ベネチア・ドゥカーレ宮殿の裏の顔?!シークレットツアーで秘密の部屋に潜入!
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表側と裏側のふたつの顔を持つ宮殿
ベネチア共和国の歴史は7世紀に始まり、イタリア半島のライバル諸国や他国からの侵入に絶えず脅かされながらも、卓越した政治、外交、軍事力によって共和国国会で選出される総督(ドージェ)を中心とする共和制を約1000年もの間保持した革新的な国家でした。
アドリア海と東地中海の貿易と強力な海軍を武器に、その勢力は一時アドリア海沿岸からイオニア海、エーゲ海、キプロスにまで及びましたが、大航海時代が訪れると地中海貿易も陰りが見え、 オスマン帝国との戦いで多くの領土を失い、ナポレオン・ボナパルト率いるフランスに侵攻され、1797年に降伏して滅亡しました。
総督邸でもあり、立法、行政、司法の中枢を司ったドゥカーレ宮殿は、9世紀に建てられた後、何度か火災に遭って改築され、15世紀に現在見られる姿となりました。内部は、当代きっての画家ヴェロネーゼやティントレットのフレスコ画で彩られた豪華な部屋が並んでいますが、その一方で秘密の扉の中には、表側からは見えない執務室や裁判所、牢獄が隠されていました。
秘密の部屋に潜入
その全容が見られるのは「SECRET ITINERARIES TOUR」というイタリア語、英語、フランス語のガイドつきツアー。表の宮殿同様、長らく写真撮影が禁じられていましたが、それも解禁されて写真に納めることができるようになりました。
英語ツアーは毎日9:55、10:45、11.35の3回で所要時間は1時間15分。空きがあれば当日でも申し込めますが、確実に参加するにはあらかじめ予約されたほうがいいでしょう。
ツアーの集合場所は宮殿の中庭で、通常の観光ルートはそこから黄金階段を上がって総督の公邸に入るのですが、シークレットツアーはガイドが1階の鍵のかかった扉を開け、そこからスタートします。
中に入ってまず目に飛び込んでくるのは通称「井戸」と呼ばれる小牢獄。ドゥカーレ宮殿で裁判を受け有罪となった人々が収監された牢で、頑丈な鍵がかけられた扉が強固さを物語っています。
その牢はどれも狭く、小さな窓がある木の房もあれば窓もない石造りの房もあり、壁には囚人が書き連ねた文字も見えます。囚人が増え続けて1階だけでは収監しきれなくなると、屋根裏や運河の水面に近い地下にも牢獄が造られました。屋根裏は灼熱の太陽が照りつけてとても暑く、最下層の牢獄はたびたび浸水して不衛生極まりなかったといいます。木のベッドが無造作に置かれ、頑丈な鉄柵がはめられた部屋など見ているだけで絶望と悲惨さが伝わってきます。
質素すぎる執務室の数々
牢獄から狭い階段を上ると、次に現れるのは行政の重要な位置を占めていた総督の書記官と十人委員会の密文書副書記官の部屋です。
ベネチア共和国は、総督を中心に最高決定機関である大評議会から選ばれた十人委員会と6人の顧問官が政治の中枢を担い、そのメンバーで国家機密も保持していました。書記官は公的な行政を、副書記官は個人文書を扱っており、職務の重要度から広くて豪華な部屋なのかと思いきや、装飾もない質素な部屋でただポツンと机と椅子が置かれています。続いて見る司法官の文書局も10人も入れば窮屈に感じる簡素な部屋で、表の華やかさとあまりに対照的な質実剛健さを感じる、まさに実務をするための部屋といえます。
そこから階段を上り、次は密文書大臣の部屋へ入ります。その役職名通り、公的文書や秘密文書を保管していた部屋で、一番奥に大臣が座ったと思われる立派な机と椅子があり、両壁には美しい書庫がズラリと並んでいます。
この中には機密文書がたくさんあったため、文字が読めない文盲の人に文字の形を写させ、短期で交代させる念の入れようだったそうです。
この部屋は今までと打って変わって重厚感ある内装で、木製の書庫の扉の上段には1268年以降の司法官の紋章と名前が記されています。紋章には出身地や家業などを表す絵柄が描かれており、よく見るとのこぎりやハサミ、魚や果物などどこかユーモラスなものもあります。
これぞ裏の顔・・
次に、副司法官の部屋を抜けて牢獄へ直接つながる拷問部屋に入ります。中央に備え付けられているのは、最も多く使われたという拷問道具で、被告人の腕を背中の後ろで縛り上に吊るしたといいます。朽ちた台がいかにもという感じで、ちょっと背中が寒くなる部屋です。
さらに鉛製の屋根を持つことから「鉛牢獄」と呼ばれるゾーンに進入します。ここは政治犯や軽犯罪者、裁判を待つ被告人などが入れられた牢で、稀代のプレイボーイとして知られるヴェネチア出身の作家ジャコモ・カサノヴァが入れられた独房が見学できます。
自伝『我が生涯の物語』によって好色家として有名なカサノヴァは、ヴェネツィア史上最も有名な脱獄囚でもあります。娘との交際に怒った有力貴族の讒言によって1755年に投獄され、その5年後にこの鉛牢獄から唯一人脱獄に成功しました。一度目は失敗してより警備の厳重なこの房に移されましたが、二度目に成功し、サン・マルコ広場にあるカフェ・フローリアンでコーヒーを飲んで一服してからパリに逃亡したと言われています。後に『鉛の監獄と呼ばれるヴェネツィア共和国の牢獄からの我が脱獄物語』にその時の様子を記しています。
観光スポットとなっている「ため息橋」は、ドゥカーレ宮殿の尋問室とこの古い牢獄をつなぐ大理石の橋です。これから収監される囚人がここの窓から美しいベネチアの景色を見てため息をついたということから後にそう呼ばれるようになりましたが、当時は「牢獄の橋」と呼ばれていました。ツアーではこの橋の中を通ってカサノヴァの独房の見学をし、囚人が見たように窓から外の景色を眺めることができます。
一転して分相応の執務室が出現
陰湿な牢獄を見た後は、武器、弓矢などが展示されている部屋に。そこから木の通路が張り巡らされている「大評議の間」の屋根裏をのぞいた後、「尋問官の部屋」に入ります。秘密厳守を誓った3人の行政官の執務室で、正面に3席くっついた椅子が置かれ、天井は1567年に完成したティントレットの美しい絵画で埋め尽くされています。
最後に向かうのはすぐ隣の「3司法官の部屋」。室内から3段の階段を上ると、十人委員会の中から毎月選ばれる3人の司法官が執務した部屋があり、ここの天井にもヴェロネーゼやジャンバッティスタ・ゼロッティなどが手掛けたすばらしい天井画が飾られています。
ここから秘密の回廊を歩いていくと表側の「十人委員会の間」に設えた秘密の扉にたどり着きます。当時はそのように行き来したそうですが、ツアーは黄金階段を上った広間に出る扉を出て解散となります。その後は、通常の見学ルートに入り自由に表側の宮殿の見学ができます。
人気のドゥカーレ宮殿に並ばずに入れる穴場ツアー
ドゥカーレ宮殿はベネチアきっての人気のスポットで、入場するのに長時間並ばなくてはいけない場合がありますが、このシークレットツアーに参加すれば、ツアーの後並ばずそのまま自由参観できるので、繁忙期には特にお勧めです。
残念ながら、このツアーには日本語ツアーはなく解説文などももらえません。ガイドが話す英語を理解しないとどこが何だかわからないので、この記事を参考にされるか、日本語で案内してもらえるオプショナルツアーに参加するのもいいでしょう。
栄光のベネチア共和国の表と裏、両方の顔を見てドゥカーレ宮殿を堪能してくださいね。
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