2022年4月2日土曜日

…普遍宗教では「愛」や「慈悲」が説かれる。交換様式という観点から見れば…

…普遍宗教では「愛」や「慈悲」が説かれる。交換様式という観点から見れば、
それは純粋贈与(無償の贈与)である。すなわち、それは交換様式A・B・Cを
越えるDなのである。具体的にいえば、普遍宗教が目指しているのは、個々人
のアソシエーションとして相互扶助的な共同体を創り出すことである。したがっ
て、普遍宗教は国家や部族共同体を解体しつつ、それを新たな共同体として
組織する。

…イエスが説くのは次の二つのことに要約される。「神を愛せよ」と、
「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」である(『マルコによる福音書』
一二‐三一)。だが、イエスのいう「愛」はたんに心の問題ではない。現実に、
それは「無償の贈与」を意味している。

以上私が述べたことは、ユダヤ教やキリスト教を特権化するものではない。
普遍宗教は、各地の帝国が成立する過程、交換様式B・Cが十分な展開を
遂げる時点で出現したのである。

孔子が説いたのは、一言でいえば、人間と人間の関係を「仁」にもとづいて
建て直すことである。仁とは、交換様式でいえば、無償の贈与である。孔子
の教え(儒教)のエッセンスは、氏族的共同体を回復することだといってよい。
もちろん、それは氏族共同体を高次元において回復することであって、たん
なる伝統の回復ではない。特に、孔子の思想におけるその社会変革的な面は、
孟子によって強調された。しかし、現実には、儒教は、法や実力によってで
はなく、共同体的な祭祀や血縁関係によって秩序を維持する統治思想として
機能した。

『世界史の構造』より

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