しつつ、贈与のモラルを内包した交換様式の実現に来たるべき社会の構成原理を見出す。モースをアナキズムの文脈へと置きなおし、『贈与論』のアクチュアルな可能性をも明らかにして変革への道筋を描く、渾身の書下し。

    返信削除
  6. 著者について
    山田広昭
    東京大学大学院総合文化研究科教授(言語情報科学専攻)
    著書に、『現代言語論』(立川健二との共著、1990年)、『三点確保──ロマン主義とナショナリズム』(2001年、以上、新曜社)、『文学批評への招待』(丹治愛との共編著、放送大学教育振興会、2018年)など。訳書に、『ヴァレリー集成IV:精神の〈哲学〉』(編訳、筑摩書房、2011年)ほか。

    発売日 : 2020/9/18
    単行本 : 272ページ
    ISBN-10 : 4900997773
    ISBN-13 : 978-4900997776
    出版社 : インスクリプト (2020/9/18)
    商品の寸法 : 19.5 x 13.5 x 2.4 cm


    https://www.amazon.co.jp/dp/4900997773/

    返信削除
  7. ヴァレリーの資本論評を柄谷は山田訳から引用していた

    返信削除
  8. ヴァレリー.Valery,Paul,❶J.25,27/❷M.45-6@(「人と貝殻」),47-8@,52,200/❸T.368@,499(書簡)@,
    『ドガ・ダンス・レッスン』,❶J.26@,
     「芸術についての考察」,❸T.368@
    ヴィクセル.Wicksell,Johan Dustaf Knut,❸T.310,
     『(国民)経済学講義』,❸T.310
    ヴィーコ.Vico,Giambattista,❸T.66
    ウィットフォーゲル.Wittfogel,Karl August,◉W.34-5(「水力社会」),61(『オリエンタル・デスポティズム』),109
    ウィトゲンシュタイン.Wittgenstein,Ludwig,❶J.218/❷M.11@,12,146-7@,155@,162,(建築) 166,167-8@,171@,172-3@,173-4@,179@,182@,196/❸T.68,102,103,104@,105@,106@,112@,469@/❺H.64,
     『数学の基礎』,❷M.11@,146-7@,171@,172-3@/❸T.102@,104@,105@,106@,
     『哲学探究』,❷M.155@,167-8@,173-4@,179@,182@/❸T.106@,111@,113,
     『論理哲学論考』,❷M.154(198,『論考』)/❸T.112@,116,469@

    返信削除
  9. ポール・ヴァレリー - Wikipedia
    ja.wikipedia.org/wiki/ポール・ヴァレリー
    -キャッシュ
    アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリー(仏: Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry, 1871年10月30日 ...
    生涯と作品-文筆活動-著作-主な日本語訳

    Polariscope: ポール・ヴァレリーの資本論

    返信削除
  10. http://polariscope.blogspot.com/2008/12/blog-post_03.html
    ポール・ヴァレリーの資本論
    柄谷行人が著書「トランスクリティーク」のなかでマルクスの価値形態を論じている箇所に、ポール・ヴァレリーの芸術論を引用している。マルクスが価値というものを複数の体系の間の不透過性としてみたように、芸術的価値の問題を「社会的交換の不透過性」から考えたということである。孫引きになってしまうが面白いのでその後半部分を引用しておこうと思う。

     きわめて重要なのは、これらふたつの変形作用 ―作者からはじまって製造された物体に終わる変形作用と、その物体つまり作品が消費者に変化をもたらすという意味での変形作用― が、相互に完全に独立しているということです。その結果として、このふたつの変形作用は、それぞれべつべつに考えられるべきである、ということになります。

     みなさま方は、作者、作品、観客あるいは聴き手という3つの項を登場させて命題をお立てになる。―しかし、この3つの項を統合するような観察の機会は、決してみなさま方のまえにあらわれないだろうという意味で、そういう命題はすべて無意味な命題なのです。(中略)

     …私のたどりつく点というのはこうです。―芸術という価値は(この言葉を使うのは、結局のところ私たちが価値の問題を研究しつつあるからですが)この価値は本質的に、いま申したふたつの領域〔作者と作品、作品と観察者〕の同一視不能、生産者と消費者のあいだに介在項を置かねばならぬというあの必然性に従属しているということです。重要なのは、生産者と消費者とのあいだに精神に還元できぬなにものかがあって、直接的交渉が存在しないということ、そして、作品というこの介在体は、作者の人柄や思想についてのある概念に還元できるようななにごとも、その作品に感動する人間にもたらさぬということなのです。(中略)

     …芸術家と他者(読者)このふたりの内部でそれぞれ何が起こったのか、それを厳密に比較するための方法など、絶対にいつになっても存在しないでありましょう。そればかりではありません。もし、一方の内部で起こったことが他方に直接的に伝達されるのだとすれば、芸術全体が崩壊するでありましょう。芸術のもつ力のすべてが消失するでありましょう。他者の存在に働きかける新しい不滲透性の要素の介在が是非とも必要なのです。…

    (ヴァレリー「芸術についての考察」清水徹訳、「全集」第5巻、筑摩書房、柄谷行人「トランスクリティーク」岩波書店からの孫引き)

    柄谷によればヴァレリーはこのような視点を「資本論」からえたということである。社会に向けて発言し、コミュニケーションをはかろうとする作品が数多い現代美術の世界において、もう一度問い直される必要があることのように思う。
    ラベル: ART, BOOK, QUOTE

    返信削除
  11. 17. Paul Valery, "Reflections on Art," in Paul Valery, Aesthetics, trans. Ralph Manheim (New York: Pantheon, 1964), pp. 142-143.

    18. Valery wrote on Capital: "Hier soir relu ... (tin pen) Das Kapital. Je suis tin des rares hommes qui l'aient In. 11 parait que Jaures lui-meme ... "Quant an Kapital, ce gros book contient des choses tres remarquables. II n'y a qu'a les y trouver. C'est d'un orgueil assez epais. Souvent tres insuffisant comme rigueur, on tres pedant pour des prunes, mail certaines analyses
    orgueil assez epais. Souvent tres insuffisant comme rigueur, on tres pedant pour des prunes, mail certaines analyses sont epatantes. Je veux dire que la maniere de saisir les choses resemble a cell dontj'use assez souvent, etje puis assez souvent traduire son langage dans le mien. L'objet ne fait rien, et an fond cest le meme!" (A. Gide-P. Valery, Correspondence 1890-1942 [Paris: Gallimard, 1955], pp. 472-473)

    "Last night, I read Capital a little. I am one of the few who actually read it. It seems that even Jaures himself [has not read it] ....
    "Speaking of Capital, this big book includes quite remarkable things. All we have to do is find them. This is a product of tremendous confidence. Often insufficient in terms of scholastic rigor and pedantic for no reason, but certain analyses are brilliant. liant. I want to say that the method of grasping things resembles the one I use quite often, and in many cases I can translate his language into mine. The object does not matter, and ultimately it is the same!"

    返信削除
  12. ヴァレリー
    (59) ヴァレリーは「資本論』についてこう書いている。《昨晩、読み返したよ(少しばかり)、『資
    本論』をね!! ぼくはあれを読んだ数少ない人間の一人だ。ジョレス[当時代表的な社会主義者]
    自身はーー(読んでいないように見える)。(中略)『資本論』はといえば、この分厚い本(book)
    にはきわめて注目すべきことが書かれている。ただそれを見つけてやりさえすればいい。これは
    かなりの自負心の産物だ。しばしば厳密さの点で不十分であったり、無益にやたらと街学的であ
    ったりするけれど、いくつかの分析には驚嘆させられる。ぼくが言いたいのは、物事をとらえる
    際のやり方が、ぼくがかなり頻繁に用いるやり方に似ているということであり、彼の言葉は、か
    なりしばしば、ぼくの言葉に翻訳できるということなんだ。対象の違いは重要ではない。それに
    結局をいえば、対象は同じなんだから!(一九一八年五月一一日、ジッド宛書簡)(山田広昭訳)
    (A. Gide-P. Valery, Correspondence 1890–1942, Gallimard, 1955, pp. 472–3)
    トラクリ文庫489頁


    17. Paul Valery, "Reflections on Art," in Paul Valery, Aesthetics, trans. Ralph Manheim (New York: Pantheon, 1964), pp. 142-143.

    18. Valery wrote on Capital: "Hier soir relu ... (tin pen) Das Kapital. Je suis tin des rares hommes qui l'aient In. 11 parait que Jaures lui-meme ... "Quant an Kapital, ce gros book contient des choses tres remarquables. II n'y a qu'a les y trouver. C'est d'un orgueil assez epais. Souvent tres insuffisant comme rigueur, on tres pedant pour des prunes, mail certaines analyses
    orgueil assez epais. Souvent tres insuffisant comme rigueur, on tres pedant pour des prunes, mail certaines analyses sont epatantes. Je veux dire que la maniere de saisir les choses resemble a cell dontj'use assez souvent, etje puis assez souvent traduire son langage dans le mien. L'objet ne fait rien, et an fond cest le meme!" (A. Gide-P. Valery, Correspondence 1890-1942 [Paris: Gallimard, 1955], pp. 472-473)

    "Last night, I read Capital a little. I am one of the few who actually read it. It seems that even Jaures himself [has not read it] ....
    "Speaking of Capital, this big book includes quite remarkable things. All we have to do is find them. This is a product of tremendous confidence. Often insufficient in terms of scholastic rigor and pedantic for no reason, but certain analyses are brilliant. liant. I want to say that the method of grasping things resembles the one I use quite often, and in many cases I can translate his language into mine. The object does not matter, and ultimately it is the same!"

    返信削除
  13. トラクリ

    ソシュールは実際、言語を同期システム(つまり、ラング)と見なしたときに政治経済のモデルを採用しました。 「同期」という概念は、一時的な瞬間ではなく、一定の平衡状態を示します。従来の言語学は、システム全体から切り離された、その歴史的変化である特定の言語要素を観察することに焦点を合わせていました。ソシュールはそれに対してアンチテーゼを提示した。関係システムの要素における要素の変換は、システム全体のシフトを引き起こし、新しいシステムを生み出す。言語の通時的変換は、システム自体の変化として把握する必要があります。これは、ある平衡状態から別の平衡状態への移行にほかなりません。この考えは明らかに、ローザンヌ大学で教えていたヴィルフレード・パレート(1848-1923)の「一般的な一般均衡システム」から取られました。しかし、ソシュールはさらにこのフレームワークを開発しました。彼は、新古典派経済学の単なる言い換えであった多くのヤコブソンの例のように、パレートのモデルに留まっていませんでした。ソシュールは新古典派理論との差別化を図った。彼の有罪判決は、言語には違いしかないというものでした。それは純粋な価値のシステムです」-これらの声明は、単一のシステム(つまり、ラングのシステム)内で考えていたとは言えませんでした。彼は、ラングの別のシステムを考慮したときにのみ価値の概念を導入しました。単語が別の言語に翻訳されると、同じ意味を達成しますが、同時に、その単語の値は、他の単語との異なる関係に応じて、新しい/異なるシステムで変更されます。 、彼は、シグニファイヤーに黙示的に結び付けられている意味(記号化された)はない、言い換えれば、内在的な意味がないことを説明します。Hjelmslevが指摘したように、意味や経済学における「価格」とは異なる価値という概念は、多様なシステムが危険にさらされている場合にのみ必要になります。類推的に言語。 「お金と言語ゲージを比較することも間違いではありません。アイデアは、特定の属性が解消され、商品と並んで価格がそうであるように、言語にソーシャルキャラクターが存在するような方法で言語に変換されません。言語以外のアイデアは存在しません。 。最初に母国語から外国語に翻訳して交換可能にする必要があるアイデアは、より良い類似性を提供しますが、その類似性は言語ではなく、その外国語です。」言葉とお金の類推がまったく重要になれば、それは彼らの外国性[Fremdheit]が危機にatしているところでのみです。ソシュールは意味と区別される言語の価値について語ったときにのみ経済図を使用しました。異なる通貨の例。13この類推に従うと、意味は価格で識別され、価値は関係システム間の差に対応するt価格を決定します。同期システム内では、商品は他のすべての商品に関連付けられます。商品をお金と交換することは、2つの事柄の間の単なる発生ではありません(


    2020/3
    群像
    マルクス可能性
    序文では
    トラクリと違い
    ワルラスからソシュールの間にパレートの名がないから分かりにくい

    返信削除
  14. マルクスもワルラスもプルードン批判から経済学を始めている

    プルードンのアンチノミーの価格論批判的展開が両者の肝だ

    ローザンヌのワルラスはパレート、ソシュールへ
    均衡理論を伝えたが
    アンチノミー間の均衡が創始にある

    マルクスは機械論が有名だが
    プルードン批判としてはむしろ所有は不可能であるというプルードンに対し
    再生産表式で反措定したことが重要だ

    返信削除
  15. 浅田によればメンガーがノイマンに影響を与えた

    冊子体
    人文学報 = Journal of humanities (京都大学人文科学研究所紀要) (53)-(55) 19820300-19830900
    雑誌 京都大学人文科学研究所
    記事・論文名
    公理主義的経済学の誕生--ウィーンとケンブリッジー上-
    著者名
    浅田彰
    巻号、ページ
    p1~21
    備考(その他の指定)

    返信削除
  16. 白井武器評
    Ryouji Ishizuka (@ISHIZUKA_R)
    2020/09/13 12:19
    剰余価値の源泉を空間的差異、時間的差異、と「差異」に求める見方が何度かでてきます。これのような整理の仕方はマルクスというよりも岩井克人さんのように思いますが、巻末のブックガイドにありませんが柄谷行人さんが入っているのでそれでよいのかもしれません。

    https://twitter.com/ishizuka_r/status/1304982953219424256?s=21

    返信削除
  17. ヘッドホン(Suzuki Yuto) 2nd year of graduate studies (@bktmskman)
    2020/09/13 18:43
    「資本主義的生産様式, すなわち, 資本と労働者の関係は, 貨幣と商品の関係(交換様式C)を通して組織されたものです. そして, それが信用の体系を形成することは, 特に『資本論』第三巻に書かれています」(柄谷行人『帝国の構造』, 2014年, pp. 21-22) twitter.com/ISHIZUKA_R/sta…
    https://twitter.com/bktmskman/status/1305079667171323904?s=21

    返信削除
  18. 18 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2020/11/12(木) 22:38:57.79 ID:yOaOgaMw
    >https://twitter.com/ISHIZUKA_R/status/1271229738862784512?s=20

    交換様式Bと交換様式Cの違いは
    マネタリーベースとマネーストックの違いに対応する
    イングランド銀行創設における大和解は交換様式B内におけるB'C'の結合に過ぎない
    柄谷交換様式論は信用貨幣論の理解を決定的にする最後の一撃なのだ

    また、マルクスが資本論3:35:2で旧教と新教に分けたのは逆だ
    重金主義より信用主義の方が古いのだから
    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

    返信削除
  19. 681 考える名無しさん[] 2020/11/18(水) 00:18:41.29 ID:0
    中島岳志✕浜崎洋介「いま、福田を読むこと」
    浜崎 ぼくらの世代は柄谷行人に発言力があり、ぼくはNAM(New Associationist Movement)に入りましたが、崩壊していく過程も見ました。
    (『図書新聞』’12・11月24日号〈福田恆存生誕一〇〇年記念対談〉)

    返信削除
  20. マルクス可能性
    構造主義は 、それゆえに 、シニフィアンとシニフィエ 、あるいは 、文化と自然といった二分法に閉じこめられる 。それはまだ形而上学なのだ 。マルクスもまた 、使用価値と価値という二分法で考えているかぎり 、まだ 「貨幣の形而上学 」にとらわれている 。すでに示唆したように 、根源にあるのは 、使用価値と使用価値の任意の関係にほかならない 。価値形態とは 、いわば形象的な言語である 。音声的言語においては 、それはすでに隠されている 。たとえば 、マルクスは 、同等の労働がふくまれているから異質な商品が等価であるという考えに反対して 、つぎのようにいっている 。

    だから 、人々が彼らの労働諸生産物を諸価値として相互に連関させるのは 、これらの物象が 、彼らにとって同等な種類の 、人間的な労働のたんなる物象的外被として意義をもつからではない 。その逆である 。彼らは 、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置することにより 、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する 。彼らはそれを意識していないが 、しかしそう行うのである 。だから 、価値なるものの額には 、それが何であるかということは書かれていない 。むしろ価値が 、どの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する 。のちに至って 、ひとびとは 、この象形文字の意味を解こうとし 、彼ら自身の社会的産物 ─ ─けだし 、価値としての諸使用対象の規定は言語と同じように彼らの社会的産物である ─ ─の秘密を探ろうとする 。労働諸生産物は 、それらが価値であるかぎりでは 、それらの生産に支出された人間的労働のたんに物象的な表現である 、という後代の科学的発見は 、人類の発達史において時代を劃するものだが 、しかしけっして労働の社会的性格の対象的仮象を追いはらいはしない 。

    彼らは 「意識しないが 、そう行う 」というとき 、実はマルクスはほぼフロイト的な意味で 「無意識 」について語っている 。たとえば 、ジャック ・ラカンは 、無意識は言語と同じように構造化されているといっている 。同様に 、貨幣形態において消去されてしまう 「価値形態 」は 、マルクスのいうように象形文字なのである 。われわれの 「意識 」には 、もはやそれはみえず 、その結果だけが映っている 。フロイトがいうように 、意識するとは音声言語化することだ 。われわれが意識するのは 、貨幣 =音声文字というかたちをとったものだけである 。経済学はこの 「意識 」から出発する 。つまり 、それが暗黙に貨幣を前提しているといったのはこのことにほかならない 。どんな厳密な反省も分析も 、すでに形成された 「意識 」のなかでなされているかぎり 、いつも結果を原因ととりちがえるほかないのだ 。たとえば 、神経症患者が高所を恐怖するとき 、彼は高所だから怖いというだろう 。しかし高所が彼の恐怖の 〝原因 〟ではない 。同様に 、二つの相異なる生産

    返信削除
  21. 54 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2020/11/25(水) 01:29:27.30 ID:CFYv8Xcr
    講談社文庫インタビュー上巻
    高澤秀次との対話二回目で
    「思想は右か左かよりも、集権かアナーキーかで分けた方がいい」

    ドラッカーはダイアモンド社を牙城とする経済右派
    柄谷は岩波を牙城とする経済左派
    しかし脱集権的組織の集積であるような社会をよしとする点で
    アナーキーかどうかともかく
    集権的ではない

    返信削除
  22. 708 考える名無しさん[sage] 2020/11/26(木) 09:27:56.04 ID:0
    英語圏の柄谷シンパでいうとGeoff MannのClimate leviathanだけど、これも初期の論文にあった柄谷の影響が真逆にねじられて交換様式Aの次元が無視されて地球主権的で非資本主義国家(Climate Mao)と非地球主権的だが資本主義的な国家(Climate Behemoth)っていう形で交換様式Bがドミナントな国家を2つに分けて
    そこから非地球主権的で非資本主義的な未来の社会Xを探るっていうふうになっててなんともいえない気持ちになった
    結局環境問題を考えると国家のない状況を考えられなくなるのかね
    柄谷シンパからエコロジカルマルキストになるに当たって交換様式Aの高次の回復っていうモチーフが消えちゃうんだな

    709 考える名無しさん[sage] 2020/11/26(木) 09:30:58.52 ID:0
    あ、柄谷シンパはMannより共著者のJoel Wainwrightか

    返信削除
  23. 728 考える名無しさん[sage] 2020/11/26(木) 19:35:55.75 ID:0
    英語でmode of exchangeとおもうから悪くて、Verkehrweiseの訳語としてちょうどいいのがないから交換様式とかmode of exchangeとしてると考えれば何も難しいことはない

    返信削除
  24. 839 あ[sage] 2020/12/04(金) 22:53:48.73 ID:0
    ちなみにマルクスや吉本も批判的に参照したヘーゲル(『エンチュクロペディ』)は
    こう書いている。

    《δ 個体のおのずからなる死

    三七六
    しかし普遍性とのこのような同一性に達しても、それは、形式的な対立、すなわち、
    直接的な個別性と個体性が持っている普遍性との対立、の止揚であり、しかも
    それは自然的なものの死という単なる一面、ただし抽象的な一面に達したに
    すぎない。…》

    結局、マルクスも吉本もヘーゲルから脱することはなかった。
    それは彼らが弁証法を信じていたからだ。

    「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
    アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
    (プルードン『革命と教会における正義』未邦訳)
    http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
    この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。

    人類がヘーゲルから脱するには柄谷の交換図というヘーゲル体系の代替物が必要だった。

    返信削除
  25. 878 あ[sage] 2020/12/07(月) 10:10:18.53 ID:0
    第一次NAMはマルクス主義の延命措置だった。
    柄谷は日本近代文学の終焉で日本文学の延命装置は外したが、
    マルクス主義の延命装置は外せなかった。
    NAM新版ではプルードンの重要性が確認出来るだろう。

    ウーマンラッシュアワー村本
    「そっちでいらないものはこっちでもいらない」
    https://video.twimg.com/ext_tw_video/1335581459810140160/pu/vid/1280x720/MOpXsf3sXRgIeRCP.mp4

    返信削除
  26. 第一期NAMはマルクス主義の延命措置だった。
    柄谷は日本近代文学の終焉で日本文学の延命装置は外したが、
    マルクス主義の延命装置は外せなかった。
    NAM新版ではプルードンの重要性が確認出来るだろう。

    ウーマンラッシュアワー村本
    「そっちでいらないものはこっちでもいらない」
    https://video.twimg.com/ext_tw_video/1335581459810140160/pu/vid/1280x720/MOpXsf3sXRgIeRCP.mp4

    返信削除
  27. 947 考える名無しさん[sage] 2020/12/21(月) 17:07:55.35 ID:0
    ニュー・アソシエーショニスト宣言
    柄谷行人(著/文)

    発行:作品社

    四六判 296ページ
    定価 2,400円+税
    ISBN9784861828355CコードC0010

    初版年月日2021年1月
    発売予定日2021年1月25日


    紹介
    世界変革への“新たなる宣言”!

    返信削除
  28. ニュー・アソシエーショニスト宣言 柄谷行人(著/文) - 作品社 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784861828355 @hanmotocomより

    https://www.amazon.co.jp/dp/486182835X

    返信削除
  29. 100 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2021/01/01(金) 16:45:25.68 ID:jBhRjzoy
    100get

    文學界の今月号、「思想家の節目」というエッセイ載るね
    NA宣言のことも書いてるかな

    返信削除

  30. 柄谷行人は「at第5号」(2006太田出版、143頁)でマックス・ウェーバーの以下の文章を引用している。

    「国家的官僚制は、私的資本主義が除去された暁には、独裁的に威力をふるうだろう。今日では、私的官僚制と公的官僚制とは並行して、少なくとも可能性としては対抗して、活動しているから、とにかくある程度互いに抑制し合っている。…」(「新秩序ドイツの議会と政府」『政治・社会論集』、河出書房 329頁)

    返信削除

  31. しかしもしそのようなことになりでもしたら、この二つの官僚制はただ一つの階層的秩序(ヒエラルヒー)の中に溶けこんでしまうであろう。

    返信削除

  32. 柄谷行人は「at第5号」(2006太田出版、143頁)でマックス・ウェーバーの以下の文章を引用している。

    「国家的官僚制は、私的資本主義が除去された暁には、独裁的に威力をふるうだろう。今日では、私的官僚制と公的官僚制とは並行して、少なくとも可能性としては対抗して、活動しているから、とにかくある程度互いに抑制し合っている。しかしもしそのようなことになりでもしたら、この二つの官僚制はただ一つの階層的秩序(ヒエラルヒー)の中に溶けこんでしまうであろう。」(「新秩序ドイツの議会と政府」『政治・社会論集』、河出書房 329頁)

    返信削除
  33. 重要なのは各関心系、各地域系から
    会計責任者を評議会に参加させることである
    無理矢理国政に対応させるなら財務省は
    人材を拡散させることでその権力を失う

    返信削除
  34. 私的官僚制は日本では蛸壷化している
    無論公的官僚制も一早く蛸壷化しており
    近年厚労省の医系技官がそれを完成させた
    感染研はNAMにおけるプロジェクト、
    保健所は地域系にあたる
    LETSを採用していないので財務省緊縮財政の
    枠内でのゼロサムゲームに終始するしかない

    返信削除

  35. 図表 3 柄谷行人『交換様式X』[+α]
          見返り   見返りなし
          ___________
         |B再分配 |A互酬  |
    知り合い |(略奪と | (贈与と|
         | 再分配)|  返礼)|
         |_____|_____|
         |C商品交換|D    |
    見知らぬ人| (貨幣と|  X  |
         |  商品)|     |
         |_____|_____|

    出典:柄谷行人著『世界史の構造』(岩波書店)

     柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。 「交換」と
    いうことを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと交換するか、見知らぬ人と
    交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で見返りの関係になるかどうかという方向性です。
    見返りの関係とは、相手から何かもらうことで自分も相手に与えるような等価交換の関係です。
    見返りの関係にならない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うというパターンがあります。
    すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが生まれることになります。

    A.知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    B.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    返信削除

  36. 図表 3 柄谷行人『交換様式X』[+α]
          見返り   見返りなし
          ___________
         |B再分配 |A互酬  |
    知り合い |(略奪と | (贈与と|
         | 再分配)|  返礼)|
         |_____|_____|
         |C商品交換|D    |
    見知らぬ人| (貨幣と|  X  |
         |  商品)|     |
         |_____|_____|

    出典:柄谷行人著『世界史の構造』(岩波書店)

     柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。
    「交換」ということを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと交換するか、
    見知らぬ人と交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で見返りの関係になるか
    どうかという方向性です。
    見返りの関係とは、相手から何かもらうことで自分も相手に与えるような等価交換の関係です。
    見返りの関係にならない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うというパターンがあります。
    すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが生まれることになります。

    A.知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    B.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    返信削除

  37. 図表 3 柄谷行人『交換様式X』[+α]
          見返り   見返りなし
          ___________
         |B再分配 |A互酬  |
    知り合い |(略奪と | (贈与と|
         | 再分配)|  返礼)|
         |_____|_____|
         |C商品交換|D    |
    見知らぬ人| (貨幣と|  X  |
         |  商品)|     |
         |_____|_____|

    出典:柄谷行人著『世界史の構造』(岩波書店)

     柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。
    「交換」ということを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと
    交換するか、見知らぬ人と交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で
    見返りの関係になるかどうかという方向性です。
    見返りの関係とは、相手から何かもらうことで自分も相手に与えるような等価交換の
    関係です。見返りの関係にならない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うと
    いうパターンがあります。すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが
    生まれることになります。

    A.知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    B.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    返信削除

  38. 図表 3 柄谷行人『交換様式X』[+α]
          見返り   見返りなし
          ___________
         |B再分配 |A互酬  |
    知り合い |(略奪と | (贈与と|
         | 再分配)|  返礼)|
         |_____|_____|
         |C商品交換|D    |
    見知らぬ人| (貨幣と|  X  |
         |  商品)|     |
         |_____|_____|

    出典:柄谷行人著『世界史の構造』(岩波書店)

     柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。
    「交換」ということを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと
    交換するか、見知らぬ人と交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で
    見返りの関係になるかどうかという方向性です。見返りの関係とは、相手から何か
    もらうことで自分も相手に与えるような等価交換の関係です。見返りの関係になら
    ない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うというパターンがあります。
    すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが生まれることになります。

    A.知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    B.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    返信削除

  39. 図表 3 柄谷行人『交換様式X』[+α]
          見返り   見返りなし
          ___________
         |B再分配 |A互酬  |
    知り合い |(略奪と | (贈与と|
         | 再分配)|  返礼)|
         |_____|_____|
         |C商品交換|D    |
    見知らぬ人| (貨幣と|  X  |
         |  商品)|     |
         |_____|_____|

    出典:柄谷行人著『世界史の構造』(岩波書店)

     柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。
    「交換」ということを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと
    交換するか、見知らぬ人と交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で
    見返りの関係になるかどうかという方向性です。見返りの関係とは、相手から何か
    もらうことで自分も相手に与えるような等価交換の関係です。見返りの関係になら
    ない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うというパターンがあります。
    すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが生まれることになります。

    A.知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    B.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    ~唐鳳『デジタルとAIの未来を語る』より~

    返信削除


  40. 図表 3 柄谷行人『交換様式X』[+α]
          見返り   見返りなし
          ___________
         |B再分配 |A互酬  |
    知り合い |(略奪と | (贈与と|
         | 再分配)|  返礼)|
         |_____|_____|
         |C商品交換|D    |
    見知らぬ人| (貨幣と|  X  |
         |  商品)|     |
         |_____|_____|

    出典:柄谷行人著『世界史の構造』(岩波書店)

     柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。
    「交換」ということを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと
    交換するか、見知らぬ人と交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で
    見返りの関係になるかどうかという方向性です。見返りの関係とは、相手から何か
    もらうことで自分も相手に与えるような等価交換の関係です。見返りの関係になら
    ない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うというパターンがあります。
    すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが生まれることになります。

    A.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    B. 知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    ~唐鳳『デジタルとAIの未来を語る』より~

    返信削除
  41. 訂正

    A.知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
    B.知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
    C.見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
    D.見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン  

    返信削除
  42. タルコット・パーソンズを研究中の作田啓一によるプルードン思想の図解が柄谷行人交換様式図の元ネタだろう。
    つまりプルードンが大元。
    プルードン交換銀行は信用貨幣論に依拠する。
    価値形態論はCまたはBなので信用貨幣論が商品貨幣論を包括する。

    https://yojiseki.exblog.jp/iv/detail/?s=5230243&i=200703%2F12%2F41%2Fa0024841_23552739.jpg
    『プルードン研究』p48作田啓一作成の図

    返信削除

  43. タルコット・パーソンズを研究中の作田啓一によるプルードン思想の図解が柄谷行人交換様式図の元ネタだろう。
    つまりプルードンが大元。
    プルードン交換銀行は信用貨幣論に依拠する。
    価値形態論はCまたはBなので信用貨幣論が商品貨幣論を包括する。

    『プルードン研究』48頁作田啓一作成の図
    https://1.bp.blogspot.com/-vvheMFpmPKE/YATXDh0WB1I/AAAAAAAB0t4/NXy1WE6DldA1jqaKDUHqt0PpiO8bVZcpACLcBGAsYHQ/s217/EDC59497-D55C-4CE0-86E3-3FE529675E24.jpeg
    資本と国家の位置が逆転だが

    返信削除
  44. 力はフロー
    カレツキのように再生産表式を
    ストックとして分析すべきだ

    返信削除
  45. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフローを重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった

    返信削除
  46. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフローを重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった

    返信削除
  47. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフローを重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る

    返信削除
  48. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフローを重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る

    返信削除
  49. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフローを重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る

    返信削除

  50. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフロー(=力?)を重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る

    返信削除


  51. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフロー(=力?)を重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る
    ドイツ語文献学的には精神という用語はフローからストックへ移行してきた
    これは近代的自我、mindへの回収と言える

    返信削除

  52. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフロー(=力?)を重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る
    ドイツ語文献学的には精神という用語はフローからストックへ移行してきた
    これは精神の近代的自我、mindへの回収と言える

    返信削除

  53. マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフロー(=力?)を重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、マルクス、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る
    ドイツ語文献学的には精神という用語はフローからストックへ移行してきた
    これは精神の近代的自我、mindへの回収と言える

    返信削除
  54. 精神としての資本
    より
     しかし、マルクスが商品物神といったとき、すでにそれと同じようなことを考えていたということに留意すべきである。物神はたんなる比喩ではない。交換について考えるとき、それを避けて通ることはできない。商品物神は交換からたまたま生じたのではなく、交換にとって不可欠なものとしてあった。なぜなら、見知らぬ者との間での交換は、それを保証する何らかの力を必要とするからだ。国家・法もないときにそれを与えたのが、物に付着した霊的な力、つまり物神である。「信用」はそれによってもたらされる。モースはつぎのようにいっている。

     贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、物々交換から売買へと進化したわけではないし、売買にしても、その場での支払いから期間を置いた支払いへと進化したわけではない。贈り物を与えること、そして、ある一定の期間を置いて支払いすること、このシステムの上にこそ、一方に物々交換が成立し(もともとは時間の隔たりがあったにもかかわらず、その隔たりが省略されたり短縮されたりすることによって)、他方に購買と販売(一定期間を置いた支払いによる販売も、その場での支払いによる販売も)、および貸借が成立したのである(『贈与論』)。

     物々交換から信用が発展したのではなく、その逆である。また、売買も信用に根ざしている。そ

    返信削除

  55. 精神としての資本、現代思想増刊2017.06
    より
     しかし、マルクスが商品物神といったとき、すでにそれ[アニマ]と同じようなことを考えていたということに留意すべきである。物神はたんなる比喩ではない。交換について考えるとき、それを避けて通ることはできない。商品物神は交換からたまたま生じたのではなく、交換にとって不可欠なものとしてあった。なぜなら、見知らぬ者との間での交換は、それを保証する何らかの力を必要とするからだ。国家・法もないときにそれを与えたのが、物に付着した霊的な力、つまり物神である。「信用」はそれによってもたらされる。モースはつぎのようにいっている。

     贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、物々交換から売買へと進化したわけではないし、売買にしても、その場での支払いから期間を置いた支払いへと進化したわけではない。贈り物を与えること、そして、ある一定の期間を置いて支払いすること、このシステムの上にこそ、一方に物々交換が成立し(もともとは時間の隔たりがあったにもかかわらず、その隔たりが省略されたり短縮されたりすることによって)、他方に購買と販売(一定期間を置いた支払いによる販売も、その場での支払いによる販売も)、および貸借が成立したのである(『贈与論』)。

     物々交換から信用が発展したのではなく、その逆である。また、売買も信用に根ざしている。…

    返信削除

  56. 精神としての資本、現代思想増刊2017.06
    より
    《 しかし、マルクスが商品物神といったとき、すでにそれ[アニマ]と同じようなことを考えていたということに留意すべきである。物神はたんなる比喩ではない。交換について考えるとき、それを避けて通ることはできない。商品物神は交換からたまたま生じたのではなく、交換にとって不可欠なものとしてあった。なぜなら、見知らぬ者との間での交換は、それを保証する何らかの力を必要とするからだ。国家・法もないときにそれを与えたのが、物に付着した霊的な力、つまり物神である。「信用」はそれによってもたらされる。モースはつぎのようにいっている。

     「贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、物々交換から売買へと進化したわけではない…」(『贈与論』)。

     物々交換から信用が発展したのではなく、その逆である。また、売買も信用に根ざしている。…》

    返信削除


  57. 精神としての資本、現代思想増刊2017.06
    より
    《…商品物神は交換からたまたま生じたのではなく、交換にとって不可欠なものとしてあった。
    なぜなら、見知らぬ者との間での交換は、それを保証する何らかの力を必要とするからだ。
    国家・法もないときにそれを与えたのが、物に付着した霊的な力、つまり物神である。
    「信用」はそれによってもたらされる。モースはつぎのようにいっている。

     「贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、
    物々交換から売買へと進化したわけではない…」(『贈与論』)。

     物々交換から信用が発展したのではなく、その逆である。また、売買も信用に
    根ざしている。…》

    マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフロー(=力)を重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、マルクス、モース、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る
    ドイツ語文献学的には精神という用語はフローからストックへ移行してきた
    これは精神の近代的自我、mindへの回収と言える

    返信削除

  58. 《…商品物神は交換からたまたま生じたのではなく、交換にとって不可欠なものとしてあった。
    なぜなら、見知らぬ者との間での交換は、それを保証する何らかの力を必要とするからだ。
    国家・法もないときにそれを与えたのが、物に付着した霊的な力、つまり物神である。
    「信用」はそれによってもたらされる。モースはつぎのようにいっている。

     「贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、
    物々交換から売買へと進化したわけではない…」([モース]『贈与論』)。

     物々交換から信用が発展したのではなく、その逆である。また、売買も信用に
    根ざしている。…》精神としての資本、現代思想増刊2017.06より

    マルクス主義は産業資本を扱うがゆえに
    ストックよりもフロー(=力)を重視する
    だからストックの分析がおろそかになる
    近年ではピケティがそれを補った
    信用貨幣論はストックに着目しないと見えてこない
    精神を見ることは
    商品貨幣論を維持しつつストックを見ることだ
    精神はストックを意味するのだ
    ヘーゲル、マルクス、ハイデッガー、デリダは両面を見ようとしたが
    経済学的に無自覚なるがゆえに不十分だった
    (デリダの負債への着目は正しかったが柄谷の盟友グルーバーのような
    最新人類学的知見がなかった)
    柄谷は商品貨幣論を内在的に突き抜けて信用貨幣論に至る
    ドイツ語文献学的には精神という用語はフローからストックへ移行してきた
    これは精神の近代的自我、mindへの回収と言える

    返信削除
  59. 《資本の蓄積運動は、人間の意志や欲望に発するのではない。それはいわば「物神」に駆りたてられたものだ。資本主義社会とは、最も発展した形態に達した物神によって組織されるようになったものである。マルクスは、いかにして「物神」(スピリット)が実現されるかを示すために、『資本論』ではヘーゲルの論理に忠実に従って書く必要があったのだ。》

    返信削除
  60. 《 一八七三年以後の事態からふりかえると、『資本論』が、イギリスがヘゲモニーをもち自由主義的であった時代に書かれたことがはっきり見えてくる。そのため、彼は『資本論』で、「国家」をカッコにいれて資本主義経済を考察することができたし、また、イギリス一国を通して世界資本主義を考察することができた。そのような条件は一八七〇年代以後、急激に失われたのである。しかし、『資本論』は、それ以後の世界を理解する手がかりを十分に与えている。
     「資本主義的生産の真の制限は資本そのものなのである」というマルクスの認識はむしろ、『資本論』以後の世界にこそ妥当するのである。彼が利潤率の低下あるいは資本の過剰について述べたことは、もともと資本主義がグローバルにしか存在できないことを含意している。一国の中であれば、たちまち利潤率の低下が生じる。資本の蓄積は、グローバルに、労働力商品、すなわち、商品を生産し且つそれを買い戻すような商品を創り出すことによってのみ可能である。
     そこで、資本主義のグローバリゼーションが要請される。しかし、それは早晩、利潤率の低下に帰結する。そして、この過程において、世界中に近代以前からあった人間の生活、そして、自然環境の破壊がもたらされる。しかし、これを繰り返すことなくして、資本は存続できない。資本の蓄積は今後、ますます困難となるだろう。にもかかわらず、資本は蓄積をやめない。個々人がどう考えようと、自己増殖する資本の欲動は決して消えない。それが「資本物神」の力なのだ。だからこそ、それをとらえた『資本論』が今も重要なのである。

     後記
     これはCrisis&Critique(http://crisiscritique.org/past.html)に寄稿した論文CapitalasSpiritの日本語原文である。》

    返信削除
  61. (3)ブローデルは『物質文明・経済・資本主義』の中で、資本主義と市場を区別した。市場は、市民や農民や小商人で構成される交換の空間である。そこでの取引は、基本的に等価交換であって、大きな利益を上げることは難しい。一方、資本主義は遠隔地交易によって巨大な利潤を得るものだ。

    返信削除
  62. 855 考える名無しさん[sage] 2021/06/30(水) 23:23:03.99 ID:0
    時間ができたおかげで、ジジェク氏は昔の映画を見直す暇ができたという。

    「黒澤明や溝口健二の作品をもう一度見ている。溝口の『山椒大夫』は私の一番の
    お気に入りだ。パンデミックのために日本の名作映画を再発見できたのはありがたい」

    ジジェク氏に、このコラムの前の回で、斎藤幸平さんのことをご紹介したことを話した。

    ジジェク氏は、斎藤氏の英文著作「大洪水の前に(邦題)」について、何度か書評を
    書いていたからだ。さらに斎藤氏はジジェク氏の近著「パンデミック」邦訳の監修・解説
    も担当している。斎藤氏のことに話を向けると、ジジェク氏はこう話した。

    「斎藤氏には、敬服している。後期マルクスが生態学的バランスを重視していたという指摘
    には説得力がある。ただ、すべての点で同意しているわけではない。彼は資本主義に
    よって、人間と自然の関係性が破壊されたと強調するが、私は人類はもっと以前から、
    自然と対立してきたと考える。私が本格的に著作を読む日本人の思想家は、
    斎藤氏と柄谷行人氏の二人だ。柄谷氏は階級社会のもっと以前、人類が狩猟社会から
    農耕社会に移行し、定住を始めた時期から、その対立が始まったとみている。
    私もその考えに近い。それにしても、日本では欧米が後期マルクス研究の重要性を
    再認識するずっと前、1960年代からそのことに気づいていたのだと思う」

    返信削除

  63. 外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(40)哲学者スラヴォイ・ジジェク氏と考えるパンデミックの意味(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

    https://news.yahoo.co.jp/articles/696e875ac6c5ecbf969a7881611ff8a01c89b235?page=7

    返信削除
  64. 岩波現代文庫版への序文

     最初に述べたように、私は翻訳されるたびに、新たな文脈において本書を読み直してき
    たのだが、定本版を書こうとして読み直したときにも、思いがけない発見があった。私は
    漱石の「文学論」の序文からつぎの条りを引用していた(本書九頁)。

     余はこゝに於て根本的に文学とは如何なるものぞとへる問題を解釈せんと決心し
    余は下宿に立て籠りたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を
    読んで文学の如何なるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふが如き手段たる
    を信じたればなり。余は心理的に文学は如何なる必要あつて、此世に生れ、発達し
    類廃するかを極めんと誓へり。余は社会的に文学は如何なる必要あつて、存在し、隆
    興し、衰滅するかを究めんと誓へり。

     突然、私の目にとびこんできたのが、「顔廃」や「衰滅」という文字であった。かつて
    引用しながら、私は漱石がこういうことを書いていたとは思いもよらなかった。 私がこの
    ことに気づいたのは、いうまでもなく、文学の衰滅という事態を意識していたからである。
    だが、ふりかえってみると、漱石自身もそのことを念頭においていたのではないか、では、
    なぜそうなのか、と私は思った。
     こうした漱石の言葉は、俳句や短歌が滅亡するという正岡子規の説を想起させる。思え
    は新たな俳句の運動を起こした子規が、同時に俳句が必然的に滅亡することを唱えてい
    たのは奇妙である。その際、子規は、俳句や短歌の滅亡を、短詩形であるために、音声の
    順列組み合わせから見て有限であると説明した。この考えは的はずれである。その順列組
    み合わせの数は天文学的で、人間の歴史にとっては事実上無限だから。しかし、子規が言
    いたかったのはむしろ、漱石がいうように、俳句や短歌が「心理的」あるいは「社会的」
    な要因によって終るだろうということである。同時代あるいはそれ以後の文学者と異なっ
    て、彼らは文学の永遠を信じていなかった。
     しかし、近代文学が永遠でなく、短い期間しか続かなかったとしても、それが存在した
    ということの意味が無くなるわけではない。むしろ逆に、このようなものがある時期に存
    在したということの不可思議に、人々が魅了される時が来るだろう。その時点で、本書は
    また違った意味を帯びてくるだろう。今、私はそのような予感を抱いている。
         二〇〇八年九月一八日 東京にて  柄谷行人

    返信削除
  65. 世界史の哲学

    ギリシアが他のアジア的国家と異なったのは、この点においてである。たとえば、ヘロドトスも、ペルシアとギリシアの差異をまさにこの点に見出している。ペルシアの大王キュロスは、「町の真中に場所を設け、そこへ集まって誓言しながらだまし合うような人間どもを、わしは今まで恐ろしいと思ったことなどはないのだ」と述べたという。ヘロドトスはこう付け加えている。《キュロスのこの言葉はギリシア人全体に当てていったもので、ギリシア人が市を立てて売買することによるのである。実際ペルシア人自身は市を立てて売り買いする習慣をもたず、第一市場なるものがペルシアには全くないのである(25)》。


    (25)ヘロドトス『歴史』松平千秋訳、岩波文庫(上)、一一八頁。153

    中公バックスにはなし


    哲学の起源ではイソノミア

    返信削除

  66. アテネのデモクラシー(国家の為の哲学)に対する
    イオニアのイソノミア(個人の自由)的哲学を
    哲学・思想史から再評価しようという試みだと思いますが
    ヘロドトスもアーレントもそのような事は
    書いていないのではないかと思います。
    柄谷氏がなぜそう考えたのか、
    柄谷氏のいうイソノミアは無かったと反論も困難なので
    「哲学の起源」の外国語版が発表された場合の評価に
    興味あります。

    http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20110126
    2011-01-26 アレント 『革命について』

     政治現象としての自由は、ギリシアの都市国家の出現と時を同じくして生まれた。ヘロドトス以来、それは、市民が支配者と被支配者に分化せず、無支配(ノー・ルール)関係のもとに集団生活を送っているような政治組織の一形態を意味していた(11)。この無支配という観念はイソノミアという言葉によって表現された。古代人たちがのべているところによると、いろいろな統治形態のなかでこのイソノミアの顕著な性格は支配の観念がそれにまったく欠けている点にあった。都市国家は民主政ではなくイソノミアであると思われていた。「民主政」という言葉は当時でも多数支配、多数者の支配を意味していたが、もともとはイソノミアに反対していた人びとがつくった言葉であった。彼らはこういおうとしたのである。「諸君たちのいう『無支配』なるものは、実際は別の種類の支配関係にすぎない。それは最悪の統治形態、つまり、民衆(デモス)による支配である(12)。」

     すなわち、トックヴィルの洞察にしたがってわれわれがしばしば自由にたいする脅威だと考えている平等は、もともと、自由とほとんど同じものなのであった。しかし、イソノミアのもつ言葉が示唆している法の範囲内におけるこの平等は、――たしかに政治的領域そのものが財産と奴隷をもつ者にだけ開かれていた古代世界においては、ある程度まであらゆる政治活動の条件ではあったが、――条件の平等ではなく、同輩者の一団を構成している人びとの平等であった。イソノミアは平等を保証したが、それはすべての人が平等に生まれ平等につくられているからではなく、反対に、人は自然において平等ではなかったからである。

    ヘロドトスが自由を無支配と同一視したとき、その論点は支配者自身は自由ではないというところにあった。他人を支配することによって、支配者は彼らとのあいだで本来なら自由でありえた同輩者たちから自ら去ったからである。いいかえれば、彼は政治的空間そのものを破壊したのであり、その結果、彼自身にとっても彼が支配した人びとにとっても、もはや自由は存在しないのである。このようにギリシアの政治思想において自由と平等との相互結合が強調された理由は、自由が、人間活動のすべてではないにしろ、そのある部分に明示されているものと考えられ、これらの活動は他人がそれを見、それを判断し、それを記憶しているばあいにのみあらわれ、現実のものとなるからであった。自由人の生活は他人の存在を必要としたのである。

    (11) 私は、ヘロドトスが一人支配、少数者支配、多数者支配の三つの主要な統治形態を、おそらくはじめて規定し、その価値を論じている有名な一節に拠っている(Book III, 80-82)。その中で、アテネ民主政――といっても、それはイソノミアと呼ばれていたが――のスポークスマンは、差し出された王国を固辞して、その理由を次のようにのべている。「私は支配することも支配されることも望みません。」それについてヘロドトスは、彼の家が全ペルシア帝国でたった一つの自由の家になったとのべている。


    ヘロドトス『歴史』(松平千秋訳、中央公論社) 巻三

    〔八三〕ペルシアに万民同権の体制を実現しようと熱意を燃やしたオタネスであったが、自分の説が通らぬこととなったとき一同にむかっていうには、

    「同志の方々よ、かくては籤によってきめるか、あるいはその他の方法によるかはともかく、われらのうちのだれか一人が王になるほかはあるまいが、私にはそなたらと王位を争うつもりはない。私は人を支配することも、人から支配を受けることも好まぬからだ。そこで私は支配者の地位を断念するが、ただしそれには条件がある。私はもちろん私の子孫も代々にわたり、そなたらのうちなんびとの支配も受けぬということだ」

    今もなおペルシアにおいてオタネス家のみは相変わらず自由独立のままで、ペルシアの法律に背くことはしないが、自分たちが望まぬかぎりは王の支配を受けぬのである。

    sasaki_makoto 2011/01/26 08:54
    また、アーレントが依拠したヘロドトスの記述でも
    オタネスが語ったイソノミアが、柄谷氏の言うように
    イオニアの事であったか明確でない。

    返信削除


  67. ヘロドトスが伝えるペルシアのオタネスの言葉では、イソノミアの特徴に真っ先に抽籤が挙げられている。

    参考:
    以下、http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/41967342.htmlより

    歴史家のヘロドトスは、ペルシア王ダレイオスの即位(B.C. 521年)のいきさつを述べる中で、前王カンビュセスの没(B.C. 522年)後の王位継承争いを鎮(しず)めたダレイオスの仲間7人の討論を紹介している。討論は、今後ペルシアはいかなる政治体制を選ぶべきかという問題をめぐっておこなわれた。オタネスは万民同権の平等政治(民主政)をとるべきだと主張し、メガビュソスは優れた少数者による寡頭政治(貴族政)を主張し、ダレイオスは最も優れた一人による独裁政治(君主政)を採用すべしと主張した。


    「… 独裁者というものは父祖伝来の風習を破壊し、女を犯し、裁きを経ずして人命を奪うことだ。それに対して大衆による統治は先ず第一に、万民同権(イソノミア――イソス「平等」原理にもとづく政治)という世にも美わしい名目を具えており、第二には独裁者の行なうようなことは一切行なわぬということがある。職務の管掌は抽籤により、役人は責任をもって職務に当り、あらゆる国策は公論によって決せられる。されば私としては、独裁制を断念して大衆の主権を確立すべしとの意見をここに提出する。万事は多数者にかかっているからだ」岩波文庫『歴史』(3:80)339頁

    返信削除
  68. 帝国の構造  哲学の起源
    世界史の構造 トランスクリティーク

    返信削除

  69. 帝国の構造  哲学の起源
    2014 2012
    世界史の構造 トランスクリティーク
    2010 2001

    返信削除


  70. 帝国の構造  哲学の起源
    2014_____2012
    世界史の構造 トランスクリティーク
    2010_____2001

    返信削除
  71. 882 考える名無しさん[sage] 2021/07/27(火) 22:48:17.18 ID:0
    書評
    『パサージュ論4』岩波文庫
    サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。

    《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の
    基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)
    ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ
    [20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している
    思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・
    キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇〜
    一八一ページ)[a19, 4]》430頁

    プルードンの経歴を含め、上記はヘーゲル批判としてはあらゆる現代思想を先駆けている。

    他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
    第5巻に索引がつくそうだ。細かいところで現代文庫版よりつくりが親切。
    柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的
    ではある。例えば、

    《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁

    ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。

    kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
    これだと検索が楽。
    Das Passagen-Werk (German Edition)
    Walter Benjamin

    返信削除
  72. 507 考える名無しさん[sage] 2021/12/07(火) 20:34:42.47 ID:0
    上山春平によると、カントのカテゴリー、量、質、関係、様相は
    外的/内的、形式的/質料的に分類できる(世界の名著48パース他,解説41頁)。
    これを図にすると以下になる。

             「質料的」
      量                質     
「外            _|_            「内
 的」             |             的」
      関係              様相
             「形式的」

質料的は分析/形式的は総合、外的は規定/内的は反省と、カントの言葉に置換し得る。
    そもそもカントは判断表、カテゴリー表を象限図的に表記していた。

    https://3.bp.blogspot.com/_u3hakHag62c/S5iG9LAo5XI/AAAAAAAAAUA/z20eU6D0zzI/s1600/kant4.jpg

    https://4.bp.blogspot.com/_u3hakHag62c/S5iG8sIHxMI/AAAAAAAAAT4/6_WOVSqo-kM/s400/kant4444.jpg

    柄谷の場合パラメータは自由と平等に置き換えられたが、
    (内的・反省的に平等、形式的・総合的に自由)
    その象限図はヘーゲルからカントへの遡行と解釈出来る。
    (ヘーゲルにあった主体化がカントにおいてはアンチノミーで困難になる。)

    作田啓一によるプルードン思想図解(京大『プルードン研究』岩波48頁)が
    柄谷に直接影響を与えたと考えられる。

    https://1.bp.blogspot.com/-ZoROtpgtTvE/YATYSDgi-1I/AAAAAAAB0uE/SUASy49xRh4oM5yTCtE5BXAW_qiasSnoACLcBGAsYHQ/s0/984290AF-D71B-426A-8720-A4E5D4F6E948.jpeg

    作田はタルコット・パーソンズの影響を受けてその図を描いている。
    作田はパラメータの設定が正確ではないから(資本と国家の位置が逆?)パーソンズの方が優れている。
    そしてパーソンズはカントの影響を受けている…

    508 考える名無しさん[sage] 2021/12/07(火) 20:36:04.82 ID:0
    アリストテレス以来(*)象限図は使われており、柄谷の言及範囲ではチョムスキー、
    丸山眞男も使っている。
    社会学的、ゲーム理論的には定番だから影響関係はなんとでも説明出来る。
    
カントのカテゴリーに話を戻すと、
パースはカントの4つのカテゴリ-を(量、質)(関係)(様相)といったように
    3つに区分けし直した(パース著作集『現象学』)。
    岩崎武雄は実質上(量)(質)(関係)といったように3つに区分けし直した。岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると指摘している
    (『カント『純粋理性批判』の研究』343頁、純理b223参照)。
    自分は量質関係様相は四則演算+-×÷にそれぞれ対応した普遍性があると思う。


    厳密にはエンペドクレス以来。
    http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1213524.jpg

    これら四元素及びそれらがつくる性質の関係は、中世のヒスパヌス(『神曲』天国篇12
    に出て来る)がつくった矛盾対当(主語ー述語はそのままで、量と質が変わる)の図にも
    似ているのは言うまでもない(相似ではない)。この辺りは山下正男が論じている。
    https://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1271836.jpg

    山下ヒスパヌス邦訳
    巻頭解説にカント、ヘーゲル批判
    https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/244878/1/Yamashita_Hispanus.pdf
    141頁#1に対当表、422頁に解説
    ちなみに山下も作田が参加した前出『プルードン研究』に執筆している。

    返信削除
  73. 三種の神器は
    それぞれ
    ネーション 鏡
    ステート 剣
    キャピタル 勾玉

    返信削除
  74. 三種の神器(さんしゅのじんぎ[1]、さんしゅのしんき[2]、他の読み方もある)は、日本神話において、天孫降臨の際にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた三種類の宝物、すなわち八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉の総称[3][4]。また、これと同一とされる、日本の歴代天皇が古代よりレガリアとして伝世してきた三種類の宝物を指す。

    返信削除