2020年6月19日金曜日

リヴァイアサン(国家論) ホッブズ



政治学:インデックス
リヴァイアサン(国家論)1651 ホッブズ
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/blog-post_19.html @

Leviathan,or the matter,forme,& power of a commonwealth ecclesiasticall and civill.
By Thomas Hobbes of Malmesbury.
London,printed for Andrew Crooke,at the Green Dragon in St.Pauls Church yard,1651.

 
(NHK欲望の資本主義より)

1651年 ホッブズ『リヴァイアサン』
1688年 名誉革命(イギリス)
1690年 ロックの著書 『市民政府二論』
(統治二論・市民政府論・統治論)
1748年 モンテスキュの著書 『法の精神』
1762年 ルソーの著書 『社会契約論』(民約論ともいいます)
1776年 独立宣言(アメリカ)
1789年 フランス革命(フランス)

1835,1840年 トクヴィル『アメリカのデモクラシー』(フランス人によるアメリカ旅行の成果)
1951年 アーレント『全体主義の起源』(ドイツ出身のユダヤ人.アメリカに亡命後執筆)

英    仏    米
ホッブズ
  ↓
 ロック
   ↓    
   モンテスキュー  
    ルソー
      ↓
      トクヴィル
          ↓
      アーレント


ホッブズ→ロック→モンテスキュー→トクヴィル→アーレント
         ↘︎ルソー

    (政治の理論的変革は経済的覇権に先行する



リヴァイアサン (ホッブズ) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3

リヴァイアサン』(Leviathan)は、トマス・ホッブズが著した政治哲学書。1651年に発行された。題名は旧約聖書ヨブ記)に登場する海の怪物レヴィアタンの名前から取られた。正式な題名は"Leviathan or the matter, forme and power of a common-wealth ecclesiasticall and civil"(リヴァイアサン - あるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力)。

Abraham Bosse, ‘Leviathan’, frontispiece by Thomas Hobbes, Leviathan, 1651
http://pavroz.ru/files/camcomhobblev.pdf p.31
(アートで読む哲学史十選(3))「リヴァイアサン」口絵 哲学者 國分功一郎 :日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO73547270Q4A630C1BC8000/

(アートで読む哲学史十選(3))「リヴァイアサン」口絵

哲学史上、最も有名な絵だろう。ホッブズ「リヴァイアサン」の口絵として、版画家アブラハム・ボスが著者の指示のもとに制作したエッチング作品である。リヴァイアサンとは旧約聖書で描かれた海の怪物。ホッブズは、社会契約によって主権者への服従を約束した臣民の集合体をこの言葉で表現した。
王をかたどった図像はよく見ると体が民衆で出来(でき)ている。しばしばその点のみが指摘されるこの絵だが、実はもっと秘密がある。最新の説を紹介しよう。
小さい図版では確認できないだろうが、海の右奥には四隻の軍艦があり、それを狙う砲台は煙をふいている。町には銃を携えた兵士しかいない。つまりこの町は、敵国に攻め入られる戦争状態にあるのだ。ならば海から迫るリヴァイアサンは、この町の加護者ではなく、町を攻める側にいると考えるべきではないか。
更に想像力をかき立てるのはリヴァイアサンの下半身だ。下半身は竜のようであり、その尾っぽの先が右肘の下にある三本の謎の突起物ではないかとの説が提唱されている。怪物の恐ろしい部位が、口絵では隠されているのだ。
ホッブズは命と引き換えに結ばれた契約は有効だと述べた。絵の中でも武力を背景にそうした契約が結ばれようとしている。これはこの絵の中だけでなく、現実の世界でも行われていることである。(1651年発行)


目次 ◆凡例序説
 第一部 人間について
第一章感覚について
第二章構想力について 
第三章映像の連続すなわち系列について 
第四章言葉について 
第五章推理および学問について
第六章普通には情念と呼ばれる 、意志による運動の内的端緒について 、また 、それが表現される言葉について
第七章論究の終結すなわち解決について
第八章普通に知的と呼ばれる諸徳 、およびそれらの反対の諸欠陥について
第九章知識のそれぞれの主題について
第十章力 、ねうち 、位階 、名誉およびふさわしさについて
第十一章さまざまな態度について
第十二章宗教について
第十三章人類の至福と悲惨にかんするかれらの自然状態について
第十四章第一および第二の自然法について 、また 、契約について
第十五章その他の自然法
第十六章人格 、本人 、および人格化されたもの

 第二部 コモン ‐ウェルスについて
第十七章コモン ‐ウェルスの諸目的 ・生成 ・定義について
第十八章設立による主権者の諸権利について
第十九章設立によるコモン ‐ウェルスの若干の種類について 、および主権の継承について第二十章父権的および専制的支配について
第二十一章臣民の自由について
第二十二章政治的および私的な臣民の諸団体について
第二十三章主権の公的代行者について
第二十四章コモン ‐ウェルスの栄養とコモン ‐ウェルスの生殖について
第二十五章忠告について
第二十六章市民法について
第二十七章犯罪 、免罪および罪の軽減について
第二十八章処罰と報酬について
第二十九章コモン ‐ウェルスを弱め 、またはその解体にいたることがらについて 
第三十章主権を有する代表の職務について
第三十一章自然による神の王国について

 第三部 キリスト教のコモン ‐ウェルスについて
第三十二章キリスト教の政治学の諸原理について
第三十三章聖書の諸篇の数 、ふるさ 、意図 、権威 、および解釈者たちについて
第三十四章聖書の諸篇における 、霊 、天使 、および霊感の 、意義について 
第三十五章聖書における神の王国 、神聖な 、神にささげられた 、および聖礼の 、意味について
第三十六章神の言葉について 、および予言者たちについて
第三十七章諸奇蹟とそれらの効用について
第三十八章聖書における 、永遠の生命 、地獄 、救済 、来世 、および贖罪の意味について第三十九章聖書における教会という語の意味について 
第四十章アブラハム 、モ ーシェ 、祭司長たち 、およびユダの王たちにおける 、神の王国の諸権利について
第四十一章われわれの祝福された救世主の職務について
第四十二章教会権力について
第四十三章人が天の王国に受容されるために必要なものごとについて

 第四部 暗黒の王国について
第四十四章聖書のあやまった解釈からくる霊的暗黒について
第四十五章悪魔学およびその他の異邦人の宗教の遺物について
第四十六章空虚な哲学および架空の伝統から生じた暗黒について
第四十七章そのような暗黒からでてくる利益について 、およびそれがだれに帰属するか
 ◆総括と結論 
◆解題 
◆解説 
◆年表
 ◆あとがき

序説 〔 1 〕
 自然 (神が世界を作り給い 、統治し給う技 )は 、人間の技術によって 、他の多くのばあいと同じように 、人工的動物を作りうるという点においても模倣される 。生命とは四肢の運動にほかならず 、その運動はある内部の中心部分からはじまる 、ということを考えると 、すべての自動機械 (時計のようにぜんまいと歯車で自動的に動く機械装置 )は 、人工的生命をもつといってならない道理があろうか 。すなわち 、心臓はなにかといえば 、それはぜんまいにほかならず 、神経はそれだけの数の細い線 、関節はそれだけの数の歯車にほかならないのであって 、それらは 、神が意図し給うたような運動を全身に与えるものではないだろうか 。技術は 、さらに進んで 、自然のうちで 、理性的でもっともすぐれた作品 、すなわち人間をも模倣するに至る 。というのは 、技術は 、コモン ‐ウェルスあるいは国家 (ラテン語のキウィタス ) 、と呼ばれるかの偉大なリヴァイアサンを創造するが 、それは 、人工的人間にほかならないからである 。もっともこの人工的人間は 、本来の人間を保護し防衛する目的をもっているから 、本来の人間よりも大きくて強い 。そして人工的人間にあっては 、主権は 、全身に生命と運動を与えるような人工の魂であり 、各部の長官たちやその他の司法 ・行政の役人たちは 、人工の関節である 。賞罰 (それによってすべての関節や四肢は 、主権の地位に結びつけられて 、その義務を遂行するために働かされる )は 、神経であって 、本来の人間の肉体と同じ働きをする 。すべての個々の成員の富と財産は体力である 。人民福祉 、人民の安全をはかることは 、人工的人間のなすべき役目である 。顧問官たちは 、人工的人間が熟知していなければならないあらゆることについて提案するから記憶である 。衡平と法は 、人工的理性と意志である 。平和は健康 、騒擾は病気 、内乱は死である 。最後に 、この政治体の各部分を最初に作りだし 、集め 、結合した 、約束および信約は 、創世のさいに 、神が宣し給うた 、人間をつくろうという 、あの命令にたとえられる 。 * 〔リヴァイアサンとは 、ヨブ記四〇 、四一章にでてくる怪獣の名前 。これは人間の力をこえた 、きわめて強い動物で 、しかも 、神の力はこの動物をもたおすほど強いのである 。 〕
 この人工的人間の性質を叙述するにあたり 、わたくしは次のことを考察する 。 〔 2 〕
第一に 、その素材と創造者 ─ ─それはともに 、人間なのが ─ ─について
第二に 、いかにして 、またどのような信約によって 、それは作られるか 。主権者の諸権利並びにその正当な権力また権威とはなにか 、さらに 、それを維持 ・瓦解させるものはなにか 。
第三に 、キリストのコモン ‐ウェルスとはなにか最後に 、暗黒の王国とはなにか
 第一の点について 、近来 、盛んに引合いにだされる説に 、賢明さとは 、書物を読むことによってではなく 、人間を読むことによって獲得されるものであるというのがある 。すると 、その結果 、そうするよりほかには自分の賢明さを立証できない大半の人たちは 、お互いに蔭で情け容赦なく非難し合うことによって 、自分が人間について読みとったと思うことがらを示そうとし 、それに多大の喜びを感じているのである 。しかしまた 、もう一つの古い格言 ─ ─汝自身を知れ ─ ─があって 、それによれば 、人びとがその気になりさえすれば 、真に 、お互いを知りうるというのである 。だが 、この汝自身を知れという意味は 、それが現在用いられているような 、権力をもっている人びとの下の身分にたいする野蛮な状態を奨励したり 、身分の低い者の上の者にたいする生意気な振舞いを助長したりしようというのではなく 、一人の人間の思考や情念は 、他人のそれらと類似しているから 、人がもし自分自身をみつめて 、自分が思考 、判断 、推理 、希望 、恐怖等々するときに 、どういうことをするか 、またなににもとづいてそうするかを考察すれば 、それによって 、人は 、同じばあいにおける他のすべての人たちの思考や情念がどのようなものであるかを研究できて知りうるであろう 、ということなのである 。ここでわたくしは 、情念の類似性 、すなわち 、すべての人間において同一な意欲 、恐怖 、希望等々についていっているのであって 、情念の対象すなわち意欲 、恐怖 、希望される等々のことがらの類似性についていっているのではない 。というのは 、かかる情念の対象は 、個人的資質や各自の受けた教育によってきわめて多様であり 、またそれらは 、われわれが真に事物を理解するようにはなかなかさせないものなのだから 、いつわりの 、うその 、ごまかしの 、あるいはあやまった教説によって現在みられるような 、けがれ 、混乱させられた人の心の性格は 、心を探求する者にだけ容易に読みとれることだからである 。またわれわれは 、人びとの諸行為から 、ときにはその意図を探り当てることもあるが 、それらを 、われわれ自身の行為と比較せず 、事情を変化せしめうるすべての条件を区別せずに 、そうしようとするのは 、暗号を解く鍵をしらずに暗号文を解読しようとするようなものである 。そして 、読もうとする人自身が善人であるか悪人であるかによって 、信じすぎたり疑いすぎたりして 、大部分は判読をあやまるのである 。
 しかし 、人が他人を 、その行為によってひじょうに完全にしるとしても 、それはごく少数のかれの知人についてしか 、かれの役に立たないのである 。全国民を統治しようというほどの人は 、かれ自身のなかに 、あれやこれやの個々の人間をではなく 、全人類を読みとらなければならない 。それをすることが困難なことであり 、どんな語学や学問を学ぶよりもむずかしくとも 、わたくしが 、自分の研究を整然と明快に書き記してしまえば 、他の人に残された苦労はただ 、かれもまた自分自身のなかに同じことを見いださないかどうかをよく考えてみることだけであろう 。この種の学説には 、これ以外の論証は不可能だからである 。

11 件のコメント:

  1. 魚とパンを分けるキリストに集合力
    消費組合の原初がある

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  2. ヘブライズムとそのカウンター

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  3. 《…この政治体の各部分を最初に作りだし 、集め 、結合した 、約束および信約は 、創世のさいに 、神が宣し給うた 、人間をつくろうという 、あの命令にたとえられる 。 》
    ホッブズ
    リヴァイアサン

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  4. http://bible.salterrae.net/kougo/html/job.html
    ヨブ記
    第40章
    40:1主はまたヨブに答えて言われた、
    40:2「非難する者が全能者と争おうとするのか、
    神と論ずる者はこれに答えよ」。
    40:3そこで、ヨブは主に答えて言った、
    40:4「見よ、わたしはまことに卑しい者です、
    なんとあなたに答えましょうか。
    ただ手を口に当てるのみです。
    40:5わたしはすでに一度言いました、また言いません、
    すでに二度言いました、重ねて申しません」。
    40:6主はまたつむじ風の中からヨブに答えられた、
    40:7「あなたは腰に帯して、男らしくせよ。
    わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。
    40:8あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。
    あなたはわたしを非とし、
    自分を是としようとするのか。
    40:9あなたは神のような腕を持っているのか、
    神のような声でとどろきわたることができるか。
    40:10あなたは威光と尊厳とをもってその身を飾り、
    栄光と華麗とをもってその身を装ってみよ。
    40:11あなたのあふるる怒りを漏らし、
    すべての高ぶる者を見て、これを低くせよ。
    40:12すべての高ぶる者を見て、これをかがませ、
    また悪人をその所で踏みつけ、
    40:13彼らをともにちりの中にうずめ、
    その顔を隠れた所に閉じこめよ。
    40:14そうすれば、わたしもまた、あなたをほめて、
    あなたの右の手は
    あなたを救うことができるとしよう。
    40:15河馬を見よ、
    これはあなたと同様にわたしが造ったもので、
    牛のように草を食う。
    40:16見よ、その力は腰にあり、
    その勢いは腹の筋にある。
    40:17これはその尾を香柏のように動かし、
    そのももの筋は互にからみ合う。
    40:18その骨は青銅の管のようで、
    その肋骨は鉄の棒のようだ。
    40:19これは神のわざの第一のものであって、
    これを造った者がこれにつるぎを授けた。
    40:20山もこれがために食物をいだし、
    もろもろの野の獣もそこに遊ぶ。
    40:21これは酸棗の木の下に伏し、
    葦の茂み、または沼に隠れている。
    40:22酸棗の木はその陰でこれをおおい、
    川の柳はこれをめぐり囲む。
    40:23見よ、たとい川が荒れても、これは驚かない。
    ヨルダンがその口に注ぎかかっても、
    これはあわてない。
    40:24だれが、かぎでこれを捕えることができるか。
    だれが、わなでその鼻を貫くことができるか。
    第41章
    41:1あなたはつり針で
    わにをつり出すことができるか。
    糸でその舌を押えることができるか。
    41:2あなたは葦のなわをその鼻に通すことができるか。
    つり針でそのあごを突き通すことができるか。
    41:3これはしきりに、あなたに願い求めるであろうか。
    柔らかな言葉をあなたに語るであろうか。
    41:4これはあなたと契約を結ぶであろうか。
    あなたはこれを取って、ながくあなたのしもべと
    することができるであろうか。
    41:5あなたは鳥と戯れるようにこれと戯れ、
    またあなたのおとめたちのために、
    これをつないでおくことができるであろうか。
    41:6商人の仲間はこれを商品として、
    小売商人の間に分けるであろうか。
    41:7あなたは、もりでその皮を満たし、
    やすでその頭を突き通すことができるか。
    41:8あなたの手をこれの上に置け、
    あなたは戦いを思い出して、
    再びこれをしないであろう。
    41:9見よ、その望みはむなしくなり、
    これを見てすら倒れる。
    41:10あえてこれを激する勇気のある者はひとりもない。
    それで、だれがわたしの前に立つことができるか。
    41:11だれが先にわたしに与えたので、
    わたしはこれに報いるのか。
    天が下にあるものは、ことごとくわたしのものだ。
    41:12わたしはこれが全身と、その著しい力と、
    その美しい構造について
    黙っていることはできない。
    41:13だれがその上着をはぐことができるか。
    だれがその二重のよろいの間に
    はいることができるか。
    41:14だれがその顔の戸を開くことができるか。
    そのまわりの歯は恐ろしい。
    41:15その背は盾の列でできていて、
    その堅く閉じたさまは密封したように、
    41:16相互に密接して、
    風もその間に、はいることができず、
    41:17互に相連なり、
    固く着いて離すことができない。
    41:18これが、くしゃみすれば光を発し、
    その目はあけぼののまぶたに似ている。
    41:19その口からは、たいまつが燃えいで、
    火花をいだす。
    41:20その鼻の穴からは煙が出てきて、
    さながら煮え立つなべの水煙のごとく、
    燃える葦の煙のようだ。
    41:21その息は炭火をおこし、
    その口からは炎が出る。
    41:22その首には力が宿っていて、
    恐ろしさが、その前に踊っている。
    41:23その肉片は密接に相連なり、
    固く身に着いて動かすことができない。
    41:24その心臓は石のように堅く、
    うすの下石のように堅い。
    41:25その身を起すときは勇士も恐れ、
    その衝撃によってあわて惑う。
    41:26つるぎがこれを撃っても、きかない、
    やりも、矢も、もりも用をなさない。
    41:27これは鉄を見ること、わらのように、
    青銅を見ること朽ち木のようである。
    41:28弓矢もこれを逃がすことができない。
    石投げの石もこれには、わらくずとなる。
    41:29こん棒もわらくずのようにみなされ、
    投げやりの響きを、これはあざ笑う。
    41:30その下腹は鋭いかわらのかけらのようで、
    麦こき板のようにその身を泥の上に伸ばす。
    41:31これは淵をかなえのように沸きかえらせ、
    海を香油のなべのようにする。
    41:32これは自分のあとに光る道を残し、
    淵をしらがのように思わせる。
    41:33地の上にはこれと並ぶものなく、
    これは恐れのない者に造られた。
    41:34これはすべての高き者をさげすみ、
    すべての誇り高ぶる者の王である」。

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  5. 三子教訓状 - Wikipedia
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/三子教訓状

    三矢の教え 編集

    安芸高田少年自然の家にある三矢の訓碑
    三子教訓状が基になって造られたとされる三矢の教え[11](さんしのおしえ)と呼ばれる逸話が知られている(戦前の小学校教科書などに「毛利元就の三本の矢の教え」として掲載されていた[5])。この逸話のエピソードは、概ね次の通りである。

    晩年の元就が病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の3人が枕許に呼び出された。元就は、まず1本の矢を取って折って見せるが、続いて矢を3本を束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。そして元就は、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。息子たちは、必ずこの教えに従う事を誓った
    このように、三子教訓状と似通っている訓戒ではあるが、教訓状には「三本の矢」については記述がない。そもそも史実では、元就が死の間際に3人の息子に教訓を残すことは不可能な状況であった(隆元は元就より8年も早く亡くなり、元春は山中幸盛らの率いる尼子再興軍との戦いで出雲国で在陣中であり、元就の死を見届けたのは隆景と輝元のみ)。

    この逸話に関する古い文献としては、江戸時代に編纂された「前橋旧蔵聞書」があり、死に際の元就が大勢の子どもたちを呼び集めて「1本の矢では簡単に折れるが、多数の矢を束ねると容易に折れないので、皆がよく心を一つにすれば毛利家が破られることはない」と教えたとされる[5]。この話では、史実と合致して隆元や元春がその場に登場しないことから、このエピソードが三矢の教えの逸話へと変化して伝えられた可能性がある。

    なお、三本の矢の逸話については世界中に類似した話があり、中国の「西秦録」(十六国春秋)に登場する吐谷渾阿豺(とよくこんあさい)の故事[5]や、モンゴル帝国を築いたチンギス・カンが幼い頃に兄弟争いをした際に母から与えられた教訓などがアジアでは早くから知られていた。また、イソップ寓話にも「3本の棒」という類似の話があり、アフリカ東部のソマリアにも類似の話がある[12]。三矢の教えについては、元就が吐谷渾阿豺の故事を引用したとも、偶然同じ教えを残したとも言われている[5]。

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  6. 3本の棒 - Wikipedia
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A3%92

    3本の棒

    「3本の棒」(さんぼんのぼう)は、イソップ寓話のひとつ。

    あらすじ

    父親が3人の息子に一本ずつ棒を渡し、折るように言う。3人とも簡単に折ることが出来る。次に3本を束にして折るように言うが、誰も折れない。そして息子たちに言う。「3人が一緒になれば一人一人の時よりも強いのだ」

    教訓

    一人一人で物事を行うよりも、協力して行う方が、大きな効果を得ることができる。

    その他

    毛利元就の「三本の矢」にも同様のエピソードがある。しかし、元就は長男の隆元には先立たれていることなどから、後世の創作という説もある。
    5世紀頃、中国五胡十六国時代に現在の青海地方に勢力を持っていた吐谷渾の王である阿豺が、臨終の際に後継者を従弟の慕璝に指名したものの、自分の死後に一族の間での争いが起こる事を恐れ、20人もの息子を呼び寄せ、それぞれに1本の矢を折らせた。矢は容易く折れたものの、次いで阿豺が19本もの矢の束を息子達に折らせようとしたた所、誰一人として折る事が出来なかった為、阿豺は「この矢の束の様に皆が心を一つにして力を尽くしてこそ、社稷を堅固なものにする事が出来るのだ」と息子達に諭した、という3本の棒のような逸話がある。
    旧約聖書のコヘレトの言葉4章に「三つよりの糸(綱とする場合もある)は切れにくい」という記述がある。
    関連項目

    アイソーポス(イソップ)
    イソップ寓話の一覧は、下記カテゴリを参照。






    1867年に刊行された英訳本
    『イソップ寓話』(イソップぐうわ、古希: Αισώπου Μύθοι)は、アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話を集めたとされる寓話集。特に動物(下記を参照)、生活雑貨(例えば、瀬戸物と金物など)、自然現象(太陽と風)、様々な人々(旅人など)を主人公にしたものが有名で、イソップ物語・イソップ童話等と呼ばれることもある。

    目次
    成立 編集

    Aesopus moralisatus, 1485
    ヘロドトスの『歴史』によると、紀元前6世紀にアイソーポスという奴隷がいて寓話を使いその名声をえたとされている。現在のイソップ寓話集と呼ばれるものには、アイソーポスのものだけではなく、それ以前から伝承されてきた古代メソポタミアのもの、後世の寓話、アイソーポスの出身地とされる(小アジア)の民話を基にしたものも含まれている。考古学的には、彼の歴史的な存在を確認するものはなく、ホメロスと同じような過程で、ギリシャにおいて、いつの頃からか、この名が多くの寓話を語る者たちや寓話そのものの総称となっていったと考えられている。

    ギリシア語の原典があったのかは不明で、現存するのは後世に編集された寓話集である。バブリウス(英語版)の古代ギリシャ語(古希)の寓話詩集やファエドルス、アヴィアヌス(英語版)、ル・ピュイのアデマールによるラテン語の寓話集である。現在の寓話についている解釈は、これらの古典的寓話集が、ギリシャ語やラテン語を読むキリスト教の学者によって受継がれて来た事、中世ヨーロッパでのキリスト教の価値観を持った寓話をさらに含むことで、単なる娯楽的な寓話から教訓や道徳をしめす教育的な意味を付加されている。

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  7. マタイ
    http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html
    第14章
    14:1そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、 14:2家来に言った、「あれはバプテスマのヨハネだ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」。 14:3というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。 14:4すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。 14:5そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。 14:6さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、 14:7彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。 14:8すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。 14:9王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、 14:10人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。 14:11その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。 14:12それから、ヨハネの弟子たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
    14:13イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。 14:14イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。 14:15夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。 14:16するとイエスは言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」。


    14:17弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。 14:18イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。 14:19そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。 14:20みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。 14:21食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。
    14:22それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。 14:23そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 14:24ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。 14:25イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。 14:26弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。 14:27しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。 14:28するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。 14:29イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。 14:30しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。 14:31イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。 14:32ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。 14:33舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。
    14:34それから、彼らは海を渡ってゲネサレの地に着いた。 14:35するとその土地の人々はイエスと知って、その附近全体に人をつかわし、イエスのところに病人をみな連れてこさせた。 14:36そして彼らにイエスの上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいとお願いした。そしてさわった者は皆いやされた。

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  8. 伝道の書
    http://bible.salterrae.net/kougo/html/ecclesiastes.html
    4章

    4:9ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。 4:10すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。 4:11またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。 4:12人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。

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  9. https://en.m.wikipedia.org/wiki/Leviathan_(Hobbes_book)#Frontispiece
    Frontispiece
    After lengthy discussion with Thomas Hobbes, the Parisian Abraham Bosse created the etching for the book's famous frontispiece in the géometrique style which Bosse himself had refined. It is similar in organisation to the frontispiece of Hobbes' De Cive (1642), created by Jean Matheus. The frontispiece has two main elements, of which the upper part is by far the more striking.

    In it, a giant crowned figure is seen emerging from the landscape, clutching a sword and a crosier, beneath a quote from the Book of Job—"Non est potestas Super Terram quae Comparetur ei. Iob. 41 . 24" ("There is no power on earth to be compared to him. Job 41 . 24")—further linking the figure to the monster of that book. (Due to disagreements over the precise location of the chapters and verses when they were divided in the Late Middle Ages, the verse Hobbes quotes is usually given as Job 41:33 in modern Christian translations into English, Job 41:25 in the Masoretic text, Septuagint, and the Luther Bible; it is Job 41:24 in the Vulgate.) The torso and arms of the figure are composed of over three hundred persons, in the style of Giuseppe Arcimboldo; all are facing inwards with just the giant's head having visible features. (A manuscript of Leviathan created for Charles II in 1651 has notable differences – a different main head but significantly the body is also composed of many faces, all looking outwards from the body and with a range of expressions.)

    The lower portion is a triptych, framed in a wooden border. The centre form contains the title on an ornate curtain. The two sides reflect the sword and crosier of the main figure – earthly power on the left and the powers of the church on the right. Each side element reflects the equivalent power – castle to church, crown to mitre, cannon to excommunication, weapons to logic, and the battlefield to the religious courts. The giant holds the symbols of both sides, reflecting the union of secular, and spiritual in the sovereign, but the construction of the torso also makes the figure the state.

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  10. https://en.m.wikipedia.org/wiki/Leviathan_(Hobbes_book)#フロントピース
    フロントピース
    トマス・ホッブズとの長い議論の末、パリのアブラハム・ボッセは、この本の有名な表紙のためのエッチングを、ボッセ自身が洗練されたジェメトリック様式で制作しました。これは、ジャン・マテウスが描いたホッブズの『De Cive』(1642年)の表紙に似ています。この正面絵には2つの主要な要素があり、その中でも特に上の部分が印象的である。

    その中では、ヨブ記の引用文「Non est potestas Super Terram quae Comparetur ei. Iob. 41 .24"("彼と比較される地球上の力はありません。 ヨブ41 .24")-さらにその本のモンスターに図をリンクします。(中世末期に章や節が分割された際に、その正確な位置について意見の相違があったため、ホッブズが引用している節は、現代のキリスト教の英訳ではヨブ記41:33、マゾレト語のテキスト、セプトゥアーギント、ルター聖書ではヨブ記41:25、バルゲート語ではヨブ記41:24となっています)。胴体と腕はジュゼッペ・アルシンボルドの作風で、300人以上の人物で構成されていますが、巨人の頭だけが目に見える形で内側を向いています。(1651年にシャルル2世のために制作されたリヴァイアサンの写本には、主な頭部が異なっているが、胴体は多くの顔で構成されており、すべての顔が胴体の外側を向いており、さまざまな表情をしていることが特徴的である)。

    下部は木製の縁取りで縁取られたトリプティクである。中央の形には、装飾の施された幕の上にタイトルが描かれています。二つの側面は、左側には地上の力、右側には教会の力を表す主な人物の剣とクロッシェを反映しています。それぞれの側面の要素は、城から教会へ、王冠からミットレへ、大砲から破門へ、武器から論理へ、戦場から宗教裁判所へと、同等の力を反映しています。巨人は両サイドのシンボルを持ち、世俗的なものと精神的なものの融合を君主に反映させていますが、胴体の構造はまた、フィギュアを国家にしています。
    :deepl

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  11. 41:33地の上にはこれと並ぶものなく、

    これは恐れのない者に造られた。

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