2022年4月2日土曜日

【聖林寺展】神仏習合と分離を博物館で解説【奈良博コラボ】

https://youtu.be/fKA5nb3l1w0

久保有政
 また、秦氏が多く住んだ奈良県の三輪山付近において、巻向山の一峰は、万葉集で「弓月ヶ嶽」と書かれている。  秦氏の故郷「弓月」を偲ばせる名称である。しかもこのへん一帯には、「父なる神が処女のもとに寄り来て聖なる子が誕生した」という伝説も伝わっている(玉依姫の伝説)。これは「処女が神の霊によってみごもり、聖なる子イエスを生んだ」という『聖書』の話に、なんともよく似ている。古代東方キリスト教徒だった秦氏を思わせる伝説である。

 研究家の中には、秦氏をユダ族(南王国のユダヤ人)と考える人もいる。だが筆者は、ユダヤ人でそう考える人に会ったことがない。  南王国のユダヤ人も、とくに紀元後、たくさんシルクロードを往来していたから、たしかにシルクロードを経て日本に来た人々もいるだろう。  けれども本書で述べたような理由から、秦氏はむしろ北王国イスラエル10支族の末裔、とりわけマナセ族であり、大陸で東方基督教に改宗したイスラエル人だったと思われる。  一方、秦氏よりずっと早く日本に到達していた物部氏は、出雲系神社その他をになっていた。先に述べたように古代出雲大社の高層社殿は、かつてイスラエル10支族の中のルベン族・ガド族・マナセ族がヨルダン川東につくった高層社殿と同様である。  ということは、物部氏はルベン族や、ガド族、マナセ族のどれかの血をひいていたのかもしれない。中臣氏や、忌部氏もそうだったろう。イスラエルの他の支族も来ているかもしれないが、エフライム以外のイスラエル人としては、マナセ族が最も濃厚である。  先に、ニニギの正式名中の「ヒコホ」は「ヤコブ」を意味し、また山・幸・彦の名称中の「ヤ・サ・ヒ」はヨセフ、さらに神武天皇の正式名中の「イハレ」は「エフライム」ではないかと述べた。  一方、この天皇家と別系統の氏族として、「国譲り」を行った出雲系統の人々がいる。  その代表はオオクニヌシ(大国主命)が引き連れてきた人々である。彼も神と呼ばれているが、たくさんの子どもを生んだ人であった。実際は私たちと同じ人間であり、先祖のひとりである。  オオクニヌシの別名は、『日本書紀』では「オオモノヌシ」(大物主神)という(『古事記』においては別の神)。「オオ・モノヌシ」は、「マナセの富」を意味するヘブル語「ホオン・メンナシェ」から来たものかもしれない。  もしそうなら、「マナセ」の名称も、「オオモノヌシ」の中に隠された形ではあるが残されていたことになる。神武天皇の后となった女性は、オオモノヌシの娘である。  大物主神と、物部氏は「物」の字で共通している。オオモノヌシは、物部氏の祖ニギハヤヒと同一人物であるという説もある。もしそうなら、物部氏はマナセ族であろう。  ともかく、日本にはイスラエル10支族のすべてではないとしても、少なくとも何支族かは来ている。その中心が、天皇家となったエフライム族であった。  ときに、天皇を意味する「帝」(ミカド)が「ガド族から」を意味するヘブル語「ミ・ガド」から来ていると考え、天皇家はガド族とする主張もある。しかし、短い言葉の類似だけで天皇家はガド族というのは、やはり早計だろう。  先に見たエフライムと天皇家の系図の一致は、非常に強力な、動かしがたい証拠である。筆者は、ミカドはむしろ、ヘブル語の「ミガドル」=「偉大な者」の意味であると思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿