2023年4月24日月曜日

ブルーノートと調性 インプロヴィゼーションと作曲のための基礎理論(CD付) | 濱瀬 元彦 1998

ON BOOKS(19)黒人ブルースの現代 ペーパーバック – 1998/12/10 

https://www.amazon.co.jp/ブルーノートと調性-インプロヴィゼーションと作曲のための基礎理論-CD付-濱瀬-元彦/dp/4118850508/ref=sr_1_2?qid=1682330318&s=books&sr=1-2&text=濱瀬+元彦

2012年9月25日に日本でレビュー済み 
作曲家、ベーシストの濱瀬元彦氏による理論書。菊地成孔氏が東大の講義で取り上げたことから注目が集まる。最近ではバンドも結成しライブ活動を再開している。
リディアン・クロマチック・コンセプト(LCC)のカウンターとしての立場を表明しているが、難解で高度な内容から一般に浸透するに至っていない。 ポピュラーミュージック分野における独身の研究で、ブルーノートの発生機構を理論的に提示している。

”音階の近似性、トライアドを媒介した音階交換の可能性”という部分がこの本のポイントになってる。和音の代理関係と音階の代理関係が構造的に似ているため、音階の交換可能性は注目に値する。
下方倍音列領域には協和不協和の判断基準がなく、ブルーススケール・マイナーペンタトニックのI7sus4(セブンスのsus4)性が保持される、その耐久性、強度に焦点がある。旋法和声そっくりだが、正確に言うと和声ではないし機能的進行もない。 SuperImpose(被せる)という言葉がしばしば出てくるが、ここでの和音とスケールの被せ方は上方倍音列の理論で説明出来ない。"このmodeをよく表すchordは〜である”という調子でchordを決め、音階の包含関係を元にmodeを交換する。modeのシンボルがchordだと言っている。dorianだとIm9で、drian同士を連結するとその平行和音になる。ただし根音が主張することは決してない。E♭ blues scaleのオスティナート上にF#m9-C#m9が乗って、E Augment scaleで歌う、といった技法が出てくる。一見理解不能なのだが、聴覚上も成り立っているように聞こえる。

つまり、E♭ blues scale上にF#(G♭)dorian、C#(D♭)dorian、遠隔近似モードのE Augment scaleが垂直に共存している状態である。 この場合のE♭ blues scaleはもう環境化していると捉えられる。 E♭ blues scaleは水平方向に受け皿を用意し、下方倍音列が成り立つ時間帯を提供する。そのuniverseの中で垂直方向に複調性が成立し、mode=音響のシンボルとしてのchordが重層する構造だと捉えられる。

和声知識の牢獄に囚われている人は新たなインスピレーションを得られると思う。調性の陰の存在であり数学的存在である下方倍音列の世界は、音の色彩を立体的かつ抽象的に膨らませてくれる。 ただし、この理論を具体的に咀嚼するには古典派〜ロマン派の古典機能和声も消化すべきだろう。Beethovenのピアノソナタをアナリゼすると、その世界観の対称性がよりはっきりとしてくる。

・下方倍音列領域内における音響和音
和音は根音とその倍音あるいは音階構成音から組織されるのが一般的である。通常の場合、倍音列という重力圏に沿って進行機能や転回型が作られる。 しかし下方倍音列領域ではその性格が一変することになる。和音というよりも音響体と言った方が正確だろう。和音構成音同士に優先順位はなく、むしろ根音の明確な提示は調性バランスを乱す要因となるため避けなければならない。 スケールも同じく、主音(中心音)の優位性があるわけではない。この場合の優位性とはつまり差異になる。スケール群は近似性(包含性)によって組織され、差異によって連結される。構造が空間化されるプロセスが刺激的である。それは基音の重力圏から離れた宇宙空間を思わせる。
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レポート


2017年11月18日に日本でレビュー済み 
この本はある意味罪が重い本です。
著者をけなしているわけではなくて理論武装する為、知的差別化の手段として
この本は存在していると思います。
はっきりと言いますがこの本でアドリブやフレージングが良くなる事など皆無です。
また書き方も割と飛躍が多いので
恐らくなんの前提も無くこの本を読んでも全く理解出来ないと思います。
そんなわけで理論武装や知的差別化の手段としてのみこの本が存在している事を自分は懸念します。

この本にアンチの立場に立つ人はまず下方倍音列は存在しないものだから
それを前提としその上で理論を構築するのはナンセンスという事を言います。
そして浜瀬さんはこの意見に対して何の答えも出していません。
ただし下方倍音列という概念をキチンと浜瀬さんから学ぶのではなく
他から学んで作曲の一手法、手段として認識していたのなら
浜瀬さんが何故下方倍音列というものに拘ったのかの意味が分かります。

意外と知られておりませんが
下方倍音列という概念は鏡像形と言う概念と密接に関連しており
そのアイデア自体、実は作曲上宝の山なのです。
ぶっちゃけ言いますけどアンチが浜瀬さんの理論を否定する事は
作曲やインプロビゼーションのアイデアの宝庫を放棄すると言う事なのです。
だから自分たちからすると下方倍音列が実体上有ろうと無かろうとそんな事は
どうでもいいと言うところが本音です。
そう言う概念が有りさえすればいいという事です。
何故ならそれより作曲上のアイデア満載のこの手法を放棄する方が
余程痛い、勿体ないと感じるからです。
その下方倍音列と鏡像形と言う概念を市井の音楽家に
紹介した浜瀬さんの功績は非常に大きいと思います。

ただし後半の浜瀬さんの個人の理論展開部分に関しては
キツい言い方をすると少々屁理屈に惰している感じがします。
アイデアは個人の作品を作る上ではありでしょうが
この理論を持ってリアルな演奏現場で。
例えばジャムセッションなどで使えるかどうかは微妙です(不可能ではないですけど)。
もっとも下方倍音列概念と言うものをこんな風に利用する事が出来るんだよって言う
1つの例として見るなら
浜瀬さん独自の方法論は非常に意味は有ると思います。

ただし浜瀬さんの方法だけが全てではないです。
下方倍音列や鏡像形と言う概念はいろんな形に適応可能です。
例えばブルース進行を鏡像化、下方倍音列化させて演奏するって事は実際可能です。
いい音になるかどうかは責任もてませんけどね(^^;;

故にこの本は自分達の様な市井の音楽家に下方倍音列や鏡像形と言う概念があるんだよ。
そしてこの2つの概念は作曲上のおいしいアイデア満載だよって事に気付かされたと言う事自体は評価されるべきです。
そしてそのアイデアの展開として著者の方法論があるのは
少し問題があるにしてもこう言うアイデア展開が出来るのだと言う例を示した事で
ある意味ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマチック概念を超えていると思います。
何故なら件の理論はそこまで踏み込んでいないですから。

故に問題は散見されますけど
この本が本来持つ意味や問題提起の大きさを加味すると評価しえる。
星4つがいいかなと思います。

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