2023年4月25日火曜日

紙芝居作品『日本婦道記 笄堀(こうがいぼり)』から昭和史を探る

紙芝居作品『日本婦道記 笄堀(こうがいぼり)』から昭和史を探る
昭和20年頃、この『笄堀(こうがいぼり)』をモチーフに黒澤明監督を起用し、戦意高揚映画として日本のジャンヌダルクとして甲斐姫を主人公にした映画『荒姫』の制作計画があったそうだが、実現は果たせなかったそうだ。 (参考資料:黒澤明の作劇術 [単行本] 古山 敏幸 (著))


山本周五郎の短編『笄堀(こうがいぼり)』のモデルとなった話でもありますね。
黒澤明が『荒姫』というタイトルで、戦前は原節子、戦後は宮沢りえで映画化を考えていたと言われます。

紙芝居作品『日本婦道記 笄堀(こうがいぼり)』から昭和史を探る

紙芝居『日本婦道記 笄堀』について時代背景を探っていくと・・・

紙芝居作品『日本婦道記 笄堀(こうがいぼり)』は、山本周五郎が戦時中に『婦人倶楽部』(昭和18年)に連載中の「日本婦道記」シリーズの一作品の短編『笄堀』で、このシリーズ「日本婦道記」は同年の直木賞 第17回(1943年上半期)に選ばれたが辞退したことでもしられる作品。

昭和20年頃、この『笄堀』をモチーフに黒澤明監督を起用し、戦意高揚映画として日本のジャンヌダルクとして甲斐姫を主人公にした映画『荒姫』の制作計画があったそうだが、実現は果たせなかったそうだ。参考資料:黒澤明の作劇術 [単行本] 古山 敏幸 (著))

『山本周五郎戦中日記』山本 周五郎 (著) 角川春樹事務所 によると、

"十月二十三日(1943年)
「婦道記」が文部省推薦になったとの通知あり。"50ページより引用
"一月二十九日(1944年)
文部省図書編纂官から婦道記の「障子」を教材に使いたいといって書画が来た、障子に穴を開けて自戒に資したいという条を採りたかったものらしい。フィクションだという旨を答えてやったら恐らく難は免れるであろう。"61ページ
また、
"三月八日(1944年)
午前中「陸輪文化」小原きぬ来る、随筆の註文、二十日まで、七枚。午後画劇の丹生来る、「笄掘」の脚色持参、五○持参。"65ページより引用

とある。画劇とは日本教育紙芝居協会、発行が日本教育画劇株式会社だと思う。そして「文部省推薦」となり「教材」というのは紙芝居のことでは?最初に候補作品となったのは『障子』だったが『笄掘』に変わったということだろうか?

『山本周五郎戦中日記』は昭和16年(1941年)真珠湾奇襲の頃から、昭和20年(1945年)2月4日までの周五郎38歳から4年間の戦争の経過とともに周五郎の周辺の状況、執筆中の原稿について日記に記されている。昭和19年(1944年)7月サイパン島陥落・守備隊玉砕より、日本本土を襲うB-29の焼夷弾攻撃の恐怖、日本の行く末、さらに一家をどう守るのか、折々の周五郎自身の心境を読む事ができる。

紙芝居作品『日本婦道記 笄堀(こうがいぼり)』を制作する思いについて、
『笄堀』の舞台となる天正18年(1590年)の忍城水攻めの古の戦記と、太平洋戦争末期の日本の構図とを、今を生きる私にも容易に重ねあわせ、孤軍奮闘のその先の収まるところへ着地するまで、心を折らないようにと切望する、痛切な思いは感じる事ができる。

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