2022年4月19日火曜日

人麿の運命 (古田武彦・古代史コレクション 11)

Amazon.co.jp: 人麿の運命 (古田武彦・古代史コレクション 11) : 古田武彦: Japanese Books
米粒写経
Reviewed in Japan on May 14, 2012
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 歌の聖と称揚されている人麿では有るが、私は当初期待してはいなかった。ただ古田氏の本であるから
何か新しい知見が一つは得られるであろうと不遜にも思っていた。  というわけは
第一に「百人一首」の人麿の「あしひきの山鳥の・・・」は序詞が余りに退屈に思えたこと
第二に高校時代にやっと読んだ「万葉集」の人麿の「大王は神にしませば・・・」に鼻白んだこと
第三に歌詠みの人麿から、歴史の真実に迫ることは創作物であるから、困難であろうとの思い  に拠る。

 しかし本書は従来の万葉學を吹っ飛ばす驚愕の書であり、古代史の空隙を埋めんと欲する方(尤も私は『三国志』で倭人が事細かに記述されているから「古代」とは考えないが)、『万葉集』を愛して止まない方には必読の書であると考える。
 古田氏は歌の一字一句に真摯に真向かわれて「作歌場所」「作歌時期」を考究され、歌人の空想の産物であろうとの万葉学者の、一定の解釈が出来れば事足りるとの安易な態度と一線を画される。確かに歌は一定の事件、特定の歴史事実に触発されてものであろうから歌人にとっては必然の作品と言い得る。つまり歌を歴史の直接資料へと昇化されている。当然のことながら氏の独断、思い違いは有ろうけれど万葉学者は論文を以て氏と対峙し、論争によって更に万葉學が深められることを期待する。
氏の九州王朝論(701年迄は九州王朝が倭国として中国、半島から日本を代表する国である事が公認されていた)に依って『万葉集』の中の歌が更に生き生きと甦ることを体験するであろう。私には『「邪馬台国」なかった』と同様な衝撃の衝撃の書であった。

本書は続刊の『古代史の十字路』『壬申大乱』と並んで万葉三部作とされ、これらにより私達は『万葉集』の真の姿を手にすることが出来ることとなる。 

https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%BA%BF%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%91%BD-%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6%E3%83%BB%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-11-%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6/dp/4623060594

人麿の運命 (古田武彦・古代史コレクション 11) Tankobon Hardcover – April 20, 2012

九州王朝に挽歌を捧げし人麿
柿本人麿と万葉集の真実に多元史観から迫る。
古田万葉論三部作第一弾、書き下ろしを加え、復刊。

歌人・柿本人麿は何を歌ったのか、なぜ歴史の中に存在しないのか、終焉の地はどこなのか。万葉集の「古集」とは何か。
古田史学による新たな「万葉集」論。隠されていたキイ・ワード、それは「九州王朝」だった――。長文の書き下ろし「日本の生きた歴史」を新たに加えて、待望の復刊。


[目次]

はしがき——復刊にあたって
はじめに

第一章 近江のまぼろし

第二章 知られざる万葉集
一 中大兄の三山の歌
二 額田王と井戸王
三 仁徳と磐姫

第三章 人麿終焉の地「鴨山」をもとめて
一 斎藤茂吉の鴨山「湯抱」
二 梅原猛の鴨山「益田」
三 真実の鴨山への到達

第四章 「倭国万葉集」の実像
一 「古集」のしめすもの
二 「倭国」から「日本国」へ

第五章 「筑紫への挽歌」と人麿の光栄
一 消えゆく「遠の朝庭」
二 筑紫の「輝ける日」

第六章 人麿の立つ大地
一 「朝臣」の称号
二 「天孫降臨」を歌った人麿

第七章 人麿の運命

新万葉論——人麿補考

奥書の欠除/家持の死亡記事/正史から消された万葉集万葉集の中の九州年号

元歌の後人仮託説の誤り/歌謡劇としての雄略歌/故郷を歌った神武歌謡

まぼろしの筑紫の恋人

「いにしへ」とはいつか/「いにしへ」の訓/神武の熊野迂回潜入行
あとがき

写真家より敬白(青山富士夫)
【写真解説】

日本の生きた歴史(十一)
第一 「君が代」論
第二 「男系天皇」論の虚構
第三 「万世一系」論の真相
第四 「海行かば」論
第五 「人麿の本質」論

人名・事項・地名索引

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