2023年4月18日火曜日

Tv29 知られざるベネチア | 文太郎の思考のDNA

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ベネチア共和国が繁栄した理由には海軍力だけでなく、極めてユニークな政治体制があった。
<ドゥカーレ宮殿>

政治の舞台となった、ドゥカーレ宮殿。この広さ1300mの部屋に1000人以上の商人が集まった。
<大評議会の間>

中世、ベネチアの政治を担っていたのは、商人たちだった。

ベネチアは王や君主を戴いたことは一度もない。一貫して大商人たちによる共和制を採っていた。掲げられているのは、国の代表を務めた歴代の総督たち。

ドージェ(総督)といわれた。
<ドージェ>

ドージェは商人たちの間から選挙で選ばれた。選挙には談合や陰謀を排除するための仕組みが作られた。

一人のドージェを決めるための道程は長い。
まず、1000人以上の貴族中から30人を抽選で選ぶ。その30人を再び抽選によって9人に絞る。今度は、その9人が投票して40人を選ぶ。このように、抽選と投票を10段階繰り返して、最後に一人のドージェを選び出す。
抽選という偶然の要素を組み込むことで、選挙の意図的な操作を不可能にした。排除したのだ。

たとえドージェに選ばれても、権力の独占は許されず、守るべき規則は100項目以上あった。

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ベネチアの人々が権力の独占を許さず、能力によって人を選び出すシステムを作ったのは、それが、国を安定させるということを知っていたからだ。ベネチアが1千年もの間、独立国家として繁栄し、長続きしたのは、これが大きな理由だ。
繁栄を極めたベネチア。しかし、その始まりの姿は、意外なものだったという。

街の作りにヒントがある。ベネチアの道はまるで迷路。細い橋や路地が複雑に入り込んでいる。
運河で行き止まってしまう道も多い。なぜ、迷路なのか?再び地図へ。
ベネチアは実は、百以上の小さな島からなっている。ベネチアは沢山の島が集まって出来た街だ。
ベネチアが位置しているのは「ラグーナ」といわれる干潟の中。
何本もの川が流れ込む浅瀬だ。
ラグーナには潮の干満で浮いたり沈んだりする島が無数にある。

6世紀の頃、誰もいないこの低湿地帯に住み始めた人々がいた。もともと陸地にいたが、異民族に侵入され、ここに逃げ込んだ。人々は120もの小さな島に街を築き始めた。それがベニスの始まりだった。島々では、その形に応じた町造りが始まった。

島と島を貫く道はなかった。町が発展する度に建物が増え、路地は余計複雑になっていった。
やがて島は橋で繋がれた。こうして、まるで寄せ木細工のような巨大な迷宮都市が出来上がった。
ベネチアの運河は後から人工的に建設されたものではなく、もともと島と島の間を流れる自然の川だった。

文太郎の思考のDNA

Tv29 知られざるベネチア

2010.01.11 Tv29 知られざるベネチア

全てが水の上にある街。今日はイタリア、ベネチアの登場だ。
数ある世界遺産の中でも、トップクラスの人気。年間、2千万円の観光客が訪れる。
かつての地中海の女王といわれるほど繁栄していたのに、街の原点は意外なところにあった。
「不毛の湿地」

このことがベネチア周辺に別の世界遺産を生んだ。
「陸のベネチア」とか「山のベネチア」と呼ばれる場所がある。広々とした田園に建つ壮麗な住宅、「『ヴィラ・ディ・マゼール』にようこそ」日本語を話し、馬に乗る男性は誰?

この世界遺産とベネチアとどう関係があるのか?ベネチアの後ろに広がる山岳地帯。
昨年自然遺産に登録された「ドロミーティ」
美しい山や湖からなる絶景。このドロミーティも海の国、ベネチアと意外な関係があった。

ここは、山のベネチアと呼ばれている。世界の誰もが知る、ベネチア。
ベネチアと周囲の世界遺産との関わり知ると、新たな魅力が見えてくる。

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世界遺産への招待状
Travel 29 イタリア 知られざるベネチア 2010.01.11

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イタリア半島の東。ベネチアは陸にある街ではない。沖合3kmの場所に浮かんでいる。わずか7kmの街に無数の運河が走っている。建物は水の上に立っているようだ。建物の入口も水に面している。
ベネチアでは、車が入れない。その役割を果たしているのは、船だ。
こちらは水上バス。こちらは渡し船。どちらも市民の貴重な足となっている。
ベネチアは今でこそイタリアの一都市だが、18世紀末までベネチア共和国という独立国家だった。
その歴史は、1千年に渡った。運河の両側に並ぶのは、中世に莫大な富を築いた商人たちの館だ。なぜ、ベネチアは地中海の女王と呼ばれるほど繁栄したのか?

ある路地に小さな本屋がある。ベネチア関連の本ばかりだ。フランコ・フィリップさん。
ベネチアの歴史のことなら何でも知っている。

<国営造船所(アルセナーレ)>
ベネチアは、主要な船は国が直轄で建造していた。12世紀に造られたアルセナーレでは12のドックが建ち並び、1日一隻の船が建造できたという。
ベネチアは、国を挙げての造船と、広範囲に交易を展開することで、地中海を制した。ベネチアは中央アフリカからは香辛料、染料、絹織物を。ヨーロッパからは、羊毛、毛織物、金属などを仕入れ、売買することで巨万の富を得た。

ベネチアは、東西を結ぶ結節点だった。
<サンマルコ広場>

1千年にわたるベネチアの歴史において、常に中心となってきた場所だ。

高さ96,8mのサンマルコの鐘楼。昔は、灯台の役目も果たしていた。広場の一角に建つサンマルコ寺院。カトリックの聖堂。
西洋と東洋の文化が融合した様式。その豪華さはベネチアが持っていた財力を今に伝えている。
サンマルコとは、キリスト教の聖人の一人。
この寺院は9世紀にサンマルコの亡骸を納めるために造られた。

サンマルコはサンマルコを守る聖人として、今も街の人々から愛されている。寺院正面には翼のあるライオンの像。サンマルコを象徴する動物だ。
ベネチアでは、守護神のライオン像をあちこちで見ることが出来る。
時計塔の上、サンマルコの鐘楼の上。ライオンはベネチアのシンボルとなっている。
ベネチア映画祭の金獅子賞の名前もサンマルコのライオンに揺らいでいる。

ベネチア共和国が繁栄した理由には海軍力だけでなく、極めてユニークな政治体制があった。
<ドゥカーレ宮殿>

政治の舞台となった、ドゥカーレ宮殿。この広さ1300mの部屋に1000人以上の商人が集まった。
<大評議会の間>

中世、ベネチアの政治を担っていたのは、商人たちだった。

ベネチアは王や君主を戴いたことは一度もない。一貫して大商人たちによる共和制を採っていた。掲げられているのは、国の代表を務めた歴代の総督たち。

ドージェ(総督)といわれた。
<ドージェ>

ドージェは商人たちの間から選挙で選ばれた。選挙には談合や陰謀を排除するための仕組みが作られた。

一人のドージェを決めるための道程は長い。
まず、1000人以上の貴族中から30人を抽選で選ぶ。その30人を再び抽選によって9人に絞る。今度は、その9人が投票して40人を選ぶ。このように、抽選と投票を10段階繰り返して、最後に一人のドージェを選び出す。
抽選という偶然の要素を組み込むことで、選挙の意図的な操作を不可能にした。排除したのだ。

たとえドージェに選ばれても、権力の独占は許されず、守るべき規則は100項目以上あった。

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ベネチアの人々が権力の独占を許さず、能力によって人を選び出すシステムを作ったのは、それが、国を安定させるということを知っていたからだ。ベネチアが1千年もの間、独立国家として繁栄し、長続きしたのは、これが大きな理由だ。
繁栄を極めたベネチア。しかし、その始まりの姿は、意外なものだったという。

街の作りにヒントがある。ベネチアの道はまるで迷路。細い橋や路地が複雑に入り込んでいる。
運河で行き止まってしまう道も多い。なぜ、迷路なのか?再び地図へ。
ベネチアは実は、百以上の小さな島からなっている。ベネチアは沢山の島が集まって出来た街だ。
ベネチアが位置しているのは「ラグーナ」といわれる干潟の中。
何本もの川が流れ込む浅瀬だ。
ラグーナには潮の干満で浮いたり沈んだりする島が無数にある。

6世紀の頃、誰もいないこの低湿地帯に住み始めた人々がいた。もともと陸地にいたが、異民族に侵入され、ここに逃げ込んだ。人々は120もの小さな島に街を築き始めた。それがベニスの始まりだった。島々では、その形に応じた町造りが始まった。

島と島を貫く道はなかった。町が発展する度に建物が増え、路地は余計複雑になっていった。
やがて島は橋で繋がれた。こうして、まるで寄せ木細工のような巨大な迷宮都市が出来上がった。
ベネチアの運河は後から人工的に建設されたものではなく、もともと島と島の間を流れる自然の川だった。

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ラグーナはベネチアの始まりの姿をそのまま残している。淡水と海水が混じり合い、独特な自然環境を残している。足が取られる泥水の場所だ。
「ラグーナは、不毛の地、あるのは海だけ。」

「地中海の女王」と呼ばれたベネチアの原点は、このラグーナの泥だった。

「ベネチアが見える。」
ベネチアが造り上げた海運力は緻密な政治システムだ。それは、資源に恵まれなかったベネチアの危機感が生み出した知恵と努力のたまものだった。
成長を続けるベネチアは、14世紀頃から背後に領土を広げていく。陸のベネチアと呼ばれたその中ほどに位置するのは、世界遺産、ヴィチェンツァ。
<世界遺産 ヴィチェンツァ>

旧市街の人口1万5千のこぢんまりとした町。
15世紀初頭、大国ベネチアの庇護を求めて、自らその支配下に入った。街の中心にはあのサンマルコ広場のライオン像。
ベネチア共和国の一員となった街には、ライオン像が街の至るところに飾られていた。
ヴィチェンツァとベネチアの関係をさらに深めた人物。欧米では誰でも知っている天才建築家。それは誰?彼のおかげで、ヴィチェンツァは世界遺産になったくらいだ。

<キエリカーティ邸>
左右対称だ。
<ベネチア総督府邸>

ヴィチェンツァでは、16世紀、次々と古代神殿風の建物が造られた。設計したのは、建築家、アンドレア・パッラーディオ。

<アンドレア・パッラーディオ (1508~1580)>

<ボルト邸>
ヴィチェンツァは天才、アンドレア・パッラーディオの建築物の宝庫ということで、世界遺産になった。

<市庁舎>

古代神殿風の装飾は、今でこそ西洋建築では当たり前だが、実はパッラーディオ以前にはほとんどなかった。
パッラーディオはローマなどに残る古代遺跡に感動し、それを復興した。

<建築四書 パッラーディオ著>

三角形のペディメントや、列柱群の建物は、当時の人々に熱烈に支持された。
彼の建築は、パッラーディオ様式といわれるほど、構成に大きな影響を与えた。
ホワイトハウスやパッキンガム宮殿もパッラーディオ様式の流れを汲んでいる。

<アメリカ ホワイトハウス>
<イギリス バッキンガム宮殿>

パッラーディオは欧米建築の基礎を造ったといわれる。
日本との意外な繋がりがあった。

<ヴィチェンツァ テアトロ・オリンビユ>

ここにある一枚の絵。
なんと「日本の大使たち」と書いてある。
実は、彼らは「天昇遣欧使節」だ。日本の戦国時代、九州のキリシタン大名がローマに派遣したものだ。
彼らは、ヴィチェンツァにも滞在した。出来たばかりのこの劇場を見学した。

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ヴィチェンツァ郊外。
「ヴィラ」と呼ばれ、ベネチア商人の別荘としてパッラーディオ様式の建物が建築された。
24軒のヴィラがまとめて世界遺産に登録されている。

<世界遺産 パッラーディオ様式のヴィラ群>

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ヴィチェンツァから北東に45km

マゼール村の周囲の中に、壮麗なヴィラが建っていて、ベネチアの大商人、バルバロ家の依頼でパッラーディオが設計したヴィラ。
<ヴィラ・ディ・マゼール>
<ヴィラ・バルバロ>

中心は古代神殿風で左右対称だ。
この家の主人と会う。なんと、日本語だ。

ヴィットリオ・ダレ・オレさん。
<ヴィットリオ・ダレ・オレ>氏。

長い間、日本にいた。黒澤明の助監督だった。黒澤明監督のファンだったヴィットリオ・ダレ・オレさんは、80年代に日本にいて、「乱」などの助監督をした。

ヴィラは、単なる別荘ではなく、周囲には70haの畑がある。
ヴィットリオさんは、ここでワインやトウモロコシを栽培している。

ベネチア人にとってヴィラは別荘やレクリエーションのばではなく、農業生産の拠点だった。
不毛の地、ベネチアは常に食糧の確保に悩まされてきた。
食糧は地中海各地から輸入していたが、自給率が低いのは戦略上、危険だった。
しかも、16世紀には人口17万の大都市に成長していた。

そうした中、商人たちが注目したのが陸のベネチア。海上交易に従事していた人たちは、こぞって農業に進出した。ヴィラはその拠点として建築された。

<ヴィラ・エモ>
<ヴィラ・ボドエル>

その多くを手がけたのが、パッラーディオだった。ヴィラは、主人の居住区分と農作業部分を兼ねていた。
真ん中に主人が住み、両側には納屋や馬小屋などが置かれた。長い廊下が設けられたのは、日差しの強い時や、雨の時でも、ここで農作業がで来るからだ。日時計は農作業をする人々に時間を目安を示した。
日時計の側面の穴。鳩が飼われていて、食用になった。伝書鳩にもなった。

部屋は、よく計算されて造られた。
ワインの貯蔵所
小麦の貯蔵所

パッラーディオの設計は、実用的だった。

窓から50km先のベネチアが見える。鳩は伝書鳩としても使われていた。

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ヴィラの作る農作物のうちの米。
ベネチア共和国では、米は16世紀から生産が始まった。米をこの地に持ち込んだ商人の家。<ヴィラ・ピサーニ>

<ヴィラ・ピサーニ>

ベネチアでも有力な商人、ピサーニ家がパッラーディオに設計を依頼した。
パッラーディオは川に隣接してヴィラを建てた。
収穫された米は、川を伝ってベネチアに運ばれた。

ヴィラの持ち主。マヌエラ・ベデスキさんの案内。一階の広い空間。
メインホールだ。
公の行事はすべてここで行われた。結婚式や裁判。
ヴィラの裏側の広い庭。村人総出で米の乾燥や脱穀が行われた。
この地で米が作られたのは、水が豊富だったからだ。田んぼと川ばかりだ。山からの湧き水。生産効率の良さ。大量の米がベネチアに運ばれた。
これがこのような料理になった。

<ドージェのリゾット>

「サンマルコの日」には、ドージェはこのリゾットを食べる義務があった。リゾットは今では一般的な食べ物になった。10年前、このヴィラを購入。意欲的なアーティストに貸している。パッラーディオは革新的だった。新しいものを次々と生み出した陸のベネチアの精神。

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ドロミーティ

<自然遺産 ドロミーティ>

14万ヘクタール。14万ha。
美しい渓谷や神秘的な湖。ここもベネチアの領土だった。

<ベッルーノ>

ベッルーノは山のベネチアといわれている。15世紀にベネチアの統治下に入った。

<ベネチア統治官邸>
ベネチアから派遣された統治官が、地元の有力者と政治を行った。統治官が重要視していたのは「森」だ。
ベネチアは、ここら辺の森を直接管理していた。

ベネチアの足跡が残されていた。シンボルはあの山。
「ドージェの帽子山」

<ドージェの帽子山>と呼ばれた。
なぜ、ベネチアは遠く離れた、この地を直接管理したのか?ベネチア、ラグーナに誕生したこの街には、自然に生えた木はない。しかし、街は「木」を大量に必要としていた。
ベネチアの街は建物が水の上に浮かんでいるように見える。しかし、もちろん浮いてはいない。

家のしたには、木材が打ち込まれてある。それは、人々がラグーナの上に街を築かんがために編み出した方法で、知恵だった。泥のしたには粘土と砂が混じった固い地層がある。
まずここに10mの木の杭を隙間なくびっしりと打ち込む。その上に石とレンガを土台に建物を築いていく。支える木の多さから、ベネチアの街を逆さまにすると森になる、といわれるくらいだ。

「木がないとベネチアの街は存在しない。」

ベネチアが木材を大量に消費した理由。
ジルベルト・ペンゾさん。

船の模型。

木材は今の石油のようなもので、戦略資源だ。
ベネチアは国営造船所(アルセナーレ)

木材は規格が統一され、細かく分けられ、効率的に建造や修理の材料にされた。
木材事に部材が違い、統一された。

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「ソマディータの森」は、ベネチアの船舶の建造を担ってきた。
国営造船所「アルセナーレ」は400年にわたり、この森を直接管理した。
なぜ、ベネチアはドロミーティの森を選んだのか?
年輪が揃っていて、密度があり強靱な木になる。北向きで陽が当たらないので年輪が細かくなる。厳しい自然が良質な木を作った。厳格な規則の下、ベネチアのアルセナーレが管理していた。

沢山のゾーンになって管理されていた。
直径50cm以下の木は切ってはならない。20年後に切っていい木など、ベネチアは水の国だったが、森を知り尽くしていた。繰り返し利用できるように管理していた。木の一本一本を知っていた。
伐採というよりも栽培に近かった。

自然遺産 ドロミーティ

1600年代に出版された本。
山から土砂がラグーナに流れ出し、汚染されるベネチア。
伝染病が流行る、と警告している本だ。

ベネチアは不毛の低湿地帯から出発した街。
自然が大切なことは伝統として身体の中にある。


2010.01.11

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